Neetel Inside 文芸新都
表紙

-5℃
2/20 「背負う娯楽」

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感じたことだけを思って
張り詰めていたい
自分の命なんかいらない
あなたの命なんかいらない
押し入れの扉を開けたら
悪魔がいた

     

笹の葉結びの自惚れに

浸る約束なんて遠慮したい

     

9階段の吊り縄に落ちる

革命的な加害者は

絶叫をあげて 駆ける


誰の責任でもなく

偶然の結果 生まれたから

偶然 隣りにいた

君を擁護する数学を

刺してあげていた


僕が生き急ぐのは

理想なんか じゃなくて

痛みだけが生々しい

心を映し出す鏡だろう


気絶する様に落ちたい


9階段の吊り縄に吊るされる

代弁者のプライドを叩き潰せ

傲慢な世界に病んでも

生き恥を晒さない様に

終わらせてあげたい


僕が生き急ぐのは

理想なんか じゃなくて

痛みだけが生々しい

心を映し出す鏡だろう


気絶する様に落ちたい

     

苦しんで、苦しんで
苦痛に耐えた果て、
揺るぎのない幸せが手に入る、と
今日を生きる貴方は信じている
その無意識を知っています

     

人間恐怖は突き詰めると 白になる
会うたびに恐怖で 呆然とする
脳は縮み
自分の名前も 忘れていく

     

童心の正体は、いつか大人になって、死んでしまうことを理解しているか、どうかです。昔は大人になることが、とても怖かったでしょう。残された時間を目一杯楽しむ、夕暮れでも遊ぶ子供。残酷な怪談を、泣いて怖がる子供。

     

復讐心の頭打ち
私怨で生きるのも情熱が必要で
恨みも希望も 頭の妄想
虚構だった
空洞

     

手の甲に小さくマッチを
押し付けて 目が醒めて
消えた いつかの夢を
火花の様に落としたい

素敵な未来なんて
初めからあり得ないし 興味もない
霞んだ いつかの記憶も
火花の様に落としたい

通学路
蛙の子供 ゴム風船に入れて
土に埋めていた
数年後に開いて 見てみたい
火花の様に落としたい

     

ある日、男が逝った。
死因は朝食だった。ゲロであった。

「時代の激動時とには
 有象無象の多大な人間が、
 心病み、身体疲れ果て、
 逝くものであります。
 悲しみの本質には、誰も触れられず
 そのうち、気まずい雰囲気と共に
 水に流れ、私の様な凡人が抱く
 孤独、焦燥、恐怖、孤立などは
 とくに騒ぎ立てられず、重要視されず
 溶けた氷が流れる様に、地下へと
 堕ちていく物であります。
 それは、自然の摂理で、あります」

ある日、男が逝った。
死因は朝食だった。ゲロであった。

「しかし、私は思うのです。
 この遺文を書くにあたって
 私の様な孤独を抱いている人間は、
 この世に掃いて捨てるほどいる。
 いや、むしろ普遍的な事であり、
 私の孤独は、世界の孤独。
 人類共通する、悩み事なのではないか。
 そう思えば、無惨、薬で死んでいく私も
 何か大きな事柄に突き動かされている様な、
 そういう、使命感を帯びて逝くので御座います。」

「私の悲しみは、あなたの悲しみ。
 分かり合えるはずもなく、
 何処か手が届きそうなのに、
 必ず手が届かない、孤立し、
 氷の上に立つ私達は
 代弁として、逝く存在を強く、
 求めているので御座います。
 そう思えば、私の生は、有り難く、
 悔いもなく、幸福あり、
 命絶つことにより、逆説的に、
 命の素晴らしさを、説いた様にも、
 思う、そして満足に、逝くのです」

ある日、男が逝った。
死因は朝食だった。ゲロであった。

     

大人になれない人間の傷痕は惨めだ
大人にお菓子を強請る様に 
不気味な無邪気で 優しさを奪う
不可逆の致命傷

     

君は、デカダン主義という物を知っているだろうか。俺は知らん。主義主張が、芸術を産むとは、思えないからである。
芸術の発露というのは、最も原始的なものであり、例えば、近隣の住民が、深夜まで喧しい、うるせえ、だの、あの人間、立派なだったな。羨望、だのといった、無知蒙昧、無知の感傷から、有ずるものだと思っているから、である。

