活字の海に溺れることができたなら
第二話
2
活字の海の中では、私は誰にだってなれた。
私はとある恋愛小説の主人公になった。イケメン高身長で大金持ちの男二人が私を取り合っている。そんな夢のようなシチュエーションも、活字の上では再現可能だった。
私は活字の海の中なら何にでもなれる。医者だって大学教授だって女優だって、何でも。
私は何だって手に入れることができる。都心に近いお洒落なデザイナーズマンションを手に入れることもできる。いくら白ワインを飲んだとしても酔い潰れたりなんかしない。
私は、活字の海の中で人生を謳歌した。この世の春、青春という青春を謳歌した。
でも、何をしても何だかしっくりこなかった。
そう、私の傍にはケンジがいなかったのだ。
今の現実での生活に、そこまで満足しているわけじゃない。欲しいものはたくさんある。食べたい物もたくさんある。行ってみたいところもたくさんある。
でも、私は今の生活に、そんなに不満があるわけじゃない。
ケンジが隣にいるなら、それだけで幸せだったのだ。
他のどんなものが手に入らなくたっていい。
私にはケンジが必要だったのだ。
そう気付くと、私は読書をやめた。活字の海に浸るのをやめた。
そして私はスマホを手に取った。メッセージアプリを起動して、ケンジ宛てにメッセージを送った。
既読はつかないかもしれない。でもそれでもよかった。
来週の日曜、午後一時。いつものカフェでまた会いたい。
重い女だと思われるかもしれない。この歳になって、どうしてこんな高校生の頃のように一途な思いを抱いているのか、私にだってわからない。
でも、この想いはもう止まらないのだ。
約束の場所にケンジが来なくたっていい。私はずっと待ち続ける。
そしてもしケンジに会えたのなら、もう一度ケンジとやり直したい。
私はケンジにそう告げるつもりでいた。
そう決めたのだ。