Neetel Inside 文芸新都
表紙

遊星屠殺ワンダー【完結】
空中の部

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(1)

 おそらくは、何か建物の中にいるのでしょう。空気が動いていない事から、かすかに、恭子はそう考えました。が、だとしたら、この光景を一体どう表現すれば良いのか。壁は無く、地平線すら見えない無限の空間。

 そんな不思議な空間の中に、これまた見た事も無い白なのか、銀なのか、あるいは、黒い皮膚なのか、タイツなのか分からないものを身にまとった大男が、不思議と列を作っています。

 背景が無限の空間なので、遠近感は崩壊し、実際にその大男達が恭子からどの位離れているのか良く分かりません。だから、大男達がどのくらいの大きさになるのか、具体的な数値を測ることなど出来やしないのです。ただ、コレまでの恭子自身の経験から無理やりにでも考えるなら、4メートル以上。そして、内臓など無いとでも言いたげな程に異様に長い足と、それに異常なほど不釣合いな短い体で構成されていました。

 恭子は、いつぞやの部屋に「何か」が居たときの事をふと思い出しました。

 あの時と、何だか同じような感覚。

 表情だけではなく、状況自体が、コレまで経験した事の無いものだとしても、人間はどういう感情を出して良いものやら理解できなものだ。と、改めて恭子は考えました。

 今、恐れ慄くべきなのか。

 今、泣き叫ぶべきなのか。

 今、震え失神するべきなのか。

 今、全てを悟り絶望するべきなのか。

 それさえも、分かりはしないのです。

 不意に、その大男の真ん中に、いつぞや恭子の部屋に居た何かが存在している事に気が付きました。最初からそこに存在していたのか、いつの間にそこに居たのかなど、恭子には分かりませんでしたが、それを見た瞬間大きな意味で頭の中で理解しました。

 「あぁ・・・全ては繋がっている。」

 そして、あの日の夜のようにどうしようもない感情に震えだしたのです。

 一思いに、小汚く醜い通りすがりの小男に、監禁され、犯され続ける方がどれだけ幸せかと、心の底から思い込むほどの恐怖です。

 ゆっくり・・・ゆっくり。その何かが恭子に近づいてきました。

 そして、何かを話しかけたように感じました。

 ただ、その声は、音として空気を震わせるような事は無く、静寂のままに、直接脳に訴えかけるような感覚を感じました。

 「頭が割れそう・・・」

 頭を抱える恭子を見て、その何かの無表情な顔にはじめて何かの変化がありました。ただ、それが笑っているのか、怒っているのかそんな事など分からないままでしたが。

 恭子は、ただ「この何かとは、恐らくこれからどれだけの時間を共有しても分かり合える事は無いのだろう」と心のどこかで感じていました。そしてそれは、恐らくあっているのでしょう。彼らに、感情などと言う、実に自分の思うような感覚が、まずあるのかさえ分からない状況で、それも無理からぬ話ではあるのです。

 さらにその何かは、恭子に話しかけます。

 恭子は、外国語の勉強など好きではなく、学校の授業で習った英語すらほとんど忘れてしまっていました。よく母親に「私の血が入っているのだから、少なくとも、私の母国語くらいは覚えなさい。」と、少ししゃべりずらそうな日本語で叱られたものです。

 そんな恭子でも、この言葉が、地球上のどこにある言語とも違う事は直感的に理解ました。

 感情もなくただただ投げかけられる言葉の羅列は、ひとしきり恭子の脳に直接襲い掛かり、しばらくすると突然止まりました。

 当たり前のように止まった瞬間、反比例するかのように恭子の脳は突然ギアが入ったかのように動き始めました。

 直感的に理解した「すべてが繋がっている」と言う事象がある程度まとまった思考の塊となったその先にはひとつの言葉がありました。

 異星人。

 この段階で、はじめてその言葉が恭子の頭の中に浮かびあがったのです。

     


(2)

