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表紙

グランドフォース 〜三人の勇者〜
第十五章「気まぐれな刺客」

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~第十五章~「気まぐれな刺客」


「まいったな」

 レキは崩壊したダンデリオンの街を駆け抜けながら、呼吸の合間に短く呟いた。

 先程モンスター達に見つかってからというもの追従するモンスターを撒こうと全速力で走り続けていたが、その数は撒くどころかどんどん増えていくようだった。
 街の行く先々には常にモンスターが徘徊しており、侵入者騒ぎに気づいた彼等が次から次へとレキを追う集団の中へと合流してしまい、今や最初に侵入が見破られた時よりも、余程多くのモンスターにレキは追われる羽目になっていた。

「……これ、全部撒くのはちょっと大変そうだな」

 レキはちらりと後方を振り返る。
 そこにはざっと20匹程のモンスターの群れと、さらに上空にはドラゴンが迷わずまっすぐにレキを追ってきていた。
 逃げ切るのは既にもう無理なのかもしれない。
 ここは危険を覚悟で戦うべきか。この数ならフォースを解放すればまだなんとかなるだろう。ただ、ドラゴンだけはかなり厄介な相手だが……。

 そんなことを考えながら、レキはとりあえず走り続ける。
 もうかなりの距離を走ったはずで大分息も上がってきていた。
 戦うのなら、そろそろ決断をするべきだ。

「仕方ない、……やるか!」

 レキは決心すると同時に剣を抜き、それを構えつつ素早くクルリと後ろを振り返る。
 ……が、今まさに戦いを受けてたとうとしたレキは、その後方の光景に「あれ?」と妙な様子を感じとった。
 先程まで全力でレキを追って来ていたモンスター達はなぜか急にその足を鈍らせ、レキから少し離れた地点で何か躊躇するように留まっていたのだ。

「……ギ! ココカラ先ハ、管轄外」

「足ノ速イ奴メ……」

 モンスター達はある地点を境にそれ以上追って来ようとはしなかった。ドラゴンでさえ、辺りをぐるぐると滑空するだけで襲って来ようとはしない。
 彼等はギィギィと相談するように仲間内で言葉を交わすと、こちらの様子を気にしながら少しずつその場を立ち去っていった。

「……? なんだ? 襲ってこない」

 レキはわけがわからず、ポカンとしながら構えていた剣をわずかに降ろす。
 完全にモンスター達がばらけるまで一応戦闘体勢をとってはいたが、どうやら今、彼等が襲ってくる事はなさそうだ。

「管轄外って言ったのか? ……どういうことだ?」

 レキは辺りを見回してみた。
 今まで全力で走っていたためあまり景色に気を配っている余裕はなかったが、そこは崩れかけた建物や街並はすでになく、ただ広大な焼け野原だけが広がっていた。
 おそらく街が襲われる前は広い花畑にでもなっていたのか、いっそう焼けた白い灰が辺りに降り注ぎ、焼け焦げた地面は花畑の名残を残し、踏みしめると少し柔らかかった。

 さらに、先程までは溢れるばかりのモンスター達が街を徘徊していたというのに、この場所は見渡す限り一匹たりともモンスターの姿はない。

「ここは、ちょうど街の中心辺りかな」

 レキは街全体の外観を思い出しながら、目算で今自分のいる場所を推測する。
 位置的にも、この広大な花畑跡を見ても、ここが街の中心であることは間違いなさそうだった。

「クローレンは大丈夫かな、上手く逃げてるといいんだけど……」

 辺りの様子をさらに窺いつつ、レキは気掛かりの一つを呟く。
 お互い二手に別れて街の中心を目指したが、どうやらレキの方が早く着いてしまったようである。
 あの数のモンスターに追われ、果たしてクローレンは無事だろうか……。
 彼のことだからおそらく上手く逃げているとは思うが、やはり気になったレキはクローレンと合流するため、少し街を引き返すことにした。

「……!」

 が、レキは唐突に左胸が大きくドクン!と強く鼓動を打つのを感じ、そのまま足をとめる。
 左胸がなんだか熱い。
 剣を鞘へと戻し、服の上からそっと右手で胸を押さえてみる。

 レキの左胸——グランドフォースの紋章が、何かを訴えかけるかのように熱を帯び、ドクドクと激しく波打っていた。

「なんだ急に……?」

 レキは突然の感覚に不意をつかれながらも、しかしこれが胸騒ぎのような類いのものではないと感じていた。
 はっきりとはわからないが、紋章が——または紋章を通じた何かが自分を呼んでいる——そんなふうに感じとった。

