~第十二章~「世界を破滅へといざなう者」
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男はどこまでも続くような暗い闇の中を歩いていた。
辺りには何もない——木も草も、街もヒトも、景色と呼べるようなものは何一つない、ただひたすら“闇”のみが続くこの空間。
そこは外界とはかけ離れ、普通の人間なら一歩も踏み入れる事ができないような次元の狭間に位置する混沌の世界だった。
こんな世界をただ悠然と歩くこの男はただのヒトではないのかもしれない。
ほとんど無表情のまま闇を纏う彼は、一見すると不機嫌なようにも見えたが、その口元には微かな邪悪な笑みが称えられていた。
「あら、珍しいじゃない……あなたがこのリバースフィールドに戻るなんて」
ふと、男は声をかけられ立ち止まった。
声のしたほうを振り返ると、そこには闇に半分姿を隠したままの若く美しい女が妖艶な微笑みを浮かべながら立っていた。
生き物のほとんど存在しないこの空間“リバースフィールド”だが、そんな空間をホームとしている数少ない同胞が、久々に帰還した彼に暇つぶしという名の“挨拶”にやって来たようだった。
「おかえりなさい、ジェイル。今回はなかなか長いお出かけだったわね。……何か外界でいいことでもあった?」
女は長い黒髪をこれまた妖艶にかきあげると、かなり露出度の高い黒いドレスの胸元で軽く腕を組んだ。
「フン、プレゼナか……。相変わらず貴様はここに留まり、外の世界には興味なし、といったところか」
面倒くさそうに呟いたジェイルに、プレゼナと呼ばれた女はクスリと一笑する。
「えぇ、まぁね。だって外の世界を滅ぼしに行ってもつまらないもの。人間は弱すぎて張り合いがないし、……フォースでも現れたっていうなら少しは興味も湧くってものだけど」
その“フォース”という言葉に反応したジェイルは、フッと軽く笑った。
そんな彼の様子を鋭く見逃さなかったプレゼナは「あら……?」と少し期待を帯びた声をあげる。
「もしかして、残りのアクアフォースかフレイムフォースのどちらかが見つかったの?」
「……いや」
即座に返ってきたジェイルの否定の言葉に、プレゼナは一瞬がっかりしたようだったが、彼が次に発言した事はプレゼナにとっては思いもよらない事であった。
「残りのフォースじゃない。……グランドフォースが、実はまだ生きていた」
「……え!?」
驚いて目を見開いたプレゼナはあまりのことに一瞬言葉を失ったが、それでもすぐにまた余裕の表情を取り戻した。
「グランドフォースは確か三年前に、あなたが始末したんじゃなかったかしら? ……もしかして、しくじってたの?」
「………。まぁ、言い方は悪いがそういう事だ」
ジェイルはプレゼナの言葉に、少しだけ不機嫌になったように見えた。
「……奴は殺したつもりだった。実際死んだところを見てはいなかったが、あの場所から逃げ切れるはずがなかったからな」
ジェイルはそう呟くとプレゼナから目をそらし、昔の記憶を遡るかのように闇の一点を見つめる。
考え込むように黙ってしまった彼の代わりに、プレゼナは昔話をはじめた。
「そうそう、たしか当時、たまたまあなたが仕えていた国の皇子様がグランドフォースだったのよね。……私達、人間に近い容姿と思考をもつ高位魔族はなかなか生み出されるものじゃないけれど、この容姿のおかげで人間の生活に溶け込むことにも適してた私達は人間達の生活にまぎれてグランドフォースを探していた……」
プレゼナはジェイルの様子を見ながら、さらに続ける。
「最近姿を見てないけど、人形魔導師・イズナルが完成させたモンスター化の術を使って普通の人間も使役しながらの必死の大捜索だったわよね。グランドフォースが力をつける前に、一刻も早く抹殺する必要があったから。……まぁその作戦はおおむね上手くいったと言えるわよね。だってあなたが“国に仕える人間の兵士”として信用を得ていなかったら、その皇子様までたどり着く事はできなかったもの……。皇子がグランドフォースだと気づいたあなたは、その国にモンスターの大群を呼び寄せ、あなたの指揮のもと国を滅ぼすのに成功した」
