Neetel Inside ニートノベル
表紙

誰がために鐘は鳴る
神崎凛という女の子

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 六月。

 初夏を迎え、気温も湿度も日に日に上昇してきており、じめじめとした空気が肌にまとわりつく。
 衣替えをして肌の露出が増えたこともあり、ジリジリとした日差しが肌を指す時期になってきた。

 現在オロチは停学中で、俺のクラスは平穏な日々を送っていた。
 先の一件で、鈴木をはじめとするクラスの皆とも俺は打ち解けることが出来た。
 まだ戸惑っている部分もあり、ある程度の距離感は保っているものの、以前に比べればコミュニケーションをとることが格段に増えたと思う。
 少しづつ、自身の成長を感じることが出来ていた。

 そんな最中、俺の高校では文化祭が催されようとしていた。
 毎年六月の第四土曜日に開催されており、当日まであと約四週間といったところだ。
 俺のクラスはまだ何を行うか決まっておらず、今日も話し合いを行っていた。

 「いいんちょー、俺、早く部活行きたいんだけどー」

 バスケ部の赤西がだるそうに言った。

 「赤西君、何をやるか決まれば今すぐにでも部活にいけるのだから、ちゃんと考えてちょうだい。それとも、それは良い考えを思いついたことによる発言だったのかしら? だとしたらとても気になるわ。是非教えてください」

 やる気のなさそうな赤西に対し、毅然とした態度で対応する少女。
 いいんちょーと呼ばれたその少女の名は、神崎 凛。
 全校での成績は常にトップクラスで、学校行事への参加も積極的で常に全力投球。
 身だしなみもしっかりしており、ミニスカの加藤とは大違いでスカートは膝上10cm程度の長さを保ち、上着もピシっと決めている。
 校内で彼女の事を知らない生徒はいないと言われるほどに、優秀な生徒として知れ渡っている。
 おまけに容姿も端麗で、腰のあたりまで伸びている綺麗な黒髪を後ろで結いており、ポニーテール風のその姿はまさに大和撫子といった凛とした雰囲気を漂わせている。
 いいんちょーと言われる由縁もクラスの委員長をやっているためで、さらに今は文化祭の実行委員も兼ねているため、今現在、皆の前に立って話をまとめているというわけだ。

 「ぅ……あ、ありません……」

 先程のだるそうな雰囲気はどこかへいってしまい、小さくなる赤西。

 「あんたどーせチビなんだから部活行ったって使い物にならないでしょ」

 加藤が悪戯な笑みを浮かべ、赤西をいじる。
 すると赤西はむっとした表情になり、すぐさま反論する。

 「うるせー! チビって言うな! このバ加藤!!」

 チビと言われたのが相当気に食わなかったらしい。

 「バ加藤って言うな! チビ!!」

 こちらはバ加藤がお気に召さなかったらしい。

 「バ加藤!!」
 
 「チビ!!」

 争いは同じレベルの者同士でしか発生しない。
 俺は、どこかで見たそんな言葉を思い出した。

 「はいっ、そこまで!」

 神崎が流れを一旦切るように、手を大きく叩いた。
 そして鈴木が後に続き、言い合いをしていた二人を諌める。

 「お前らいい加減にしろよ。俺だって早く部活に行きたいと思ってるんだからさ。真面目に話し合おうぜ」

 「「ごめんなさい……」」

 二人ともほぼ同時で、息ぴったりの謝罪だった。

 「じゃあ、他に何か案がある方、いるかしら?」
 
 神崎が仕切り直すようにして、皆に呼びかける。
 しかし一向に手が挙がらず、どうにも手詰まり感が否めなかった。
 すると、現状を打破してくれと言わんばかりの視線を神崎が俺に送ってくる。

 「山田君、何かないかしら……?」

 「そうだな……」

 現在、飲食店やお化け屋敷などのありがちな案は結構出ているものの、何かオリジナリティが足りないということで、今日までずっと決まらずにいた。
 正直、俺もあまり浮かばないが、それ以外で独自性を求めるとなると……。

 「映画製作、とか?」

 「それ、いいんじゃね!?」

 本当に良いと思っているのか、ただ単に早く決めて部活に行きたいだけなのかは分からんが、赤西がすぐさま賛成してくる。
 
 「映画かぁ……。ちょっと難しそうだけど、良いんじゃないか?」

 鈴木も同調してくる。

 「そうね……。独自性を打ち出すという点でも、合致している気がするわ」

 神崎までもが賛同する。
 
 「他に案も無さそうだし、特に異論がなければ、私達のクラスは映画製作でいいかしら?」

 神崎が再び皆に問いかける。
 先程と同様、挙手するものはおらず、皆頷いて賛成していた。

 「じゃあ、これで決定ね」

 神崎が黒板に映画製作と書き、その字の周りを丸で囲った。
 おいおい、そんな簡単に決まってしまっていいんかい。
 そう思ったが、今日の所はこれで帰れるならば、まぁ良しとしよう。
 
 「必要な機材は私の方で手配するとして、問題はシナリオね。ごめんなさい、それだけ、もうちょっと皆で考えましょうか」
 
 神崎が少し申し訳無さそうに言った。
 その後も話し合いは続き、結局、王道なラブストーリーをやることになった。
 そして、翌日から映画制作の日々が始まった。




                     *



 

 映画製作に費やされる日々が続いた。
 催し物の内容が決まるまでは遅かったが、決まってからはそれが嘘だったかのように順調に進んでいく。
 文化祭当日まであと約一週間と差し迫っていたが、撮影は既に終了しており、編集もあらかた完了している。
 あとは最終的な映像確認を行い、特に大きな問題がなければこれが皆の前で上映される事となる。
 放課後、部活組には解散してもらい、俺のような暇人達と実行委員である神崎が残って最終確認を行っている。
 60分程度の映像な為、何人かで分割し、それぞれ担当の部分を確認していると神崎が近づいてくる。