 「そもそも、インプラントに果たして、どのような意味があると言う訳でもありません。『人体実験』・・・だなどという人も居ますが。疲れやすくなった人も居るそうです。ただ、ほぼ、実害も無いので。なにより、その金属を取り除く事は、現在の医学では、ほぼ不可能に近い・・・残念ではあるのですがね。」
と言う、医者の言葉を何だか恭子は思い出しました。

 「あぁ、あたしはこれから『人体実験』の素材として使われるのか・・・」

 そう思うと、恐怖とは別の少し哀愁を帯びた悲しみに全身が包まれ始めました。

 崩れ落ちた恭子に対して、その何かの顔は、また別の変化があり、そして、一瞬にして、この無限とも言える空間が目もくらむように明るくなりました。

 そして、漆黒。

 ・・・・・・・

 ・・・・・・・

 ・・・・・・・

 ・・・・・・・

 恭子は、いかに人間が五感にものを頼っていたかを考えました。匂いも無く、音も無く空気も動かない、漆黒の無限の空間。果たして、その空間に恭子はどのくらいの時間存在していたのか、自分では、もうどうしたって計ることなどできやしません。

 ・・・・・・・

 ・・・・・・・

 ・・・・・・・

 次に、視界にものが入ってきたときに、恭子は愕然としました。

 人。

 人。

 人。

 人。

 人。

 人。

 それは、無限の空間にいる無数の人だかり。

 そこには、実に雑多な世界各地の様々な人間が屯していました。それぞれに、会話を交わす事もほとんど無く、その誰もが、恭子と同じように、一体現状を憂うべきなのか、恐れるべきなのかすら分かっていないように感じていました。

 それでも、恭子は声をかけずにはおられやしません。「ココはどこなの?」と、一番近くに居た、もうココに連れてこられて幾日を過ごしたのでしょう、醜い無精ひげを携えた中肉中背、小太りの男に話しかけました。

 男は、少々うつろな目をしてはおりましたが、幸いにも日本人だったらしく、恭子の問いかけに応えました。

 「この世には、不思議な事が沢山あると言う事だよ。」

 「この場所が不思議であると言う事は、いくら私でも、もう十二分に理解してきてはいるわ。でも・・・何というか、さっきの『あれ』は・・・人間なの?そしてココは・・・?」

 「はじめてココに来た人間は、そのほとんどの事を疑問に思う。とは言え、それももう少しの辛抱だ。そうすれば、疑問など持ちやしなくなる。・・・つまり・・・コレが普通だと思うようになるのさ。普通になれば、どんな違和感のある事も違和感じゃあなくなって、そうすれば、何にも疑問になど持たなくなる。」
 そう言うと、プイと逆を向き、もう恭子の方を見る事はありませんでした。

 「そっけないと思うだろう?だがね、皆そんなものさ。」

 少し後ろに居た、今度は少しだけ先ほどの男より若い(それでも、中肉中背には変わりない)男が話しかけてきました。

 「ココに至って、初めて多くの人は気が付くのさ。コミュニケーションをとると言う行動は、実のところ、ただ、身を守るためにだけあるってね。社会に溶け込む為にだとか、実にくだらない理由のためだったんだよ。見てごらん。社会も何も無くなってしまったこの場所では、誰もコミュニケーションなど取りやしない。ついでに言うと、ココはそれで居て秩序も保たれているからねぇ。身を守る必要がなくなると、誰かと接しようとは思わなくなるんだよ。今、君が、人に話しかけているのは、押しつぶされそうな不安から身を守るため?違うかい?」

 恭子が、「そうです。」と言う前に、男は話を続ける。

 「ただ、そこの彼が言うようにコレが普通になる・・・と、不安もなくなってしまうから、もう本当に誰も誰とも接したりはしなくなってしまうのだよ。大体、『あいつら』の言うことは理解できないだろう?どうも、オレ達が思う空気の振動じゃない方法で、音を届けてるみたいなんだけれども、それがひどく頭に痛くてねぇ。第一、『あいつら』の言語なんか、到底分かるはずも無いじゃあないか。