「ここを動くなってことかな……?」

 レキはもう一度、広大な花畑跡を見渡した。
 一見この焼け野原地帯は、降り積もる白い灰以外は何もないような景色だが、何故か紋章はレキを呼び、なにか重大な事を訴えかけているかのようだった。



 ———……こっちよ。

「!?」

 その時突然、声が聞こえた。
 頭の中に直接届くような、不思議な声。


 ———……こっちに来て、グランドフォース。


 声はレキを呼んでいるようだった。
 紋章もその声に反応するかのようにドクドクと鼓動を揺らす。

「なんだ……? そっちに誰かいるの?」

 レキは突然聞こえた謎の声に少し戸惑いつつ、しかしその不思議な声の正体に興味を引かれた。

 グランドフォースを呼んでいる。
 ……一体、誰が? 何のために?

 レキは少しだけ迷ったが、不思議な力に誘われるようにゆっくりと声の聞こえる方向——焼け野原の中心へと向かって一歩を踏み出した。


 ———……そうよ、グランドフォース。さぁ……はやく、私を見つけて。あなたに渡したいものがあるの。

「オレに? キミは一体誰なの?」

 レキは“声”に問いかけながら、その導く方向へと歩み続ける。
 それは不思議な感覚だったが、自然と自分に語りかけてくる謎の声に、レキも応えなければいけないような気がしていた。
 レキは声の聞こえてくる方へさらに歩く。


 ———……私が誰か、気になる? ……大丈夫。もうすぐ会えるから、その時に教えてあげる。

「……キミはこの近くにいるの?」

 ———……えぇ、そうよ。あなたのすごく近くにいるわ。もう私の姿が見えてくるはずよ。

「でも、誰もいないけど」

 ———……そんなことないわ。よく見て。

「見てるけど、いないよ」

 ———……嘘。私にはあなたの姿がよく見えているわよ。

 レキは“声”を頼りに辺りを見渡す。しかし、この焼け野原に人影は一つとして見当たらない。

「やっぱりいないよ」

 ———……そんなことないわ。……だって私はちょうど今、あなたの目の前にいるんですもの。

「え?」

 レキは“声”に言われるまま、もう一度前をよく見た。
 しかし、そこにはやはり何もない。
 前方には相変わらず、ただ焼け焦げた花畑が広がるだけだった。


 ———……ちがうわ。下よ、下。……足元を見て。

「足元?」

 レキはそのまま目線を足元に移した。
 するとそこにはわずか身の丈30センチほどのはかない一輪の花が、蕾のままゆらゆらと揺れている姿があった。
 周りはすべて焼け野原になっているというのにこの花だけは焼けた様子もなく、はかない見かけとはうらはらにしっかりと地面に根をおろし、この荒れた地で強く咲き続けている。

 その様子を確認するのと同時に、花の蕾に描かれている紋章が目に入り、レキは一瞬でその花がなんなのかを理解した。

「これが……もしかしてジースさんの言ってたフォースの花? 滅びたダンデリオンで、今もフォースが来るのを待ち続けてるっていう……。さっきからオレに話かけていたキミは、フォースの花だったの?」

 花の蕾にはジースの言っていた通り、フォースの紋章が描かれていた。
 それはやはりレキが左胸にもつ紋章とまったく同じ模様で、不思議な光のような輪郭で描かれているその紋章は、わずかだが淡い光を放っていた。


 ———……さぁグランドフォース、あなたが来るのを待っていたわ。……はやく私に触れて。……その時、ついに封印は解かれることになるの。

「……封、印?」

 レキは声に導かれるまま、そっと手を差し出した。
 フォースが触れる事で解かれる封印。
 モンスターの侵略を受けつつ、なおもレキが来るのをずっと待ち続けていたフォースの花。
 なにか重大なものを封印していることは明らかだ。
 レキはゆっくりと慎重に、そしてほとんど指先だけでそっと花に触れた。


 ———……カッ!!!