プレゼナはどこか楽しそうな調子になりつつ言葉を締めくくる。
「……そうしたら、国は滅ぼしたっていうのに肝心のグランドフォースは取り逃がしていたってことになるかしら? ジェイル、あなたにしては随分おマヌケな失態じゃないの」
「……黙れ」
プレゼナの長い嫌味とは対照的に短いセリフを返したジェイルは、再び彼女のほうへと振り返り、そのまま睨みつける。
「たしかに、爪が甘かった部分はあるかもしれない。……だが、オレ自身それに気づいていたからこそグランドフォースの生きている可能性も考え、この三年間各地を旅し、奴を探していたんだ。……そしてフォースの噂を聞きつけた町で——もっとも噂自体はデマだったが、そこで偶然奴を知る人物に出会った。……まさか本当に生きていたとは驚きだったがな」
三年前のあの日から少し気にはなっていた。
逃げる場所もなく、間違いなくグランドフォースを追い詰めたと思っていたジェイルだったが、実際にその目で生死を確認していない以上、わずかな引っ掛かりがあった。
さらにもう一つ不審なことに、あの城で最後まで結界の張られていた武器庫にジェイルが乗り込んだ時、皇子に最も忠実だった従者が二人、そこで生き残っていたのも少し気になった。
彼等は普段から常に皇子と行動を共にしていた。
あの状況下ではますます皇子を守ろうと必死になり間違いなく一緒にいるはずだと踏んでいたのだが、彼等の近くに皇子の姿は確認できなかった。
既になんらかの策を施した後だったのかもしれないが、それがジェイルにとっては非常に気掛かりだったのだ。
「……やはり、ニトとティオの仕業だったか。奴らめ、やってくれるな」
ボソリと呟いたジェイルに、プレゼナは訝しげな顔をする。
「え、なに?」
「いや……なんでもない、こっちの話だ。……ところでプレゼナ、我等が主君デストロード様はおられるか?」
ジェイルは話題を変えプレゼナに問いかけるが、その質問を聞くなり彼女はクスリと一笑した。
「フフ、おかしな事聞くわねジェイル。あの方がここを離れるわけないじゃないの。500年前の封印から復活したといってもまだ完全じゃない。……この闇の次元リバースフィールドを出る事はできないわ」
「……そうだったな」
プレゼナのもっともな答えに、ジェイルは自嘲するような笑みを一瞬だけ浮かべると、前方にただ広がる闇の空間に向き直り、その場に跪いた。
「“世界を破滅へといざなう者”、闇の根源——無へ帰す存在。我等が主君……デストロード様!」
ジェイルが呼びかけるとその瞬間、前方に広がる闇がさらに濃くなったような気がした。
濃い闇はザワザワとそのカタチを変形させながら、やがてヒトガタのようなものに収まると、同時に鋭い威圧感を放ちはじめる。
その威圧感は、直属の臣下である彼等でさえも若干の恐れと寒気を覚えるほど凄まじいものだった。
——何度お呼びしてもこの緊張感だけは、慣れさしあげることはできんな……。
ふと心の中で思ったジェイルだったが、彼と同じ事はおそらく隣にいるプレゼナも感じていた事だろう。彼女もいつの間にかその場に跪き、間もなく現れる自らの主君に敬意を示していた。
「……ジェイル、それにプレゼナか……」
闇の底から響くような低い威圧的な声にジェイルとプレゼナは一層緊張した。
伝説では“世界を破滅へといざなう者”として名を残し、世界を終焉に導くともラグナロクの化身とも恐れられている闇の根源“デストロード”がついに姿を現したのだ。
姿を現したと言ってもその容貌はザワザワと蠢く闇が単に人型に集まったもので、顔の辺りに紅い眼が二つギョロリと浮かんでいるだけのものだった。
まだ100パーセント目覚めきったわけではないデストロードの姿は完全ではない。しかしそれでも放つ威圧感と莫大な力を感じさせる底知れぬオーラは恐ろしさ以外の何物も感じさせない凄みがあった。
ジェイルはおずおずとその顔を上げる。
「デストロード様、本日はご報告があって参上致しました」
主君の威圧感に呑み込まれそうになりながらも、緊張と恐れを押し殺したジェイルが静かに進言する。