 「『あいつら』・・・は、誰なの?」

 「・・・少し前。今はもう伝説の様になってしまってはいるのだけれども、凄いチャネラーがココに居てね。チャネラーと言うのは、チャネリングが出来る人の事を指すんだけれども・・・知っているのかい。そいつは、豪儀だなぁ。女性だったんだけどね。彼女が、脳に受けた毒電波の内容が、実に、合理的で、納得が出来る内容だったもので、いつの間にか、ここに居る全ての人間の常識となっているんだ。」

 「『あいつら』の正体?」

 「大体ね。あいつらは、人間そっくりの姿にだってなれるもんだから、世界中のあちこちに存在しているのさ。聞いてしまわないほうが良い事だってあるんだよ。」

 そう言うと、男は何だか嫌な笑みを浮かべました。キッと、もうこの場所には、楽しい事なんて何にも無いのでしょう。だから、何だか少しだけ勿体つけたかったんだろうと、恭子は理解し、あえて、(本当は、そんな事は嫌いでしたが)「教えてよ」とおねだりをしました。

 男は、望み通りに恭子が動いた事に、少しだけ口角を上げながら「しょうがないな」と呟き、語り始めました。

 「この世界・・・僕達の住んでいたこの地球という星はね、実のところ、それはそれは途轍もなく大きな牧場だったのさ。マァ『あいつら』からしたら、ちっぽけな大きさなのかもしれないけれどもね。」

 「どういうこと?」

 「ショックを受けないでくれよ。・・・ほら、豚を品種改良とかするだろう?そして、それを牧場で育てて、食べ頃になったら収穫するだろう?そう言う事なのさ。地球に存在する全ての生命は、言ってみれば『あいつら』が品種改良した豚。それは、君の血を吸っていたやぶ蚊も、クワズイモも、人間も、『あいつら』から見れば同じようなもので、その中から、必要な数だけ収穫してくるのさ。・・・つまり・・・屠殺する為に。」

 「屠殺・・・?」

 「食べる為に、殺すという事だよ。『あいつら』にとっては、ただの食料なのさ。オレ達はね。残念ながら、君も食料だ。もう生きては戻れないよ。ご両親にも挨拶なんか出来やしないまま、当たり前のように死ぬんだ・・・死ぬんだ・・・死ぬんだ・・・君も、オレも、アイツも、あたしも、わしも、お前も、彼女も、僕も、彼氏も・・・ね。オレ達は、もう死ぬのを待つだけなんだぁあ嗚呼嗚呼嗚呼ああアア嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ああああ嗚呼。」

 そう言うと、男は、どことも言わずに、人を掻き分け走っていきました。そして、恭子からは、見えにくい所まで来て、誰かの集団に囲まれ、そして、静かに暴行を受けているようです。

 「痛いぃぃ。痛いよぉ。痛いって言う事は、まだ生きているよ。明日も痛いかな?明日もイタィイイ。」

 さっきの男の声。誰も、動きもしないものですから、衣擦れの音も無いこの空間には、男の叫び声は良く響きました。

     


(3)

 「運ばれていくとね、まずは、服を全部剥ぎ取られるんだ。ブラも、ショーツだって剥ぎ取られる。あたしには、彼氏だって居なかったから、まだ誰にも見せた事は無いのに。いや、それは嘘か。温泉になんか入るときには、友達で見せっこして胸の大きさ比べたりしたもんね。・・・恭子。」

 後ろを振り向くと、そこには、専門学校で仲の良かった(と、一方的に思われていただけで、実は、余り恭子は彼女を好きではなかったのですが)波子が居ました。こんな空間でしたので、本来、街中で会おうものなら、出来るだけ会話などご遠慮願いたく思うであろう波子であっても、恭子は少しだけ嬉しくなりました。

