Neetel Inside 文芸新都
表紙

電世海
38:Electro Summer-08

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目の前が、熱気でゆらゆらと揺れている。――季節が夏だから。

大気は不快な湿気を帯びている。――湿度78%。不快。
暑いのに、目の前の少年と少女は、外で向かい合って座っている。私有地なのだろうか、木が多い。多くの枝葉が二人を日差しから守っているものの、暑さは感じているだろう。だが、お構いなしに二人は向かい合い、そしてずっと話し続けている。ずっと、ずっと笑っている。――楽しそう。
年の頃は小学校1、2年生くらいだろうか。幼いながらも、お互いが『ある感情』を抱いている。少しずつ覚え始めた、甘酸っぱい感情――。

知っている。彼らはいつも一緒にいる。『目覚め』、彼を見つけてから、何度も二人が一緒にいる光景を見ていたから。
羞恥心が芽生え始めている彼らは、それなりの距離を保っている。だが、『相手の隣は、自分の定位置』と思っているようだった。
それは、初恋と呼ばれるモノ。そう認識して――『胸が苦しい』と思った。

でも、胸が苦しいと思うことは自分にとっては文字列でできた信号でしかなく、あの子を『好ましい』と思う『感情』も、多分20桁くらいの数値でしかない。
きっと、あの子を好きと思っている『相手』のほうの感情は、もっともっと複雑な構造をしているのだろう。そう思った。
自分と、あの子たちは、存在する次元が違う。
比べることは、できない。

自分の次元での『感情』は、数値化することができる。
あの子たちの次元での『感情』は、数値化することはできない。

だから、比べられない。
比べることができたら――負けないのに。そう思う。



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記憶の奥底で、何度も繰り返されている映像。
記憶されてはいるが、覚えがなかった。
目を覚ませばふたたび忘れてしまう、瑣末な記憶。
その子たちはこの後どうしたのだろう?考えル、ことが、デきない――。

深い水の中にいるような音が耳の奥で響いている。
どこかで、何かが、循環している。
『どこで』も、『何』かも、本当は知っている。

すべて、知らないかのように、記憶に蓋をされている、それだけ。
その蓋が取れかかっている、それだけ――



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「歌花のおかげで、って……どういうことですか……?」

雛の問いに、祐樹は心底楽しそうに笑い出した。だが雛には彼の笑いは狂気にしかとれない。――怖い。そう思った。
祐樹はセルフレームのメガネを片手で押し上げ、慄いている雛に、メガネの向こうから視線を寄越した。
おそるおそるといった体で視線を合わせた雛に、祐樹は満足気に笑う。
無表情だと思っていた祐樹には、これほどの表情があった。それほど、彼の情動を揺るがす何かがあったのだろう。

「考えてもみてごらんよ。ドールが研究されだしてから結構な時間が経ってるんだよ。その中には君よりずっと優れてる技術者だっていたはずだ。それが」

歌花と同じ思考回路とストッパーの実装を、誰一人として行ってこなかった。そんな確率、奇跡に等しい。いや、あり得ない。

「歌花の中を見させてもらった。確かに優れてはいる。――でも、『そこまで斬新な発想ではなかった』んだよ」

――じゃあなんで、今まで誰もそこに辿りつかなかったのか?どうしてそこに初めて辿り着いたのが、雛ちゃんだったのか?
雛が考え出そうしたが、祐樹は待たなかった。

「簡単だよ」

祐樹がすっと人差し指を立てる。
その動作がやけにスローモーションのように雛には思えた。
その後の言葉も、現実味がなさすぎて、なかなか飲み込めなかった。

「『僕ら』は、ドールにそういう実装をしないように、『行動を規制』されていたんだよ」

祐樹が言葉を発して数秒、言葉の額面だけ飲み込んだ雛は、ポツリと疑問を口にした。それが精一杯だった。

「――……どういう、こと……」

それはこれからわかるんじゃない。祐樹は楽しそうに笑っている。

「とりあえず、『歌花を作る』のは、君じゃなきゃダメだったのかもしれないね。何でかはわからないけど」
「……」

「君は『他の人とはちょっと違う』みたいだね、雛ちゃん」


どこかでよく聞いたことのあるセリフだ、雛はそう思った。
数拍おいて、いつも傍にいた幼なじみがよく言われていた言葉だ。そう思った。

目の前が突然ぐらりと揺らぎ、ゆっくりと暗くなっていく。
倒れる、遠のく意識の中でそう思ったが、体が床とぶつかる衝撃は感じなかった。
生温い暗闇の中、か細い声が聞こえた気がした。
近しい音ではないはずなのに、ひどく懐かしい気がする。
雛は薄れ行く意識の中で、必死に聞こえてきた声の方向に手を伸ばしていた。



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「セシル」

顔を上げると、視線がかち合った。

10年経っている。
目の前の父親の顔は年をとっていた。顔にはセスの知らない皺が刻まれ、目も落ち窪んでいるように見える。だが、間違いなく、探していたはずの父親だった。
行方不明の父を探して何になる。数時間前のセスはそんなことを考えていた。探して、会って。母や姉や妹のことを、『思い出話』として語る?
――それが何になる。何か昇華になるとでもいうのか。結局、厳重にコーティングされた箱に入れられた骨を思い出す、ただそれだけじゃないのか。

