電世海
16:Beautiful World-01
「昨日さ、仮想空間で『歌うユーレイ』を見かけたんだよ!」
「ああ、噂になってるよね。マジで見たの?」
「マジマジ!何の歌かはわかんねんだけどめっちゃ巧いんだよね」
「へー…でもあれってさ、どっかの会社が新製品のPRのために『放し飼い』してるドールなんだろ?」
「そういう噂だよな。でも俺が言いたいのはそこじゃなくてさ、そのユーレイがさ…」
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1時間目の授業と2時間目の授業の間の休憩時間。いつものようにざわついている教室で、雛は次の英語の予習の確認を行っていた。
右隣の沢口はと言うと、早弁用のパンを購買に買いに行く、と1時間目終了後即教室を出て行ってしまった。彼は予習などしていない。
きっと授業中あてられたとしても、沢口はテキトウに答えるだけだ。
そしてそれが意外と正解で吃驚されるか、またはテキトウすぎて怒られるかのどちらかだ。
雛は自分の性分的に、完璧とはいかないまでも、それなりの予習をしておきたいほうだ。
昨日は沢口の特訓で慌しくて、予習がおざなりになってしまった。
案の定最後の一文の訳が眠気に負けたのか意味不明なものになっていて、雛はすぐにそれを修正した。
最後の一文を修正したあとも、雛はまだ意味不明な箇所がないかノートに軽く目を走らせていた。
「雛」
呼び声に雛が顔を上げると、そこには憔悴した顔をしたユキノがいる。彼女は目に見えてやつれていた。
「どうしたのユキノ?…顔色悪いけど、大丈夫?」
雛が問うと、ユキノは後の問いには肯定も否定もせずに話を続けた。
「雛にね…相談したいことがあるの…」
「私に?うん、いいけど」
今?と雛が訊くと、ユキノは首を横に振った。
「お昼に、聞いて欲しいの。雛は、チームの人とお昼食べてるんだよね?」
「うん」
「雛と、あの…セシル君に聞いて欲しいことがあって」
「セス君?」
こくりとユキノが頷く。ユキノとセスに接点はないはずだが、一方的に知っているのだろう。
雛たちの学年でセスのことを知らない人間のほうが少ない。
それでなくても雛たちが幼い頃、セスは天才少年としてマスメディアに引っ張りだこになっていたのだ。この学校にいると知らなくても、セスの名前とその天才的頭脳は大半の人が聞いたことがあるだろう。
「いいかな…」
「うん。多分セス君ならちゃんと聞いてくれると思うよ」
「…そう…」
「あと、コウと隣のクラスの月島さんがいるけど、大丈夫?」
「うん、大丈夫。じゃあお昼に…」
そう言って力なく微笑んだユキノは、自分の席に戻った。
その姿を目で追いかけていた雛は、廊下で数人の男子生徒が集まって、ユキノのほうを指差して何ごとか話しているのを見つけた。
「…?」
ユキノは大人しくて目立たないが、小柄で眼鏡が似合っていて、小動物のようなかわいさがある。
男子にもそれなりにもてるようだが、廊下で話している男子生徒の様子は、恋の話をしているような雰囲気ではなかった。
もっと、好奇心からくる興味のような―――そんな様子だった。
雛が不審に思ったところで始業のベルが鳴り、男子生徒たちは蜘蛛の子を散らすように走り去っていった。
彼らが散ったあと、沢口がパンを3個抱えて教室に駆け込んできた。
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4時間目終了後。
休憩時間に買って来たパンを授業中に3つ平らげた沢口が真っ先に「メシだー!」と立ち上がった。
雛は沢口の胃の構造を不思議に思いながら、立ち上がった沢口に声をかける。
「今日は音楽準備室でご飯だから」
「へっ?音準?」
ちょっとね。と呟いて、雛は既にいなくなっているユキノの席を見遣る。
2-3時間目の間の休憩時間に、ユキノは雛に一言だけ「お昼、音楽準備室に来て」とだけ告げると、そのまま教室から出て行ってしまった。
3-4時間目の間の休憩時間も、購買に駆けて行った沢口のように、ベルが鳴ったと同時に出て行って、ベルが鳴るころ戻ってきていた。
そして、雛たちのクラスの廊下に集まる男子生徒の数は、時間を追うごとに増えていた。
「へ、でも俺メシねえ」
「ルミナとセス君がさっきの休憩時間にコウのぶんも買ってくれたらしいから大丈夫」
メシのためだけに生きているような沢口は、雛の言にひどく安心した顔をした。
ひどく安心したその後、われに返って不平そうな顔をする。
「早く言ってくれればいいのによ」
「だってコウ休憩時間いつもいないじゃない」
「…スミマセン」
普段は言い合いなどしないが、沢口が口で雛に勝てたことはない。
行こう、と雛が立ち上がるのに、沢口はその後ろをついていった。
音楽準備室は教室がある棟から渡り廊下を歩いていかなければならない。