 「波子・・・?」

 「それでさぁ、両の手を上に持ち上げられて、縛られるんだって。そのまま持ち上げられて、解体場まで運ばれるの。すっごく痛いんだって。肩の骨が抜けちゃうんだって。でもね、別にそんな事は『あいつら』にとってはどうでも良いみたい。だから、どんなに泣いても喚いても運ばれるんだって。噂じゃあ『あいつら』には、空気の振動を感じ取る器官が無いから、分からないって話だけど。」

 「チャネラーの?」

 「そう。チャネラーのエレノア様の話。そういえば、あんたもエレノアだったよね。そんな偶然とかあるのって話だよね。」

 「名前の事は知らなかったけど、さっき少しだけ聞いた・・・それが、屠殺ってヤツなの。」

 「解体場に運ばれると、ビックリする位大きい『あいつら』が、バットみたいなもので、体中をしこたまに殴りつけるんだって。そうやって、体中に青あざ・・・って言うか、それを通り越して、血だまりを作って、それを全部ナイフみたいなので切り裂いて、血を抜き取るんだって。そうやって殺すと、肉が美味しくなるらしいよ。生きてるうちにやらないと意味が無いだって。まじで、いや。あたしは、血だまりの場所を分かりやすくするために、真っ白い肌を頑張って作ってきたんじゃないっての。」

 「それって・・・本当なの?・・・波子・・・?」

 「・・・」

 「ねえ!!波子。教えてよぉ!」

 「あんまり馴れ馴れしくしないでくれる?ココに至っては、もう、別に、あんたなんか、ハーフでも何でもないただのメス豚なんだからね。」

 急に態度の変わった波子を見て、恭子は、学生時代波子が「私の心は波のよう、船が通ると崩れちゃう、でもすぐに元通り、どこに行き着くわけでもなく、ただただ波を漂うだけ」といつも歌っていた事を何とはなしに思い出しました。

 「・・・って嘘。」

 そう言うと、波子は恭子の鼻を軽く小突いて笑い始めました。

 「あぁ、おかしい。こんなに笑ったのは、卒業旅行のとき以来だよ。あの時は、楽しかったね。美智子が居てさぁ、由美がいてさぁ・・・」

 そして、今度は、見たことも無い(それはまるで、100カラットのダイヤのような)大粒の涙を流して泣き始めました。恭子は、どうする事も出来ず、ただ、傍に立つより他に何も思いつきません。頭を撫でるべきでも、肩を抱くべきでもないような気がしていました。

 ただ、少しずつ状況が頭の中で、整理され、それにあわせて先ほどまで感じていた、『人体実験』と言う言葉に付随した哀愁を帯びた悲しみが、全身から消えていく事を感じていました。

 「凌辱って言葉知ってる?屠殺される前には体中をなんかヌメヌメしたものでいじられるんだって。体の中も外も。穴と言う穴全部にグリグリと入れられるんだって。もちろんあそこにもね。何のためにするのかなんてわからないよ。でも、やられるのは女の子だけなんだって。肩の関節が抜けて、両手で釣り上げられて、全裸にされて、体中を舐めまわすように見られた上に、変なもので体中をいじられる。そう言うのをね、凌辱って言うらしいよ。」

 波子は、もう悲しいのか嬉しいのかも分からないような表情をして「まぁこれも嘘だけどね」そうつぶやきました。

 波子が、起きて欲しくない事実に直面した時、最後に「嘘なんだけど」とつけて、自分を落ち着かせる癖がある事を恭子は知っていました。だからなのかもしれませんが、波子の言う話が、どこかの誰かが垂れ流す情報よりも真実であるように聞こえていたのです。