我が、このやうな主義に目覚めた人史には...諸々、偶然の連続を、まるで天命だの、光明だのとこと大袈裟に話すことが、まるで虚飾じみており、空ッポのナルシストの戯言にしか、思えんのである。王様は、成り行きで、王様になった。そこに栄光があろうか。
大志、結構。立誠、結構。その様な大言壮語の発露にも、やはり、個々の弱かったり、女々しかったりする感傷が、随意に感じられるのである。憧れは、理解から程遠い。
その人間の弱く脆い意志を、包み隠し、尊大に振る舞う為に、知識、歴史学、思想、哲学などの首飾りがあるのであって、大凡、丁寧丁重に扱いすぎると、その首飾りで首を吊るだけであったりする。何処までいっても、人間は、自身の弱さを認められないらしい。虚栄心。
無から、有ずるのは、感傷しかない。素晴らしいことだとすら、思ってしまう。弱いというのは、素晴らしいことなのだ。幾多も言うが、空洞の箱だからこそ、中に大小様々な物を、詰め込めるのだ。権威や権力に、脅かされること勿れ。自惚れるほどに、中身がない、尊重されるほどに、個性がない、というところから発露した物である。

太宰治の「愛と美について」を読んだ。恐ろしく不気味であった。太宰兄弟が、曰く、文芸サロン、作品批評会、などを喧々諤々する話なのだが、全くもって不相応というか、随所随所に、太宰一家のナルシズムを、感じるのである。

太宰が口を開く。兄弟が相槌を打ち、共に小説を作っていく。ある兄弟は、数学形体の話や、これから在るべき産まれるべき、思想学の話を、声高に叫び、それを母親が、実に微笑ましく眺めるのである。
恐ろしい沙汰である。これは一家揃って、狂人なのだ。太宰兄弟、これは自惚れて、世間の隅の様な小部屋の隅で、世界情勢云々を語り、母親はその子供の厚顔を咎めることもなく、「私の子供は偉いワネェ」などと、ほくそ笑んでいるのだ。どだい、「馬鹿なことを言いなさんな」とピシャリと咎めることもなく、ただ、子供を恐れて、ご機嫌を取り、笑顔にも見た無関係を貫き、右往左往、ただただ、子供からの毀誉褒貶にすら、怯えているのである。
誇大妄想である。お前は、理解をしていない、と言われるかも知れないが、地に足のついていない、過大な自己評価ほど、恐ろしい物はないと、思っている。
偉く、見られたいのだ。つまり、人類史に恋焦がれている訳でもなく、哲学者に恋している訳でもなく、それを語っている、己を、見てもらいたいのだ。
偉く見られたいのなら、それ相応の行動を実践するべきであって、兎も角、主義だの主張だの情勢だの云々、本に書いてあれば、誰でも暗記できる様なことを、口喧しく叫んで、それでいて「自分は立派だ」などと、偉く見られたい我欲を満たすことなど、ピシャリ、「馬鹿やりなさんな」なのである。
最近は政治について云々語る輩が多いネ。あの、気障ったらしい言い回し。プッ!ハーメルンの笛吹き、一見、立派を張る「主義者」に、連れていかれちまった。内心は分かってるぜ、道連れだろう。何々が悪いのは、これが悪いからだの、結びつけて、自分の見識を誇って、そうして、皆で、飛び降りちまいたいのだろう。これが悪いのだ!と立証して、呪って、飛び降りちまいたいのだろう。
素直にそう言やァ、まだ感じられるのに、何か何かと、身を飾る知恵ばっかりを、並べ立てやがる。主義主張の発露は、無知の感傷。人を呪って、なお、お前は、立派な人間でいたいのだ。そこに平然と居座り直して、事情通を、気取っていやがるのだ。
虚飾というものの正体は、案外それである。立派じゃねえのを知ってるから、立派な風に取り繕うんだぜ。人間は弱い。何が、悪いのか。弱くていいじゃねえか、別に。
立派じゃなくて、いいじゃねえか。首飾りばかり並べ立てて、吊っちまうくらいなら、本体を暴露して、発露しやがれ。
空っぽの箱を認めろ、そして、中身を詰めろ。時間はその為にある。そう思わなきゃ、やってらんねえじゃねえか。

     

やかんの湯気で暖を取る
独りぼっちの雪だるま眠る
春までバイバイ
溶ける犠牲眠る

       

表紙

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Neetsha