今、こうして会って。やはり嬉しくはなかった。
会いたいと渇望するより先に、会わなければならないと思っていたからだろうか。ただ、何かがひとつ片付いた。そんな安堵だけがあった。
そして、もうひとつ。
自分が何もわからなくても、父さんがわかっている。
その事実に、セス自身は気づいていなかったが、肩の重荷を軽くしていた。幾年経っても結局父はセスのヒーローで、その事実はどんな三文ゴシップ記事にも負けなかった。
目の前の父親は、変わらない穏やかな双眸をしている。海のように深い深い色をしている。その奥に真実がある。この色が嘘をつくわけがない。
そう思うだけで、細い双肩に背負っていた、セスの負担は軽くなる。
二回、息を吐く。冷静な思考回路が戻ってきていた。
セスの様子を確認し、デイヴィドは深く頭を垂れた。

「すまなかったね。ずっと、ひとりにさせた」
「……」

過ぎたことだ、今はそれどころじゃない。そう言おうと開いた口からは、言葉は紡がれなかった。いろいろな気持ちが絡まりあい、舌を縺れさせたのかもしれない。実際まだ許せてはいないのだ。
沢口や真澄のいる前でこの話題に触れて欲しくなかったセスは、無言のまま首を横に振り、そして話の続きを促した。
セスの無言の主張を汲み取ったのか、デイヴィドはそれ以上はそこに踏み込んではこなかった。

話を続けようか。
壱の入れたコーヒーを一口飲んだデイヴィドは、再び一同に向き直った。

「先程も述べたが、君たちが現実世界と認識しているこの世界は電脳世界で、『君たちに現実世界は認識できない』 」

その言葉の額面どおりの意味ならすぐに理解できる。が、実感がない。
真澄がぼそりと、いつもの調子で呟く。

「……おれたちが認識している世界が、電脳世界?」
「現に、『ドール』のはずの壱が君たちの目の前に現れただろう? ……まあ、それだけでは不足だろうね。順を追って話そうか」

沢口、セス、真澄の3人は、非現実的なものを散々目にしていたせいか、これ以上狼狽することはなかった。

「世界には、2つの境界線がある」


ひとつは現実世界と、君たちが現実世界と認識しているこの世界の間に。
デイヴィドはゆっくりと人差し指で空中に線を引いていく。

「簡単に図解すると、ここから下が、『現実世界』で、境界線から上は、『君たちが現実世界と認識している世界』。ここから上の世界を、便宜上『電世界』と呼ぶよ」

現実世界には、基本的には生物はいない。皆、電世界に存在している。
デイヴィドのそこまでの説明で、セスには概要が少しつかめた。それを確かめるべく、口を開く。

「……もうひとつの境界線は、『電世界』と、『今まで電脳世界として認識していた世界』との間に?」
「……そう、その通りだ。『今まで電脳世界として認識していた世界』は、『電脳世界』であることに変わりはないから、そのまま『電脳世界』と呼ぶよ」

そして、電脳世界に存在すべき、として定義されているのが、君たちが『ドール』と呼んでいる存在だ。
電世界と電脳世界の境界線は、この棲み分けを定義しているに過ぎない。そして、普段君たちはその境界線を越えて行っているんだ。『仮想空間構成装置』を使ってね。

「あれは、他の『電世界』にアクセスしているんだ。ここは電脳世界です、というフラグが立っている電世界にね」

電世界と電脳世界の違いは、その世界を構成するフラグの値がいくつか違うだけ。

「……フラグって、そんな違いしかないんすか」と、沢口は呆けた様子でつぶやいた。

「そう。フラグがひとつ違えば、『ドール』と私たちは同じ次元に在ることができるんだよ」

デイヴィドは深く頷き、口を潤すのにコーヒーを口にした。カップが空になったのを見計らって、壱がコーヒーを足す。

「今、電世界のフラグの値が書き換えられてしまっている。それで、壱がここに存在することができる」

言葉の額面だけ受け取れば、ここまではさほど複雑な話ではなかった。
今デイヴィドが話した前提条件さえ踏まえていれば、ドールがここにいる事象の説明は簡潔に済むのだろう。
根本的な事象の説明をうけても、理解しかねるのだろうが。
しかし、どうしても疑問に思うことがあり、沢口はデイヴィドに尋ねた。

「ひとつ訊いていいすか」
「どうぞ」

自分の中にある疑問を、どう質問したらいいのか沢口は数秒悩んだ。いろいろなことがまだまだわからない。が、何から聞いたものか。
細かいことを確認するより、まずは大きなことを教えてもらうほうがいい。
沢口の質問は決まった。