 また、恭子は凌辱と言う言葉自体には、単純な辱め以外の意味が含まれていることも分かっていました。『実験材料』と言うのは、そういう意味もあるのかも知れない。

 その意味で鑑みて『実験材料』と『食料』。果たして、どちらであった方が幸せであったのか。と言う、おおよそ、人間が生きていく上では、考えないような話題を頭の中で一心不乱に考えていました。そうする事で・・・そうする事でしか、現状、それでも正気を保つという事はできる気がしません。

 波子はまたポロポリと涙をこぼし始めました。。

 「ココに来るとね、ほとんどの人は数日以内に、次の部屋に連れて行かれるの。次に部屋では、体中に焼印みたいなのを押されてね、そうして、管理用の札を剥ぎ取られるんだって。」

 「札・・・?焼印?」

 「ここに居る人は、皆・・・足に、右のふくらはぎに札をつけられてるんだって。」

 波子の言葉に、恭子はインプラントの事を思い出しました。

 「あぁ、そうだったんだ。」

 恭子は、この期に及んでなぜだか分からないままに心の片隅にある楽観視していた自分が消え去る感覚とともに、現状の全てを理解しました。


 部屋で見た『何か』。

 インプラント。

 空を飛ぶ。

 強い光。

 見たことも無い大男。

 無限に広がる景色。

 屯する雑多な人間

 チャネラー。

 牧場。

 屠殺。

 焼印。

 管理用の札。

 すべてはあの夜から決まっていたのです。

 静かに崩れ落ち、今度は、波子よりも大粒の涙を流して、泣きました。

 その隣では、先ほどのココで幾日を過ごしたのでしょう、醜い無精ひげを携えた中肉中背、小太りの男が別の男に
「この世には、不思議な事が沢山あると言う事だよ。」
と話しています。

その男は恐らく、恭子の次にココへ来たのでしょう。まだ、現状を把握できないままに、きょとんとした顔で、小太りの男の話を聞いています。

     

(4)

 数日後。

 波子が、連れて行かれてから、さらに数日が経ちました。

 波子は、連れて行かれる直前に
「コレをあげる。形見と思って。」
と言って、薄汚れた青い色のアメコミヒーローの缶バッチを、恭子の左腕につけました。

 「でも、あんたもすぐ来るだろうから、意味も無いか。」
と、少しだけ口角を吊り上げて笑いました。

 その直後、ゆっくりと波子の体は消えていきました。それは、画像加工ソフトを使って、不透明度を下げていくかのようで、当たり前が、当たり前じゃなくなる瞬間のように、恭子は感じていました。

 波子は、いつものように「私の心は波のよう、船が通ると崩れちゃう、でもすぐに元通り、どこに行き着くわけでもなく、ただただ並を漂うだけ」と歌っていました。波子の大好きなバンドの曲だそうです。結局、恭子はそのアングラ過ぎるバンドの音源を聴く機会も無いままでしたので、その曲のオリジナルは、波子の歌声のままでした。

 その時は、なぜ、波子が自分の連れて行かれる事を知る事が出来たのか、分かりはしませんでしたが、数日後に理解する事が出来ました。

 その時には、もう、恭子がここにやってきた時居た人間のほとんどが連れて行かれ、波子はもちろん、醜い無精ひげを携えた中肉中背小太りの男も少しだけ先ほどの男より若い(それでも、中肉中背には変わりない)男も、その男に暴行を加えていた集団も誰一人居やしません。

 その日。

 恭子は実に数日振り(と言っても、時間の感覚などほとんど分かりやしないのですが)に頭が割れそうになる感覚に襲われました。そして、あの、恐らく地球言語の何にも全く属しては居ない言葉を、耳ではなく、脳で直接に感じました。

 「次はあたしの番。」

 と。


 その瞬間、恭子の頭の中には、走馬灯のように色んな感情、思い出が溢れ、急にぐるぐるグルぐるぐると思考が動き始めました。

 恭子は、敬虔なクリスチャンではありませんが、クリスチャンの母に、昔、主たる神が処刑されるまでの数時間を描いた映画を見さされた事をなぜか最初に思い出しました。

 その頃は、ただ残酷なだけの映画で、なぜ、母が、この映画を自分に見せたのか理解も出来ませんでした。それは今でも分かりませんが、ただ、今にして振り返るのであれば、自分の運命をしっかりと受け入れなさい。と言う、母からのメッセージだったようにも思えてきます。(それを確かめる術などもう無いのですが。)