 「山田君、ちょっといいかしら」

 「ああ、どうした」

 俺はモニターから視線を外し、神崎を見る。

 「あの時、案を出してくれてありがとうね。おかげで上手くいきそうだわ」

 「そうだな」

 最初はあんな簡単に決まってしまって良かったのだろうかと懐疑的に思う所もあったが、実際に取り組んでみると皆楽しそうに行っており、製作自体もトントン拍子で進んでいったので、今ではこれで良かったと思う。

 「私達のクラスだけまだ決まってなかったでしょ、だから、あの時実は結構焦っていたのよね」

 「そうなのか? そういう風には見えなかったけど」

 「そうかしら? 私ちゃんと優等生、演じられてた?」

 彼女は真面目な顔で、そう言った。
 俺は、その言い方に何か引っかかるものを感じたが――

 「お二人さーん、何いちゃいちゃしてんのよー」

 加藤が割り込んできたお陰で、些細な違和感は吹き飛んでしまった。
 暇人の代表格でもある加藤とその友人達も残って確認作業を行っていた。

 「この映画のヒロインでもある加藤様を差し置いて、何話してたのよ!」

 何故か偉そうに加藤が言う。
 しかし彼女は実際に映画のヒロインに抜擢され、演じている。
 クラスの皆から推薦されて決まったのだが、まんざらでも無さそうだった。
 実際、加藤は普通に可愛いし、俺も特に異論は無い。
 そして主人公はバスケ部の赤西だ。
 ヒロインが加藤ということもあり、こちらは明らかに嫌そうだった。
 この二人はよく小競り合いをしていることもあり、主演がこの二人に決まった時はクラスの連中からお似合いのカップルだといじられ、その度に否定する二人の姿が記憶に新しい。
 しかし、二人共とても素人とは思えない程の演技力で、皆驚嘆していた。
 製作が順調にいったのは、この二人の演技があったからと言っても過言ではない。

 「お前の演技が素晴らしいって話をしていたんだよ」

 「えっ、マジ? えへへっ」

 加藤はちょろかった。
 
 「英玲奈ー、ちゃんと確認作業手伝ってよー」

 「ごめーん里美、すぐ戻る!」

 友人に促され自分の持ち場へ戻り、加藤は再び確認作業に入った。

 「ふふ、加藤さん面白いわね」

 神崎が口元に手を当てて笑っている。
 
 「そうか? ただ単純なだけのような気もするが」

 「それもそうね、ふふ」

 「じゃあ、俺も作業に戻るから」

 「ええ、よろしく頼むわ」

 俺は再びモニターと睨めっこをし始めた。




                       *



 時刻は17時20分をまわった所だ。
 18時が最終下校時刻である為、居残り組である俺達も帰宅の準備を始めていた。

 「山田ー、帰ろ―」

 既に帰宅の用意が完了していた加藤が廊下で俺を呼ぶ。

 「ああ」

 俺は机の横に掛けてある鞄を取り上げ、教室を出ようとする。
 しかし、自分の席で何やら考え込んでいる神崎の姿が目に入り、つい声をかけてしまう。

 「神崎はまだ残っていくのか?」

 「ええ。前日の準備工程から当日の工程、あとは終了後の後片付けの事なんかも考えておきたくて」

 そう言う彼女の顔は、ひどく疲れているように見えた。

 「そうか。お前いつも遅くまで残ってるし、あんまり無理はするなよ。どれだけ色々考えたって、当日体調不良で倒れてしまったら意味ないんだからな」

 「そうね。気遣ってくれてありがとう」

 神崎は無理矢理な感じの笑顔を作り、そしてまたすぐに考え込み始めた。
 そんな神崎を尻目に俺は教室を出て加藤と合流する。

 「凛、大丈夫かな?」

 加藤が心配そうに言う。
 
 「どうだろうな。だが彼女はそんな弱い人間には見えないし、少し様子を見よう」

 「そだね」

 「何かあればお前にも言うから。その時はちゃんと手伝ってくれよ?」

 俺がそう言うと、加藤は途端に顔色を明るくする。

 「もちろん!!」

 加藤はスキップでもし始めそうな勢いで廊下を歩いていたかと思うと、急に振り返り、俺に向けて指をさす。

 「あとはあたしに任せろ」

 「え、何が?」

 「あんたの真似」

 「は?」

 「いや、あたしもそーゆう事言って誰かを助けたいみたいな?」

 「あ、ああ……」

 俺は少々、頭が痛くなった。




                        *



 翌日のホームルーム。
 事件は、担任の口から唐突に告げられた。

 「知っている奴もいるかと思うが、最近このクラスで物が無くなる事象が多発している」

 教室内が一斉にざわつく。
 確かに、少し前から皆が口々に話しているのを耳にしたことがある。
 財布が無くなった、筆箱が無くなった、腕時計が無くなった、化粧道具が無くなった、等々。
 幸い俺はまだ何も盗まれていないが、被害者としてはたまったもんじゃないだろう。
 
 盗られた奴等を中心に犯人探しのような事も始まっており、クラスの雰囲気が全体的に悪くなっていた。
 せっかくオロチの支配から解放されて平穏な日々を送っていたのに。
 映画製作に皆楽しく取り組んで上手くいっていたのに。
 残念だ、と俺は思った。
 そして担任が話を続ける。

 「俺はこの中に犯人がいるんじゃないかと睨んでる」

 このクラスでしか起こっていないことから、そう考えるのが妥当だろう。
 しかしそう思わせるために、他のクラスの奴が敢えてこのクラスで行っていたという可能性も否定は出来ないが、普通に考えれば、やはりこの中に犯人がいるだろう。

 「今ここで名乗り出ろ、なんて事を言うつもりはない。だが、心当たりのある奴は後で俺の所に来い。以上だ」

 ホームルームが終わる。
 担任はああ言ったが、俺は犯人がわざわざ自首しにいくとは思えなかった。
 一回だけならまだしも、何度も繰り返しているような奴だ。
 そんな奴が、自分の罪を認めて白状しに行くはずがない。
 恐らく今後も続くだろう。
 安易に考えていたが、少々厄介かもしれない。
 俺は用心しようと思った。

