Neetel Inside 文芸新都
表紙

僕たちは恋してない
Child play(1) -茨姫-

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「だから君は子供なんだ」
 そう言って、彼女は笑った。
 いや、暗くて顔はあまりはっきりとは見えなかったし、僕も視線を逸らしていたから、本当に彼女が笑っていたかは分からない。
 でも、笑っていて欲しいと思った。
 彼女は、僕の悩みとか、恋心とか、今まで必死に考えていた事とか。そういう、しがらみみたいなものを全部なんでもないことみたいに切り捨てる。そんな強さを持っている人であって欲しかった。
 それは他人から見たら、もしかしたら性格が悪いように写るのかもしれない。
 なんでもズケズケとものを言って、他人からの評価よりも自分がいかに納得できるかどうかを優先する。
 逆にそっちの方が、自分勝手な子供ではないのかと、そう思うのかもしれない。
 それでも僕は、彼女のそんなところが好きだった。大好きだった。
 一人でも生きられると全身で主張する彼女が、僕にはどこまでも大人に見えていたのだ。
 それが、三年前の話。僕の初恋の終わりだった。


 扉の開く音で目が覚めた。
「あ、寝てる。こーら、何時だと思ってるの? もう下校時刻よ」
「す…いません。ちょっとのつもりだったんですけど」
「まぁ、季節柄寝やすい時期だっていうのも分かるけど。まさか、授業中から寝てたりしたんじゃないでしょうね?」
「いやいや、まさか。そんなこと無いですって」
 僕が体を起こしてゆっくり伸びをしている間に、先生は僕の前を通り過ぎて窓へと向かう。
「戸締りの確認ですか?」
「そうよ。今言ったでしょ、下校時刻だって。部活の子達だってもう帰り始めてるのよ? 片瀬君もさっさと出て行く支度しちゃってね、カギかけるんだから」
「はーい」
 言葉とは裏腹に、僕は再び机の上に寝そべった。頬に冷たい感触が伝わって心地いい。このままもう一度寝てしまいそうになる。
 もちろん、そんな時間は無いし、そんなつもりも無いのだが。
 先生の後姿をじっと見つめた。肩口で切りそろえられた黒髪が、夕焼けに反射してきらめいた。下校時刻と言ってもまだ九月の中ごろだ、日はまだ完全には落ち切っていない。
 アイロンのしっかりかけられていそうな仕立てのいいスーツ、細くて長い眉、薄いお化粧。本当にこの人は、どこからどう見ても――
「先生って本当に、『真面目そう』ですよね」
 ピクッと、先生の方が震えるのが分かった。
 こちらに振り向いた顔はムッとしていたけれど、それが本気で怒っているのではないことを僕は知っている。
「何が言いたいの?」
「別に? 言葉通り、そのまんまの意味ですよ」
 窓の鍵をチェックし終えたのか、先生が近づいてくる。僕の机に両手を付くと、覆いかぶさるようにして僕を見下ろした。それはまるで、獲物を前にした肉食獣のように。
「起きて身支度してって、言ったと思うんだけど」
 僕はクスリと笑う。こんな覆いかぶさられた体勢で、どう起き上がれと言うのだろう。
 この人のこういう分かりやすいところが、僕は嫌いではなかった。
「先生がキスしてくれたら起きますよ」
 先生は少し考える素振りを見せた後、
「それって逆じゃない?」と笑って言った。
「逆じゃないですよ」
 僕は体を捻って先生を見上げた。
「あの話の王子様は、噂を聞いただけで見ず知らずの女の下に駆けつけて、眠って抵抗できないのをいい事にキスまでしちゃうようなレイプ魔ですから」
「それ、私がレイプ魔って意味?」
「生徒にこうして圧し掛かっているのを第三者が見たら、誰でもそんな風に思うと思いますけど?」
「ナマイキ!」
 唇が重なる。笑い混じりだったせいで、お互いの顔に息が当たってくすぐったかったけれど、それを面白がるように繰り返し繰り返し、小鳥が啄ばみ合うみたいに顔のあちこちにキスをしまくった。
 気が付けば僕は机の上に仰向けに寝ていて、先生はやっぱりそんな僕に覆いかぶさっている。
 息が荒くなっているのを隠すように、あえてとぼけた声で僕は先生に問いかける。
「警備員さんが巡回するのって何時でしたっけ?」
「え、調べてないけど、まだ時間あるんじゃない?」
「いい加減だなぁ、そんなんで見つかって大騒ぎになっても、僕は知りませんよ?」
「ほら、そうなったら片瀬君に襲われたって言うし」
「自分から上に乗っちゃってる癖に?」
 笑い合う。もう普段の教壇に立っている、『先生』の面影はどこにも無かった。どこにでもいる女の人のような甘えたような笑顔で、僕に擦りよってくる。
 ホットケーキにシロップが染み込んでいくように、じんわりと優越感が心の中を満たしていった。
 自分の上にいる人の一挙手一投足を、僕の発言で誘導できる。それを面白いと感じる僕は、性格が悪いのだろうか?
 本当にこの人は分かりやすい。とにかく押しに弱く、引けばホイホイ付いて来る。ノーと言えない日本人の典型を挙げろと言われたら、僕は真っ先に先生を指差すだろう。
「あっ……ちょっと、こんなところで止めてよ……」
 今さら、口だけで体裁を守る。手は体を支えることに必死で、抵抗する意思なんてまるで無いくせに。
 そして、僕の上に倒れこんでくる。自由になった両手は僕を突き放すことなど無く、逆により密着させるようにと、背中の下に入り込む。
「見つからない、よね?」
「先生が大きな声を上げなければ」
「もう、バカ……」


