Neetel Inside 文芸新都
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ヘンプロって何のプロ?
#5

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 池袋。
 かつて「東は西武(せいぶ)で西東武(とうぶ)」と歌つたのは江戸は天明の狂歌師、山手馬鹿彦(やまのてのばかひこ)こと太田蜀山人その人であつた。
 「いけすかぬ者を袋叩きにする」場所であつたことに起因していつしか略され「いけふくろ」、その名が巷に膾炙して、言葉が慣れて崩れて今の「いけぶくろ」と濁音便化され落ち着ひた。その池袋から一里と二十町ばかり南東に下れば江戸の洛陽こと神田神保町に行き着く。これは流石に旗本神保長治をその語源とするも、殺人的な労働環境を誇りし編集プロダクションの多さと「じんばうちやう」の字面により、世人に人の這ひつくばる様を連想せしめ、「人這う町」と詠み込んで嗤つた狂歌が有りや無しや。縦し狂歌は多くあれども、誰がその身を嗤へやう。

 今日も神保町の一角に、その身憂へる男が居たり。名を坂口根暗守御無尼子(さかぐちねくらのかみおむにご)と云つた。武家の身分に非ざるに、勝手気儘に刀を帯びる不届者で、無論「根暗守」も単なる自称であつたとか。

「やや、其許(そこもと)は既に提出せしか」

編集プロダクションと云ふ処は奇妙にも、次から仕事が降り来たるにも関わらず企画コンペティションを行ふ。然れどもそれが誰の査読を以て誰の評価のもとに如何に花開くかの過程は全く明らかにされず、熟慮の末にひねり出した企画が神保小路に打ち捨てられ小便を引掛けられてゐることさへ間間あつた。

「亥の刻に出す腹積りにて候。提出前に一度通読を要し候故」
「出しそびれること無きやう」
「心得て候」

 坂口の目付であつた石黒出羽守(いしぐろでわのかみ)は、亥の刻を待たず屋敷へ戻つた。坂口は今一度企画書に目を通し、二、三のフォントや中央揃えなどを直したあと、印刷した。紙に刷つた以上もう直すこともないと判つてゐながらも気は進まず、荷物をまとめて電子箱の電源を落とすまでは企画書を懐に抱いてゐた。そして屋敷に帰る直前、坂口は老中たる前田副編集守(まえだふくへんしゅうのかみ)に声を掛けた。

「頼まう」
「如何に」
「遅くなりご無礼の段、平にご容赦下され。企画書にござりまする」
「うむ。確と承つた」
「万々頼み申し候」

 企画書にはいくつの企画を挙げてもよいことになつてゐたが、真面な者であればA4ペライチに企画一本と云ふ訳には行かぬ。無論坂口もその点は肝要と心得てゐたが、寺子屋の時分の教えでこの類のものには三つのヴァリアントを持たせることを旨としてゐた。重ねて坂口はその先後に拘泥した。一ツ目、二ツ目は謂はば拳闘におけるジャブに当る。先づは理解に易い話題を一ツ二ツ並べ立て、査読者に「ホウ、こんな物か」と思はせる。二ツ目には虚を衝くやうな案を敢へて置くことさへあつた。然し三ツ目の案には定めて満腔の熱誠を以て当つた。蓋し事物には構成の美があり、古来より起承転結や序破急と云つた概念が云ひ伝へられてゐる。終ひ良ければ全て良し、而して坂口は三ツ目にヤマを持つて来た。まだ世に広く知れ渡つてはゐない話題だが、仏蘭西発祥の舶来精神療法で、介助する側もされる側にも頗る利益あらたかだと云ふ。坂口はこの舶来療法を表した巻子が三省堂の平台にごろごろと並び置かれる様を想像して昨晩にやりと笑ひながら床に就いたのだつた。

 やはりと云ふしか無いのだが、坂口が献じた企画書、いや社内の誰しもの企画書についても、その後の委細が詳らかになることは無かつた。強制し、且つ黙殺さることが然るべき宿題だつた。編集プロダクションのこの構造の不可解さについてはここまでの連載で散々書いてきた。これ以上説明する要もあるまい。