しかしデストロードはその報告を聞く前に、薄い、冷酷にも感じる笑いをこぼした。
「……フ、聞こえていた。グランドフォースのことだろう?」
主君の冷めたような言葉にジェイルはサッと血の気が引くのを感じた。主は自分の失態を許さないかもしれない。
ある程度の覚悟はしてこの場に臨んだものの、実際に主君を目の前に迎えるとやはり恐ろしいものがあった。
しかしジェイルはわずかな希望を持ってデストロードにかけあう。
「グランドフォースがまだ生きていたのは、間違いなく私の責任です。……しかしデストロード様! もう一度だけ私にチャンスをくださいませんか? 元々グランドフォースを見つけたのはこの私です、最後まで私に決着をつけさせてください!」
ジェイルは必死に訴えかけた。
しかしそれでもこの重大な過ちの許しを請うのは難しいかとも思われたが、主君であるデストロードは意外にもあっさりとした返事をかえす。
「……フム、まぁいいだろう」
「あ、ありがとうございます……!」
主君の許しを得て、ほっと喜ぶジェイルだったが、デストロードはそれから鋭く「……ただし!」という言葉を付け加えた。
「二度目の失敗は聞かんぞ、ジェイル。まだ完全に復活していない我にとっては、グランドフォースは最大の危険人物なのだ。……もしも次、抹殺に失敗するようなことがあれば、今度こそキサマは破滅を呼ぶ我が手によって混沌の闇に還ることになると思え」
その瞬間、デストロードの背後から夥しいほどの数の黒い巨大な闇の手が一瞬にして伸び、ジェイルを取り込む寸前のところで止まった。
「もとよりその覚悟です」
ジェイルが淀みなく答えるとデストロードは満足したように紅い目を妖しく細め「わかっているなら良いのだ」と低く呟き、闇の手をゆっくりと下がらせていった。
「……しかし、それにしてもグランドフォースがまだ生きていたとはな。我が完全に力を取り戻した後であれば、少し遊んでやってもよかったものだが……」
デストロードは絶対的な自信を持って少しだけ残念そうに言うと、何もない空虚な空間に世界を模した丸い球体を出現させた。それを自らの闇の手で幾層にも覆い、あっという間に全てを闇に染め上げる。
破滅と混沌を呼ぶと言われているデストロードは、まもなくその力を完全に復活させつつあった。
——……世界を破滅へと導くのは、もうそう遠い未来ではない。
キサマにそれを止めることができるかな? グランドフォースよ……。
リバースフィールドに響き渡る声でそう愉しげに呟くと、デストロードをかたどっていた人型の闇の塊はまもなくその姿を静かに離散させていった。
……
デストロードが去り、ジェイルは無事に主君の許しを得られたことでホッと一安心していた。
「よかったわね、ジェイル。デストロード様がお優しいお方で」
「……フン」
主君が立ち去った事で緊張のとけたプレゼナが少し残念そうに言った。彼女にしてみれば、ジェイルが罰せられるところが見たかったのかもしれない。
「ところでジェイル、グランドフォースの居場所はもう分かっているの?」
プレゼナは先程のジェイルとデストロードのやり取りを見ていて、気になったことを聞く。
「……いや、まだはっきりとはしていないが」
そんなジェイルの返答に、プレゼナは「まぁ、信じられない」とオーバーな仕草をして驚いてみせた。
「居場所もわかっていないのにあの自信だったの? 本当に大丈夫なのかしら」
その大丈夫なのかしらという言い方は、とても本気で心配しているようには聞こえず、むしろ楽しんでいるような言い方だったがジェイルは気にしなかった。
「既に大体の見当はついているからな。貴様の“心配”など無用だ」
「あら、残念」
ジェイルはそこまでプレゼナと言葉を交わすと、くるりと彼女に背を向けた。
これ以上ここに留まってプレゼナと雑談するというのは全くもって無駄な時間である。ジェイルは再び外界へと戻ることにした。
しかしジェイルが歩を進める前に、再びプレゼナが後ろから声をかけてきた。
「ねぇジェイル、私も一緒に外界について行ってあげましょうか?」
「……は? なんだ急に」
プレゼナの突然の申し出にジェイルは怪訝な声を出し、振り返る。
