Neetel Inside 文芸新都
表紙

0=∞
1.希望の推察

冬はマスクを付けている人が多いので、外出が楽です。人は僕を見ると口角が釣り上がります。斜め上に、への字を描く様にして、ニヤリと笑いを浮かべる。それが怖い。それは嘲笑なのか、哀れみなのかはわからない。

僕の目は随分と暗い目をしています。何をされるかわからない恐怖で、緊張します。突如として死ね、と罵倒されるかも知れない。臭いとでも言われるかも知れない。いや、直接そう言ってもらえれば、どれほど楽だろう。
あくまで「何をされるかが」わからない恐怖だから、妄想は僕の頭をグルグル回って、答えのない自問自答と猛省が始まります。

僕はいちいち人の目や口角、顔の向きなどを観察して、何を心の裏で考えているのかを推察しています。僕の推測は当たりか外れかはわからない、当然、証拠も何もないからです。僕は、人を心の中で卑下するのが、人のできる唯一の完全犯罪だと思っています。

神経症です。
卑下されるなら、自分が悪いのかもしれない。その原因をシラミ潰しに消していけば、いつかは人並みに扱われる日もくるのかもしれない。でも、同じ土俵に立ちたくない、という気持ちがあります。人を馬鹿にされるから、人を馬鹿にする側に努力する。無駄な努力だ。努力はそんなもんじゃない。もっと崇高で、人智では測りきれなくて、文字に出せば薄っぺらくなるほどの、愛情深い、尊いものだ、と思っています。

長々と描いてきましたが、これはあくまで、希望の話です。良いことがありました。思わず笑って、飛び上がるほど、良いことがありました。

皮膚科に行きました。持病の皮膚病が悪化して、駅前の皮膚科に通院しています。色んな人がマスクをしていました。最近よくニュースでも見るコロナウィルスの対策です。おかげで、人の口元を見ずにすみました。目は、僕を嘲笑って、家畜を見るような眼差しをしている「気が」しました。

こいつ馬鹿か?と思われるされるかもしれませんが、僕は「自分は失神した」と思い込みました。記憶をなくし、脳を眠らせました。失神すれば、その時の記憶はありません。失神して記憶はないので、足と手だけは反射神経と思い込んで、動かします。顔は見ずに済みました。焦点があわない、というか、目自体が「失神」しているので、あくまで皮膚科への道のりを足が動いているだけなのです。そんな陳腐な方法で、僕は病院にたどり着きました。混雑していたので、座りました。

その皮膚科のK先生は、中学生以来の付き合いです。僕がK先生に、神経症を告白したのは、つい最近の話です。自分から、「自分は病気だ」なんて、現実では口が裂けても言いません。そんな手口で助けてくれ、優しくしてくれ、なんて同情を誘うような、甘ったれた気持ちは、僕は一切持っていません。診察券の再発行の時に持病を書かなければいけない欄があって、仕方なく書いたのです。あくまで、肌で言えば湿疹の一種。脳の病気です。医者に相談して、自分で治せばいいだけの話なのです。湿疹を憐れんで、頭を撫でてくれる人が、いるでしょうか。それは幼稚園児が親にねだる発想だ。成人して、何年経ったと思っている。

そんな余裕はその時はありませんでした。僕は失神していました。消毒液の匂いのする診察室に案内されて、まず、ナースさんに軽く質問されました。僕は奇妙な焦点の合わない目をしながら、「はい」「いいえ」とだけ答えました。馬鹿にされていたでしょう。普通に人と接することができないとなれば、これはもう、死んだふりでもしてやり過ごすしかない。おかげで、僕を軽蔑する目は見ずに済みました。でもどうでしょう。目も合わさず、はい、いいえ、としか答えない男性。軽蔑と奇妙な感情を持たざるを得ないのではないでしょうか。ナースさんの気持ちを考えると、心が痛くなった。申し訳ない、という気持ちが大きかった。変な患者が来てすみません、と謝りたくなった。

ナースさんはそのうち、カーテンを閉めて、K先生を呼びに行きました。カーテンが閉まると、さあどうだ、変な患者がきたぞ。気持ち悪い奴が病院にやってきたぞ。そんな噂話でもされているのかな、と僕は恐怖に怯えました。心底怖かった。ナースさんの笑い声が診察室に響き、事実、奇妙なので仕方ない、と僕は前述の「確証のない推察」を始め、一人後悔を始めました。なんでもっと普通にできないんだろう。なんでもっと笑顔を出せないんだろう。酒が飲みたくなりました。