 その瞬間、辺りが光で包まれた。

「うわ!?」

 あまりの輝きに、レキはほとんど目をあけていられなかった。
 レキが触れる事によって長年の封印から解き放たれたフォースの花は、輝く七色の光を溢れ出しながらその蕾を一瞬にして開き、辺りを虹のように鮮やかに染め上げた。

 虹のような光に照らされた一帯の焼け野原は、その光と同じ七色の花がつぎつぎに咲き乱れ、降り注ぐ白い灰は色とりどりの花びらへと変えられていく。
 フォースの花によって焼け野原だったその場所は、一瞬にして元の花畑以上の美しい花の園となり、七色の光り輝く花と舞い散る花びらはこの世のものとは思えない、幻想的な光景を作り上げていた。


「すごい、綺麗だ……」

 このあまりにも美しい光景にレキは目を奪われながらぽつりと呟くと、降り注ぐ花びらをすくおうと両の手のひらをそっと天へ向ける。
 花びらはひらひらとレキの手の中へと舞い落ち、それはあとからあとから際限なく降り積もり、彼の手の中に小さな虹色の絨毯をつくる。

「……うふふ。花に夢中だなんて、可愛らしいじゃない」

 ふいに、すぐそばで先程レキを導いたあの声がした。
 しかしさっきのように頭の中に直接届く声ではなく、現実的にレキのそばで声を発している。
 レキは反射的にその方向へと振り返った。

「え……!?」

 レキが振り返った先にはなんとも美しい女性が一人、立っていた。

 艶やかな長い黒髪を垂らし、これまた漆黒に輝く大きな瞳を片方だけ晒している。非の打ち所のない完璧なスタイルと白く透きとおった肌をゆるりと包むのは、露出度の高い漆黒のドレス。
 この鮮やかな七色の景色の中で、ただ黒と白だけで彩られたその女性は妖しいほどにその美しい存在を強調させ、まるで周りの花全てが彼女を引き立てるためだけの役割を果たしているかのようにも見えた。

 さらに彼女のすぐ側では満開に咲き誇ったフォースの花が、花びらの一枚一枚を輝かせながら神秘的な光を放っている。

「……あなたが、グランドフォースね?」

 女はその口元に妖艶な微笑をたたえると、さらりと美しい仕草で髪をかきあげながら、レキへと一歩近づいて来た。

「そうだけど……キミは?」

 レキは自分を導いた声の主が突如姿を現したことに驚きながら、女が一歩近づいた分、わずかに後ろへ下がりつつ答えた。

 フォースの花が咲き誇ると同時に出現したこの女。
 味方のような気もするが、何か一瞬、ぬぐいきれない邪の雰囲気を隠しもっているようにも見えたのだ。
 それは単にレキの思い過ごしだったのかもしれない。しかし体は無意識に女と間合いをとろうとしていた。

「あら……? そんなに警戒しなくてもいいじゃない。せっかくこんなに素敵な場所で出会えたんだから……ねぇグランドフォース」

 女は先程レキがしていたように手のひらを上へ向けると、優雅な仕草で舞い散る花びらをすくう。そしてなにが可笑しいのか、そのままクスクスとこぼれるような笑いをもらした。
 相変わらず妖艶なオーラを感じさせはするが、しかしその光景はまるで一枚の絵画を見ているかのように美しくもあった。
 七色の花園で、女の美しさは最大限、天才的なほどに引きだされている。

「……さっきからオレを呼んでいたのはキミだよね? キミは誰? 一応聞くけど、ダリアさんってことはないよね?」

 レキはやはり、少し警戒を残したままで尋ねる。

 ダンデリオンの街で捕われている女性——ダリア。
 直感でなんとなく違う気はしていたが、わずかに可能性があったため、レキは念のために確認した。

「ふふ、違うわ。私の名はダリアじゃない。……でも、あなたを呼んだのは確かに私よ、グランドフォース」

 女はそう言うと、笑みをたたえたままさらに大きく一歩レキへと近づいた。
 そしてじっと捕えるような視線をレキへと向け、その瞳を真正面から覗き込む。

「……じゃあキミは一体誰なの?」

 レキはわずかに戸惑いつつ女を見る。
 女の視線には不思議な強い力があり、間近でそれを受け止めてしまったレキは、その絡み付くような視線から目が離せなくなりつつあった。

「フフ、グランドフォース。さっきあなた自分で言ってたじゃない。私の正体。それ間違ってないわよ?」

 女はさらに近づいてきたがレキは後ろに下がることができなかった。
 不思議な妖しい視線からも逃れることができず、警戒を残しつつもその瞳を見つめる。

「オレが? じゃあキミは……」


「フフ、……そうよ、私はフォースの花」

 女はレキの言葉を引き継いで答えると、そのままさらに近づき、レキの耳元でクスリと笑った。
 そしてもうほとんど吐息のような声を、レキの耳に囁くように吹きかける。

「……その妖精って、ところかしら」








「———ゼッタイ違ーう!!!」

 その頃クローレンは一人、ダンデリオンの街で絶叫していた。
 いや、正確には一人という表現は間違っているかもしれない。彼の後方には何十というモンスター達が群れをなし、彼を捕まえようとその後を追っていたからだ。
 ギャーギャーと騒々しくさわぎ立てながら、クローレンとモンスター達は熱い大追走劇を繰り広げていた。