 「おらぁ!! お前が盗ったんだろ!! あぁ!?」

 ガタイの良い男子が大人しそうな男子の胸倉を掴みあげ、恫喝するようにして言う。

 「そ、そそ、そんなわけないだろ……!」

 明らかに怯えた声だった。

 「おい、やめろ!!」

 鈴木がすかさず仲裁に入る。

 「今はそんなことやってる場合じゃないだろ。文化祭も近いんだ。今はそっちに集中しようぜ。犯人探しはそれが終わってからでいいだろ。なぁ、皆?」

 仕方なしという感じではあるが、皆頷く。
 鈴木のお陰で、その場は大事には至らなかった。
 気が付くと加藤がすぐ側に来ていて、話しかけてくる。

 「なーんか、嫌な雰囲気だよね」

 「ああ、あまり好ましくはないな」

 「せっかく、オロチをやっつけてみんな楽しそうにしてたのにさ……」

 俺の中にある考えが浮かんだ。
 こうなってしまったのは、オロチを退場させたからではないか。
 オロチがいた頃は、今と同じように雰囲気は悪かったものの、オロチという"共通の敵"が存在していた為、ある種のまとまりを見せていたようにも思える。
 しかし脅威が去った今、抑圧から解放された皆の心はバラバラになってしまい、このような事態を招いてしまったのではないだろうか。
 だとしたら、俺のした事は……。
 俺のせいで、こんなことになってしまったのだろうか。
 一旦考えだすと、負の思考が止まらなってしまう。
 そんな俺を見透かしたのか加藤が俺の頭部へチョップを繰り出し、衝撃で現実に引き戻される。

 「こらっ!」

 「いてっ」

 「今、すごい難しい顔してた。何か良くないこと考えてたっしょ?」

 「はは……」

 「もう……。次そんな顔したら、フォーティワンのアイス四段重ね奢らせるから!」

 「まじか」

 四段も重ねたって、どうせ倒れて落っことすか、食べきる前に溶けて悲惨な事になるか、どっちかだろ。
 しかし、そうなった時の慌てふためく加藤の姿を想像し、少し心が軽くなった。
 そして、このような悪い雰囲気を作ってしまった原因の一端を担っていると感じた俺は、早々に犯人を探し出す事にした。




                       *


 三限目の終了を告げるチャイムが教室内に鳴り響く。
 四限目は音楽の為、音楽室への移動を伴う。
 俺は、ここで仕掛けようと思った。

 「加藤」

 俺は授業が終わるとすぐに加藤の席まで行き、話しかける。

 「ん、どしたー?」

 今まで寝ていたのか、目を擦りつつ眠そうな声で答える。
 そして、俺は周りに聞こえないよう小さな声で伝える。
 
 「犯人をあぶり出す」

 すると加藤は妖艶な笑みを浮かべ――
 
 「……やるのね?」

 「ああ、お前にも手伝ってもらうぞ」

 「もちっ!!」

 加藤の目は既に冴え渡っていた。
 それからもう一人、神崎にも手伝って欲しいと思っていた。
 犯人を見つけ出せたとしても、正直、盗人に俺は何を言えばいいか分からない。
 しかし神崎のような人であれば、しっかりと相手を叱り、上手く丸め込み、自首するように説得してくれるかもしれない。
 そんな考えから、彼女にも協力してもらおうと思っていたのだが、教室を見渡しても姿が見当たらなかった。

 「加藤、神崎はどこ行ったんだ?」

 「あー、凛は移動教室の時、教材運ぶのを手伝う為にいつもすぐ出ていってるよ」

 なるほど。しっかり者の彼女らしいと思った。

 「んで、あたしは何をすればいいの?」
 
 「ああ……」

 俺は加藤に作戦の概要を伝えた。
 物が盗まれる時は、決まって移動教室の前後な為、この時間に仕掛けるということ。
 そして音楽室にいく途中、忘れ物した振りをしてクラスの教室へ戻り、不審な人物が教室内にいないか確認してほしいこと。

 「なるほど。とにかくあたしは、教室に戻って変なやつがいないか確認すればいいわけね?」

 「ああ」

 「で、あんたは何をするわけ?」

 「俺は少し離れた所で、教室の周辺を見張っているよ。お前が突入した時に誰もいなかった場合、後から来る可能性もあるからな」

 「ふんふん」

 「だが、教室内にお前がいることに気付いて何もせずに逃げるかもしれない。もしそんな奴がいたら、俺が出ていってそいつをとっ捕まえる」

 「おぉ、二段構えってことね!」

 「そういうことだ」

 加藤は作戦を完全に把握し、やるぞー!と、とても意気込んでいる様子だった。
 本当は神崎にも待機していてもらい、逃げるやつがいた場合、俺と神崎で挟み撃ちに出来るようにしたかったのだが、仕方ない。

 「よし、じゃあ音楽室に向かう振りをするぞ」

 「オッケー!」

 そうして俺達は廊下に出た。




                     *




 「あ、やばっ、リコーダー教室に忘れた!」

 音楽室の手前、加藤が迫真の演技で言った。
 続いて俺も言う。

 「何やってんだお前。だらしないな。……って、俺も持ってくる教科書間違えてた!」

 かなり苦しい言い訳だと、自分でも思った。
 そんな俺達に鈴木は呆れた顔で言ってくる。

 「お前ら、揃いも揃って何やってんだよ。もう時間ないぞ」

 「すまん鈴木、すぐに戻るから、先生には上手く誤魔化しておいてくれ!」

 「え、ちょ、おい――」

 鈴木が何か言っていたが、俺と加藤は逃げるようにしてその場を立ち去る。




                     *



 教室の近くまで来た俺達は、しばらく息を潜めて様子をうかがう。
 既に授業が始まっている時間な為、廊下に人はおらず、非常に静かだった。
 俺は無言で加藤の肩を叩き、二本指で教室を指差す。
 突入せよ、という合図だった。
 加藤もそれを理解したようで、無言で頷き、静かに教室へ近づく。
 そしてその扉を、勢い良く開けた。

