Neetel Inside 文芸新都
表紙

グレイスケイルデイズ
-06-

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『――もし』
 話がまとまったものの、連れて帰るにしてもどうやって帰るのか、そもそも大きな犬を連れて電車に乗ることが出来るのか、直近の問題はこれから山を下りて駅まで向かうにはどうするかだが――などと、参道を進み鳥居の瓦礫を目前に考え込んでいた鱗道を呼び止めた声は柔らかであった。振り返った先、社を背に参道にぽつりと立っていたのは、一匹の白い鼬である。
『お初にお目にかかります。我が友の代理の君。わたくしはこの辺りを治めます一柱の白鼬。名をこごめと申します』
 丁寧な語り口に、酷く丁寧に腰を折って頭を垂れる姿はメルヘンとしか言い様がない。が、こごめという名を聞いて鱗道は反射的にシロを見た。こごめがこの地の様子を見に来た時に追い立てたのはシロの意思ではなく、穢れの反応であっただろうことは想像できる。が、今この時に穢れが反応しない保証もなく、動けば抑えねばならないと考えての事であったが、
『イタチ! しゃべるイタチだ!』
 と、蛇神を見付けた最初同様、はしゃぐばかりで鼬神に反応している様子はない。が、蛇神の時もそうだったように何を切っ掛けに動くか分からない為、鱗道はシロの体を跨いで足で挟んだ。出来るかどうかは別として、動けば直ぐに足で抑えようというつもりである。
『この度は遠方よりわざわざのご来訪、そしてご助力誠に有り難う御座いました。わたくしが到らぬばかりにご迷惑をおかけして、面目次第も御座いません』
 こごめ、とは良く的を射た名前である。目の前にある姿は、イメージするイタチより一回り大きいほどで、大きくかけ離れてはいない。が、全身を覆う白く短い毛は非常に細かくきらきらと艶やかに、柔らかく輝いているのである。小さな頭に長い胴。その胴に匹敵する長く細い尾。尾先と耳先だけが少しばかりの墨に浸したように黒い。小さな金色の目は金箔をまとっているかの如く、僅かな光を乱反射させている。
「……いや、アンタの助言があって、シロは取り敢えず今は食われずにすんでる。コイツがここにいるのはアンタのお陰だ」
 鱗道はこごめを見て、少なからず面食らっていた。蛇神の友人がイタチだとは思ってもいなかったのだ。加え、芽吹き始めた山菜が優しく触れるかのような声にも驚かされた。これほど柔らかい彼方の世界の住人の声を聞くのは初めてである。
『代理の君はお優しい方ですね』
 小さな鼻先で長いひげをゆらしながらこごめが語ると、梅のような甘い香りが匂い立った。僅かに呆けた先で、山を下りるとなってから鱗道の首に巻き付いていた蛇神の体が数秒間、強く絞まって微かに呻かされる。
『霊犬、シロ殿。よろしければ此方をお持ちください』
 そう言ってこごめが己の後ろに置いていたものを前に持ち直し歩み出たので、鱗道は足の力を強めた。鱗道の足の間で座っていたシロはそのまま、歩み寄るこごめを静かに待っている。こごめでは抱えるほどの大きさがある石は、苔も落とされ磨かれたシロの名前が刻まれた墓石であった。鱗道は崩れた形を元に戻した程度しか触れていなかったから、磨き清めたのはこごめだろう。
『シロ殿が去り、わたくしが治めれば、この社は長くかからず山に還ることになりましょう。ここにあればその石も、いずれ木や雨に割られて砂になるばかり。荒神危うしとなれど抗い続けたシロ殿を支えた石がただ朽ちるのは偲ばれます』
 こごめが差し出す石に、シロはそっと鼻先を近付けた。こごめはシロを警戒する様子もない。蛇神がシロについて報告相談したというのもあるだろうが、元々この辺りを治める一柱ならば、今日の出来事を把握しているのだろう。
『お山のにおいがする』
『ええ。貴方と共にこの山にあった石ですから』
 シロの舌が石の表面を撫でるように僅かに舐めた。その後、紺碧の目が鱗道を見上げ、同時にこごめの金色の目も鱗道を見る。二人から視線を向けられる理由に鱗道が気が付くには少し時間が必要であった。気が付けば簡単なことである。持っていこうにもシロは石を持つことが出来ないのだ。
「……それじゃぁ、遠慮無く」
 元はシロの墓石である。遠慮も何もないだろう。が、さらに本を正せばこの山の石である。こごめに対しては、遠慮があっていいのだろうか――等と考えながら鱗道の手がこごめから石を持ち上げると、すうっと絹を思わせる細い糸が伸びているのが見えた。糸はシロから石へ、石から社へと続いている。「見える」ことの少ない鱗道に見えるということは、相当な力を持っている糸の筈だ。それが何か、と聞く前にこごめの体が軽やかに跳ねた。ぷつり、と長い尻尾が石と社を渡っていた糸を断ち切る。
