電世海
15:In The Park
「ルミナ、今日はお父さんいるの?」
「んーん。しばらく帰れないって昨日電話で言ってたからいないよ」
雛の問いに答えながら、ルミナは網膜認証を行う。データのやりとりが0コンマ数秒で行われ、ドアのロックが外れる。
網膜認証キーも普及しているとはいえ、まだ『電力制御装置』で通常の生活をしている沢口には物珍しいらしく、ルミナの一挙一動をガン見していた。
指先ひとつで空調を操作すると、一瞬にして部屋の空気が一新され、涼しくなる。
モノトーン調の室内に人の気配はなく、とても静かだ。
「こっち」
ルミナが開いた扉の向こうには、6畳ほどの室内。空屋のように無駄なものが一切排除されたその室内に、大型の仮想空間構成装置が置かれていた。
「まずこれがあるのがスゲーよな。てか最初からルミんちで実験すればよかったんじゃね?」
「古い型でね、おとーさんしか使えなかったの。最近私も扱いに慣れてきたから、だいじょぶかなって」
「あ」と呟いたルミナはくるりと踵を返し、「待ってて!」と言って部屋を出て行った。
沢口は仮想空間構成装置のそばまで行き、まじまじとそれを眺めてみる。
空屋はND社の管轄の下、規約への絶対遵守を約束した上で援助を受けて営業を行っている。学校等の施設も特別援助の対象となっている。
仮想空間構成装置で何かあったときの責任はND社とその装置を配置している場所に掛かる。そのため、法人や会社等が所有することはあれど、個人で所有するケースはあまり聞かれなかった。
何より、個人で持つには価格が約3億と法外だ。
特許は取っていないものの、構造が複雑かつ不可解なのだという。
ある男が宝くじで当てた3億で仮想空間構成装置を買い、それを分解した。だが、装置はただのPCとプロジェクタを組み合わせたような構造になっているだけだった。
この装置の模造品を作成し金をもうけようとした彼は、同じものを作らせてみた。だが、その装置はただのプロジェクタとしてしか動作しなかった。
何か、NDが提供している装置にあって、模造品には存在しない部品があるらしい。
「私の家にもこれはない」
「だよなー でもピィんちならあっても隠せそうだけどな」
「…まあ隠すのは簡単だと思うけど、隠す意味がわからないから隠してないと思う」
雛と沢口が装置の前で言葉を交わしていると、ルミナがトレイに麦茶を入れたコップを4つ載せて戻ってきたところだった。
「特訓は一休みしてからにしよ?」
暑さに疲れていた三人は、ルミナの申し出に素直に頷いたのだった。
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「じゃ、はじめよっか」
ルミナが仮想空間構成装置のコンソールに手を伸ばす。
いつも何とはなしにセスの仕事になっていた作業をルミナが行っていることに、沢口は少し違和感を覚えた。
隣にいるセスも同じらしく、少々手持ち無沙汰な様子で腕を組んでいた。
セスより速度はだいぶ劣るものの、ルミナは正確なキータイピングで空間の構成コマンドを打ち込んでいく。
パチンとコントロールを弾いた次の瞬間、沢口たちの意識は仮想空間へと移動した。
沢口が目を開くと壁だらけ―――ということはなく、無事に移動を遂げたようだ。
目の前には広めの公園。そしてその周りには住宅街が広がっている。
周りを見渡している三人に、ルミナが言う。
「目標物があったほうがいいかなって。昔おとーさんが作ってくれた公園のデータ読み込んでみた」
「いいのかよ、吹っ飛ばしちまうんだぞ」
「だいじょうぶ、バックアップ取ってるから」
そういう問題かなあ、まあルミがいいならいいかあ。沢口は少々釈然としない顔で呟いている。
「イチ、来て?」
ルミナが携帯端末に呼びかけると、縦に空間が割れ、その隙間から黒髪の少年が姿を現した。
ルミナのドール、『壱』だ。
やや小柄な壱は、大きめの黒いジャケットの中にチャコールグレーのTシャツを着ていて、細い黒のパンツを穿いている。
ジャケットのポケットに手をつっこんだまま出てきた壱は、ふああ、と軽く欠伸をした。眠いらしい。
「壱、また眠いのかよ?」
『だって今日、火曜日じゃないし』
ルミナのドール『壱』は、どうやら本気で稼動してくれるのは火曜日だけらしい。
どういう理由があるのかはわからないが、たしかに火曜日以外の彼は半分寝ていて気だるそうで、火曜日に見る壱は、普段の壱とはたしかに別人のような冴えようだった。
両腕を上げ、伸びている壱に、沢口が問う。
「なー壱、何で火曜日の壱はスゲーの?」
『さー。そういう風にプログラミングされてるから、としか言えないなあ』
ドールの悲しい宿命だよね、と首を傾げて欠伸交じりに壱は言う。
『プログラムに書かれたとおりにしか動かないのが今のドールだから。まあ、仕方ないって思ってよ』
「…まー、それはいいんだけどさ。何で、『火曜日』なんだろな?」