 「え……嘘、でしょ……」

 離れていた俺は加藤がどんな表情をしているか分からなかったが、その声は明らかに動揺していた。
 
 「その手鏡、あたしの……」

 犯人が中にいる。
 そう直感し、すぐに俺も教室に入る。
 そして中にいた人物を目にし、俺は加藤と同様に驚いた。

 「神崎――」

 中にいたのは、神崎だった。
 加藤の鞄を漁っていたらしく、鞄の中身は床へと無造作にぶち撒けられており、そしてその手には加藤の手鏡が握られていた。
 虚ろな瞳でこちらを見る彼女は、普段の凛とした雰囲気など微塵も感じられず、何か得体の知れない恐怖すら感じた。
 
 「凛!! これはどういう事!?」

 俺よりも先に、加藤が声を荒らげていた。
 
 「神崎、お前、教材運ぶのを手伝いに行っていたんじゃないのか」

 俺も問いかける。
 しかし彼女は大した反応も示さず、俺達への興味を失ったかのように視線を外し、再び物色を始める。
 そんな様子を見て加藤は神崎に駆け寄り、肩を掴んで再び呼びかける。

 「凛!! やめて!! どうしたの!?」
 
 加藤の呼びかけが効いたのか、神崎はようやくハッとしたような表情になり――
 
 「あれ、私なにやって……。あれ、加藤さんと、山田君……?」

 そう言って、神崎は俺達の顔を何度も見る。
 そして、目の前の惨状と自分が手にしているものに気付き、何が起こっていたのかようやく理解する。

 「あ、あぁ……あああぁぁぁ……。私、またやってしまったのね……」

 今にも泣き出しそうな表情になる神崎。
 そして、力の抜けた手から手鏡がこぼれ落ち、空になった両手で顔を覆う。

 「私、ダメだ……。もう、なにもかもダメだ……。もう……」

 「ダメじゃない!!」

 加藤は神崎の言葉をすぐに否定するが、彼女の心にその言葉は届いていないようだった。

 「ごめんね、加藤さん……。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 神崎は両手で顔を覆ったまま泣き出し、ひたすらに謝罪をしていた。
 ごめんなさい、ごめんなさい、と。
 まるで目の前にいる加藤にではなく、他の誰かに謝っているような、そんな印象を受けた。
 今にも壊れてしまいそうな彼女の姿を見た加藤は、咄嗟に神崎を抱きしめる。

 「大丈夫、あたしは大丈夫だから。気にしてないよ。だから、自分の事をダメだなんて言わないで」

 「うぅぅぅ……、でも、私、取り返しの付かない事を……こんなの、許されない……」

 加藤は震える神崎を一層力強く抱きしめて言う。

 「大丈夫、大丈夫。あたしも一緒に謝るからさ。二人なら怖くないでしょ? 大丈夫、凛を一人には絶対にさせないよ」

 「でも……」

 「でももヘチマもない。あたしがついてる。大丈夫」

 「う……」

 「ね?」

 「うん……」

 神崎は、まるで母親になだめられている子供のようになっていた。

 「よしよし、偉い、偉いぞ」

 そう言って彼女の頭を優しく撫でる加藤。
 俺はこの時、加藤のことが心底頼もしいと感じた。



                        *



 「落ち着いた?」

 加藤は抱き締めていた腕を離し、神崎に向き直って言った。

 「ええ。ありがとう、加藤さん」

 神崎は確かに普段の雰囲気に戻っていた。
 その様子を確認した俺は、事実関係を確かめるべく彼女に尋ねる。

 「神崎、一連の事件の犯人はやはりお前なのか?」

 神崎は苦虫を噛み潰したような顔をしてしばらく考え、そして、意を決したように話し出す。

 「ええ、恐らく……」

 「恐らく、とはどういう事だ?」

 「信じてもらえないかもしれないけれど、私、時々急に睡魔が襲ってきて記憶が飛ぶ時があって……」

 神崎は俯きがちで話を続ける。

 「それで、いつも気が付くと知らない物が私の鞄に入ってた。たぶん、私の知らない私が盗んでいたんだと思う……」

 そう言う彼女の表情は、とても辛そうだった。
 
 「気付く度に、返さなきゃ、返さなきゃって思うのだけれど、一体何て言って返せばいいんだろうって考えてしまって、結局返せなくて……」

 彼女はスカートの裾を握りしめ、悔しさを露わにしていた。
 確かにそれは難しい問題だ。
 どんなにもっともらしい理由をつけたとしても、それが二度三度と続けば、どう考えても犯人として疑われるだろう。
 さらに彼女自身に盗んだという記憶が無いことも、この事件のややこしさに拍車をかけている気がした。

 「なるほどな。だが、そもそも何故お前は記憶が飛んでしまう時があるんだ?」

 「あたしも気になる」

 俺の疑問に加藤も同調する。
 辛い質問かもしれないが、聞いておかなければならない。

 「それが私もよく分からなくて……」

 嘘偽りではなく、本当に分からないような顔をしていた。

 「でも、今に始まった事ではなくて、幼い頃から度々起こっていたわ。テストで98点を取ったけれど、なんで満点が取れないんだって母親に酷く叱られた時とか」

 「それで怒られるって、どういう事……」

 加藤が呆れ顔で言った。

 「私の家、教育熱心だから」

 神崎は苦笑してそう言ったが、俺は少々度が過ぎていると思った。

 「他にも、勉強道具以外のものを欲しがっても何も買ってもらえなかった時や、何かに失敗して罵られながら叩かれた時、5段階の成績表で4が一つでもあって怒られた時もあったかしら。だから、私は完璧な人間にならなきゃって……」