『お達者で。いつか必ず、このご恩はお返しいたします』
 三度跳ねると、花の香りが散るように僅かな余韻を残して白鼬の姿は消えていた。日暮れを迎えた神社は酷く暗い。だが、太陽の光が足りないばかりが理由ではないだろう。
『犬っころとこの場所の縁を完全に切ったのさ』
 蛇神は事もなげに、シロを見下ろす瞳孔を細めながら言う。境内からは冬を思わせる気配が――シロと繋がっていたために共に満ちていた気配がなくなっていた。日暮れに照らされる境内は苔生して青々とした、ただの、朽ちかけの神社である。
『犬っころの墓が壊れた時点で縁はかなり薄かった。此処を離れれば自然と切れる程度だろうよ。だが、縁が切れた犬っころは望めど二度と此処へ帰れない。こごめはそれを不憫に思って、土産を持たせてくれたのさ』
「ずいぶんと優しい神様だな」
 鱗道の言葉に、蛇神が再び首に巻き付く体に力を込め始めた。鱗道は慌てて蛇神の体と己の首の間に指を挟む。
『褒められたものではないがね。その優しさや甘さのお陰で後手に回り、この犬っころは荒神に成り果てかけた。社を飛び出して荒らし回るのも時間の問題であったのだ』
「それがこごめの美点なんだろ」
 蛇神の体が離れたのは、鱗道の指が引き剥がしたのではなく、蛇神自ら鱗道から降りたためである。ちょろりと小さな体は素早く地面へ落ちると苔の上を這った。こごめの用件は片付いたのだ、蛇神の手助けも此処までと言うことかもしれない。
『そうだ! 名前!』
 ひゃん! と鋭さがないことだけが美点である子犬の鳴き声と舌足らずな口調が重なって鱗道の頭に響く。これが堪えるのは蛇神もらしく、小さな体がぴょんと跳ねるのが視界に入った。
『僕、まだ人とヘビガミの名前知らない! なんて言うの? なんて呼ぶの? ねえ! ねえ!』
 シロの大きな体が鱗道の足にすり寄った。が、ずるりと足に纏わり付くような重さがあれど、シロの体は鱗道の足をすり抜けている。シロの体に埋まった足を眺めながら、この体が今後、質量を持ってぶつかってくることになる日常に思いをはせた。常に触れられるようにシロには力を消費してもらわねば目的は達成できないが、それ以上に己の体力の消費が心配になる。
「……そう言えば、神様にも名前があるんだな。アンタにも名前があるのか」
 蛇神の小さな体は鳥居であった瓦礫を登っていった。多少の凹凸など物ともせずに、高い位置で蜷局を巻く。それでも、鱗道の視線よりは低く、シロよりは高い位置だ。ちろり、と赤い舌の揺れ方は、鱗道には不愉快そうに映る。
『受け身主義を撤回した途端に本当に質問が増えたな、末代。だが、今更、快くわたしが答えると思うのかい?』
 蛇神の言葉に大きな反論があるわけではない。蛇神の言葉はごもっともだと思うし、答えがなくとも構わないと思っての問いだ。ただ、知ろうとしているという意思表示でしかない。
「アンタがずっと名乗らんから、神様には名前がないもんだと思ってたんだよ」
 一方で、蛇神の名前についてそう思っていたことは事実だ。鱗道の父からも蛇神の名前については聞いたことがない。また、蛇神も会話の中で名乗ったことはなく、別の神についてもこごめの話が初めてだった。神社や伝承に奉られ語られている神仏には確かに大層な名前がついているが、H市に蛇神を奉っている神社や祠は現在、無い。かなり昔の――それこそ何百年以上前の、古文書と呼べる文献にほんの数行、大蛇の神があったという記載があったと猪狩から聞いたことがあるだけだ。名前があることを想像すらしがたい、断片的な情報しかないのである。
『ヘビガミの名前はなぁに?』
 シロが蛇神の頭に鼻を向けた直後、きゃいん! という小さな悲鳴が上がった。どうやら、蛇神がシロの不躾な鼻にいよいよ噛みついたようである。
『様を付けて敬うことを覚えるんだね、犬っころ。問うてくる素直さは好ましいが、わたしは末代とは違う意味で犬を好むよ』
 鼻先を前足で擦っていたシロがきょとりとした表情で――噛まれたことなどもう忘れたかのように――蛇神へ顔を向ける。
『まつだい?』
「名前じゃないが、俺のことだ」
 シロが体ごとぐるりと半回転し、鱗道を見上げる。動きは多いが体が大きいためか、忙しなさは感じにくい。
「……鱗道だ」
『りんどう?』
 鱗道、と繰り返してやったのは、合っていると答える代わりであった。が、シロの耳はピンと立ち上がり、その場でぐるりと一周――したかのように見えたのは、鱗道の目で見えた範囲がそれだけであった、ということらしい。足下を風が一陣、確かに吹いて戻ったのである。風を引いて鱗道の正面に置かれたシロの口には、青紫の花が一つ咥えられていた。
『リンドウは知ってる! これ! 綺麗だよね! 社の裏にね、時々咲くの!』
 鱗道が不愉快に任せて顔を歪め、眉間に皺を寄せて腕を組んだのを、シロは不思議そうに眺めて首を傾いだ。それらを高見――鱗道より低く、シロより高いので中途半端な高見であるのだが――から見ていた蛇神の声は、大層高らかであった。
『よく知っていたね、犬っころ。上出来だ』
 笑うように鱗を擦って音を立てた蛇神は、瓦礫からシロの背中に飛び移り、豊かな被毛の中を進んで頭の上まで登り切った。
『これは末代が酷く嫌うやり取りだ。さんざん揶揄され聞き直されてきたからね。お前の言う通り、この花は美しいだけでなんの罪もないというのに』
 蛇神は楽しげに聞こえる抑揚で言いながら、シロの頭に体を滑らせて口から花を奪い、わざとらしく揺らして見せた。実際、地元以外の新たな人間関係が作られる時には必ず、同じ名前の花に触れられてきた。蛇神の言う通り花には何の罪もないことは分かっているが、その花が清楚と言われるような花であるが故に、日々活力不足である鱗道を揶揄する種になりやすいのだ。
「……季節外れじゃないのか」
『山には今頃咲く種類もあるのだよ、末代。毛嫌いするばかりではなく、一度調べてみたらどうだい』
 不愉快そうな鱗道の言葉に満足したのか、蛇神は花をぽとりと地面に落とした。それから、シロの体を滑るように地面まで己も下りると、今度こそ別れと言わんばかりに山の方へと頭を向けている。
「……それで、アンタの名前は結局だんまりか」
『まぁね』
 とぼけた声は、先よりは不愉快さが薄れている。
『この先に機会があれば、あるいはお前が死ぬ前くらいには教えてやっても構わんよ。その時、その機会を逃さずに、お前が問うの忘れなければの話だが――』
 地面を這う蛇神の姿から、真っ白い砂が流れ出るように白い鱗が剥がれていく。残ったのは小さな茶色の蛇一匹だけであり、蛇はシロと鱗道に言葉のない威嚇を向けると素早く藪の中へと消えていった。
『ヘビガミサマは意地悪だねぇ』
「……あれは分身で、本当の蛇神は俺の中にいる。会話は聞かれてると思って、悪口はほどほどにしとかんとまた噛まれるぞ」
 シロの頭を二度程叩いてたしなめながら、鱗道は低く重たい息をついた。疲労感がどっと全身に押し寄せるが、膝を折るには早すぎる。これから山を下り、人里まで戻って駅まで進み、電車に乗ってH市まで帰らねばならない。所持金は多めに持ってきているから無理に今日中に電車に乗らず宿泊してしまう選択肢もあるが、人里まで戻る手段を考えねばならぬのは事実だ。
 思い出してがさりと漁ったポケットから、タクシーの運転手が手渡していったタクシー会社の電話番号が載っている名刺と、猪狩の書き込みがある地図が出てきた。ふと、地図の裏側にも何か書かれていることに気が付いて捲ると、猪狩の携帯電話の番号と近隣県の名前、「仕事中」との一言。
『りんどう?』
「……何でも無い。駅までも戻れそうだし、その後の目処も立っただけだ」
 豪快で慎重な蛙男は、シロを酷く気に入りそうだなと考える。しかし、いろいろな事態を想定して準備を怠らない男も、まさか鱗道が大きな犬を一匹連れ帰ることになり、そのまま飼うことになったとは思ってもいないだろう。その時には珍しい顔を見ることが出来るだろうな、と思えば笑みも滲むというものだ。
「とは、言え……前途多難には変わらん」
 問題はこの先も続く。シロを連れ帰ったところで本当に力を弱らせ続けることが出来るのか、すでにシロが抱えている分の穢れを反応させずに削っていくにはどうするのか、シロの力を借りられたとしてそれで何が出来るのか、そもそもそんなことが本当に出来るのか、この先も思いつく問題は山積みであるし、思いつかない問題に関しては想像も出来ない。
 蛇神が通ってきた歳月やシロが社で耐え抜いた年月に比べれば、鱗道の「この先」などは一瞬であろう。だが、人間である鱗道には充分長い。出来ることも限られている。それでも、膝を折るには早すぎるのだ。頭を掻いていた右手は、いつものように首の裏を乱暴に掻いていた。
「どうしたもんか、見当もつかんな」
 遠くとも、標は見えている。鳥居をくぐり、山を下りたその先も、探せば標は続いている。

       

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