熱いトタン屋根の上
15話…作者は逆レイプ願望あり
「やれやれ……」
体の力を一気に抜いて、机に突っ伏した。課題レポートは夜を徹した作業によって、な
んとか形になった。
ふらふらする体を支えながら登校するも、校内の何処を歩くにも変な緊張感が付きまと
った。期せずして桜井と顔合わせたら……リアクションに困りそうだ。
とは言え、桜井も高校生だ。童貞であるなんて偏見だ。
「いやいや、妹だっつの」
その通りだが、結構いるものなのだろうか……兄と妹。
「ねーよ……!」
すっげぇ喘ぎ声だったよなぁ……うわー幻聴になりそうだ。
「ねぇあんちゃん、教室移動だよ」
延髄に矢の如く突き刺さった声は、ここ数日ですっかりトラウマになった
「井上さん、おはよ」
我が野球部のマネージャー兼ヘッドコーチのものだった。
大袈裟に呆れて見せて
「おはよ、じゃない。ぼーっとして練習に身が入らなかったらはっ倒すよ」
口調とは裏腹に怖い事を言ってくれる。正直張り倒されるくらいで済むなら良いが。
「ねぇ井上さん」
「なに?」
「……いや、なんでもないや。それじゃ放課後、部室で」
一体彼女に何を聞かせろと言うんだ、くわばらくわばら。
「ちゃー・しゅー……」
「メン!」
キンッ!
コシの強そうな手打ち麺を連想しそうな力強い掛け声で健吾がバットをスイングすると、
球脚の速いボールは、おおよそショート正面だろう位置へ転がっていった。
「そうそう、始めはとにかく打ってみて、ボールに当たる感触やタイミングを覚えるんだ。
能書きは自分の構えに必要なモーメントを覚えてからの反復練習で、だ」
桜井は打撃を基本から、熱心になって健吾にトスを上げながら解説している。健吾も健
吾で、類稀な運動センスでこれまた驚く程飲み込みが早い。
俺はそんな二人の様子を、ボール拾いの間を捕まえては健太郎と遠投キャッチボールを
して眺めていた。井上さんはバックネット付近で俺や健太郎から放られる硬球を回収して
いる。
「ところでさー桜井君!」
井上さんが、打撃練習を一段落させ休もうとした、桜井を呼んだ。俺達も桜井達に倣お
うと、ランパスしながらベンチへと向かい、その様子を窺った。
「桜井君って彼女とかいる」
ポロッ
あ、落球しちまった。
「豊お前真面目にやれよ」
えぇ、サーセン健太郎さん。
「……どしたの?」
「いや、隣のクラスの女子が聞いてくれって」
「……いるよ、うん」
「!!」
ガスッ!!
健太郎の投じた球が顔面に突き刺さった。
「イテテテ……」
まったく、昨日は桜井の事でえらい目にあった。白い練習着が鼻血塗れになって、この
上なく不細工な格好で練習するハメになったのだ。
「まったく不注意だぞ危ないなぁ」
「あぁ……まったくだ」
健太郎も昨日の事態は意外であったようで、珍しく結構本気で心配してくれていた。
「ところで……井上さんは?」
「あぁそれがさっき職員室に呼ばれて……」
ガラリと部室のドアを開けると、そこには既に桜井、健吾、そして井上さんが準備万端
で、椅子に腰を下ろしていた。
「よっ、みんな早いな」
エナメルバッグを床に下ろし、俺が上着に手を掛けようとすると
「ん、さっき先生が試合決まったって」
ムッスーとした井上さんが一枚のA4サイズの紙を手渡してきた。
「こっちから出向くのか。意外と近いんだなー……って、これ日程が明後日じゃん」
よくよく見ると井上さんだけじゃない、桜井も健吾も表情に不満の色が出ていた。
「試合が数日後なのに、先輩は練習もせずに置きっ放しの自分の道具だけ持って帰っちま
ったってワケか……」
健太郎が無表情で用紙に目を通しながらそう言った。
先輩達は、活動休止が解かれたとは言え、真面目に野球をやるつもりなんかないって事
だろう。とは言え、部活は進学においての重要な評価ファクターでもあるから、所属はし
ておきたい。だからの申し訳程度の活動実態として、適当に試合を組んでいるというわけ
だろう。
「この高校……俺こっち受けようかどうか迷ってたぞ確か」
健太郎が呟く。
相手の聖スレスト高校と言えば、我が校と並ぶこの地域の進学校だ。
「利害関係の一致ね、これ」
溜息混じりに井上さんが吐き捨てた。おそらく相手チームもうちと同じような状態なの
だろう。俺は野球部があった事すら知らなかった。
「恒例行事?」
