Neetel Inside ニートノベル
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小説になろう
「彼」について

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「君は強いよ」

誰もいない教室でそれを言われた時、彼が少し泣いているのを僕は視界の端に見た。彼は卒業までいじめられた僕を助ける事はしなかったし、他の人たちと同じく、傍観者であり続けた。だけど僕は今、彼に感謝している。彼がいたから僕は学校へ行き続ける事が出来た。今日はその話を書こうと思う。一度しか会話を交わしていない僕の友人について。

学生時代、僕はいじめられ続けた。過激な苛めは無かったけれど自殺したくなるほどではあった。ここで僕が受けたイジメの具体的内容を書いて字数を稼ぐというやり方を取ってもいいけれど、それを僕はしない。だって僕が書くべきは僕の心身に重大なる被害をもたらしたあの下等についてではないからだ。僕が目を向けるべきは、心を向けるべきは僕にあの言葉をくれた彼についてであるべきだからだ。

その日、僕はいつものようにイジメられて落ち込んで教室にいた。泣いてはいなかった。イジメられた事が有る人なら分かるかもしれない。つらい事があった時に即時的に泣くほどの感情の発露は長期間のイジメで次第に出来なくなっていった。同時に日々の鬱積した感情が突然爆発してしまう事が増えた。簡単に言うと感情のコントロールが出来なくなった。

僕はある日には、一人で返っている途中に急に涙が出てきて駅のトイレで泣き続けた事もあった。またある日には、空に向かって叫ぶこともあった。でもイジメられてる時にはただ無表情に耐えていた。それでも動悸や胸痛はやられる度やってくるから苦しくはあった。放課後には大抵、教室に一人になるまで無表情に教室で机を眺めていた。皆、僕の事を気が触れていると思っていただろう。今、読者の方々もそう思われたかもしれない。でも違う。あれは正常な反応だった。異常になる事で異常な状態に耐えようとしていた。だから僕はあの頃の自分を本質的には異常とは思っていない。クレバーな対応だったと誇る事を「決心」している。兎に角、僕はよく放課後の教室にいた。もちろん、そんな時にも下等が出現して僕をゴミのように扱い、笑いながら帰っていくという経験を時々にしては、僕は窓から飛び降りようとする衝動を必死で堪えていた。

だけどその日、現われたのは下等ではなく、彼だった。幸運だったと僕は今でも思う。彼はクラス内で上手く立ち回る人気者だった。3番手くらいの人気者だった。僕は最初、彼は忘れ物を取りに来たのだろうと無視していた。暫く彼は自身の机のところで何かをした後に僕のところへやってきた。そして缶コーヒーを僕の席に置いた。その時の感情は今でも覚えている。学生時代、僕は缶コーヒーを買う事が無かった。炭酸ジュースばかりを飲んでいたからコーヒーのブラックを差し出されて戸惑ったのを昨日の事のように覚えている。そして彼がコーンポタージュを持っているのを見つけて、もし友人関係であれば「そっちが良い」と言ったりするのだろうかと考えていた所まで覚えている。

「毎日、大変ですよね」

そういわれて、僕は一気に惨めになった。もしも友人だったらと妄想をしている最中だったから、そこから一気にクラス最下層に位置するイジメられっ子へとなり、井戸の底から彼を見上げる気持ちで彼を見た。僕は何も言わずにコーヒーを手に取った。

「120円です」

直後に彼から、井戸の上から聞こえた声で僕はすぐにコーヒーから手を引いて、太ももの上で拳を強く握った。そして唇を噛んだ。僕に心を許せる人などこの学校にはいなかったと、思考を緩ませた自分を恥じた。

「冗談です」

そう彼から言われても僕はもうコーヒーに手を伸ばさなかった。帰り支度を初めて僕は席を立つと、彼は「ごめん」と大きく頭を下げてきた。僕は一人だった。孤独だった。誰も信じないと強がってもやはり、人と話したかったのだろう。僕と彼は話をはじめた。自宅はどこから来ているのか、家族について、趣味について、読んでいる漫画について、部活はしなかったのかなど。話し始めると意外に楽しく話せた。ただ、僕らはお互いが敬語だった。彼も何で敬語なんですかと敬語で僕に問うたが僕も彼もどうしても敬語だった。