彼女に限って、ジェイルの助けになりたいと考えての申し出ではない事は分かりきっているからだ。
「なんだ? 貴様、何を企んでいる?」
「別に企んでる訳じゃないけど……」
ジェイルのさらなる追及に、プレゼナは微かに妖艶な笑みを浮かべて言う。
「ちょっと興味があるのよ、世界を救う“グランドフォース”って存在に」
「……は?」
ジェイルにはプレゼナの真意が計りかねた。
元々よくわからない奴だが、時々さらに突拍子もない事を言う。
「だから、あなたやデストロード様が追い続ける“グランドフォース”を一目見てみたいって言ってるのよ。……そこまで必死になるなんて、どんな男か興味あるわ。今まではお目にかからないうちにあなたが始末したって事になってたから」
「…………」
あぁ、そういうことか、とジェイルはまもなくその意味をなんとなく理解した。
しかし、魔物達にとって最大の敵・グランドフォース相手につくづく呑気な奴だ、とジェイルは呆れ返ってしまった。
こんな奴が自分と同じデストロード様の直属の臣下、そして幹部の一人なのかと思うとなんだか情けなくなってくる。
「……期待しなくても、グランドフォースはお前のタイプじゃない。奴はまだガキだ」
ジェイルはそれだけ言うと、今度こそ振り返る事なくこの闇の空間を後にする。
立ち去るジェイルだったが、そんな彼の耳に小さく「あら、素敵じゃない」と呟くプレゼナの声が最後に聞こえたような気がした。
——……†
——再びカルサラーハ。
リオーネとフォンは、半壊した店内で怪我をした数人の客の処置と店の復旧作業の手伝いを終えていた。
復旧作業といっても店はほぼ破壊されてしまったため、吹き飛ばされた瓦礫の山やイスやテーブルを片付けることくらいしかできず、店は当分休業を余儀なくされるだろうが、それでも死者がでなかったことだけが唯一の救いだった。
作業によって時はあっと言う間に経ってしまい、その日夜遅くにカルサラーハの町で宿をとった二人だったが、到底睡眠をとれるような気分ではなく二人はそれぞれの寝室のすぐ外にある広間で今日起こった出来事と今後のことについて話し合うことにしていた。
広間の片隅にある小さな腰掛けに座りながらリオーネとフォンを包む空気はどことなく暗く、そして深刻だった。
「……レキが、まさかあのレクシス皇子だったなんて、思ってもみなかったわ。彼は三年前、国と共に滅びたって聞いてたから」
リオーネが遠くを見ながらぼんやりと呟く。
死んだとされていた皇子が生きていた事にももちろん驚いたリオーネだったが、彼女が一番驚いたのは、自分達がほんの二週間ほど前に出会った少年がその皇子だったという事だ。
レキは何も事情を打ち明けてはくれなかったが、何か気にかかる思いがあれからずっとリオーネの中にはあった。
「私がセルフォードの王女だって名乗った時、レキも名乗ってくれればよかったのに……。レキだって、きっと私の事は知ってたはずよね?」
リオーネは向かいに腰掛けるフォンへと視線を移しながら問いかける。
フォンはさっきからずっと難しい顔をしながら腕を組み、何かを考えているようだったがリオーネに話を振られ、ふと顔を上げた。
「そうですね。レクシス皇子ももちろん隣国セルフォードの姫君のことはご存じだったでしょうが……、しかし彼としては、名乗るわけにもいかなかったのではないでしょうか?」
フォンはレキの事を愛称で呼ばなくなっていた。
亡国とはいえ、レキが尊い血をもつ皇族だという事実を知った以上、一介の剣士であるフォンにとって、敬称と敬語を使わない事などありえないことだったのだ。
「レクシス皇子は何か訳ありで旅をしているご様子でしたし、ジェイルという男が皇子の命をつけ狙っているという事実も気にかかります。レクシス皇子は身分を明かす事によって、我々が危険に巻き込まれる事を恐れたのではないでしょうか?」
「危険、ね……」
リオーネはフォンが言った言葉を繰り返し呟く。
たしかに、あのジェイルと言う男はなにか狂気に満ちていた。
彼は本当にただの従者だったのだろうか。……いや、それ以前に本当にただの人間だっただろうか?