 「何それ、酷すぎるよ……」

 加藤の言葉には、怒りの感情がこもっていた。
 確かに酷い話だ。しかし、今の話を聞いて俺は何となく分かってきた。

 「最近の例で言うと、文化祭の事で悩んでいる時とかか?」

 「……よく、分かったわね」

 神崎は目を丸くして驚いていた。
 そして、俺は確認するように質問を続ける。

 「お前、母親に逆らったことないだろ」

 「そうね……」

 「趣味も何もないだろ」

 「そう、ね……。勉強以外、何もさせてもらえなかったから」

 「だろうな」

 俺は理解した。
 こいつは幼い頃から、母親という身近な存在から強大なプレッシャーを与えられていた。
 学校での出来事に関して、全て完璧を求められる。
 それが出来なければ口汚く罵られ、引っ叩かれる事もあったのだろう。
 そうしてストレスがどんどん溜まっていく。
 しかし、勉学以外の事を許されていなかった彼女はストレスの捌け口がなかったんだ。
 だから、自分の心が壊れないように、心を守るために自己防衛本能が働いた。
 急激な睡魔に襲われ、辛い現実から目を背けるようにして本来の意識を失い、代わりに欲求に忠実な裏の自分が表に出てきてしまう。
 それが、虚ろな彼女の正体だ。
 
 精神的な苦痛や悩みを抱え、そうした欲求不満や心の葛藤が無意識のレベルで表に出てきてしまっているんだ。
 恐らくそれを助けられるのは俺でも加藤でもない。
 それが出来るのは、自分自身だ。
 神崎自身が変わらなければならない。
 俺に出来るのは、せいぜい変わるチャンスを与えてやることくらいだ。
 変わるための機会を、何としてでも作ってやることくらいだ。
 だが、それしか出来ないと言うのならば、それを全力でやってやる。

 「神崎。お前がおかしくなってしまう原因が分かったぞ」

 「え……?」

 「うそっ!?」

 神崎だけでなく、加藤も驚いたように反応してくる。

 「原因は、ただのストレスだ」

 俺は、何でもない事のように言ってやった。
 二人は意外だったようで、言葉に詰まっていた。

 「だが、これが厄介だ。神崎の場合、その捌け口が無い。だから限界まで溜まって破裂してしまう前に、自分の心を守るため、溜まりに溜まったそれが無意識の行動として現れ、欲求不満を解消していたんだ。それがあの正体だ」

 目を瞑って考えこむ神崎。
 しばらくして目を開いた彼女の表情は、自分の中で何かの結論が出たのかのようだった。

 「確かに思い返してみると、睡魔に襲われて記憶が飛ぶ前、いつもかなりのストレスを感じていたかも」

 「そうだろうな」

 そして俺は神崎自身の意志を確かめるよう、穏やかに言った。

 「お前は、このままの自分で良いと思っているか?」

 「ぅ……」

 「辛い現実から目を背け、逃げることは簡単だ。だが、逃げた先には何もないぞ。結局、再び向き合わなければならなくなる。その時に、逃げたツケが回ってきて余計に辛くなるだけだ。お前はそれで良いのか?」

 「…………」

 神崎は険しい表情で言葉に詰まっていた。
 人はそんなに簡単に変われない。
 そんなのは分かっている。
 だが、変わろうという意志がなければ、変わることなんて出来ない。
 だから、選べ神崎。
 成功しようが、後悔することになろうが、選ばなければ先へは進めない。

 「選ぶんだ。このままで良いのか、変わりたいのか」
 
 俺は再び問いかけた。

 「……変わりたい。そりゃあ、変わりたいわよ!!」

 神崎が叫ぶ。

 「凛……」

 そんな姿に、加藤も安堵しているようだった。
 彼女は変わりたいと願った。
 まずは、殻を一つ破った。

 「でも、実際どうすれば変われるか分からない。変われる自信も、ない……」

 「変われるさ、お前なら。絶対に」

 「何を根拠に……」

 「変わりたいって。今、そう口にしただろ?」

 「あ……」

 「その一言が、その意識が、すでにお前を変え始めていると、俺はそう思うよ」

 すると神崎は、ふっと笑みをこぼして言う。

 「全く、口が上手いんだから……」

 「そうかな?」
 
 俺も釣られて笑い返す。

 「何にせよ、お前はまず母親と喧嘩をすることだ。言いたいことをしっかりと伝えろ。遠慮する必要は何もない」
 
 「ええ、そうね……」

 「例え自分の意志が通らなくても、逃げるな、目を背けるな。自分の弱さに抗うんだ」

 「分かったわ」

 そう言う神崎の瞳には、溢れ出んばかりの活力が漲っていた。

 「よし、問題無さそうだな。あとは、趣味なんかがあると良いんだが。何かやってみたい事とかないのか?」

 「えと、その、お菓子作り、とか……」

 神崎は少し恥ずかしそうに言った。

 「いいじゃないか、似合ってるよ」

 「はいはい! あたしも作ってみたい! 一緒に作ろうよ―」

 加藤が割り込むタイミングを見つけたとばかりに話に入ってくる。

 「じゃ、じゃあ今度一緒に……」

 神崎の表情は恥ずかしそうではあったが、同時にとても嬉しそうにも見えた。

 「その調子だ。急には無理でも、少しづつ変わっていこう」

 「ええ。ありがとう、山田君、加藤さん」

 「へへー」

 加藤は得意げな顔で笑っていた。

 取り敢えず、神崎本人の問題は一段落したと言っていいだろう。
 後は、如何に波風を立てずに事件の収拾をはかるか、だ。
 加藤は一緒に謝ると言っていたが、そのやり方は正直おすすめ出来ない。
 こっそり名乗り出たとしても、それはきっと皆に伝わってしまうだろう。
 そうなれば神崎といえど、少なからず批判の的となるだろう。
 変わろうという意志が芽生えた今はまだ、彼女にあまり負荷をかけたくない。
 心が対応しきれず、以前の彼女に逆戻りしてしまう可能性があるからだ。
 