「待テ!! 貴様、コノモンスターノ街ニ乗リ込ンデ来ルトハ、余程命知ラズノ馬鹿ラシイナ!」

「貴様ノ望ミ通リ、今スグ殺シテヤルカラ、ソノ足ヲ止メロ!」

「だから、ちっげーよ!! んなわけないだろが! 誰が好きこのんでノコノコと殺されにやって来るかよ!!」

 クローレンは後ろから飛んでくるモンスターの野次に突っ込みを入れつつ、全速力で逃げ続ける。

 レキと別れてからというもの、それからずっとモンスターの追っ手を引き連れ、ダンデリオンの街を迷走していたクローレンにはそろそろ疲れも見え始めていた。
 正直逃げ足には自信があったが、これだけの数ともなるとなんとか策を練らなければ、全てを上手く撒くのはほぼ不可能といってもいいだろう。

「チィッ! なんかいい方法はねぇもんか……。このまま戦うわけにもいかねーしな」

 クローレンは走りながら辺りをキョロキョロと見回す。
 どこかに隠れるところはないかと探していたのだが、この大群のモンスターの目をごまかせる場所ともなると、なかなかいい具合の隠れ場所は見つからなかった。

「頼みの綱はこれだけだな……」

 クローレンは呟きながら隠し持っていた丸い球状の煙幕を上着の内ポケットから取り出す。
 これは先程モンスター達に潜入がバレてしまうキッカケにもなってしまったアイテムだったが、上手く使えば便利なものであるため、その時偶然近くに落ちていたものを一個だけ拾っておいたのだった。

 使いどころを考えながらここまで逃げてきたが、そろそろもう体力のほうが限界だ。
 これで全てのモンスターを撒くことはできないだろうが、なんとか幸運が起きるよう一縷の望みをかけ、クローレンはその煙幕のスイッチを押した。

「でぇぇえ~い! 行き当たりばったりだが、なるようになりやがれ!!」

 ほとんどヤケクソ気味に叫ぶと同時に、彼は後方のモンスター達めがけて煙幕を投げつけた。
 その煙幕はいったん地面にバウンドすると、クローレンの叫び声を掻き消すように「シューーーッ!」という激しい音をたて、辺りを真っ白に染める煙を勢い良く吹き出す。
 一瞬にしてクローレンの姿は充満した濃い白い煙によって包まれ隠された。

「……ム! マタ煙幕カ! 芸ガ無イ……!」

 しかしその煙は、勘の鋭いモンスターにはあまり効果がなかったようだ。
 半分程のモンスターは煙によって足留めを喰らったが、二番煎じということもあり残り半分のモンスターは迷うことなく煙の中を一直線にクローレン目掛けて突き進んできた。

「ゲッ! やっべェ~~!! 全然効いてねーじゃんかよ!」

 クローレンはかなり焦った声を出しつつ煙の中を疾走する。

「このままじゃ、マジ捕まる! くっそ~、オレの奥の手だったのにぃぃ」

 悔しがりながら叫ぶクローレン。しかし、彼の余裕は徐々になくなりつつあった。
 このまま走り続けるのはもう限界に近いが、止まって戦うには相手があまりにも多すぎる。

 対複数戦というものは、よほどの戦闘センスか魔法のような範囲攻撃でもなければ絶望的に不利なのだから、残念ながらどちらも持っていないクローレンにとっては追いつかれればほぼ勝機がないことは自分でもよく分かっていた。

 それならなんとか死に物狂いでもここは逃げ切る以外に道はないのだが、残された体力ではそれもどうやら怪しいものだ。

「やべー! どうする、どうする~~~」

 クローレンはいよいよ鬼気迫る思いで叫ぶが、それでもやはりいい案は何一つ浮かばなかった。

「観念シロ! 追イカケッコハ、モウオワリダ!」

 さっきよりも近い場所からモンスターの野次が届く。
 煙の中ではっきりとした距離感はわからないが、もうまもなく先頭の集団はクローレンに追いつくだろう。
 まさにもう、絶体絶命だった。

「くっそ~~! どーすりゃいい———……って、うげぇッ!!?」

 しかし次の瞬間、彼は叫ぼうとした言葉を最後まで言えず、予想外に唐突な短い悲鳴をあげた。
 そしてそのまま何がなんだかわからないうちに、体が落下するような気持ち悪い感覚を一瞬、そして「ドシ——ン!」という衝撃音と共に、盛大に地面に打ち付ける背中の強烈な痛みを感じた。