彼が何者なのかリオーネには知る由もないが、エレメキアで起こった悲劇はもしかすると、あのジェイルが何か関わっていたのかもしれない。
しかし、エレメキアが滅んだのは大群のモンスターに突然攻められたからである。ジェイルがそれに関わっているとなると、彼はいよいよただの人間ではない事が確定するのだが、本当のところはどうなのかリオーネには判断する基準もすべも全くなかった。
「でも今回の事は、逆に私達がレキを危険に巻き込んじゃったわよね」
リオーネは、フゥと大きなため息をつきながら呟く。
「あのジェイルって男、レキが生きてる事は知らなかったのに、私達が喋ってしまったわ。……そのせいで、レキはこれから危ない目に遭うかも」
ジェイルはレキの命を狙い、後を追っていってしまった。
間違いなくレキの身に危険が迫っている状況だが、レキはまだこの事を知らない。
いくつかの偶然が重なって、まさか自分の正体を知るはずのないリオーネ達から情報が漏れるとは考えもしないだろう彼は、かつて自分の命を狙った者がその生存を知り、行方を追って来ているとはきっと夢にも思わないだろう。
ジェイルがレキを見つけてしまう前にそのことを警告しなければ、取り返しのつかない事になってしまうかもしれない。
「……レクシス皇子に、危険が迫っている事をお教えしなければなりませんね。その原因を作ってしまったのは他でもない我々ですから」
フォンはやがて考えをまとめたかのように顔を上げてそう言うと、同意を求めてリオーネを見た。
そのフォンの視線にリオーネも頷く。
「そうね、私も同じ事を考えてたわ。フォン、レキを探すわよ。それでジェイルの事を警告しなきゃ!」
リオーネは宣言すると同時にスクッと立ち上がる。
ここしばらく元気のなかったリオーネだったが、今は何かが吹っ切れたような、心なしか張り切っているようにさえも見える様子だった。
ジェイルの事はもちろん気にかかるし不安だ。
しかし、その事がなければレキを再び探すなんて事はなかっただろう。
レキにはもう一度会わなければならない理由ができた。
その事が不謹慎ながらも、リオーネにとってはなんだか嬉しかったのだ。
初めて会った時から何故か心惹かれた少年——レキ。
今思えばそれは第六感とも言えるべきものであり、彼に何か運命めいたものを感じたのかもしれない。
それは単にロマンチックな類いのものではなく、どちらかというと宿命と言うべきものなのか、セルフォードとエレメキアそれぞれの国を統べる者としての意味のある出会いだったように、今なら思える。
もちろん彼自身に対してもなにか惹かれる部分はあったのかもしれないが、別れてからも今までずっと心のどこかでレキの事が引っ掛かっていたのは、おそらく前者の事が関係してのことだったのだろう。
とにかく、セルフォードの王女としては、かつての友好国の皇子が生きていたこと知った以上、それをできる限りは保護し、支援したい。
そうすることが当然であり、ましてやレキはリオーネ達にとっては既に仲間である。
もう一度レキに会ったら、次は彼がなんと言おうと絶対に一人で旅を続けさせたりはしない。
ここまで事情を知って踏み入ってしまった以上、命を狙われている彼を一人にしておくのは心配で堪らなさすぎるというものだ。
「……危険だからとか、ぜんっぜん関係ないわ! もっと頼ってくれてよかったのに。……実は皇子だったとか、命狙われるてるとか、後で知ったほうが余計に心配よ!! 巻き込まないように気遣ってくれたんだろうけど、こっちだって心配する権利はあるんだからね!」
考え事の最後のほうを思わず声に出してしまったリオーネが叫んだ。
少し熱くなり過ぎていたようで、かなりの大声で宣言をしてしまったことに彼女自身少し驚いたようだったが、目の前に座っていたフォンはその発言に彼女以上にさらに目を丸くして驚いていた。
「姫、なんだか元気になりましたね」
「え? そ、そう? 私はもともと元気だったと思うけど……」
リオーネは自分では気が付いていないようだったが、何年間も彼女のそばに仕えてきたフォンにはその変化が分かっていた。
彼女が元気を取り戻した事は非常に喜ばしいことなのだが、フォンはそんなリオーネを見てなんだかほんの少しだけ複雑な思いを抱える。
「……姫、一つ聞いてもいいですか?」
いつになく、真剣な顔でそう問いかけたフォンは普段と比べて少しだけ落ち着きのない様子にも見えた。
「なに?」
リオーネは何気なく答える。
あっさりと聞き返してくる彼女にフォンは少し躊躇したようだったが、それでもおもいきった様子で質問の先を続けた。
「姫は、エレメキアの皇子があの“レキ”だったと知って、レクシス皇子のことをどのように思われましたか?」
「へ?」
真剣な顔で聞くにしてはどこかズレたような質問だった。
「どのようにって、そりゃビックリしたってのが一番だけど」
リオーネはフォンの意図がよくわからないといった表情をつくってみせながらも、一応その質問に答える。
「フォンだって驚いたでしょ? だってレキはすごく親しみやすかったし、それに強かったし。大国の皇子様っていったら……まぁ悪い人ではなくてもちょっと偉そうだったり、武術の心得もほとんどなかったり、あったとしても実戦であんなに率先して最前線で戦おうとしたりしないし……ちょっと意外だったわね」
それはかなり勝手な思い込みだったが、彼女が今まで接してきた貴族や王族はそういった類いの者が多かったのかもしれない。
リオーネはどちらかというと庶民的な感覚を好む王族にしてはかなり変わったタイプなため、一般的王族思考を持つ彼等は少し苦手だった。
「……ですよね。だからエレメキアの皇子との婚約話が持ち上がった時も、姫は国王に向かってもの凄い勢いで大反対したんですよね」
フォンは相変わらず真剣な顔を崩さない。
この話題のどこにそこまでの真剣さが必要なのかリオーネにはわからないが、フォンにとっては重要な事なのだろうか?