 それに、クラス委員長かつ文化祭実行員の彼女が犯人と分かれば彼女自身は勿論のこと、俺達のクラスにもきっと何らかのペナルティが科されるだろう。
 クラスの催し物を禁止されて文化祭に参加出来なくなる、なんて事は高確率で考えられる。
 そんなことになれば、今まで皆が築き上げてきたものが水の泡になってしまう。
 それが現実のものとなれば、俺のクラスは本当に崩壊してしまうだろう。
 例えそうならなかったとしても、犯人である彼女には何らかの処分が下され、彼女自身は恐らく文化祭には参加出来なくなる。
 
 そして、全ての工程を把握していた司令塔である彼女がいなくなれば、たちまちクラスはバラバラになり、酷い文化祭になってしまうのを想像するのは容易い。
 せっかくここまで頑張ってきたんだ。そんな事態にはなって欲しくない。
 しかし、どうすればいい。
 どうすれば、全て上手くいくのか。
 今の俺には、どう転んでもバッドエンドの道しか思い浮かばなかった。

 「まーた難しい顔してる」

 加藤のムスッとした顔が目の前にあった。

 「ああ、いや……」

 取り立てて隠す事でも無かった上、自分だけでは良い考えが浮かばなかった為、俺は自身が考えていたことを全て加藤に話す。

 「じゃあ、こういうのはどう?」

 話を聞いた加藤が、少し考えて言う。

 「文化祭が終わるまでは、何とかしらを切って通す。で、終わったら正直に白状する。そうすれば、取り敢えず文化祭には参加出来るじゃん? 結局、時間稼ぎにしかならないけどさ」

 盲点だった。
 確かに、わざわざ今すぐ言う必要は無い。
 いずれ処分を受けるのは仕方ないが、そのやり方であれば文化祭はしっかりと遂行できそうだ。
 他に良い考えも浮かばないし、その作戦で行こうと思った。

 「加藤にしては、やるじゃん」

 「何よその言い方!」

 納得いかない様子で喚いている加藤は放っておいて、俺は神崎に声をかける。

 「そういうわけだ。文化祭が終わるまではしらを切る。終わったら自首して、しっかりと謝罪をする。それでいいな?」

 「ええ、もちろん。私が名乗り出たせいで催し物が禁止にされるのなんて心苦しいし、私だって文化祭には出たい。この文化祭を盛り上げるためにも実行委員になったわけだし、出来ることなら最後まで見届けたいわ」
 
 「よし。じゃあ、これから何があっても、文化祭を終えるまではしっかりとやるんだぞ。何があっても必ずやり通すんだぞ」

 「当然よ。全く、誰にものを言っているのかしら」
 
 そう言う神崎の様子は、普段の凛とした雰囲気に戻っていた。
 そして、俺はふと気にかかった事を聞いてみた。

 「そういや、盗んでしまった物は家にあるのか?」

 神崎は静かに首を横に振り、答えた。 

 「いいえ、全部私のロッカーに入っているわ。いつでも返せるようにね」
 
 「なるほどな……」

 「まぁ、結局返せなかったのだけれど」

 彼女は苦笑していた。
 
 「返そうという意志があるだけでも十分だろ。さて、だいぶ遅れちまったが音楽室に行くか」

 「げっ!! そうだった!!」

 「ふふ、これは確実に怒られてしまうわね」

 加藤はテンパッていたが、神崎は何故か楽しそうにしていた。
 そうして俺達は音楽室へ向かった。
 向かう途中、俺は思い出したかのように呟く。

 「あ、結局、教科書変えてくるの忘れた」

 「おいっ!」

 すかさず加藤の突っ込みが入った。
 
 「すまん、俺はもう一度戻るよ。お前らは先行っててくれ」

 「言われなくても行くっての! これ以上は流石に遅れらんないよ」

 「ここまで遅れたら、もうあまり変わらないと思うけれど、ふふ」

 「そうゆうこと言うなよー凛ー……」

 うなだれる加藤を尻目に、俺は教室へと戻った。
 


                        *



 文化祭まであと三日。

 しらを切り通す作戦は功を奏し、今まで何とか上手く誤魔化せていた。
 このままいけば文化祭まで乗り切れる。
 そう思った矢先であった。

 朝のホームルーム。
 担任から受け入れがたい事実が告げられた。

 「盗みが横行している件だがな、犯人が名乗り出ないと、文化祭でこのクラスの出し物が禁止される事になった」

 教室内が一斉にざわつく。皆、動揺しているようだった。
 そう来たか、と俺は思った。
 最悪のシナリオだった。
 可能性の一つとしては頭にあったが、どこかでそれは無いと思っていた。思い込んでいた。
 いや、そう思いたかったのかもしれない。
 甘かった。俺の考えは完全に甘かった。

 「おいおいふざけんなよ! 犯人が名乗り出なかったら、今まで皆で頑張って作ってきたものがパーになっちまうってことかよ!?」

 一部の男子が怒りを露わにする。
 
 「そうよ! 誰だか知らないけど、クラスを巻き込まないでよ!」

 怒りは、女子達にも伝染していた。

 「ふざけんな!!」

 「さっさと名乗り出ろ!!」

 「ボコボコにしてやる!!」

 「土下座して謝れ!!」

 「早く名乗り出てよ!!」

 すでにクラス全体に蔓延していた。
 皆、口々に怒りを爆発させていた。

 「お前らちょっと落ち着けって!!」
 
 「ちょ、皆、冷静になろーよ!」

 鈴木と加藤の制止も虚しく、クラスの怒りは余計に増大していく。
 非常にまずい状況だった。
 悪い方向性で、再びクラスがまとまってしまった。
 犯人という、分かりやすい"共通の敵"を得た事で。
 やはりこうなってしまうのだと、俺は思った。
 目の前の敵がいなくなれば、新たな敵を作り上げ、また同じ連鎖が繰り返される。
 その内容が良いか悪いかに関わらず。
 そうして、人は団結と解散を繰り返す。
 人間とはそういうものなんだと、俺は今、嫌というほど思い知った。
 そして、そのきっかけ与えてしまった自分に対し、やり場のない怒りと虚しさを感じた。
 