音楽室以外ないため、人はいない。
廊下を抜け、螺旋階段を上りきったところに音楽準備室がある。
音楽準備室の前には、ルミナとセスがそれぞれビニル袋を持って立っていた。
ルミナは階段を上ってきた沢口と雛の姿を認めると、大きく手を振る。
「コーちゃーん、ピナちゃーん」
「おー。メシー」
「コーちゃんメシのことしか呼ばないの!?」
私とセス君見えてないの!?というルミナのツッコミに雛がくすりと笑う。
「沢口の半分は食い意地でできているんだ。仕方あるまい」
「バファリンみてーな言い方すんな!あともう半分はなんなんだよ!」
セスと沢口のやりとりに、音楽準備室のドアが音を立てて開き、4人はドアのほうを向いた。
薄く開かれたドアの向こうにはすこし憔悴した表情のユキノがいて、4人の姿を認めた彼女は、ドアを大きめに開いて、4人を迎え入れた。
「どうぞ。入って…」
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音楽準備室はカーテンが引かれていた。蛍光灯はつけていない。完全な遮光性カーテンではないため、日の光を吸い込んで、部屋は薄明るい。
その不思議な色合いは、普段入らない音楽準備室が学校の一部だということを一瞬忘れさせた。
音量を絞ったジャズが、どこからか聞こえていた。
準備室の中央には会議テーブルがひとつあり、椅子が何脚か置いてある。
テーブルの端、一番窓に近いところに、ノートPCが置かれていた。
どうやら音楽の出処はPCのようだ。
PCの横には、ユキノのものと思しきお弁当箱が置いてある。
「テキトウに掛けて。話はご飯食べながらで…」
ユキノの言葉に従い、沢口たちは各々会議テーブルに着く。
雛はいつものようにお弁当だ。
ルミナとセスが袋の中身をテーブルに広げた。おにぎりやパン、飲み物を分配して(沢口はルミナとセスにきちんとお金を払い)、ぎこちない雰囲気で食事を始めた。
特に会話もなく静かに進んでいく食事に、雛がふと口を開く。
「…ユキノ。廊下に集ってる男子、あれ何なの?」
「………ここ数日、ずっとなの。今日はすごく数が多くて」
静かに頭を振るユキノに、今度は沢口が問う。
「何か覚えでもあるのか?」
「…私自身は…ないんだけど…」
「『けど』?」
ユキノの言葉尻をセスが繰り返す。
ユキノは口を開いたセスのほうを向いて、ポツリポツリと喋りだした。
「…最近仮想空間に出る『歌うユーレイ』の話、聞いたこと、ある?」
「『歌うユーレイ』…?」
「なんだそりゃ」
沢口と雛、ルミナは知らないらしく、首をかしげている。セスが一人だけ頷いた。
「ネットで最近流れている噂だな。ふと空間に現れて、歌をうたって消えていくドールがいるそうだ」
「そう、それ」
「それがどうかしたのか?」
セスが問うと、ユキノが小さく頷いた。
「私もね、廊下の人たちが言っているのを聞いてそれを知ったの」
―――どうしてあの人たちが私のこと指差して話してるのかわからなくて、
―――数人が『歌うユーレイ』の話をしていて、
―――それからネットでユーレイのこと調べて…
ユキノの話はなかなか核心に触れず逃げていく。
結論までを準備をしてから話す論法がセスはあまり好きではないが、憔悴している初対面の彼女にそう言うつもりはなかった。
結論まで到達しないのであれば、セスから促してやればいいだけのことだ。
セスがそう考えた瞬間、ユキノの話は突然結論に達した。
「そのユーレイが、私に似ているらしいの」
「!?」
「ユーレイが、片倉に、似てる??」
唐突に結論をつきつけられた4人は、目を白黒させていた。
「…このスレッドを見て」
ノートPCのスリープを解いたユキノは、沢口たちにPCを向けた。
そこには雑多なスレッドが作られては消えていく、巨大な掲示板サイトが表示されていた。
「ここに、『歌うユーレイ』の目撃情報が書かれてるの」
スレタイは、『仮想空間で美少女が突然現れてビビってチビった その5』。
煽りや釣り、無意味な書き込みも多いが、実際の目撃情報も幾つか書かれている。
それによると、ユーレイは前兆もなく現れて、静かに歌をうたって去っていくのだという。
画像や動画で記録を残そうとすると歌の途中でも逃げてしまうらしく、記録できた人間はいなかった。
容姿等の情報は目撃者が提供した情報をもとに、誰かが似顔絵を描いてアップロードしているらしい。
ユキノが数あるうちのひとつの画像を無造作に開く。
その画像は少女の全身画だった。
毛先が黄緑色で、それ以外の部分が淡い金色のゆるいウェーブの長い髪。
後ろ髪の毛束が大きくふたつに分かれていて、ふわりと浮いているように描かれている。
細身の身体が身に着けているのは、薄紫のストール、黄と黄緑の花柄のチュニック、黒の7分丈のレギンス。