 坂口が企画書を献じてから三月が経つた頃だつた。今日も今日とて石黒出羽守からの難詰を受けながら机上の電子箱に向かつてゐると、煙草焼けした声が坂口の覚へのある単語を口走るのを聞いた。声の主は寺西局(てらにしのつぼね)と云つた。その気位は富士の嶺よりも高くその態度は日本海よりも大きくその腹はペルリの乗りし船より黒いと部下の誰からも畏れられてゐた。社内では激めんワンタンメンを愛食、いやその吝嗇により愛好するでも無く腹に収め、その所為か不惑を二、三越えた辺りにして吹出物数多なり。蓄えた銭を裏で何に遣つているかも知れぬ処もまた空恐ろしかつた。

「左様。仏蘭西発祥の舶来精神療法にござりまする」
「何ツ」と坂口は思つた。それは過日、拙者が企画書に著した話題。それも見出しの三ツ目、拙者の本領とすべき処。それを如何にして寺西局が使ひたるか。
「如何でせう。今取り掛かりたる題材が終わつたあとに。是非に是非に頼み申し候」
坂口は一瞬、帯びていた刀を抜かうか思案した。然し今拙者が刀を抜ひては城内が騒がしくなること必定。加へて騒ぎに便乗して当局のお役人が岡つ引きでも遣はしていやうものなら拙者の打ち首獄門市中引き回しは目に見えている。無断帯刀、ダメ、ゼッタイ。
 坂口は寺西局が取材がてらの昼飯に出る頃合ひを待つことにした。裏門を出て人気の無い小路に差し掛かつたあたりで声をかけ、尋常に決闘と行くのが道理。苦々しき思ひを小指に込め、電子箱の改行釦をバチリと叩いた。音は城内に響き渡り、不気味に反響した。



「頼まう」
「何奴」寺西局は狐目をさらに釣り上げ振り返つた。
「己(うぬ)は拙者の出した企画を猫糞(ねこばば)してはおらぬか」
「猫糞」局はせせら笑つた。「よいか若造、編集プロダクションなぞと云ふのは世人の道理や了見が通用せぬ処。其方(そなた)も重々承知のことでは無かつたか」
「然しながら今般のこと、知つてゐたなら己が拙者に何か一言申してもよいことぞ」
「痴れ者」今度は哄笑した。「企画が欲しいか」
「無論」
「ならば奪ふまで。然し、其方はまだ若い。蓋し奪ふこと能はざる也。いざ」局の狐目がぎらりと光つた。

「いざ尋常に、勝負だア」
坂口は何処から落手したか二尺五寸はあらう名刀剣心斎を右に、その後局の狐目に日和つて毟るやうに胸中より取り出だした短刀を左に持つた。一本を前、一本を頭上、天地陰陽活殺の構へと来たが、頭上右に振り上げたのが太刀の方であれば釣り合ひ悪くいささか不恰好に見えた。
「妾(わらわ)に太刀で挑むとは飛んで火に入る夏の虫、イヤ飛んで湯に入る夏の武士」
地口まで叩く余裕の局であつた。それも道理、寺西局は胸から何やら黒塊を取り出すと、慣れた手付きで坂口の方へ構へた。ワルサーP38であつた。
「ええいどうしたア」掠れ声で坂口は叫んだ。如何にも、坂口にはワルサーP38は疎か拳銃の類を見た事すら無かつた。唯だ不敵な笑みを作つて黒塊を構へてゐる局が恐ろしくて堪らなかつた。

