Neetel Inside 文芸新都
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見えなくなったもの
第十一話 望んだもの

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十一話 望んだもの

 その日、奴がまたこの屋敷を訪れた。
今度は一人の付き添いを連れて、一命を取り留めた父の見舞いに来た。
 付き添いで来たのはタチアナという女性で、ミゲルの乳母役を担っていた。
メイドに連れられて奴は早速父の部屋へと入ったが、タチアナの方は客間でじっと座っていた。
どうも父ではなくこちらに用があるらしく、メイドに取り次ぎを頼まれた。
体調が優れないと断る事も考えたが、ミゲルの顔を思い返すと自然と体が動いてしまった。

「このような時に突然押しかけてしまい、誠に申し訳ございません」

 深々と頭を垂れて、しかしはきはきした声でそう言った。
彼女も父の家の者の一人で、昨日来たククイの親とは兄弟であるらしかった。
その為まさか昨日の事を代わりに詫びに来たのではないかと勘繰ってが、彼女の顔を見ているとどうもそうではないようなので一先ず安心した。
 とにかく用件を伺おうとした矢先に、彼女は肩に掛けていた鞄から一通の封筒を取り出した。

「ミゲル殿下より、お見舞いのお手紙を預かっております」

それを聞いて、ぎくりとした。そしてお茶とババロアを出してきたメイドを即座に退室させた。
メイドが部屋から離れた事を確認して、改めて彼女に向き直り声を潜ませた。

「……あの子と会っている事を、ご存知なのですね?」

こちらが警戒している事に気付いたらしく、彼女は忍び込むところを偶然見たのだと苦笑して言った。
 ミゲルはその心優しさから、親族であればその親疎を問わず慶弔や見舞いの手紙を必ず寄越す所謂筆まめであった。
しかし、当然ながらそれは全て郵送されるものである。それがこうして乳母が直接持って来たと言う事は、あの子がこちらに好意を抱いているのを彼女が知っているという事に他ならないのだ。
そう身構えないで下さいと、タチアナは苦笑したまま言った。どうやらそれに対して何らかの懸念がある訳ではないらしく、後にも先にも口外する事は無いと約束してくれた。
逆にあの子の相談役を担ってくれている事を深く感謝しているのだと、また深々と頭を下げられたのでばつが悪い思いをした。
悩みはミゲルが話しているのを聞いているだけで、何らかの解決法をあの子に提示した事など一切無い。そう言おうとしたが、思い出したように笑う彼女の言葉に遮られてしまった。

「ご存知でしょうが、ミゲル殿下は本当に分かりやすいお方で、カール殿下がいらっしゃった後はいつも機嫌良くされておいでなのです」

 がくりと肩を落とした。やはりあの子に秘密事は難しいようだ。口は固いのだろうが、顔に出てしまっては意味が無い。
そして彼女は次から来る時はお茶の一つは出させて欲しいと言ってくれたので、その時は他の者に訊かれたらミゲルのおやつと称してくれる事を条件に出した。
タチアナは笑って頷いたが、その笑顔には少し哀しさが滲み出ていた。やはり彼女も、自分の兄弟が原因でこの家が安寧を失っている事を知っているらしい。
それを彼女が代わりに謝罪しないでいてくれた事は、救いに感じた。何も関わっていない筈の彼女が肉親であるという理由だけでそれをするという事は、本人達が謝らずとも許して欲しいと暗にこちらに伝えている事になるからだ。
別に彼等の謝罪を望んでいる訳では無いが、謝る気が無いと言われればきっと癇に障る事だろう。

「それにしても、まさか本当にトクサ卿がフォルカー殿のカウンセリングをなさっているとは……」

 ふと、父の部屋の方を見てタチアナはそう言った。
その表情は、少し懸念を抱いているように見えた。やはり彼女も、奴をあまり信用していないらしい。
そう言えば、ミゲルが彼女には"彼等"が見えないと言っていた。
しかしあの子の乳母であるならば、奴の正体も"彼等"が実在するというのも知っているだろう。
選ばれた者であるというミゲルが、皇位継承の意欲を示さない事を彼女自身どう思っているのだろうか。
だが、最早そんな事はどうでも良くなっていた。それを彼女に訊いたところで、この現実が変わる事などあるのだろうか。

「……私は、トクサ卿のようにはなれません」

 ボソリと、そう零してしまった。
あろう事かあんな男に、父に母を殺す片棒を担ぐよう仕向けた外道に、羨望を抱いてしまっていた。
人の心を読む力があれば、どれ程父の気持ちを汲めただろう。どれ程父の心を癒してやれただろう。
あの日の夜に捨ててしまったバロンブルーメにもなれない自分を、恨むより他は無かった。
 独り言が聞こえてしまったらしく、タチアナは酷く悲しそうな顔を向けていた。
そしてこちらに手を伸ばそうとしていたが、途中で止まってそれを引っ込めた。かける言葉が見つからなかったらしい。
だがそれが逆に有り難かった。気休め程度の慰めを言われるぐらいなら、何も言わないでいてくれる方がよっぽど良い。
 冷えているからこそ旨味のあるババロアは、手をつけられないまますっかり温くなってしまっていた――。
 ――数日後、漸く家を出る気になれたので、いつも通り昼飯時にあの工場へと向かう事にした。
そこでカトッフェルズッペと呼ばれるジャガイモのスープをアルベルトの所へ運んで欲しいと言われたので持って行くと、彼は表情に影を落とした状態で作業をしていた。
 信じられない話を聞いた。アルベルトの兄が戦死し、彼も徴兵される事になったのだそうだ。
言葉が出なかった。息が詰まり、口は開けられるが呼吸すらままならなくなっていた。
 何故、どうして、望むものばかりが離れていくのだろう。
堰き止めていた何かが溢れ、形を保つ為に凍らせていた心に大きな皹が入ったような感覚だった。
やっと出せた声はまるで蚊が鳴いているようで、すぐにでも押し潰されそうな声になってしまっていた。

「生きて……って、どんなに願ったって、叶うものじゃないんだ。届くものじゃないんだ」

しかし、自分に何が出来るかと問われれば、そんなものは皆無なのだ。
 その時とうとう、涙が溢れ返ってしまった。さようなら。どうか気を付けて。そんなありきたりな返事で彼を見送るつもりだったと言うのに、そんな言葉は一言も口から出せなかった。
独りで居るのはもう嫌だ。寄り添わせてくれる誰かが、欲しかった。
 アルベルトは目線を合わせる為に座り込んで、こちらの腕を掴んで笑いかけた。なるべく前線に立たないよう、生きる努力をしてくれるらしい。
彼の笑顔を見たのは、思えばそれが最初で最後だったような気がする。

「お前にできることだってある。そうだな……お前お坊ちゃんみたいだから、学校行って勉強して、なるべく俺達が死なない方法考えてくれよ。嫌じゃなけりゃ士官でもいい。ーー俺も、無能な上官のせいで消耗品にもなれず死んじまうのはごめんだからな」

そう言われて、真っ暗だった視界に光が差したような気がした。
 ひょっとしたら、自分にも出来る事があると、誰かに言って欲しかったのかも知れない。誰かに、必要とされたかったのかも知れない。
見えなくなってしまっていた自分の行く先を、漸く見据える事が出来たような、そんな気がした。

       

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Neetsha