Neetel Inside 文芸新都
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一枚絵文章化企画2017
「太陽が黒く大きくなって」作:一階堂洋 0319 23:17

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 太陽が黒っぽくなる。そして、大きくなる。
 ぼくたちは異常に気がつく。ぼくは理学部の天文学部に所属している。
 教授たちは、ぼくたちにしばらくの休講を告げる。
 彼らは研究室にこもって、出てこなくなる。時折サブウェイのサンドイッチだけが運ばれる。
 ハム、トマト、レタス。


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 一:一般に、合金の融点は、その原料となる金属より低い。

 二:この地球で、最も融点の高い金属は、タングステンであるとされている。

 三:タングステンの融点は、摂氏三三八〇度である。

 四:太陽の黒点の温度は、約摂氏四〇〇〇度である。
 

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 世界中の研究所から、一斉に発表がなされる。
 太陽が膨らんでいる。ヘリウムが中央に沈降して、核になって。水素が表面に浮かんで、そこで核融合が行われる。
 低い温度で。
 黒っぽい光で。
 太陽は大きくなっている。世界は暗くなってきている。寒くなってきている。子どもが拳をぎゅっと握って、太陽との大きさを比べる。

 学者は語る。計算を間違えていた。数値は十、いや、十二、過大に推定されていました。

 ぼくたちは知っている。それは対数ロガリズムを取ったものだということを。
 十桁の過大推定。
 十億年の過大推定。
 それはもはや推定でさえ無い。

 ぼくたちは語る。これから起こることについて。
 ニュースは語る。ぼくたちを守るものについて。
 富豪たちは語る。分厚いシェルターについて。
 宗教家は語る。腫れ物でヨブを打つサタンについて。

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「寒いよな」
 とぼくは言う。友人は頷く。
「そのうち熱いって言うぜ」
 ぼくは頷く。

 ぼくたちは太陽のことを、あれ、というようになる。あれが昇った。あれが沈んだ。月は濁った緑色に光る。夕暮れは汚い血の色になる。

 ぼくたちは何が起こるか知っている。

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 太陽は、内部の水素を使い果たすと、表面付近の水素を用いて核融合をする。膨張する力は、重力より強く、太陽は激しく膨張を始める。そして、太陽は赤色巨星の段階に入る。
 やがて、表面付近の酸素、中心のヘリウムが使い果たされると、太陽はさらに巨大になる。この時、太陽の直径は、以前の八〇〇倍にまで膨張する。
 その時、太陽の表面は地球に届くと推定される。

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 ぼくたちはデパートから物を盗むようになる。誰かが子どもを犯す。処女の性器を百個捧げれば、火から守られると囁かれる。金泊で部屋を張れば、電磁波は入り込めない。地球の自転と逆に動き続ければ、火に焼かれることはなくなる。
 どんな嘘も、真実と見分けがつかない。
 
 宗教を理由にした、いかなる犯罪もなくなる。神の名のもとに、人を殺す人間はいなくなる。

 みんな、神に許してもらう必要を感じなくなっているからだ。
 そして、それは自分を増幅させるポジティブフィードバック考えだ。

 神がいなければ、全て許される。

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 研究者たちは発表する。いつあれが地表に接触するかについて。地表面が何度になるかについて。
 ぼくと数人の学生以外、誰も聞いていない。学者たちは、なんの表情も浮かべていない。浮かべないようにしている。紙とインクとコンピューターだけを見ようとしている。

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 悪い冗談が広まる。
 
 カムチャッカの若者がきりんの夢を見ている時、
 ニューヨークの少女は、黒焦げのマッチになっている。

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 赤道の鉄が溶け始める。そのニュースを誰も報道しない。もう新しいことなど起きなくなるだろう。それを見る者がいなくなるからだ。

 人間が認識することで世界で存在するなら、と、ある哲学者が言っていた。
 人間がいなくなった時、世界はなくなるのだろうか?

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 ぼくはあれを見る。電力は全て、ぼくの立っている場所より東側から供給されている。だから、街灯は、最後まで輝く。
 あれは全てを溶かしている。光も。煙も。

 気温の変化で、蜃気楼が作られる。そのせいで、あれは四角く、黒い壁に見える。
 
 すべての人が、すべての恨みを晴らしている。すべての欲望を満たしている。殺して殺して泣いて叫んで、そして死んでいる。血の色とあれの色は似ている。

 ぼくは自動車の中にいる。熱がこもる。ぼくはあれから逃れようとする。助手席に、一つ、小さなクーラーボックスを置いて。
 東に。

 空には飛行船が浮いている。東に回り続ける。いつか堕ちるというのに。少しばかりの延命。生命の残り火。
 ノアの方舟が到着する山はない。

 莫大な海水が蒸発し、それと共に塵が吹き上げられ、空は不思議な色に染まる。邪悪なオーロラのように光る。

 ぼくたちは逃げることができない。

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 車のウィンドウが熱でゆがむ。ゴムが経年劣化でやられる。発火点の低いエタノールが燃える。誰かがそれを飲み込んで死ぬ。
 誰かが発狂して、どこかに駆けて行く。

 ぼくは車から出て、歩き出す。体は重く、頭はだるい。手にひとつだけ荷物を持って。

 ぼくは振り返る。黒いビルが黒いあれに飲み込まれ、街灯だけが、けなげに光っている。

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 ぼくは誰かが倒れているのを見つける。
 
 ぼくはその人に手を貸して、起こす。それは禿げかかった中年の男だ。顔は煤けている。まぶたは、まるで驚きから抜け出せないみたいに、大きく開いている。彼はぼくを見つめる。ぼくは頷く。

 クーラーボックスを開ける。
 中には二本、アイスキャンディーが入っている。青いアイスだ。ソーダ味の。ぼくは一本を彼に手渡す。

「食べませんか?」
「悪いよ……」
「ふたりで食べたほうがおいしいですよ」

 ぼくたちはそれをゆっくり食べる。地球上に残った最後の氷を。

 彼は言う。
「おれはさ、あそこで生まれたんだ、見えるか? 幹線道路、ずっと行って――今、十字架みたいなのが……チカっと光った場所……」

 ぼくは頷く。
 彼は語る。
 彼の生まれた場所。緑の茂った土手。母親の笑顔。父親が泣いたこと。妹の結婚。就職。怒鳴られたこと。転職。怒鳴られたこと。割引の刺し身について。四十二になって、わさび食って、涙が出てさ、それ、止まんなくてさ。涙が止まんなくてさ。

 やがて、彼は黙る。ぼくは黙っている。
 
 ぼくたちはあれを見ている。

 やがて、ぼくたちの場所にもあれが届く。

 その頃には、ぼくたちはもう眠っている。

       

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