朝酒日記
月の終わりは、いつどこかの三日月
風はまだ秋の半ば。そよそよと肌をくすぐる。
秋の香りに胸を弾ませて、短い季節のために。
気分や音楽を言葉にするのは、とても難しい。
秋の音楽は鳴り響いている。でも、言葉は?
言語化する作業についての僕が語ることのは
今にも風に揺らいで飛んでいきそうな言の葉。
秋の香りに胸を弾ませて、短い季節のために。
気分や音楽を言葉にするのは、とても難しい。
秋の音楽は鳴り響いている。でも、言葉は?
言語化する作業についての僕が語ることのは
今にも風に揺らいで飛んでいきそうな言の葉。
ゆらゆら、景色はゆらゆら。酔っ払っていることが原因で。
ときどき、気分はどきどき。これもたぶん、酔っ払っていることが原因で。
頭の半分はぐちゃぐちゃ、もう半分はどろどろ。
だらだらと一日を過ごし、もんもんと時間は過ぎて。
ときどき、気分はどきどき。これもたぶん、酔っ払っていることが原因で。
頭の半分はぐちゃぐちゃ、もう半分はどろどろ。
だらだらと一日を過ごし、もんもんと時間は過ぎて。
今日忘れた言葉が明日の詩になるらしい。
忘れた言葉ばかりの毎日だから、僕はたぶん詩人になれるだろう。
近くで魔法を爆発させる音が鳴り響いて、遠くで鳥が鳴いて、彼方でうめき声が聴こえる。
これがこの街の毎日だ。曲がりくねって、立ち止まるたびにうずくまる人たち。
虹色の川で髪を洗って死ぬ人たち。重金属の雨のなか隠れんぼをして死ぬ人たち。
この城郭都市は生きるだけで何もかもを要請してくる。そうできなければ、ついてけなくて、死ぬだけだ。
くう、ねる、さけぶ。とことん生きている。
忘れた言葉ばかりの毎日だから、僕はたぶん詩人になれるだろう。
近くで魔法を爆発させる音が鳴り響いて、遠くで鳥が鳴いて、彼方でうめき声が聴こえる。
これがこの街の毎日だ。曲がりくねって、立ち止まるたびにうずくまる人たち。
虹色の川で髪を洗って死ぬ人たち。重金属の雨のなか隠れんぼをして死ぬ人たち。
この城郭都市は生きるだけで何もかもを要請してくる。そうできなければ、ついてけなくて、死ぬだけだ。
くう、ねる、さけぶ。とことん生きている。
世界は大きな大きなジョーク。ひと塊りの。
真剣になるには馬鹿馬鹿しいけれど、無視するには矢鱈と生き生きしている。
冷笑して住むのが賢者の姿なんだろうけれど、嘔吐して寝転がるのが愚者として正しいありさま。
それでも僕は賢人だ、なんて思っているのが、僕の救えない部分だ、と僕自身わかっているし、それが僕のアイデンティティだ、と僕は半ば思っている。
街を歩く。酒を飲みながら街を歩く。
道で寝る人や歩く人。10mを行ったり来たりする人。ひとりで喋って相槌を打つ人。叫ぶ人、無言の人。
彼らはたぶん、全員が真理を掴んでいる。酒を持たずに街にいられるのだから。
あるいは、街にいる重みを、寝たり、歩いたり、喋ったりして、解消しているんだろうか?
さてさて、全てがジョークなら、この言葉もジョークなんだろう。だから世界はジョークじゃないのかもしれない。そして世界はジョークなんだ。ジョークじゃないから。以下省略。
ことばはそういった可能性も含んでいる。嘘つきのクレタ人とは違うあり様だ。あるいは自己言及の不完全さ。
そう考えると、たまに真剣になってたまに鈍らになる、そんなあり様が正しいのかもしれない。
真剣になるには馬鹿馬鹿しいけれど、無視するには矢鱈と生き生きしている。
冷笑して住むのが賢者の姿なんだろうけれど、嘔吐して寝転がるのが愚者として正しいありさま。
それでも僕は賢人だ、なんて思っているのが、僕の救えない部分だ、と僕自身わかっているし、それが僕のアイデンティティだ、と僕は半ば思っている。
街を歩く。酒を飲みながら街を歩く。
道で寝る人や歩く人。10mを行ったり来たりする人。ひとりで喋って相槌を打つ人。叫ぶ人、無言の人。
彼らはたぶん、全員が真理を掴んでいる。酒を持たずに街にいられるのだから。
あるいは、街にいる重みを、寝たり、歩いたり、喋ったりして、解消しているんだろうか?
さてさて、全てがジョークなら、この言葉もジョークなんだろう。だから世界はジョークじゃないのかもしれない。そして世界はジョークなんだ。ジョークじゃないから。以下省略。
ことばはそういった可能性も含んでいる。嘘つきのクレタ人とは違うあり様だ。あるいは自己言及の不完全さ。
そう考えると、たまに真剣になってたまに鈍らになる、そんなあり様が正しいのかもしれない。
面白いことを書こうと思っている。それ以上に綺麗な文章を書こうとしている。
果たしてその企ては達成しているのか。僕以外の人が考えることなので、考える必要は実はない。
そう思うと、実のところ、自分が人にどう好かれてるとか、人にどう嫌われてるとか、思い悩む必要はないのかもしれない。
結局ものさしは自分で、影響を受けるたびにものさしの尺度は変わってしまう。
見ると聞くのあいだ、そのあたりに僕は立っている。
果たしてその企ては達成しているのか。僕以外の人が考えることなので、考える必要は実はない。
そう思うと、実のところ、自分が人にどう好かれてるとか、人にどう嫌われてるとか、思い悩む必要はないのかもしれない。
結局ものさしは自分で、影響を受けるたびにものさしの尺度は変わってしまう。
見ると聞くのあいだ、そのあたりに僕は立っている。
最近の驚きは、世間が理性的じゃないってことだ。
おっきな隕石が真上に落ちてきているのに、仕事を休む電話をかけるか悩む若者。
あと2日で死ぬのが分かっているのに、誰にも連絡できない老人。
彼らは恥というものを持っている。それはけだものとヒトとの違いだろう。
生きるためなら理性はいらない。
そして、こんな死が間近な人より、世間はだんぜんに理性的ではないのだ。
僕はゲロを吐くのが仕事だ。それ以下が世界にはたくさん、山ほどいるのだ。
生きる糧にすらならない人々への乾杯。デッドフィッシュを崇めるような。
おっきな隕石が真上に落ちてきているのに、仕事を休む電話をかけるか悩む若者。
あと2日で死ぬのが分かっているのに、誰にも連絡できない老人。
彼らは恥というものを持っている。それはけだものとヒトとの違いだろう。
生きるためなら理性はいらない。
そして、こんな死が間近な人より、世間はだんぜんに理性的ではないのだ。
僕はゲロを吐くのが仕事だ。それ以下が世界にはたくさん、山ほどいるのだ。
生きる糧にすらならない人々への乾杯。デッドフィッシュを崇めるような。