イエスは安アパートの前にあるガレージの中で産まれた。今では車を止める者のいない、シャッターの壊れたガレージの中には、近隣の野良猫達が住み着いていた。イエスの母マリアは、度重なる地震と台風でダメージを受けた安アパートの部屋ではなく、猫達が生き延びているのだからと、出産場所にガレージを選んだ。病院に行く金はなかった。持ち込んだ灯油ストーブの周囲には猫達が群がり、押されてストーブに近付き過ぎた一匹の猫の毛の焼ける臭いがした。マリアは陣痛に苦しみながら、熱さに飛び上がった猫の背中を優しく撫でてやった。
父親候補は三人居たが、一人はイエスが産まれる前に事故死した。一人はマリアを愛し続けるという嘘をつき続けて違う女と暮らしており、出産のことも知らずにいた。あと一人の男であるヨセフは、実際にはマリアとの関係は始まっていなかったが、誰よりもマリアを愛していた。愛する者の産む命も愛した。であるから誰よりもイエスの父親であるかもしれなかった。
マリアから産気付いたと報せを受けたヨセフはガレージへと急いだが、彼が駆け付けた時には既にイエスは産まれていた。ヨセフに抱えあげられたイエスは嘔吐した。野良猫達の寝床を羊水だらけの吐瀉物で汚した。
「俺が犯した本当の罪は」と後年イエスは語った。
「野良猫達の住むガレージで産まれて、吐いて、猫達の寝床であった場所を俺のゲロで汚してしまった、あのことだけの気がするんだ。産まれたばかりのことなのに良く覚えている。その他の俺の罪は、数限りない他人の罪に紛れてもう分からなくなってしまった。他人の罪の入り込む余地のない、あの瞬間のことだけが、唯一俺だけの罪という気がするのだ」
しかし猫達の中には、イエスの吐いた羊水を舐めて、先の長くない野良としての命を数日または数時間だけでも延ばした者もいた。
元々残り少なかったストーブの中の灯油が切れると、猫達はマリアを取り囲み守るように、実際は少しでも群がる数を増やして暖を取るために、集まった。ヨセフが新しい灯油を買いに出る間、猫達は代わる代わるイエスとマリアを舐め続けた。ザラザラの舌で舐められる痛みの中でマリアとイエスは眠ることもなく、命を繋いだ。
続く