 「前にも言ったが、俺はここで名乗り出ろとは言わん。あとで――」

 担任の言葉を遮るようにクラスの連中が怒鳴り声をあげる。

 「ふざけんな!! 今すぐ名乗り出ろ!!」

 「そうだそうだ!!」

 「ぶっ飛ばしてやる!!」

 一旦ついた火は簡単には消えそうになかった。
 考えろ。考えろ。
 どうすればこの場を上手く切り抜けられるのか。
 どうすることがベストなのか。
 頭をフル回転させる。
 
 その時だった。

 「わっ、わ、わたっ、私、が、やりました……!」

 神崎だった。神崎が立ち上がってしまった。

 「えっ…!?」

 加藤が不意をつかれたかのような表情をする。
 俺も同じ気持ちだった。想定外だった。

 神崎は極度の緊張とストレスのせいか、尋常じゃないほどに呼吸が乱れており、離れているこちらまで聞こえてくる程に息遣いが荒々しかった。
 それも当然だ。
 ここまでクラスが荒れ狂っている中で名乗り出るなんて、四面楚歌もいいところだ。
 きっと、とても怖かったはずだ。
 何を言われるか、何をされるか分かったもんじゃない。
 しかし、このクラスの文化祭を台無しにするわけにはいかない。
 それだけは絶対にしてはいけない。
 そう思って、勇気を振り絞って立ち上がったのだろう。
 
 「…………」

 俺は目を瞑り、再び思考を巡らせる。
 重要な事は何か、もう一度よく考えろ。
 それは、神崎がいる文化祭だ。
 神崎がいて、彼女の指揮の元に完璧な文化祭を行う事だ。
 それが彼女にとっても、クラスにとっても、一番のハッピーエンドなんだ。
 ならば、天秤にかけなければならない。
 その為に彼女を守りたいのであれば、それに釣り合うだけの代償を払わなければならない。
 
 そして俺は、解答を得た。
 それは、とてつもなく愚かな解答だった。
 しかし、今の俺にはそれ以上の答えが見つからなかった。
 
 目を開けて周りを見渡すと、加藤が情けない顔で俺を見ていた。
 どうしたらいいの、と。安心しろ。
 俺が全て丸く収めてみせる。
 
 俺は唾を一回飲み込み、覚悟を決めた。
 すると神崎が再び声をあげる。

 「み、みなさん、私がやりました、本当にごめんなさい!!」

 精一杯張り上げた声で謝罪する。

 「神崎さん、そんな庇うことないよ」

 「そうだよ、いくら実行委員だからって、そこまでしなくても」

 「そうだそうだ、悪いのは犯人なんだからさ」

 普段の行いからか、神崎は犯人扱いされていなかった。
 そんなクラスの雰囲気を察した神崎は、意を決したように話し出す。

 「本当に私なんです!! 証拠があります……」

 クラスが一層ざわついた。

 「先生、私のロッカーを開けて見て下さい。今まで盗んだ、皆さんの品々があります」

 神崎はそう言って、自分のロッカーを指差す。

 「えぇ、マジ?」

 「本当に神崎さんなの?」

 ざわついたクラスの中から、そのような会話が多く聞き取れた。
 先生は神崎に促され、教室の後ろにあるロッカーまで行き、開けようとしていた。
 これで本当に物品が出てくれば神崎は確実にアウトだっただろうが、特に問題はない。
 こんな形でこの作戦を使う羽目になるとは思わなかったが、こういう時の為の布石は既に打ってある。
 そして先生がロッカーを開け、中を確認する。

 「……何もないぞ?」

 「えっ!? どうして!? そんなはずない……」

 神崎のロッカー内には、それらしき物は一つも無かった。
 当然だ。以前、教科書を取替に行く振りをして教室に戻り、俺が中身を移動させていたのだから。
 しらを切り通すと決めてはいたが、途中で疑われたり、神崎が折れて自白してしまう可能性があったからだ。
 万が一そうなってしまっても、証拠が出てこなければすぐには犯人だと断定されないだろう。
 単なる時間稼ぎに過ぎないが、それでも良かった。
 一時的ではあるが、彼女を守るための苦肉の策だった。

 証拠品の所在を誤魔化して、後は知らない振りをするのが理想だった。
 しかし名乗り出なければ文化祭に参加出来なくなった今、そうも言ってられない。
 俺は、心を鬼にして精一杯のヒールを演じる。
 
 「あーっはっはっはっは!!!!」

 わざとらしく大声をあげて笑ってみせた。
 すると、一瞬にして教室内は静寂に包まれ、全員の視線が俺に集まる。
 もう、後戻りは出来ない。

 「あーあ、もういい加減にしてくれよ。あんまり俺を笑わせるな神崎、腹が痛いわ」

 俺は机をバンバンと叩き、精一杯笑ってみせた。

 「え……?」

 発したのは加藤だったが、クラスの全員が同じような顔をしていた。
 当然の反応だ。
 俺だって、いきなりこんなこと言う奴がいたら頭がおかしくなったのかと思う。
 しかし、やり通さねば。
 神崎のため、そしてクラスのために。