とりあえずリオーネは話を続ける。
「そうね、だってお父様ったら勝手に決めちゃうんだもの。でも会った事も話した事もないような人と婚約なんてできるわけないじゃない。私はいつか自分で、この人!って確信した人と結婚するって決めてるんだから」
リオーネはきっぱりと言い切った。
王女という立場でそれは難しいことだとはわかってはいたが、リオーネは自分の信念をかなりしっかりと持っているタイプだと言えるだろう。
そもそも自国を飛び出しグランドフォースを探している現在のこの状況も、彼女のその性格があってこそのことである。
「私、結局はお父様に説得されてエレメキアを訪問することになったけど、実はあの時、レクシス皇子に会って直接婚約を断ろうと思ってエレメキアへ行く事にしたのよね」
「……それは初耳ですね」
フォンは少し意外そうに答える。
三年前、リオーネがエレメキアに行くとついに宣言した時、フォンはてっきり彼女がもう納得したものだとばかり思っていた。
「だってお父様には何を言っても無駄そうだったし、直接レクシス皇子に断りを入れれば、なんとかなるかなーと思って。エレメキアだって正式に断ってきた相手と皇子を婚約させるわけにはいかないでしょ?」
ふふっ、と勝ち誇ったような顔を見せるリオーネはなかなかの策略家なのかもしれない。彼女の中では全て計算した上で、エレメキアへと向かう事に決めたようだった。
「……でもまぁ、結局会う事はなかったけどね」
リオーネはそれまでの冗談めいた言い方とはうって変わり、急にしんみりとした口調で最後にぽつりと呟いた。
あの後、エレメキアに起こった事を思い出したからだ。
婚約話が持ち上がった時は正直困ったものだと思ったが、リオーネもエレメキアという国はもともと大好きだった。
セルフォードとはとても仲の良い友好国であったし、大国としては他の小さな国を支援したり、とても評判のいい国だったのだ。
そんなエレメキアが滅びてしまったあの悲劇は非常に残念でならない。
リオーネがフォースを探す旅に出るキッカケになったのも、少なからずエレメキアのような国をこれ以上増やしたくないという思いがあったからだ。
「今なら、どうですか?」
過去のことを思い出し、少し沈みがちになったリオーネに、フォンがふいに問いかけた。
「今なら? 何が?」
リオーネは再びきょとんと聞き返す。
さっきから、フォンは一体何が言いたいのだろう……?