 じり、じり、と坂口は右に左に、九十九折りの要領で局に近づいた。局は間をこそ窺へど目立つて動くことは無かつた。それがさらに坂口の焦燥を強めた。
「いざ」坂口は己にしか聞こえぬ音声(おんじょう)と微かな口の動きで腹を決め、す、た、すた、すたすたすたすたと局に走り寄つた。
 局は長細い筒をこちらに向けてゐる。アフォーダンス理論で云へば、かの細長く穴の空ひた筒の筒先からは何物かが射出さるのが道理と云ふべし。坂口は気配を悟つた。蓋しその穴から射出さる物体は必然己に向かつて来る。然して局は攻撃の策とするのだ。それならば。
「居合!」坂口は歩を急に速め、完全に局の虚を衝ひた。此処ならば太刀が届く。その刹那――

どつかーん

 坂口はやをら宙を舞つた。抗力に身を任せるのは湯屋の籐椅子を連想させ愉快であつた。その内、この抗力は如何に起きたかに思ひを巡らした。そうか――己(おれ)は今、宙を舞つてゐる。局を斬つた手応へは皆無。あと一歩踏み込んでと思つた刹那に大きな土煙が上がり、己は吹き飛ばされたのだ。
 果たして推理は半ば当たつてゐた。坂口は神保町を北西に、一里と二十町ほどブツ飛んだ。

 籐椅子の感触が尻から背から消へ、坂口は垣に叩き付けられた。「痛い」と云ふ暇さへ無かつた。目を開くと西武百貨店の看板が目に入つた。池袋の東口であつた。右手にあつた剣心斎は切ツ先は欠け刃はこぼれ、槍の代はりになるやならぬやと云つた具合であつた。左手の短刀は幸ひ、その刀身の短さ故にほぼ従前の姿を保つてゐた。
「あやなき事ぞ起こりける」坂口は独りごちた。然し思案に暮るる暇無く、キュラキュラキュラ……と如何にも異様な音が聞こえて来た。それは狒狒爺(ひひじいい)――こと社長の乗つた戦車の音だつた。ドン! と戦車の長い鼻先が震へたかと思ふと、間も無く坂口の三間先に鉄球が落ち、周囲の土を削りも削つて坂口の着流しの帯近くまで飛ばした。
「狒狒爺め」寺西局は秘密裡に社長と手を組んでいた……イヤ秘密裡などでは断じて無い。普段から二人の馬は合つてゐた。それに思ひを巡らせれば、この有様も決して想像に能はない訳では無かつた。
「ええい爺め。寺西局は何処か」さう坂口が問ふと、狒狒爺の太い指は天を衝ひた。
「戯言を」さう云つて坂口は天を仰ぐ。戯言などでは無かつた。あれは舞空術であらうか。坂口には奇術に思へた。途端、パン、パパパパパンと云ふ音。坂口は足の痛みに呻く。ワルサー六射の何れかが坂口を掠めた。着流しの裾は千切れ、紅い点がみるみる円と広がつた。
「あやなき事のみぞ起こりける」坂口は口にせねば落ち着かぬかのやうに再びさう云つた。不調法な池袋の町を何処へ行くとも無し、万事窮すか、とぐるりを見廻す。不図(ふと)、一羽の巨大な怪鳥の姿を認めた。「某(それがし)は」と叫びながら走り寄ると、怪鳥、「我は『いけふくろう』と申す」と声にならぬ声を、坂口の脳髄目がけて直接響かせた。

いけふくろう。

 この東京砂漠イヤ江戸の血獄イヤ「いけすかぬ者を袋叩きにする」池袋に有りてなほ、一羽の怪鳥が拙者の一縷の望みと成り得るか。坂口は全てをその怪鳥に賭けた。血染めの着流しを捲り上げ、いけふくろうの背に跨つて「えいえいおう」と鬨の声。欠けた剣心斎をば寺西局に振りかざさんと頭上へ突き立てれば、いけふくろうも時に応じてその翼をはためかす。いざ行かん、寺西局と池袋天上の決闘なり。敵討ちにて宿願晴らさでをくべきか!



 物語は、ここから奇想天外波乱万丈、実に面白くなる訳でございますが、なんとなんと! ここでお時間という。一席申し上げました「平成編プロ立志伝」という長い長いお話のうち、【池袋猫糞局敵討ち】の一席、この続きはまた――いつの日か。

       

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