「イッテェーーー!!」

 突然いろいろなことが同時に起こったため、一瞬何が起きたのか理解できなかったクローレンは、ついに追いついたモンスターによって背中へ先制攻撃を受けたに違いないと思った。
 しかしすぐに、どうやらそうではないらしい……少し様子がおかしいことに気がついた。

 辺りは一瞬にして煙幕が充満し白くなった視界ではなく、まったくの正反対である真っ暗な視界へと切り替わっている。しかもそこにモンスターの気配は全くない。
 その上クローレンは足を宙に投げ出し、背中を地面につけた状態で、なんとも情けない格好でひっくり返っていた。ついでに背中もジンジンとかなり痛い。

「……えーと、………どうなった?」

 クローレンはよく状況が飲み込めず、とりあえず落ち着こうとそのままの格好で二、三度大きく深呼吸をした。
 長距離を疾走したせいで息はかなり切れていたため、深呼吸することによって乱れた呼吸も気持ちも若干落ち着く。


「奴メ! 何所ヘ消エタ!?」

 その時、なぜか彼の頭上からモンスターの叫ぶ声が聞こえてきた。
 同時にドタドタと集団が走り回る足音が響く。

「……オレ、もしかして穴にでも落ちたか?」

 クローレンは徐々に自分の状況を把握しはじめ、ボソリと呟く。
 突然の落下する感覚と衝撃、そしてこの真っ暗な空間と頭上からのモンスター達の声。
 どうやら彼は全速力で逃げている最中、信じられないような強運で偶然地面の緩い部分を踏み、そのまま地下へと落ちてしまったようだ。
 あまりにも瞬時にクローレンの姿が消えた事で、モンスター達も気づかなかったようだ。ちょうど煙幕が視界をぼかしていたのも幸いしたのだろう。
 奴らは相変わらず地上で居るはずのないクローレンを探している。

「クソ、何所へ行ッタンダ! 煙幕デ、マンマトシテヤラレタ!」

「マダ遠クニハ行ッテナイハズダ。追ウゾ!」

 ズドドドド……と地響きのようなモンスター達の足音が少しずつ遠のいていく。
 クローレンはこのもの凄くラッキーな展開にホッと小さく安堵の息をついたが、しかしそれもわずかな時間だった。

 ふいにこんな状況は最近にも経験したような、イヤな覚えがあったからだ。


「ここはジルカールかっつーの。オレはよく穴に落ちる男だぜ……」

 ジルカールの街での一悶着も全ての始まりは地下に落ちたことからだった。
 なんだかイヤな予感を感じながらも、念のため周りが鉄格子で囲まれたりしていないかを確認する。

 まだ突然の暗闇に目が慣れていないせいかよくわからないが、周りは普通の石壁のように見える。しかし直線的な壁ではなく、ゴツゴツと小さな石を組み合わせて造った丸い円状の壁になっていた。
 どうやらクローレンはその円柱状にくり抜いたような穴の真ん中に落ちたようだが、その面積は思ったよりもかなり狭いようにみえた。


 これでまた、イズナルみたいな奴が出てきたら真剣にビビるよな~……。

 そんなことをチラリと頭の中で想像してしまったところで、驚くことに、彼は突如背後から肩を叩かれた。
 あまりにもタイミングの良いその出来事に、クローレンは盛大に「ギャーーーッ!?」という悲鳴を上げる。

「で、出たな! ババァ!!」

 飛び上がって振り向くと、しかしそこにいたのは「ババァ」とはおよそ形容しがたい一人の若い女性だった。
 大分目が慣れてきたのもあり、その女性の状況をよく見ると、彼女はこの狭い穴の中でどうやって今までそこにいたのかと思うくらい、ぴったりと壁に背中を張り付けたような格好で佇んでおり、先ほど上から降ってきたばかりの突然の来訪者に驚きの表情を向けていた。

「あなた……誰? モンスター?」

「え、ちげーよ。そう言うお前こそ……モンスターじゃねぇだろな?」

 互いに警戒するような視線を向けあう。
 暗がりのためはっきりとは断定できないが、おそらく女性の年齢は17、8といったところか。クローレンとそれほど違わない。髪はふわふわと細かいウェーブがかかった明るめのグリーン。もっとも髪色までは実際に陽の下で見てみないとなんとも言えないが、暗闇の中でも一際浮いて見えるその色は、おそらくそれほど的を外した色合いではないだろう。
 身に纏っているものも全体が緑で統一されたワンピース。すべてを緑で包んでいるかのようなその少女の足には、不釣り合いなほど黒く冷たい足枷がはめられ、両足首を太い鎖が繋いでいた。