僕が酒を飲んでいる姿を見て、多くの人「馬鹿」と笑った。
こっちだって必死なんだ。嘲笑われるより、馬鹿を演じて、コケにされてる方が、よっぽど楽なんだ。

僕はこれは失神では足りないぞ、と思い、気絶しました。目を閉じ、両手両足の力を完全に抜いて、ダラリ、と体を垂らしました。何故でしょう。壁に飾ってあった柴犬の顔のポスターが妙に凛々しく見えました。...柴犬以下。生まれ変わったら犬になりたいな。でも、保健所行きかな。
やがてK先生がやってきました。

「こんにちは」
「はい」
「皮膚の調子はどう?」
「いいえ」
「悪いの?」
「はい」
「どこが痒い?」

無言で服を捲りました。先生はじーっと、僕の皮膚を見つめ、パソコンにカタカタ文字を打ち込むと、
「少し悪化してるからステロイドを増量します。また一ヶ月後に来てください」と言いました。
僕は例の如く、視線を合わせず、気絶したフリをしながら、はい、とだけ答えると、フラフラと診察室を出ようとしました。
その時、先生は、優しい顔で
「小岩くん、頑張ってね」と仰っしゃりました。

それは、愛に満ちたトーンでした。とても深く響きました。愛のある言葉でした。皮膚病のことだけを指すのでは、ありませんでした。
僕の「確証のない推察」は、それを慈愛だと、受け取りました。優しい口調でした。同情なんて求めていないんだけれども、疲弊した僕の心には、実に風が透き通るように、心に流れました。

皮膚病だけじゃない。人生を応援されたのだ。

僕は気絶から復活し、「頑張ります」と呟くと、心の中で感謝を何度も繰り返しながら、皮膚科を後にしました。本当は、泣きたくなりました。嬉し泣きでした。これはあくまで僕の例の「確証のない推察」でしかありません。「頑張ってね」の言葉は、皮膚が汚いからちゃんとしろよ、との侮蔑と警鐘の言葉かも知れません。でも、僕は一切そんな気持ちは持ちませんでした。ただただ愛のある励ましとしか受け取れませんでした。そう思ったから、そうに決まってる。感受性がそう受け止めている。「僕の妙な偏屈は、慈愛を産んだ」。

実に素晴らしいことじゃないか。変なメソメソした被害妄想じみた推察より、こっちの方が、よっぽど素晴らしい推察じゃないか。
ありがとうございます、と心で呟きながら、駅前の帰り道を歩きました。気絶していませんでした。気絶などということを考えていたことが、馬鹿らしく思えるほど、人混みは全く怖くありませんでした。ただ、この感情を私小説にしたくて、仕方ありませんでした。帰宅してこの素晴らしい出来事を小説にしよう、とそれしか考えていませんでした。生きていける、とさえ思いました。希望を持ちました。これが人間と思いました。

僕は人間が好きです。人間は可能性はいくらでも広がっていて、あまりの広大さに戸惑う時もありますが、基本、人間という存在を愛しています。好きです。
それは自分を優しくしてくれる人だけが好き、という甘えた発想ではありません。人間と人間の関係は、互いを立派に向上させてくれる。
金や数字だけじゃない感情を教えてくれる。K先生は、皮膚科という大変な仕事を毎日、頑張っておられます。僕も、お酒を控え、最近仕事を始めたばかりですが(しかも作業所ですが)一応、頑張っているつもりです。

お互い頑張ろう。そう言われた気がしました。
それは傷の舐めあいではなく、希望を持って前進していく力です。

二人の囚人が鉄格子から外を眺めた。 一人は泥を見た。一人は星を見た。

フレデリック・ラングブリッジさんの詩を思い出しました。もちろん私は星を見るわ。徐倫。

帰り道、小学生の男子がコンクリートの壁の溝を指でなぞっていました。何をしているのだろう。指の大きさを測っているのかな。それとも、溝をなぞる感覚が気持ちいいのかな。最近の感受性は、良好。嬉しかった出来事は以上。



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Neetsha