伏し目がちで物憂げな表情のその少女は、たしかにユキノに似ていた。
沢口たちがその絵をじっくりと見ようとしたそのとき、雛が声を上げた。
「…カカ!?」
身を乗り出して画像を見つめる雛の表情はいつもの冷めた顔ではなく、本心から驚愕している表情だった。
その普段見せない表情を覗き込んで、沢口が訊く。
「知ってるのか、ピィ?」
「…………」
沢口の顔を見返して、今度は呆然とした顔で雛が頷いた。
「歌花…ユキノをモデルに作った、わたしのドール…!」
「ピィの?ピィのドールがなんでフラフラ電脳空間を彷徨ってるんだよ」
「わからない!」
いつになく激昂した様子で雛が頭を振る。
自分の作ったドールが仮想空間上を跳ね回り、それがあまつさえ友人に迷惑をかけている。
突然降りかかったその事実が、雛は信じることができなかった。
「どうして…!?歌花が…どうして…!?」
「おちつけって、ピィ!」
沢口は、箍が外れたように取り乱し始めた雛の腕を掴んで諫めた。
項垂れた雛はまだ首を振っている。
当のユキノは静かに雛を見つめていた。その目は雛への非難の色は無く、ただ疲れていた。
セスはモニタとユキノとを見比べて、口を開く。
「…雛君はドールを『放し飼い』にしたりなどしない」
「…わかってる。雛が無責任なことをしないのは、私もわかってる」
静かだが、確信に満ちた声だった。
ユキノはどこかでこれが雛のドールだと気づいていたのだろう。
先日交わした約束がある。
そして何より。
「この子は私に似ているだけじゃない。私の夢をちゃんと知ってる。だから…雛が作ったんじゃないかと思ってた」
「夢…?」
ルミナが訊き返すのに、ユキノは静かに頷いた。
「私の夢。ジャズシンガーになること」
「………」
雛は顔を上げられない。
雛の腕を支えたまま、沢口はふとユキノにかんする知識の断片を拾いあげた。
「…そういや片倉、昔から歌習ってたっけ」
「うん。歌がずっと好きで、ずっと歌手になりたいと思ってた」
普段は人見知りするけど、歌なら人前でも歌えるんだよ。そう言ってユキノは微苦笑する。自分を責めている雛を安心させようとしているのだろう。
「…ユキノ…ごめん。ごめんじゃ済まないけど…でも…」
「雛、謝らないで。雛はどうしてこの子が歌って歩いているのかわからないんでしょう?」
「でも、私が作ったの。歌花は私のドールなの…」
雛の声は涙声になっていた。
廊下に集っていた生徒たちの好奇の目が甦る。あの目に数日晒されていたユキノ。
原因は、自分のドール。
―――どこから何を謝ればいいのかわからない。
やがてぽろぽろと涙を零し、泣き出してしまった雛を、ルミナが抱き寄せてその背中をさすってやる。
普段冷静な雛が感情を出しているのに複雑な気分になりながら、沢口はセスと顔を見合わせた。
「…これが本当に雛君のドールだとして、だ。どうやって彼女は外へ出たんだ?」
「…ピィがPCのセキュリティを緩めるとは考えられねえ」
「………不可解だな」
「…沢口君。あのね、このスレッドで知った情報はもう少しあるの…」
ユキノは眼鏡を人差し指と中指で押し上げて、ノートPCに目を遣りながらそう言った。
「この子、『新製品の宣伝』をしてるんじゃないかって」
「…新製品?」
「そう…10数年前にね、この子みたいに『歌うドール』が流行したらしいの。
正確にはドールじゃないし、プログラムに『歌わせる』ソフトだったらしいんだけど」
ユキノはコントロールパッドに指先を奔らせ、動画を開く。
新しく開かれたウィンドウのなか、青緑の長いツインテールの美少女が歌っていた。
どこか電子音じみた声が音程を紡ぎ、それでも深く淡い歌を作り上げていく。
―――科学の、限界を、超えて・・・
沢口はその少女の愛らしさに目を奪われる。
彼女は電脳世界で、ただ歌っていた。
おそらく彼女が歌っていた時代の人々も、彼女の愛らしさを愛でていたのだろう。
彼女は人を惹きつける何かを持っていた。
「やべえマジかわいい」
「うん。私もそう思う。…でね、『歌うユーレイ』は『この子』の再来を狙っているんじゃないかって、スレッドの人たちは予想してる」
「………製品の広告か…まあ、ありえない話ではないな。雛君のドールの情報がどこからか洩れて、それを製品化した…」
「それならまだ納得がいくけどな…」
沢口はそういいながら、雛のドールを悪用しようとした人間を本気でぶっ飛ばす決意をしていた。
―――電子弾はあぶねーから使えねーけど、拳で一発へこましてやる。ピィを泣かせやがって。
ユキノは、未だルミナに凭れて脱力している雛のそばまで行き、その髪をやさしく撫でた。
やさしい手の感触に顔を上げた雛の涙の痕を指先で拭い、ユキノは微笑んだ。
「雛への相談っていうのはね」
「あの子…歌花を『捕まえて』あげてほしいの。歌うなら、相応の場所があるはずだから」