 それを目にした時点でその少女が何者であるかクローレンは心当たりがぴったりと当てはまり、性懲りもなくまた「あーーーっ!」という大声を上げる。

「お前、もしかしてダリアじゃねぇのか? モンスターに捕われてる!」

「きゃ……そんなに大声出さないで! モンスターに気づかれるでしょ! せっかくここまで逃げてきたのに!!」

 少女は慌てて、叫ぶクローレンの口をむぐぐと抑えながら、かなりの小声で文句を言ったがそこで目をぱちくりと瞬いた。

「なんで私の名前知ってるの?」

 どうやら目の前の少女は探していた人物に間違いないようだった。
 まだ彼女が生きていたこと、そしてこの状況で運良く出会えたのはかなりの幸運だったのかもしれない。

 クローレンは少女の質問には答えず、そのままスラリと鞘から剣を抜き放った。

「え……! ちょっと、何する……!?」

 その行動に驚いた少女は思わず後ずさろうとしたが、クローレンは有無をいわせぬスピードで低く構えた剣を素早く真下に降り下ろした。


———……カシャン!

 ふいに金属的な破壊音が穴の中に小さく響き渡る。
 降り下ろしたクローレンの剣は、少女にはめられた足枷の鎖を見事に真っ二つに断ち切っていた。

 彼は剣を収めると、ポカンとしている少女に向き直り、ニッと小さく笑顔をみせた。

「おい、オレはお前を助けるためにここまで来たんだ。脱出するぞ」



————




「え……?」

 驚いたような、それでいて意外な調子を含んだ声が発せられる。

「妖精? キミが?」

 レキは今しがた耳元で囁かれた女の言葉を、少し腑に落ちない様子で繰り返し呟いた。

「そうよ。……なにかご不満かしら?」

 対する女は余裕たっぷりに、相変わらず妖艶な微笑はたたえたまま、レキの戸惑う表情を正面から捕らえている。


 ———フォースの花の妖精。

 妖精といえば物語や言い伝えなどではよく耳にする存在だったが、通常それが人前に出てくることは滅多になく、実際に出会える機会というものは極めて稀だった。

 妖精や精霊といった類いのものは人とは違う独自の世界観をもっており、普段は目に見えないカタチで存在していて、こちらに干渉して来ることはほぼないという。
 例外として一部には変わり者の精霊もおり、気まぐれで人に力を貸したり導いたりすることもあるようだが、今レキの目の前にいる女が本当にそうかと問われれば、それはよくわからなかった。

 女の容貌は非常に美しく、花の妖精だと言われればそれも納得できるほどの美しさではあるが、しかしそれが「フォースの花の」となると、わずかに違和感が漂っている。
 聖なる力の源、フォース。その花の妖精であれば、勝手な先入観だが神秘的で神々しいイメージを想像してしまう。
 だが目の前の女の印象は、漆黒のドレスがそうさせるのか、それとも妖艶な微笑なのか、あまり“神々しい”というイメージには当てはまらなかった。


「ちょっと、幼すぎるわね」

 女は見つめあったまま、ふいに全く脈絡のないことを呟いた。

「え?」

 その言葉に、レキは思考を中断しポカンとする。
 なんだか話の流れが一気に飛んだようだった。

「まぁでも……そうね、十分アリだし、もう少し成長したらなかなか有望ってところかしら。ちょっとそれを見てみたいって気もするわね」

 女は妖しく微笑む。
 レキには女の真意が少々計りかねたが、ちょうどその時、女のすぐそばで咲き誇るフォースの花が今まで以上に輝きを増して光りだしたことに、二人は注意を惹かれた。

「! 花が……」

「あぁ、そういえば封印を解いたんだったわね」

 フォースの妖精らしからぬ、それほど興味がないような様子で女は一言だけ呟くと、またすぐにレキへと視線を戻した。この正面に佇む、幼いながらもなかなかに自分好みの顔立ちの少年のほうが、余程興味を惹かれる対象であると言わんばかりの様子だ。
 しかし当の本人であるレキはそんなことには全く気づかず、もう一度眩しいくらいの輝きを放つフォースの花に見入っている。

 ——瞬間、フォースの花がパァン!という小さな破裂音とともに光の粒となって辺りに飛び散った。

 突然の事態に驚くレキだったが、しかしそのフォースの花が飛び散った跡の場所には、不思議に光る丸い球体が浮かんでいる。
 それは徐々に光を拡散させ、もう一度最大限に辺りをカッと煌びやかせると、唐突に光を消した。

