Neetel Inside ニートノベル
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ディアスポラ ~ミシュガルドの歩き方~
第11章 不気味の谷

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 黄金のトゥシューズが西日を反射してきらめいている。
 カプリコは両足を交差させると、さっとかかとを上げて爪先立ちになった。そして再びコマのように回り始める。
 密集しているカカシさんにぶつかっていって、三体のカカシさんをはじきとばした。カカシさんはこの先の崖へと落ちていく。
「落ちたらペシャンコ、部品箱へお片付け」
 カプリコはいまいましげにつぶやく。カカシさんに闘志も力もないことを軽侮しきっていた。
 カカシさんはただのカカシ。戦闘能力なんてありはしない。
「お人形と遊ぶのももう飽きた」
 イワニカに狙いを定めて、カプリコは高く跳躍する。
 イワニカはもちろん逃げた。
 逃げ続ければ戦わなくてすむ。
 日が完全に落ちて相手が見失い、追いかけっこが終わることを祈った。
 しかしそれも地面があればこそだ。
 イワニカは足を止めた。
 願い通り追いかけっこは終わったのである。
 目の前の地面が途切れ、深い崖が口を開いている。山岳地帯はすり鉢状にへこんで、底知れぬ大穴ができていた。
 その規模はクレーターの端から反対側の端が見えないほどで、崖の底には黒いヘドロがたまっている。ポコポコと泡立ち、瘴気を吹き出していた。
 ノエル峡谷のように数百万年もかけて自然が作り出した地形ではない。おそらく、この場所こそが禁断魔法の爆心地だったのではないか。
 禁術汚染地帯を東西に貫くナルヴィア大河の南には並走するように枯れ川があり、ナルヴィア大河と枯れ川の間はボルニアまで山岳地帯が続いている。
 かつて要塞都市と言われたボルニアはナルヴィア大河を天然の堀とし、山岳地帯を自然の石垣として栄えたのだ。
 その山岳地帯がすっかりと消えうせて、地形が大きく変化してしまっている。
 見渡す限り崖で、イワニカは一歩も前に進めなくなってしまった。崖の下に飲み込まれるような落日を見送る、後に不気味の谷と名付けられた地で。
 追い詰められつつもイワニカは思考を巡らせた。ここで行き止まりならばケーゴとアンネリエはどこに言ったのだろう?
 崖下ばかりに気を取られていたが、木の上に白い包帯のようなものが渡してある。包帯にはびっしりと魔文字が書かれていて放射状に広がっている。その中心にケーゴとアンネリエ、そして三日月型の何かがあった。
 落ちた三日月はもぞもぞと胎動している。胎児にしては大きい。
 ケーゴは三日月に巻かれている魔文字の包帯をはいで、中身を見てみたい衝動にかられていた。アンネリエは反対に強い危機感を抱いてケーゴの手を止めていた。得体の知れない何かを野に解き放ってしまうのではないかと。
「みーつけた。追いかけっこも飽きたからこれで終わりにするね」
 カプリコは跳躍し、回転しながら突っ込んできた。鎧袖一触。生き残りのカカシさんが跳ね飛ばされていく。
「なるようになれ!」
 ケーゴは三日月の包帯を控えめに小さく切り裂いた。
 三日月からほどけた包帯がヘビのようにカプリコに巻きつく。それでもなお回転して、カプリコは糸車のように包帯を巻き取っていった。