「さっき博士が言ってた世界の境界線とか、えーと……世界の……つくり? って、ずーっと、というか、もともとそうなってたんですか?」

沢口の質問に、デイヴィドは笑んだ。

「その質問への答えは――NOだ。世界の境界線は、人為的に作られたものだよ」
「そんなものが……作れるんすか」

デイヴィドは静かに頷き、仮想キーボードを呼び出した。そして小さなウィンドウを開き、その中に小さな世界を映しだした。

「きみも覚えているだろう、10年前に起きた大災害――フラッシュフラッド。あの日……世界に境界線が引かれたんだ」
「――……!」

一瞬にしてウィンドウの中に広がっていた世界いっぱいに白い光が広がり、それから一切の光は奪われ、世界は沈黙した。



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ほんとうは、あの日、フラッシュフラッドが起きるはずではなかったんだ。

――あれは事故だった。
計画では、あと10年は先の話になるはずだった。
フラッシュフラッドがもたらす影響は、前もって緻密に計算するはずだった。
世界に認められて起こされるはずだった。
全世界ではなく、『世界の一部にのみ』発生するはずだった。
あの日、『事故』が起きた影響で、予定はすべて狂ってしまった。

『お偉いさん』の企画書には、『電世海計画』と書いてあった。
『電世海計画』とは、今から10年以上前――まだ小さな一企業でしかなかったND社が、15年前に飛来した小隕石に秘められたテクノロジーを使って、世界の常識を覆し、未来を書き換えるような大発見を――世界に展開しようと試みた計画だ。15年前に飛来した小隕石のくだりで、セスがピクリと体を揺らした。

「その小隕石は、妻が研究していた」
「…………」

小隕石は、60%ほどの物質の解析は終わっていて、妻は残り30%の構成物質の解析を日々行っていた。危険な物質である可能性もあったため、自宅の研究室は半ばシェルターのように強固に保護されていたし、隕石そのものも厳重に保護された状態だった。
あの日何が起きたのか、それは妻にしかわからないが――小隕石は、妻が解析した60%ほどの既知の物質の内側に、強度の放射線と、すさまじい光を内包していた。
外側の物質は、それらを保護していたに過ぎなかった。何かのきっかけでそのカバーが外れ、一帯には放射線があふれた。強度の放射線と、さらにその内側にあった未知の『光』によって、厳重に保護されていたはずの研究室は放射線によって汚染され、妻と、その日自宅にいた娘二人は亡くなった。
事故の原因を探るべく、調査隊が送られることになったが、警察も協力企業もひどく放射能汚染されていた研究所へ行くのを躊躇っていた。唯一名乗りを上げてくれたのが、ND社だった。あのときは――救世主だと、そう思った。

事故現場は想像以上に荒れ果てていたらしいが、事故原因と思われる隕石はしっかりと残っていた。
直径30cmほどの大きさだったはずの隕石は、直径10cmほどの大きさになっていた。放射線は『内側の物質』の状態を保つためにあり、その周囲の物質は放射線を外に漏らさないために存在したのではと分析されている。

――それを聞いたとき、妻は、パンドラの箱を開けてしまったのだ、と思ったよ。


隕石は研究室から運び出され、再び研究者の手で解析を進められた。以前よりもはるかに慎重にね。放射線のコーティングがはがれ落ちた隕石は、もう危険な物質は含んでいなかった。
ただ、コーティングがはがれ落ちた隕石は、とてつもないテクノロジーを生み出す動力となる『光』を放っていた。まるで、小さな、小さな、太陽のようだった――。

その隕石には名前をつけられ、その隕石の『光』を活かすための研究が始まった。
――その頃には既に、研究者たちは『事故の原因』には目を向けてはいなかった。ここから生み出せるかもしれない新しいテクノロジーに目を奪われてしまっていた。それほどの、まばゆい『進歩の兆し』がその隕石から感じられた。正直、常識を覆すほどの力を得ることができる、そんな可能性を石は秘めていた。
研究者としては、本当に魅力的な材料だった。だが――その隕石は私の家族を奪った憎い対象でもあった。……隕石そのものに有責事由は何もないが……。

「隕石につけられた名前は――Luminous。隕石の『光』を利用して作られたシステムにも、その名前がつけられた。海のように広がる電子の世界を構築し、それを彩る光を放つ、Luminous System。電世海計画の根幹を成す、マザーコンピュータの名前だ」

私はND社から再三、この隕石の研究を打診されたが、断り続けた。が、何かと理由をつけて、研究所の外に出さないようにされていた。半ば軟禁されていたんだ。
わたしはLuminousにいい感情を抱いていなかったから、外に出たが最後、全てを話されてしまうと思われていたのだろう。
ここまでで、あの事故から3ヶ月ほどが経過していた。

ようやく心境的にも落ち着き始めていた私は、一人生き残っているはずの息子とどうにか連絡を取ろうとした。
そんな折だ――あの子と出会ったのは。

仮眠中に聞こえた、細い細い声。聞き覚えがある、幼い少女のものだった。
どこから聞こえてくるのかさえ良くわからないその声を、私は探さなくてはならないという衝動にかられた。


なぜならその声は、私の息子の愛称を――ひたすらに呼び続けていたからだ。

       

表紙

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