 なにがなんだかわからないレキだったが、その次の瞬間目にしたものには、ドクンと心臓が強く揺れるような興奮を覚えた。
 さっきまで花が強く光り輝いていたその場所には、その眩い光とはかけ離れるように静かで色褪せた一冊の本が浮かんでいた。

 しかしレキにはその本に見覚えがある。
 もちろんそれは彼が探し求める世界に七つあるというフォースを導く書物。表紙にはくっきりとフォースの紋章が描かれ、既にレキが持つ二冊の書物と全く同じ外見のそれは、今まさにレキが手に取り、その頁を開くのを待っているかのようだった。


「ふふ、そうよ。これをあなたに渡したかったの」

 ふいに女がこぼれるような妖しい微笑とともに口を開いた。同時にサッとフォースの書物をレキの目の前から取り上げ、そのまま一歩退く。
 その言葉と行動の矛盾にレキは素早く警戒の色を滲ませた。

「何するの、言ってる事とやってる事が違うよ」

 フォースの花の妖精と名乗るこの女に、いよいよ本格的な疑念が湧き起こるレキだったが、しかしその疑いに反するように女はまたすぐにレキへと向けてその本を差し出してきた。

「慌てなくたってこれはあなたのものよ。ほら、やっぱりこういうのって私から手渡ししてあげたいじゃない? だってこれが私、フォースの花の精としての使命なんだし」

 女は相変わらず微笑を称えると、そのまま本を差し出した格好でレキが受け取りに来るのを待っていた。

 なんだかそれはそれで少し腑に落ちない、なんとも感情を読むのが難しい相手だった。妖精というものはみんなこういった変わり者ばかりなのだろうか?
 そんな事をふと考えたが、どうやら本を取り上げる気はないようだ。レキは仕方なく一歩女に歩みよる。


 ———やっと、これで三冊目だ。


 わずかな安堵の思いがもれる。
 女から差し出された本を受け取ろうとしたレキは、ようやく探し求めていた三冊目が手に入ったと、無意識のうちにわずかに力を抜いていた。

 探し求めていた物が目の前にある状況なのだからそれも仕方ないことだったが、しかしそのわずかに抜いた力がおそらくは致命的だった。
 この女と出会った短い時間の中で、この瞬間が最もレキの警戒が薄れ、ほんの小さな油断が生まれる最大の隙だった。

 レキが本に触れ、その意識と視線を半分ほど手の先にある書物に向けた瞬間、彼は突如本に触れていないほうの左腕を、ぐいとおもいっきり強く前へと引き寄せられる力を感じた。


 ———……っ!!?



 その次の瞬間、自分の身に起こった感覚には一瞬頭の中が真っ白になった。
 手の中からバサリとフォースの書物が音を立てて滑り落ちる。

 あまりにも突然の事でしかも予想外の事。さらには生まれて初めて味わうその感覚、いや感触にレキの思考は一瞬フリーズした。

 驚愕で見開いた彼の目の前には、瞳を閉じてもなお美しさを感じさせる——フォースの花の妖精と名乗った女の顔が、真正面の超至近距離にあった。そしてレキの唇には、とても柔らかく生暖かいものが強く押しつけられている、はっきりとした感触……。

 それは、つまり、この状況は——……。


 レキはその女と“キス”していた。


「——……ッな……にするんだ!」

 レキは今自分の身に起きた信じられないような結論に達した瞬間、ガァンと頭を激しく叩かれるような衝撃に見舞われ、金縛りが解けるかのように我に返る——そして、さらに絡み付こうとする女を振り払って後ろに飛び退いた。

 あり得ない。瞬間的にそう思ったが、今確かにレキと目の前の女との唇が重なり合ったのはまがう事のない事実で、飛び退き呆然とするレキの唇にもまだ先程の女の柔らかい唇の感触が鮮明に残ったままだった。
 レキはその感覚を一刻も早く掻き消したいかのように、ぐいと右手で乱暴に口元を拭う。


「んふふふふ、そんなにお気に召さなかったかしら。やっぱり子供ね。ちょっと刺激が強すぎたかしら?」

 女は楽しげな笑みを浮かべると、チロリと舌を出し、自らの唇を妖艶な仕草でなぞる。
 全く何を考えているのかさっぱり理解できない女だったが、ひとしきり自らの唇をなぞり終えたあと、女はわずかな一時完全に沈黙した。