そして彼は彼自身の事を話してくれた。彼は僕の苦しみを知っていた。誰にも認められない。だれからも軽視される存在、僕について言えば馬鹿で顔も悪くて人並みに話すことも出来ない。そんな人間に対して他人がどういう関わりを始めるか。彼は知っていた。彼も以前、いじめを受けたことがあったと教えてくれた。その日、彼は僕に彼自身の秘密を見せてくれた。僕はそういう事をされたことも、それに耐えかねて行為に至ったこともなかったから、それを見た時、ぞっとしたのを覚えている。同時に、話始めてから彼に対して心のどこか湧いていた「苦しみが分かるなら何で僕を助けてくれないのか」という甘えに近い怒りも瞬時に消え失せた。そして彼は僕に言った。

「君は強いよ」

敬語ではなかった。

彼は不登校になった時期があったと教えてくれた。そして僕があと少しで卒業と言うところまで通い続けている事をすごい事だと言ってくれた。僕が入学後ずっといじめられているのを彼は見ていたのだろうか。ただ「彼」を見た後の僕は、あなたの方こそ強いと思った。でもそれを口にはできなかった。言うべきか迷ったからだ。

翌日から僕はまたいじめられて苦しんだ。つらくなると彼との間の物語もすべて忘れて、彼を含める全てを、世の中を憎んだ。社会も世界も、何もかもを憎んだ。だけど少しの余裕が出来て、彼を思い出すとまだ頑張れるようにも思えた。俺は、俺が通い続ける事は―朝死ぬほど嫌だと思いながら玄関を開けて外へ出る事は―誰かを勇気づけているかもしれないと思った。彼は楽しく毎日、友人たちと話していた。生活をしていた。それを見て憎しみも沸いた。だけど彼の秘密を思い出すと憎しみも和らいだ。勇気が湧いてきた。僕は彼の苦しみを知ってしまっていた。きっと僕以上に苦しんだのだろう。僕が耐えきる事には彼にとっても意味があるように思えた。

もちろん、そう思えた日々ばかりじゃない事を僕は強く言っておかなければならない。強調しておかねばならない。人の感情は動く。時には、いや正直に言うと殆どの時間を僕は憎しみや怒りで満たした。だけどそうじゃない時間を僅かでも作り出すことが人には出来る事を学んだ。

これは読者に対して初めに言っておくべきことだったかもしれない。僕の物語は壮大で勇敢な物語じゃない。大きな成功も無い。彼のような不幸も背負っていない。人から見たら人並み以下に扱われた人間の矮小なる物語だろう。ゴキブリが家主から逃げ惑うような物語だろう。だけど僕は断言しないといけない。ゴキブリの方が下等よりも全く立派だという事を。必死で生きている。俺もまた必死で生きた。彼も。あの日々を、たとえ平凡な日々を過ごす大多数のバーコードとの比較により「何で俺に、俺にだけあんな不幸が」と呪ったとしても、また意志の力を取り戻して、あの不幸は俺に気づきを与えてくれたと思う瞬間を創出できる。自暴自棄になったその先に、また動き出そうとする自分がいるはずだと信じれる。

ただ実は僕の今もあまりあの頃と状況は変わっていない。「不幸を克服した僕は仲間が出来て楽しく毎日生きてます」って主人公にはなれていない。毎日打ちのめされて打ち捨てられる日々だ。毎日、孤立するだけの仕事へ行くのが死にたくなるほどに本当に嫌で、毎朝玄関で動けなくなる。それでも何とかドアノブをまわして外へ出て仕事へ行く。そんな小さな物語を僕は生きている。世のご立派な方々からはそんなのは当たり前だ、語ってくれるな迷惑だと言われる物語だ。世界の9割にくだらないと言われる物語だ。だけどあの日、彼の地獄を見た僕が、自分だけではないと救われたのと同じように、自分の物語が誰かの救いになればと身勝手な夢を見ている。世の人は言う、不幸自慢をするなと。違う。過去も不幸も極言すれば道具だ。彼に提供された彼の傷を、言葉は悪いが僕は道具として使った。それと僅かでも同じ状況を私の小さな不幸で、稚拙な文章で再現したいと願っている。

今、彼との物語を書き終えて再度考えていた。僕は何故、放課後に残っていたのだろう。何でさっさと帰らなかったんだろう。僕は異常な状況に耐える為に異常な行動を取ったと先に書いた。

異常な状況が去った今なら、意味は更新できる。彼との話を書き終えた僕は新しい意味づけを僕の過去に行う事が出来る。きっと今日のこの投稿を締めくくる最後の一文に使う為だろう。あの時に彼に差し出されたのと同じ銘柄の缶コーヒーを一口飲み、そして記者のインタビューに答える有名作家のようにPCの前で顎を手で触りながら呟く為にだろう。

―僕は彼に出会い、今回彼との物語を書く為に残っていたのだ―


       

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