 自分も茨の冠をかぶり、自身が貼り付けにされる十字架を背負い歩けるのであれば、もう少しはヒロイックな気持ちにもなれただろうに、連れて行かれるとは名ばかりの、ただ消えるだけの所作に、一体何の感慨を持つべきなのか。そんな事すら分かりません。

 まずは、焼印を押され、管理用の札をはがされる。そして、裸にされて、つるされて殴られ、血を抜き取られて、『あいつら』の食料となる。

 または、人体実験として、人間としての尊厳と言う言葉がむなしくなるような行為で凌辱され、痛めつけられた挙句、おそらくは『あいつら』の子どもでも産まされる。

 波子が語った、これからの話が頭の中でもう一度辿りました。

 それが果たして、痛いのか、苦しいのかさえ、想像がつきませんでしたから、逆に、恐怖に恐れおののく事も、もしかしたら、少なかったかもしれません。

 少しずつ景色が変わっていきます。

 客観的に見れば、少しずつ恭子は消えているのでしょう。
 
 それは、恭子本人が思うよりはるかに少しずつでした。

 恭子は母に見せられた映画の最後を思い出し「主よ。彼らをお許しください。彼らは、自分が何をやっているか理解できないのです。」と呟きました。

 でも、それはなぜかしっくりときませんでした。

 チャネラーエレノア様の言葉が正しければ、この星に自分が生まれた事さえも、『あいつら』によるもので、これから、自分が屠殺される事も『あいつら』によるものなら、それが、自分の生まれてきた意味かも知れません。

 少し前に、恭子は自分の生きる意味が分からなくなり、自暴自棄になった事がありました。そんな夜は、ひとり海に赴き、街中よりもはっきりと見える星が動いていく情景を何時間も見つめていました。そうする事で、自分も地球と一緒に動いている事を実感でき、そうすれば、何だか、この星に生きている事を許されているように感じる事が出来ました。

 一度。月並みに、手首を切ったこともありましたが、その時には、敬虔なクリスチャンだった母の半狂乱になる姿を見せ付けられ、そう言う事はするものじゃあないと、強く心に思ったものです。

 今にして思えば、この全てが、これからの運命の複線になっているような気がしてなりません。

 「人生は決められた多岐路を歩むこと。」

 随分と声が震えていたことに恭子は初めて気が付きました。

 ここ数日と、もう何もかもを諦めていたはずではあったのですが、ココに来て、それとなく、いくつかの思い出や、心持を幾重にも幾重にも思い出しそして、改めていつぞやの恐怖を思い出したのでしょう。

 恭子は、もうどうしようもなくなってしまい、

 「いやあああああああああああああああああああああああああああああ。」

 金属音にも似た悲鳴を上げるより術がありませでした。

 ただ、その声が誰かの耳に届くことはもうなかったのです。

     

(5)