 そして瞬間、なんの前触れもなくその口元に先程までとは違う獰猛な笑みを浮かべると、同時に辺り一面の空気を震撼させるような激しく鋭い殺気をレキに向かって貫いた。


「……ッッ!!」

 ビリビリビリと空気を伝って相手の殺気がレキの全身を容赦なく射抜く。

 フォースの花の妖精、そう名乗ったはずの相手から発散されるとんでもなく禍々しい殺気と邪悪そのもののその表情。いよいよ、眼前に対峙する女が味方でもなんでもないと確信した時、レキは咄嗟に抜刀しそれを女に向けて構えた。

「お前は、一体誰だ……!? フォースの花の妖精だなんてわけないだろ」

 緊張を押し殺した声で詰問する。対する女は悠然と、余裕たっぷりの笑みとともにその質問に答える。

「……そうよ、フォースの花の妖精だなんて真っ赤なウ・ソ。私は獲物がかかるのを待つ蜘蛛のように、あなたがここへ来るのを待っていたこの街の制圧者……“世界を破滅へといざなう者”直属の臣下の一人、艶美の死姫——プレゼナよ」

 レキは瞳を見開いた。
 目の前の妖しいほどに美しい女を驚愕の表情で見つめる。

 ジルカールに続き、ここにも“世界を破滅へといざなう者”の直属の臣下の魔の手が伸びているとは……。

 見た目はひたすら天才的に美しいだけ、一瞥してただの人間の女のように見えるが、直属の臣下になり得るくらいの強さであるのなら、相当の実力の持ち主であることに疑いはなかった。自然と剣を握る右手に力が入る。

「プレゼナ……お前の目的は何だ? オレを殺しに来たとしたら、随分おかしな真似をするじゃないか」

 最大限に警戒しながら、戦闘体勢をとる。だがプレゼナは、殺気を放ちつつもどこかゆったりするような口調で意味深な言葉を口にする。

「ねぇグランドフォース、光と闇、相反するものって……なんだか魅惑的な衝動を感じない?」

「……は?」

 真意を計りかねる言葉にレキは若干困惑したが、それも束の間のことだった。
 ふいに、ぐらりと気持ち悪いくらいに大きく視界が揺れ、目の前の光景がかすんだ。

「——ッ!?」

「フフ、やっと効いてきたみたいね」

 プレゼナの落ち着いた声が、レキの変化を予測していたように楽しむような響きで紡ぎだされた。
 まずい、と思ったが体からはみるみる力が抜け落ちていくような感覚に襲われ、そのまま地に膝をつく。

 それ以上は崩れ落ちないよう、なんとか剣を突き立てこらえるが、全身にはまったく力が入らなかった。

「な……んで……?」

「うふふ、さっきの……死の口付けの味はどうだったかしら? グランドフォース」

「……!」


 レキの全身に凍るような戦慄が走った。
 死の口付けだって……?
 
 相手が敵だった以上、アレは無意味な行動ではないと感じてはいたが、想像以上にやばそうな響きをもつ代物だ。
 おそらくはなんらかの特殊攻撃。“世界を破滅へといざなう者”の臣下であるのだから、相当に危険で強力な呪縛か何かか。

 レキは必死に力を込め、立ち上がろうとするが体は全く言う事を聞いてくれなかった。逆に、突き立てた剣に体を預ける事さえ難しくなってくる。
 フォースの力を解放しようと試みるがそれも少しずつ遠のく意識によって集中が邪魔され、おもうようにいかない。


「うふふふふ、……光と闇のラプソディー。そんな音楽を奏でてみるのも悪くないけど」

 プレゼナが動けないレキに向かって一歩近づく。そっと屈み、目線を同じくした。

「あなたにその気がなければ、美しい旋律は生まれないものね」

 囁くように、惑わすように、そんな言葉をもらす。
 しかしレキにはその言葉の意図する事を考える余裕はなかった。

 意識を保つのが既に限界。
 目を閉じてしまえばその時点で、今受けている死の呪縛か、目の前に佇む危険な敵によって命を奪われるだろう。
 例外はない。屈する事は直に死を意味する。
 ならば絶対に、このまま倒れるわけにはいかない。
 いかないのだが、体はどうしても言う事を聞いてくれそうになかった。


「もう無駄よ、どんなに抗ったって」

 プレゼナはレキの葛藤を見透かしているかのように、ぽつりと呟く。
 それは深い、深い、死へといざなうような冷たい響きを帯びた口調だった。

 まずいとはわかっていても、その言葉に誘われるかのように、レキの思考はゆっくりと停止していく。

「……おやすみなさい、グランドフォース」

 もうほとんど失いかけた意識の中で、最後に囁くような声を聞いた。



 —————永遠にね……。



       

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