そう言って健吾が『日本語あってる?』みたいな目で周りを見ていた。
井上さんや桜井が、もうあからさまに『大丈夫なのかなぁ~』みたいな不安に駆られた
顔でいるのに対して、この男は違った。
「ま、最低限の活動報告ってんなら……サボって人数不足って事はないだろ」バッグから
グラブを取り出し「やっと俺達野球が出来るんだ、これからさ」
健太郎が不適な笑みを浮かべ、満足げにそう言った。
「ま、気持ちは痛いくらい分かるけどね……」
俺は不安そうに耳打ちしてきた井上さんに、そう返した。
試合が決まり、なんだかんだ興奮を隠せなかった俺達は、試合前日も時間の許す限りの
練習をした。バッテリーの二人は特に、入念にリードを含めた打ち合わせに時間を割いて
いた。
「あー機嫌悪そー……」
そして試合当日の今日、最寄の駅からバスに揺られ聖スレスト高校に到着した我がチー
ム、あろう事か先輩方は着替えるなりいきなりボールをバッグから取り出しキャッチボー
ルを始めた。ストレッチもミーティングも何も無い。
今時草野球でもないわ、と聞こえないように吐き捨てたのは健太郎だった。
ここまでは、このやる気の無い先輩方を考えれば予想の範囲内だったのだが……
「桜井ってセンター出来るのかな?」
「少年野球教えてるくらいだからな、大丈夫なんじゃない?」
アップ(という名のダラダラとしたキャッチボール)を終え、ベンチ前にチームで集ま
り、これからミーティングかと思いきや、先輩方は何かを打ち合わせするでもなく、主将
の『じゃいつも通りで』という掛け声で、ベンチに散って水分補給をしたりトイレに行っ
たりと思い思いの行動をし始めた。極め付けは、ひとりの先輩がおもむろにプロテクター
を己の身に装着し始めた事だった。桜井はがっかりした様子だ。
「あー、一年生……前田君が投手で」
何かを打ち合わせするでもなく、ポジションが既に決まっていた。空いていたピッチャー
やファーストの位置は、自己紹介通りに健太郎と俺が守る事になったが……
「桜井君、悪いけどキャッチャーがもういるから……」
空きが出ているセンターで、と言われた。というか誰も仕事の多いポジションをやりた
くなかったから、桜井に押し付けたと言うのが正しいだろう。
表情には出さなかったが、背中全体から“納得いかねー”オーラを醸し出している桜井
を、俺と井上さんで尻を蹴っ飛ばしてなんとか納得させた。
最後に、健吾は経験も浅いのでここは機会を窺いつつベンチで井上さんに試合を解説し
て貰って、野球を勉強する事になった。ここは本人の希望通りだった。
ノックもやらない、バットも振らない、とても試合前の野球部とは思えなかった。俺達
一年はグラウンドの端でひっそりと一通りアップを終えた。(四人じゃノックは回せない
からボールの使い方は大人しかったが)
打順も適当で、四番は主将特権だろう、サード・ジョシュ長岡。七番に健太郎、八番に
桜井、九番に俺、となった。
「蔵野先輩……ちょっと投球練習いいっすか」
試合開始直前、やっと健太郎がまともに今日の女房役相手に投球練習が出来る。
「お、今日は右か!」
俺の沸き立つ声、健太郎は何事か極々小さい声で呟くと、腰を落とした蔵野先輩に対し
て立ち、振りかぶった。
「ねぇ、さっき何て言ったの?」
再び、井上さんが俺に耳打ちしてきた。
「えぇ?」
「今の健ちゃん!」
「………多分」俺は周囲に先輩が聞き耳立ててないのを確認してから「『左だと制御が効か
なくて怪我させるから』ってね」
フローラルな良い匂い漂う彼女の耳元に顔を寄せ、そう答えた。
考えてみれば、去るガチホモ外国人チーム相手の時には軟式球とは言え、健太郎は左で
とんでもない剛速球をキャッチャーだった俺に向かって放っている。
悪趣味なのか、成長なのか……複雑な思いだが、今回の俺は本来のポジションでアナル
崩壊の危機も無い。桜井は気の毒だが、今日は久し振りの感覚を楽しむとしよう。
スカッ
「!!」
ポロッ
「………」
ドゴッ
「これは……」
蔵野先輩……。
「こんな球カン無い野球部員初めて見たよ……」
同感だ。しかし井上さん、耳打ちで舌打ちされると妙にエッチだ。
確かに、健太郎の打者の膝元から胸元までせり上がるような高速回転のアンダースロー
を初見で捕球するのが簡単ではないのは認めるけど