 「入ってるわけないだろ、お前のロッカーに」

 「どういうことだ、山田」

 担任がただならぬ表情で詰め寄ってくる。

 「だから、神崎のロッカーに盗んだ物品が入ってるわけないって言ってるんですよ。だって神崎は犯人じゃないからな」

 一体どういうことなんだと疑問の声が広がる。

 「お前は、犯人を知っているような口ぶりだな?」

 先生が俺を見下ろして言ってくる。

 「ええ、知っていますとも。というか犯人は俺ですから」

 再び、教室内がざわつき始める。
 その騒がしさも今は心地が良かった。

 「その証拠にほら、今度は俺のロッカーを開けて見て下さいよ先生」

 先生は再びロッカーの所へ行き、俺のロッカーを開けた。

 「これは……!」

 中には、今まで盗まれた全ての物品が入っている。

 「俺の財布だ!」

 「あたしの化粧品!」

 「俺の筆箱!」

 持ち主が、次々に声をあげる。
 そして、その事実を突き付けられたクラスは次第に、本当に俺が真犯人なのではないかという雰囲気を帯びてくる。

 「あ、あり得ない! 山田君、何故、どうして貴方が!?」

 神崎が抵抗してくる。

 「神崎はああ言っているが、どういう事なんだ? そもそもお前が犯人なのであれば、なぜ神崎は最初に名乗りでた? 本当にお前が犯人なのか?」

 先生はまだ俺が犯人だと認めてはいないようだった。
 ならば、無理矢理にでも認めさせなければならない。
 俺は震える唇を噛み締め、心に麻酔をかけた。

 「神崎は、俺に惚れてましてね。以前のホームルームでこの件が話題になった後、俺の身代わりになってくれると言い出しまして」

 俺は敢えて、相手の神経を逆なでするような調子で言った。

 「神崎はお前が犯人だと知っていたということか?」

 「そんなわけないでしょ。身代わりになって欲しくて、俺から教えたんですよ」

 「なんだと……?」

 「そしたら、いとも簡単に引き受けてくれちゃって。私、山田君の為に頑張るわ、なんて言っちゃってさ」

 まるで、自分ではない誰かが喋っているのを聞いているような気分だった。
 俺は既に、心が麻痺していた。

 「ちょろかったよ。でも本当に犯人に仕立てあげちゃったら可哀想だろう? だから、盗んだ物は神崎のロッカーに入れてあるって本人には言ったけど、実際は入れてなかったわけ。最後の最後で、優しさを見せてあげたんだよ。超優しいだろ?」

 「……もういい、やめろ」

 先生の顔に怒りの炎が灯るのを感じた。
 しかし俺は構わずに続ける。

「そしたらあの驚きようだろ。最高に笑わせてもらったわ。でも迫真の演技だったよ、神崎。映画でヒロインを演じれば良かったんじゃないの? 加藤なんか差し置いてさ」

 俺は加藤の顔を横目で見る。
 すると、彼女は涙をぼろぼろと流し、何かを堪えるかのように肩を震わせて力いっぱい拳を握りしめ、机と向き合っていた。
 そんな彼女の姿を見て、麻痺したはずの心が一瞬痛むのを感じた。
 
 察してくれたんだと、勝手に思うことにした。
 俺の愚行を止めに入りたいという気持ちでいっぱいなのだろう。
 しかし、加藤という女の子は見かけによらずとても優しい女の子だ。
 自分が俺に助けられたように、彼女もまた、誰かを助けたいと願っていた。
 だから、ここで自分が割って入れば事態を余計に悪化させるだけだと、察したのだ。
 そんなことをすれば、神崎も、俺も、誰も救えないと。そう思ったのだろう。
 だから、耐えるしかなかった。
 彼女のそんな姿をもう一度見てしまったら、俺はきっと心が折れてしまう。
 俺は再び心に麻酔をかける。

 「犯人は私です!って立ち上がった時はマジで吹き出しそうでやばかったわ。こいつ本当にやりやがったよってさ」

 「いい加減にしろ、山田!」

 口調を強める先生。もうひと押しだ。

 「先生も、いつも面倒事には関わりたくないって態度してるくせに、何マジになってんだよ。あ、意外にも映画が上出来だったから、ここぞとばかりに熱くなっちゃってんのか? クラスの出来は自分の手柄になるから――」

 「貴様ァ!! やめろと言っているだろうが!!!!」

 言いかけて、俺は先生に胸倉を掴まれ強制的に立ち上がらせられる。

 「貴様は一体何様なんだ!!」

 今にも殴りかかってきそうな勢いだった。

 「俺様だ」

 もうわけが分からなくなっており、投げやりに答えていた。

 「……このっ! 来い!!」

 俺は襟を強引に引っ張られ、教室の外へと連れて行かれる。
 神崎は心ここにあらずといった様子で力なく椅子に座り込み、俯いていた。
 
 「キチガイだろ」

 「まじで山田だったのか」

 「ドン引きだわ」

 「謝れ!」

 クラスの皆が俺の事を口々に非難する。
 俺はもう、どうなっても良かった。 
 しかし、その前に確認しなければ。
 皆の前で重要な事を確認しなければ。

 「おい先生。名乗り出たんだし、こいつら可哀想だから文化祭はちゃんと行ってやれよ。俺が言うのもおかしな話だが、クラスの連中は関係ないんだしな」

 「当たり前だ! お前のようなクズのせいで中止になんかなってたまるか!」

 それを聞けて俺は安心した。
 あとは、その後の神崎が少し心配だった。
 俺の身代わりになってくれた、という設定にしてしまった為、後で色々と事情を聞かれることになるだろう。
 だが、加藤がいれば上手くフォローしてくれるはずだ。

 「山田!」

 加藤が、廊下に連れだされた俺を追いかけるように飛び出してきた。
 彼女は溢れ出る涙を抑えること無く、こちらを見据えて言う。
 
 「なんで……なんでなの……こんなのおかしいよ……」

 こんな事になってしまって、すまない。
 だが、神崎のため、クラスのためを思ったらこうする他無かった。
 神崎の事、しっかりと助けてやってくれ。
 クラスが間違った方向にいかないよう、上手くまとめてくれ。
 文化祭が上手くいくよう、尽くしてくれ。
 だから、あとの事はお前に任せたぞ。

 俺は、目でそう返した。
 きっと、笑えていたと思う。
 引きつっていたかもしれないが、笑えていたはずだ。
 理解してくれたのかは分からないが、わずかに頷いてくれたように見えた。

 そして、俺はそのまま生活指導室に連れて行かれた。


 
 


       

表紙

オロナインC 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha