歴史は勝者によって創られる、とも言われる。真実からかけ離れた俗説の方がもっともらしく見えるため、その説が通説として語られることもある。たとえば戦国時代の梟雄、斎藤道三は度重なる下剋上でのし上がったと言われているが、その行いは道三一人で成し遂げたことではなく、道三の父と二代に渡っての行いが、後世に一人の仕業として流説されたものである、というのが現代では常識となっている。
英雄の死が無様なものであったら? とても後世に書き残せないものであったら? 脚色されたそれらしいものに置き換えられ、真実を知る者の死と同時に忘れ去られていくこととなる。
シェイクスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー」で知られる、ローマ帝国末期の政治家、ガイウス・ユリウス・カエサル(以後カエサルと表記)は、多数の政治家に刺殺される最期を迎えた。その一団の中に、溺愛していた配下のブルータスを発見し、「ブルータス、おまえもか」という台詞を残して死んだ、と言われている。この場面はシェイクスピアによる完全な創作というわけではなく、シェイクスピアの戯曲以前の伝承として「息子よ、おまえもか」という言葉が伝えられているのだという。このことにより、カエサルによるブルータスへの愛情は、隠し子だったという説もある。
だが真実は違う。カエサルが言った「息子」というのは自らのちんちんに対してのものだった。自らに突き立てられた無数の剣を目にし、痛みを全身で感じたカエサルは、とてもとてもちんちんを大きくさせた。反り返った彼のちんちんは彼の腹を突き破った。致命傷はどの刃物でもなく、彼のちんちんによるものであった。最新の研究結果により明らかにされたカエサルの死の真実は、映像化や舞台化を困難とさせるものであったため、闇に葬られている。ここにこうして記した私にも、暗殺の手が忍び寄る可能性はある。刃を突き立てられた瞬間、私のちんちんはどうなるのだろうか。
「息子よ、おまえもか」と、いざという時に備えて呟く練習をしてみる。私はカエサルのように腹を突き破るほどの大きさのちんちんは持っていない。だが、それでも、少しばかり、暗殺者を待ち焦がれている自分を発見している。