不思議に思うリオーネだったが、そんな彼女にフォンはついに一番聞きたかった確信の部分をつく。
「ですから、その……実際に会ってみてレクシス皇子との婚約をどう思ったのか……と」
フォンは我ながら意味のない事を聞いているな、という自覚はあった。
今はもうエレメキアという国はない。
もう婚約がどうだとかいう状況ではないのだが、しかしリオーネがかつての婚約相手についてどう思ったのか、フォンはなんとなく聞かずにはいられなかった。
今はそんな場合ではないという思いももちろんあるのだが、リオーネがあまりにもレキの事で一喜一憂するため、どうしても気になってしまったのである。
「そうねぇ、……う〜ん」
リオーネはフォンの思いには気づく様子もなく、質問の答えをちょっと考えてみせると、やがて笑って言った。
「レキとなら、婚約してもいいかもね」
ふふっ、と無邪気な笑顔を見せるリオーネに、フォンは「そうですよね」とおよそ返ってくる答えがわかっていたかのように呟く。
しかしリオーネの答えにはまだ続きがあった。
「なぁ〜んてね。冗談よ、冗談。たしかにレキの事は少し気になったりはするけど……婚約なんて、やっぱり飛躍しすぎよ」
リオーネはあっさりとそう言ってしまうと、今度はフォンに向けて不可解な視線を投げる。
「でも、さっきからなんでそんな事聞くの? なんかフォン、今日変じゃない?」
突然切り返されたフォンは一瞬ドキリと焦ったようにも見えたが、いつもの冷静な表情を作ると、彼は全くなんでもないように答えた。
「いえ、ただ参考までに」
「なんの参考よ……」
リオーネはあきれたように呟くが、それ以上は黙ってしまったフォンにさらなる追及をかけることはしなかった。
——まぁ、フォンが尋ねる事だから何か意図があってのことなんだろうけど……。
そう思い直すと、リオーネはなんだか腑に落ちないような気持ちを抑えてこの件から頭を切り替えると、すでに普段の様子へと戻ったフォンから目を離したのだった。
——まずはこの大陸でレキを探す。
レキがこの大陸に渡っているとは限らないが、ウェンデルはランガ大陸の最も西端にある街なのだから、海を渡り、このリアス大陸へと来ている可能性は高い。
それに、別れてからまだあまり日は経っていないため今ならきっとそんなに遠くへは行っていないはずだ。
まだ再会の希望はある。
ジェイルがレキを見つけるよりも早く、彼を探し出さなければ。
「ジェイル、あなたの思い通りにはさせないわよ。どんな理由があるのかは知らないけど、レキを殺すなんて事……絶対に止めてみせる」
リオーネは小さな声で決意を呟くと、命を狙われ、そして今も一人で旅しているであろうレキに想いを馳せ、心からその安否を祈るのだった。
——……†
——再びリバースフィールド。
デストロードの直属の臣下・プレゼナは一人、リバースフィールドに佇んでいた。
主君も消え、同じく臣下のジェイルもグランドフォースを追って外界へと戻っていったものだからプレゼナはどうにも退屈な思いを抱えていた。
「ここにいるのもちょっと飽きてきたわね。私も、また外界にでも出掛けてみようかしら」
……グランドフォースも現れたことだしね、とプレゼナは独り言を呟く。
プレゼナも今までに外の世界に出たことはあったが人間達はあまりに張り合いが無かったため彼女はそれに飽き、このリバースフィールドで高みの見物と決め込んでいたのだが、フォースが現れたとなれば話はまた別である。
やはり伝説に名を残すグランドフォースともなればどんな人物なのか気にはなるし、ジェイルだけに美味しいところを持っていかれるのはなんだか面白くない。
「……そうね、またあの街、ダンデリオンにでも行ってみようかしら? あそこは私が今制圧してる街だし……あの街へならこのリバースフィールドからいつでも行く事ができるわ」
プレゼナは相変わらず独り言を続けながら、一人妖しく微笑んだ。
リアス大陸にある花の都・ダンデリオン。
そこは少し前にプレゼナが多数のモンスターを従え、攻め落とした街だった。
彼女達魔物側がその街を狙ったのには大きな理由が一つあったのだが、その理由はおそらくグランドフォースも興味を抱くことだろう。
「“あの花”の存在——、それを知ればグランドフォースはきっと危険を冒してでもダンデリオンにやって来るわ」
プレゼナは「フフッ」と何かを企んでいるような笑みを見せる。
生きてさえいれば、遅かれ早かれグランドフォースは必ずダンデリオンにやって来る。そのことがプレゼナにはわかっているようだった。
「グランドフォースの皇子様、ジェイルが見つけるよりも早くダンデリオンに来てくれないかしらね? “あの花”には少し細工をさせてもらったから、封印を解く存在が現れたら、私にはそれがわかる。……そうしたら、スグにとんでいって遊んであげるのに」
プレゼナは意味深に呟くと、これから起こりうる余興を思い描くように、楽しそうな笑みをこぼすのだった。
——……