沢口が引っかかっていたのは、『火曜日である必要』だったようだ。
壱は一瞬黙って、それから口を開く。
『僕の『昔のお仕事』が火曜日だった名残だろうね』
「昔のお仕事?」
『バックアップと、ウィルスチェックさ』
納得した沢口は、ああ、と頷いている。
『今のお仕事はかわいい『妹』ルミナのお守り。で、どうしたの?』
「あのね、コーちゃんの特訓なの」
『特訓?』
首を傾げた壱に、ルミナが拙い説明を繰り返す。
あまり論理的ではないその説明よりも、見せたほうが早いと判断した雛は、映像機能特化ドール、くまの『キャベツ』を呼び出した。
「キャベツ、映像を壱に見せてあげて」
『………』
無言でこくりと頷いたキャベツは、短い左腕をかざして自分の左方に映像を出す。
飛び掛かるウィルス、沢口の手から放たれる光の帯。
壱は眠そうな表情を一瞬だけ驚きに変えて、もう一度眠そうな顔に戻した。
驚きよりも眠気のほうが勝っているらしい。
『…キャベツ君、もう一回見ても?』
『………』
キャベツは頷き、同じ映像を繰り返して見せた。
壱は無言で映像を眺めていたが、数秒で終わるその動画を見終えた後、ルミナたちに向き直る。
『この力を、コウ君が使えるように特訓、ってこと?』
「そう!」
『…なるほどね。』
まあ、ルミナが望むなら、僕は手を貸すだけだね。壱はそう言い、小さく頷いた。
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「うおおおおオアあぁあぁぁぁあああっ!!」
渾身の叫びとともに虚空に突き出される沢口の両手からは、毛ほどの光も放たれない。
ルミナと雛はブランコに乗り、セスはベンチに腰掛けて、沢口の様子を見守っている。
沢口の傍らに立つ壱は、眠そうな顔をしながらも、先ほど記憶した映像の通りのモーションを取れるよう、形の修正をしてやっている。
かれこれ30分ほど『特訓』しているが、目立った効果はなかった。
そろそろ叫びつかれてきた沢口が、地べたに腰を下ろしてしまう。
「やっぱムチャじゃねー…?まず俺声がでねえ」
かすれた声で呟いて、項垂れている沢口に、壱は軽い調子で声をかけた。
『さっきの叫びはカタカナが交じってたからダメなんじゃない?』
「マジ?なんで壱そんなこと分かるんだ?さすがハイテクドールだな!」
『………いや、うん、まあね』
冗談で言ったのに真に受けられた壱は、しゃがみこみ、座りっぱなしの沢口の肩を軽く叩いて苦笑した。
「…?何か言ったか?壱」
『何も言ってないよ。…ほら、コウ君もう一回』
「マジデスカ」
『マジデスヨ。ほら、次はこの前と状況を似せてみよう』
そう言った壱は、自身のコピーを複数体呼び出した。アニメで見る分身の術のように、一瞬で壱の姿が増えていく。
沢口はぼうっと座りっぱなしでそれを見ていた。
『僕は本気で飛び掛かるから、コウ君は本気で吹っ飛ばすこと。大丈夫、これはコピーだから』
「えー…」
『行くよ!』
沢口の返事を待たずに、壱のコピーが飛び掛かってくる。
「ちょ、わああああああああああ!!」
体勢を整える間もなく上から飛び掛かってくるたくさんの壱に、沢口は思わず手をかざし、叫んだ。
そして、手に光が集まり、そして放たれた。
光を浴びた壱のコピーは跡形もなく消え去り、沢口は手をかざしたまま、ぼうっと座っているだけだった。
傍らに立っていた壱の本体は、沢口が自分のコピーを吹っ飛ばしたその様子にパチパチと手を鳴らす。
セス、雛は初めて実際の電子弾を見て、ルミナは改めてきちんと見て、言葉を失っていた。
確かに沢口の手から放たれた光は、壱のコピーを跡形もなく消し去った。
沢口は座りっぱなしで手を空にかざしていたため、空の一部が掻き消えて、白い無機質な空間を晒している。
『…ほら、やっぱセリフにカタカナが混じってたのがダメだったんだよ』
そういって壱は笑い、『もう眠いから、またね』とルミナに手を振って、そして電子の海に消えていった。
「コーちゃん!できたね!!」
「うぇ?あ、ああ…そうだな」
「一歩前進だな。後はコレを任意で出せるようになることが肝心だが」
「…信じられない…でも、ほんとなんだよね…」
各々思い思いの言葉を口にしながら沢口の許へ近づいてきていた。
当の沢口は思い出したかのように立ち上がって、尻についた砂を払って、払ってからここが電脳空間だったことを思い出して払うのを止めた。
「コウ。もう一回できるか?」
「…やってみる…」
沢口自身、次はできるという確信があった。
今回は、光が手から放たれるプロセスを認識する余裕があったからだ。
コードを組むように、一つ一つのロジックを重ねていく。手が光る。
沢口がかざした手から、強い閃光が迸る。
光は公園の遊具の一部を吹き飛ばし、その後ろの住宅街の姿も白で塗りつぶしていた。
セスたちは歓声に近い声を上げていたが、沢口は一人、
「何だよ、コレ…」
怪訝な表情で自分の両手を見つめていた。