 ねぇ、先生。先生はどっちの方がズルいと思いますか?
 確かに王子様は、見ず知らずの女にキスをしました。でもそれは、もしかしたら本当に姫を目を覚ますかもしれないという可能性に賭けての、善意からの行動だったのかもしれない。
 多少の下心はあったとしても、茨の道を歩んできた王子様にとって、それくらいの役得は期待してもいいとは思いませんか?
 先生、僕はね。あの物語で、姫が一番腹黒いと思うんですよ。
 王子様は決して命の恩人なんかじゃない。百年経てば、姫は勝手に目が覚めるんだから。でも、姫は王子様と結婚する。見ず知らずの、自分を襲ったに近い男なのにも関わらず。
 茨に包まれた城。どう見ても再興は無理な自らの王国で目覚めた姫が、王子という身分に惹かれなかったと思いますか?
 顔を見て、身分を聞いて、自分に惚れた様子なのをこれ幸いと、玉の輿に乗る算段を立てたのだと考えたことはありませんか?


「そういえば明日、うちのクラスに教育実習生が来るんだって」
 帰り道で先生は、そんなことを言い出した。
 本当は、帰り一緒のところなんて誰かに見られたらまずいのだが、今日は先生の希望で仕方なく、といったところだ。見つかった時の言い訳も、考えていないわけじゃない。
「珍しいですね。そういうのって、もっとベテランの先生のところに行くものだと思ってましたけど」
「うん、まぁ普通はそうなんだけどね。私もまだ教職二年目だし、最近まで大学生だったわけじゃない? だから、そういう実習生だった時のノウハウとか、逆に教えてあげられるんじゃないかって言われて」
「体良く厄介ごとを押し付けられちゃったわけですか」
 先生がため息を吐き出す。
「ホントそうなんだよね。普通、若い女の子の相手なんてみんなしたがると思ってたんだけど、そうでもないみたい」
 中間テストも近いから、実習生の相手なんてしている暇が無いのだろうと、先生は言った。
「へー。その教育実習生、女の人なんですか?」
 そう言った瞬間、先生の眉が軽く寄るのが分かった。本当にこの人は分かりやすい。
「そうだけど。何、興味あるの?」
「ええ、まぁ。僕も年頃の男子高校生ですから」
 感じる苛立ちを、右から左に流す。それが一番賢いやり方だと、僕は知っている。なにせ向こうは年上で、その上先生だ。ムキになって怒るなんて事は絶対にできない。
「ふーん、まぁ綺麗な子だったよ。この前挨拶に来たときにちょっと顔見たけど。うちが母校なんだってさ」
「ああ、そういうの多いですよね。なんでなんでしょう?」
「やっぱり、勝手知ったるなんとやらって言うじゃない? 知ってる場所だとやっぱり緊張も少しは薄れるし、顔見知りの先生とかがいれば頼りにもできるしね」
「なるほど」
 微妙に、本当に微妙に嫌な予感がしていた。
 今実習生って事は年齢の計算が合っちゃうとか、うちから教育方面に進んだ人の心当たりとか、それが綺麗な女の人ってこととか。
 だから、僕は聞いてしまった。止めておけばいいのに。どうせ明日になれば分かることなのに。
「その人の、名前って分かります?」


 ねぇ先生、僕はズルいんです。
 だって僕はまだ、彼女のことを忘れられて無いんですから――――

       

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