 ついにからまってがんじがらめになり、ようやく止まる。
 なんだかわからないが三日月のおかげでカプリコを動けなくすることができた。
「ありがとう、助かったよ」
 ケーゴの礼に対してせせら笑いが返ってくる。
 切り裂かれた包帯の中から、シュッとしたあごがのぞいていた。人間のような口も見え、その口が答える。
「フハハハ、礼には及ばないさ。礼を言わなければならないのはこっちかもな」
 包帯を鞭のようにしならせると、生き残りのカカシさんがすべて砕け散った。
 どうやら、さらに状況が悪化したようだ。カプリコはやっつけたが、カプリコをやっつけた奴が今度は敵になった。
 アンネリエが不安そうにケーゴを見ている。
「大丈夫だ。こいつを見てみなよ。包帯を解いたのはほんの一部だけ。大口叩いてるだけで何もできないさ」
 確かに満足に動かせるのは口だけで、歩くことすらままならない。目すら出ていないのでケーゴがどこにいるかわからず、声のするほうに這って行く。
「おい、お前。もっとほどけ」
「やなこった」
 ケーゴがあかんべする。
「だましたな!」
 顔はみえないが、声で怒ってるのがわかった。包帯を触手のように伸ばしてケーゴに襲いかかる。
 ケーゴは包帯をたやすく切り払って、小ばかにした。
「心配して損しちゃった。怖がる必要なんてなかったんだ。だまされたのはこっちだよ」
「ほう。そんなに強がるなら、包帯をすべて解いてみたらどうだ?」
「そんな安っぽい挑発には乗らないよ」
 ケーゴはうまくやっている。アンネリエは胸をなでおろした。悪い予感がしたが杞憂だったのだろうか。
 ケーゴたちはもと来た道をたどり、メン・ボゥを助けに戻った。
 そのメン・ボゥはハリー・ハリーと渡り合っていた。
 もう不覚は取らない。前の闘いでハリーの体からトゲが出るのを知っている。
 距離をとっていれば安全だ。今度は武器だってある。メン・ボゥは上着の中にしまいこんでいるナイフを四本投げた。
 二本は外れたが、一本は左の二の腕、もう一本は右肩に突き刺ささる。
「このまま針山みたいにしてやるぜ!」
「こういう風にアルか? フンッ!」
 拳法服を突き破って体中からトゲが突き出す。ハリー・ハリーはそのトゲを一斉に射出した。
 全方位に放射されたトゲをかわしきるのは不可能だ。メン・ボゥはとっさに森の木を盾にしたが、左太ももに三本のトゲが刺さっている。
「痛い痛い痛い痛い痛い! もう痛いのやだー。もうダメー」
 生ぬるい血が流れ落ちる太ももが震えている。立っているのがやっとで、次の攻撃はかわせないだろう。
 メン・ボゥは両手の指にはさめるだけナイフをはさんで構えた。
「アンタ遅すぎるヨ」
 いったいいつ近づいたのか、ハリー・ハリーがメン・ボゥの両手をつかんで動きを封じている。
「まてー! おねーさんから離れろー!! こっちには人質がいるぞ!」
 ここでようやくケーゴたちが合流した。包帯で簀巻きにしたカプリコを人質にとっている。
 しかしハリー・ハリーはまったく意にも解さない。
「人質ならこっちにもいるネ」と言って手招きすると、漁師のなりをした男がとぼとぼと歩いてきた。
「誰だよ! そんなヤツ知らないよ」
 人質と言われて出てきた男にケーゴは見覚えがなかった。ハリー・ハリーははったりを言っているんじゃないのか?