 この世界は、もうどうしたとしても絶望に対して寛容なようでした。

 実に多種多様、数限りない絶望が存在しています。

 殺されるために並ばされている人の列。

 体を少しずつ削り取られて殺される政治犯。

 キチガイになってしまい少女人形を抱きかかえてケラケラと笑う老婆。

 人身売買のためだけに産み落とされる幼子。

 ペンではなく銃を持たされ戦場に送り込まれる子ども達。

 研究のため氷水の中に裸で投げ込まれる捕虜。

 背中で縫い付けられた双子。

 思い付き限りのどす黒い妄想が存在し、その数だけ現実としての絶望が存在していました。



 縄とも鎖とも違う、冷たい何かに両手を縛られたまま上から吊り下げられた恭子の足は、そのまま床から離れていきました。

 声にならない激痛が肩の一点だけに襲い掛かり、そして、数瞬後「ゴリッ」と音がして、肩の関節は意味を無くしました。

 ゆっくりと吊るされたまま、運ばれた先で、衣類を全て剥ぎ取られましたが、羞恥に似た感情などは、強い痛みのため、もはや出てくるはずもありません。

 剥ぎ取られた拍子に、波子がつけてくれた缶バッチが飛んでいき、クルクルと回ったあと、裏返しに倒れました。

 その先にいたのは、これまで見た、どの異星人とも違う姿をした「何か」でした。

 長い首の先についた不自然なほど小さな頭と不釣り合いなほどに大きく、そして漆黒に濁った目。

 恭子は、その存在に絶望し、そして恐怖以上の畏怖に心臓が冷たく冷えていくことを感じました。

 その「何か」の異常に長い3本しかない指に似た器官は、恭子の体を貪るように触れました。

 ビクッと無意識に体だけは反応し、強烈な嫌悪を覚えました。

 触れられる感触は、温かくも冷たくもなく、何かが当たる感覚さえなく、触れられたであろう場所に感じた事のない違和感があるだけでした。

 数本ある腕のひとつが恭子の股間部分を弄りはじめ、そして、指のひとつが、恭子の膣の中に侵入してきました。

 恭子は耐えがたい羞恥に歯を食いしばり、頭をブルンブルンと左右に振りました。

 指は、膣穴をひとしきりかき混ぜたあと、そのままどんどん上に上に突き上げてきます。

 「ダメ!それ以上!いやああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 どれだけ喚こうとも、その「何か」は、一瞥の反応もしないまま、膣穴の壁の奥を更に突き上げ続けました。

 「ジャゴ」

 聞いた事のない音と感じたこのない痛みに恭子は体を仰け反らせました。

 皮膚に傷がつくことや、筋肉を痛めること、骨を折ると言ったおおよそ日常生活で感じる事の出来る痛みとは一線を画す痛み。内臓を突き抜かれて、直接触れられる痛みに恭子は、声もなく、ただ震える事しかできませんでした。

 膣からは血があふれ出しています。

 もう一つの手のような器官は、恭子の乳房を触れ始めました。

 そして、恭子の乳頭を引きちぎりました。

 「がぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 今度は、想定できる上で最上の痛みでした。

 あまりの痛みに、震えながらも、声にならない声が溢れ出ました。あまりにも大きな声だった為、喉が割け、口からも血液が止めどなく溢れてきます。

 「何か」は、乳房の先の傷口の中に指に似た器官をグリグリを押し入れました。その指に似た器官の先は、更に6つに分かれ手を広げたような形になり、乳房の中の乳腺部分を掴み、そしてそのまま乳房の外に乳腺を引きずり出しました。

 敏感になっている乳房からズルズルと引きずり出される乳腺を眼前にして、恭子は意識が朦朧としながら乳腺の色が少し黄色味がかった白色なのだと、そんな事を考えていました。

 不意にこれまで無表情だと感じていた、この「何か」がにやけたように感じました。

 異星人だと恭子の考える、これまで見てきた全てをおいても初めて感じた、感情らしい感情です。

 恭子の膣穴(だった箇所)に入れている「何か」の指に似た器官もまた同じく先端が6つに分かれ、そして、その手に似たものは恭子の子宮を掴み、そのまま膣穴から外に引きずり出しました。

 あまりの衝撃に、体はビクンビクンと痙攣しましたが、もうそれ以上の何かの反応をすることはできません。

 ほんの数分前まで、当たり前に生きていた自分。

 関節が外れ、腱と皮膚だけでかろうじてつながっている腕と体。
 
 血液がとめどなくあふれる裂けた喉。

 子宮を引きずり出された膣。

 乳腺が無くなり、支える事が出来ないまま垂れ下がった乳房。

 おおよそ人間として、女としての自覚の全てを奪い取られた恭子は、それでもまだ、意識さえ失わずに、ただ「あ・・・ぁあああ・」と、か細い声を出しながら、痛みや悲しみ、恥ずかしさではない、ある事をぼんやりと考えていました。

