Neetel Inside 文芸新都
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土の中
第1話 あの子が気になる

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第1話

 わたしには気になる女の子がいる。名前も知らないけれど、ここのところずっとあの子のことが頭の中にあって離れない。
「今日もいるね……あのおかっぱ」
 小学校への登校途中、友達のしずくちゃんがわたしの耳元にそう囁いた。
「なんでヒソヒソ声?」
「え、だって、もし聞こえてこっち襲いかかってきたら怖いじゃん……ねえ?」
 そうそう、怖いよねあの子。集団登校している他の子達もしずくちゃんに続いた。
「いまどきおかっぱは怖いよね」
「ホラー映画の世界の人だよね」
「あの格好のまますごいスピードで近寄ってきそう」
 みんなの発言に頷かず、わたしはもう一度あの子の方を見た。朝日に背を向けて、公園の砂場に跪き、額を地面にくっつけている。わたしはその姿をあらためて目に焼き付けた。
「……そんな攻撃してきそうに見える?」
「見えるよ!」
「すずねちゃんにはあの子が無害そうに見えるの?」
「うん……だって、実際に誰かを襲ったって話もないでしょ?」
「それはないけどねー」
「でも怒らせたらなにするかわかんないよ」
「……それは怒らせる方が悪いんじゃない?」
 あー、そっかー、そうかもねー、と場の風向きが変わってきて、わたしは少し安心した。
「ていうか、早く行こうよ。また遅刻しちゃう!」
「柴崎先生にまたぽこんってされちゃうよ」
 柴崎先生のぽこん。五年生から新しく担任になった柴崎先生は、ヘマをした生徒に綿で出来た刀のようなもので叩いてくる。その時にプーというなんとも間の抜けた音がするのだった。痛くもなんともないのだけど、恥ずかしさはすごい。みんなの前で笑いものになるのは避けたかった。それはしずくちゃんたちもどうやら同じようだった。
「ぽこん回避のダッシュー!」
 しずくちゃんがさっきのヒソヒソ声の十倍くらい大きな声を出して駆け出した。みんな後に続いていく。あの子をもう一度だけ見て、何も変わっていないことを確認してから、もちろんわたしも。

 浄水器が使えないことに気付いたのは、その日の帰宅直後だった。カートリッジの交換時期を示す赤い表示灯が灯っているので、浄水モードで水を出したとしてもそれは実質ただの水道水と変わらないので、使えないのと同じなのだった。
 これには困ってしまった。のどがカラカラで帰宅してしまったので、今すぐに水を飲みたい。だけどただの水道水は臭すぎて飲めない。浄水器を通していない水を口に入れるのには絶対に嫌だった。
「――仕方ないなぁ」
 わたしは居間にあるたんすの下から二段目の棚を開けて、中の貯金箱の蓋を開けた。「どうしても困ったときには使っていいよ」と母親から言われているお金だった。水がいくらか知らないけれど、二百円あればきっと買えるだろう。

 玄関から飛び出して、脇目も振らずに近くのコンビニで500mlのミネラルウォーターを買った。二百円を払って九十円が戻ってきた。
 コンビニを出てすぐにキャップを開けて水を飲む。のどが鳴る。危ないところだった。
 ――そういえば。
 母親は冷たい飲み物を飲みすぎるなと言っていた。白湯にして飲みなさい、と。若いうちから内臓を温めることを覚えておかないと、大人になってから苦労すると何度言われたことか。
 それはごめんなさい、でも、仕方なかったんだよ。コンビニには白湯売ってないし。この場にいない母親に言い訳するのもおかしいな、と思いながら今度はゆっくり歩いて家に帰ろうとしていたところで、公園の前に辿り着いた。
 あの子、まだいるかな――いた。
 そうなのだ、あの子は毎朝、そして毎夕ああしているらしかった。欠かさずやっているかまでは毎日見ているわけではないから分からないけど、きっとたくさんやっていることは確かだと思った。あの子は真面目に決まっている。
 今は止める人が誰もいない。しずくちゃんも他のみんなもだ。この瞬間、公園にはわたしとあの子だけ。それに気付いた瞬間、足が動き出していた。砂場に踏み入れて、あの子の前でしゃがんだ。
「こんにちは」
「いつも見てるよ朝が多いけど」
「がんばってるよね」
 しゃべってるのはわたしだけで彼女は何も反応しない。なんだか慌ててしまって、口数ばかり増えてしまっている気がした。
「夏だけどこの時間はちょっと風が冷たいね」
「大丈夫? 水飲む?」
「……いつも、なにしてるの?」
 最後、ついききたくなってしまった。なにをしているのか、ただただ知りたい。
 五時半のチャイムが鳴った。
「かーらーすーがーなーくーかーらーかーえーりーまーしょー」
 リズムが遅いからつい間延びしてしまう。
「……からすといっしょにかえりましょ、じゃない?」
「あ、そうだっけ?」
 額にこびりついた砂を払う素振りも見せない彼女のことをかっこいいと思った。わたしの顔はきっと火照っていて、頬を触ると実際熱っぽい感じがした。
「さようなら」
「う、ち、ちょっと待って!」
「なに」
「あ、ええっと、そうだ、先生が言ってたんだよ。うちの担任の柴崎先生が。最近変質者が増えていて、小学生の女の子でも構わずさらっていくんだって。特に遅い時間に一人で行動するのは危険だって。つまりついていくよ」
「……あたしは、ただ、聞きたいと思ってやってるの」
「聞きたい? 音を?」
「音じゃない」
 彼女は続きを言わずに、わたしに背を向けて歩き出した。
「危ないよ! ついていくよ!」
「ついていきたい!」
 わたしの悲痛な叫びは彼女に届かなかったようで、むしろ大股になってどんどん歩幅が広がっていき、すぐに姿が見えなくなってしまった。
 わたしはペットボトルのキャップを開けようとした。すでに開いているし、そんなに強く閉めてもいないのに、指先に力が入らなくてなかなか上手く開けられなかった。
 わたしは水を一口含んで、それを砂場に向かって吐き出した。乾き切った砂に水はあっという間に染み込んで、そこだけどす黒い色に変わった。
 音のわけがなかった。音を聞きたいなら、額じゃなく耳をつけるはずだから。わたしは、しくじったなと思った。

       

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