「蔵野先輩、鼻血出てます!」
さすがに目で追えない程ではないのだが。なんでこんな人が正捕手なんだ?大体構えた
場所からミットを動かさなければボールが勝手に飛び込んでくれるというのに。
「それはな……」
井上さんの次に突然の野郎の耳打ちだと、妙に負の感情に精神を支配される。ジョシュ
主将に悪気はないけど。せめて肩を叩くとかは気を使って欲しかった。
「学生時代に野球部で、特にキャッチャーやってたって言えば、企業はまずマイナスな判
断をしないだろ?」
「あぁ、なるほど……」
ジョシュ主将の説明に納得はしたが、ますます桜井が気の毒になった。
「……意外とキャプテンは新入部員に気を使ってるみたいね」
「確かに、しなくても良い説明までするんだから」
「でも桜井君の耳に入らないように気を付けなきゃ」
目の前では呆れ気味の健太郎が、ストレスの大きそうなセーブされたフォームで、びっ
くりするくらい山なりのボールを、蔵野先輩の構えるミットに置いていた。
「先輩!シンカー投げます」
健太郎はそう言って、ボールを握った手首を軽く捻るジェスチャーで示した。
「捕れるかな?」
と井上さん。
「初見の下手投げシンカーとはいえ百も出てないボールだから多分……」
ガッ
ゴッ
「ふぐっ!!」
擬音と唸りの見事な三拍子で繰り広げられたのは、バウンドしたボールにまったく反応
出来ず、ミットではなく股間で捕球した
「あんちゃん、多分……何?」
蔵野先輩というスペクタクルな光景だった。
「桜井……呼んでくるわ」
「はいベンチ前!」
結局、桜井を座らせること無く健太郎の投球練習が終わった。
「二回までを投球練習に使おう」
先程からは打って変わった桜井の弾んだ声を左に、俺達はベンチ前に並んだ。これまで
の付き合いはさほど長くは無いが、健太郎の肩はキャッチャーを座らせた状態で十数球あ
れば出来上がる程に、使い勝手が良い。
「しやっす!」
とは言え、このバッテリーを試合で見るのは初めてで、向かい合っている守備位置の俺
は、一種の怖いモノ見たさのような震えを感じていた。嫌な予感じゃなきゃ良いけど。
試合前にゴタゴタした感があったが、試合が開始した。バッテリーを除いたメンバーで
ランナーコーチを交代して勤めるのが、なんかリアルだった。
一番、三振。二番、四球。三番、四球。
「ここで四番なら……」
わずかながら耳に入った、スコアブックから顔を上げた井上さんのそんな言葉は、何処
か皮肉めいていた。
ガギッ
ごくごく鈍い音を立ててキャプテンが弾き返した打球は、申し合わせたかのように中途
半端なゲッツーシフトと敷いていたショートの正面を突いた。
「あちゃー……」
投球練習を中断して戦況を見つめていた桜井が天を仰いだのが、三塁コーチャーズボッ
クスから見えた。
「ダッシュ!セカン遅れてる!!」
ゲッツーシフトが中途半端だった事もあり、セカンドランナーをサードベース上で封殺
してから送球されるまで、かなりの間が空いた。セカンドがベースカバーに入るのが遅か
った。
「うわっピッチャーいじめだ……」
相手の野手に聞こえないように呟いた。
「二死二死!次さっさと斬ろうぜ」
そーじゃなくて……キャッチャーやってるお前が内野の守備位置を指示しなきゃダメだ
ろうが、と言いたげな桜井の表情が窺えた。
守備の緩慢なミスで招いたピンチは、直接それに関わってない投手や外野手にまで強烈
なストレスを与えて、一気にチーム内の雰囲気を悪くする事が多い。
五番、1-3からど真ん中の球を振り遅れてファールにしたが、結局は相手投手のコン
トロールミスで塁を埋める役割を果たした。
「うーん……三塁側の雰囲気は」
自軍ベンチをチラリと見る。誰一人このチャンスに盛り上がっていない。俺達一年軍団
はもとより、先輩達はかったるそうに戦況を見つめている。早く終わって帰りたい、とで
も思っているのがよく分かった。ファーストコーチャーなんてハナクソを穿っている。
六番、蔵野先輩。さすがに健吾をスタメンで出すワケにもいかないので、土気色の顔で
で脂汗ダラダラの所を申し訳ないがライトに入ってもらっている。しかし
「あー……」
健太郎にキンタマをしゃくり上げられたショックというのは関係ないはずだ。なんと0
-3から見逃しで三振を喫した。
おー、井上さんの表情が怖ぇ……。