 それは、過去自分が妄想していた「レイ=プレイ症候群」の事。

 今、「何か」によって行われていることが、全て、恭子がかつて妄想した「レイ=プレイ症候群」の最も末期に妄想した、強姦を超えた拷問そのものであった事を思い出したのです。

 「想像できる全ての事柄は、全て起こりえる事である」と語った研究者がいた事を、恭子は思い出していました。

 恭子自身が過去に想像していた、最も凄惨な拷問が、今まさに恭子自身に起こっている。




 そう考えた瞬間、目の前が明るくなりました。




 まるで母親の産道を通ってくる赤ちゃんのような心持としか例えられないでしょう、ひどく懐かしくもありつつ、さりとて具体的に表現する事などできやしない不思議な感覚と風景でした。

 自分の体を構成している原子が全て分解され、そうやってもう一度同じ人間のように再構成されているようだとも感じましたが、結局は、何だったのか分からないまま数秒(と言っても、実際どのくらいの時間が流れていたのかは分かる余地も無い話なのですが)が経ちました。

 我に返った恭子は、自分に起こっていた凌辱を含んだ凄惨な拷問が、自分の妄想であった事を理解しました。

 そして、意識の戻った恭子が見たのは目くるめく鮮やかな世界。

 縮尺さえ分からないような、大小のタワー。それの周りを線になるような速度で回る謎の球体。空から地面に伸びていく緑糸のライン。そして、赤茶けた水色の空。

 少なくとも地球には無いそれは、まるで、ルイス=キャロルの世界に迷い込んだようにさえ感じました。

 恭子は、拷問された訳でもなく、キレイなままの自分の体を見て、自分があくまでも屠殺の対象であったことを認識しました。

 人間は、屠殺する前の豚を凌辱するはずはない。

 ただ無表情に、黙々と殺し、解体するだけ。

 それがオスであろうと、メスであろうと。

 その瞬間、「女として」尊厳を崩され羞恥にまみれた凌辱されるのではと考えていた、自意識のあまりの過剰さに、恭子は急激に赤面していましたが、幸い周りには誰も存在していなかったので、その事実を知る「人間」は存在しませんでした。




 4次元の世界における、もう一つの座標は時間であると言う説があります。

 つまり4次元の世界では、階段を上り下りするように、時間を行き来することができると言う説です。

 2次元の世界から、3次元の世界での上下の移動が認識できないように、3次元の世界にいる以上、4次元の世界での時間の移動は認識できません。

 ただ、無理やりに4次元に引き上げられた3次元の存在は、理解できないままにも、時間の移動を行う事は出来ます。

 階段を下りるように、時間をさかのぼり、自分の見てきた事柄を「チャネラー」を自称して、不安に思う人間たちに対して伝える事も出来るのです。

 何度も同じ階層を行き来できるように、同じ時間的タイミングを行き来することも出来るのです。




 恭子がいなくなってから、少しだけ後の夜。

 とあるテレビ番組では、ベジタリアンとプレデターが肉食の是非について語り合っています。

 「命を頂く事で、我々は命を生きながらえるのだ。ただ、そこには感謝の気持ちを持たなければいけない。」

 「殺すために育てて、ありがとうとは虫唾が走る。」

 「問題は、どの段階までが残酷で、どの段階から食欲がそそるかではないのかね。・・・少なくとも『彼女』は、美しかったと思うよ。」

 そう言うと、プレデター側に座っていた一人の男は、司会の女子アナウンサーを指差して、不適に笑いました。

 彼女の右ふくらはぎには、小さな傷がありました。

       

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