 アンネリエのほうに振り返ると、首を横に振っている。
「だけどレンヌ市民は九千人もいるから、その中の誰かかも知れない」
 イワニカがそっと耳打ちした。
 こんなときジテンがいてくれれば。自分のマントに署名を書いてもらったとかで、全員分把握している。
「あーあ、可哀そうアルなー。ジュード、お前人質の価値もないネ」
 ハリー・ハリーはわざとらしいイントネーションで強調する。ジュードと呼ばれた漁師を突き飛ばして、一息に間合いを詰めた。
 キンッと金属音が鳴る。ハリー・ハリーの袖の下から伸びたトゲを、ケーゴの剣がはじいた。
 間一髪しのいだかと思ったが、目の前が赤い。前髪からぽたぽたと血が滴り落ちている。いつ斬られたのだろう。額をかすめていたようだ。
 トゲを鞭のようにしならせて、今度は足元を狙われる。大縄跳びを飛ぶように飛んでかわしたが、つま先が引っかかり左足の靴が脱げた。
 ハリー・ハリーは体勢を崩したケーゴに三連撃のすばやい追い討ちをかける。すべて防ぎ切ったと思ったが、右腰、左わき腹、右肩に血が滲んでいる。
 メン・ボゥが横合いからありったけの投げナイフを浴びせたが、見向きもせずにトゲを一薙ぎして払いのけてしまった。
 今度は例の三日月が這いよってきて囁いた。
「また助けてやるよ。だから包帯をもっと解け。困ってるんだろ、なあ?」
 アンネリエは強い忌避感を抱いていたが、これ以上ケーゴがいたぶられる姿を見ていられない。
 三日月の包帯が破けている口のところを手で大きく広げた。
 すきまから無愛想な左目がにらんでいる。血のような赤いふちのそばに黄金の瞳がらんらんと輝いていた。
 日はもうすでに落ちていたが、ずっと闇の中にでもいたかのように黄金の目はすぐに夕闇に順応し、瞳孔を開く。
 三日月から無数の包帯が射出され、ハリー・ハリーに触手のように絡みつく。すぐに体から全方位にトゲを突き出したが、包帯は破れない。
「いったい何アル、この布は? こんなうす布一枚切り裂けないはずないヨ」
 ケーゴは不思議そうに自分の剣を見た。この剣では簡単に切り裂けたのに。
 ともかく三日月はカプリコに続いてハリー・ハリーまで生け捕りにした。悪いやつではないのかも知れない。
「ありがとな。また助けられた」
「何を勘違いしてるか知らんが早く包帯を解け。解かないとトゲ野郎を開放するぞ」
 やはり悪いやつなのかも知れない。ハリー・ハリーを開放しないことを条件にこちらと取引するつもりのようだ。
 ケーゴはよくよく考えて、目と口が出ているほうと反対側の包帯を大きめに切る。
 すると予想通り足が出てきた。包帯の簀巻きからごつごつとした足が生えた妙な格好になる。
 腕を自由にすると危険かもしれないので足だけ自由にした。それにこれでもう這って歩かずに済むので面倒がなくていい。
 ハリー・ハリーはその間脱出を試みていた。絡まっていたトゲをパージして、トゲをすべて捨てて包帯から脱出する。
「トゲがなくても、俊敏さと拳法でボコボコにしてやるアル!!」
 ケーゴに向けたハリー・ハリーの右拳が簀巻きから飛び出した右の足の平で止められている。
 左足を払うように蹴ると三日月は左足一本立ちのままぴょんと跳び上がり、蹴ったハリー・ハリーの右足を左足で踏みつけた。
 右足を踏まれているので後ろに避けることができず、なすすべなく顎を蹴り上げられる。体が伸びきったところで、左ひざがハリー・ハリーのみぞおちに入った。
 三日月は見た目も中身も化け物か。
「まさかこの私が体術で圧倒されるなんてネ」
 むりやり引き抜いたため右足の甲はひしゃげている。敵わぬと見て、そんな足でもはしっこいハリー・ハリーはすぐさま逃げ出した。
 三日月が包帯を飛ばしたが今度はかわされる。左目しか出ていないので距離感をつかみ損ねたようだ。
 あっという間にハリー・ハリーは夜の闇の中に姿をくらませてしまった。
 謎の人質ジュードもいつの間にかいなくなっている。
 それでも上出来だろう。カプリコを生け捕りにできたのだから。
 不安そうにアンネリエがケーゴを見ている。
 大丈夫。自分にはこの剣がある。あいつの包帯を切れるのはこいつだけだ。ケーゴは剣をかかげて、星明りに照らし見た。

       

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