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青春小説集「3月18日」追加
「3月18日」

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 3月に入ってからレミオロメン「3月9日」を口ずさむことが増えた。朝、布団を畳んで床にコロコロをかけながら歌っていると、娘が「パパ頭いかれたの?」と聞いてくる。そんな日常が続き、ついにその日が来た。曲名とは日付が違うが、娘の小学校の卒業式だった。

 幼稚園の卒園式が去年くらいの出来事と思えるくらい、鮮明な記憶があるというのに、あれからいつの間にか六年も経ってしまっている。部屋の壁には卒園式の様子を写した写真が貼ってあり、まだ一歳の息子が、娘と一緒に卒業証書を受け取ろうとしていた。

 慣れないスーツを着て、いつまでもうまく結べないネクタイを妻に締めてもらう。
「このまま、キュッと、首を締めようか?」
 いつも通りのやり取りをした後、卒業式なので学校が休みである一年生の息子を連れて学校へ。

 集合時間より30分早く家を出た娘は、教師の一人と約束して、髪を三つ編みにしてもらい、髪飾りもつけてもらっていた。娘は三年生の頃、五年生の頃、どちらも半年近く不登校になっていたが、最終学年では楽しく学校生活を送っていた。彼氏もできた。できたけど別れた。しかし元彼と最近は仲が良いらしい。私の送ったことのない青春を過ごしている。

 卒業証書を受け取る際に、それぞれが夢やら感謝の気持ちやらを発表していく。将来の大谷翔平候補である、ひと際背の高い子は、誰よりも大きな声でプロ野球選手になる夢を語っていた。先にもらった卒業文集でチェックしていた、娘と同じくアニメ「ホリミヤ」が好きな、イラストレーターになりたいという子の宣言に耳を澄ませていた。「~になりたい」「~になるのが夢です」といったことを宣言する生徒が多かったが、その子だけは「イラストレーターになります」と断言していた。

 今の子どもたちの背後には「ルックバック」がある。イラストレーターや漫画家になりたい、という夢を笑う者はいない。今の子どもたちの日常には大谷翔平の活躍がある。「プロ野球選手」は最も成功の夢を見させてくれる職業でもある。

 彼らが小学校に入学した時、一年生の時は様々なイベントがあり、賑やかしい一年を過ごした。二年生の時にコロナ禍が始まり、一斉休校を経験した。娘と同じ支援学級の、仲の良かった同級生は三年生にあがる前に、どこかへ行ってしまった。その後の数年はわけのわからぬ状態となり、いつの間にか元の状態に戻ったよなどと言われながら、修学旅行に行けはしたものの、またいつわけのわからぬ状態になるか分からない状況を過ごしている。

 自分たちの小学六年生の頃と比べると、みんな立派に見える。卒業文集の中で好きなアニメを書いた項目を眺めていると、動画配信サービスの影響もあり、現在放映されているもの以外を書いている子も多い。触れられる作品数が少なければ、どうしても自分の好むものは限られてしまう。自分の頃と比べれば、今の子の方が、自分が本当に好きなものに触れられる環境は整っている。そうした状況が、各人のベーススキルアップや、高い意識を持てる要因かなとも思えてきた。

 娘の番が来た。
「中学になったら、自分の好きなことだけではなく、苦手なものにも挑戦していこうと思います」
 私は(涙ぐむ)
 私は、これまで、学生時代の記憶を、「自分の好きなことだけをやれなかった、無駄な時間」と捉えていた。しかし最近では考えが変わってきた。子どもらの観るものや、プレイするゲームに付き合ったりすることで、自分一人だけでは触れられなかった世界に触れることは、自分の世界を拡張してくれる、と感じるようになった。自分の好きなものだけに触れ、自分のできる範囲のことだけをする、それだけでは、「自分AI」と変わらない。限られた情報内から取捨選択して自動出力していくだけのような。いつまでも似たようなことを、似た語彙で、似た表現力で、限られた世界で、限られた人にだけ受けて、満足して。

 今の子どもたちは、Ado、Vaundy、米津玄師、Creepy Nutsなどの楽曲に、アニメソングを通じて自然に触れることができる。そんな現状は幸せなのだ、と娘に話した。生まれながらそういう環境に恵まれていては気付きにくいことかもしれない。各所に蒔かれた無数の芽が、それぞれの中で育っている。いつか開花する花々の種類も増えていく。

 在校生の贈る言葉の後、卒業生の合唱が始まった。そのクオリティの高さ、声量の豊かさに驚き、娘の卒業というより、合唱そのものに感動して涙が流れていた。録画していた映像を見返しても、同じ感動は得られないかもしれない。途中から教員が立ち上がり、そちらからもコーラスが流れ出した時にも驚いた。

「声小さいとめっちゃ怒られるから」と舞台裏を後で明かしてもらった。

 一足先に春休みに入る娘に「明日何時に起こす?」と相談した。いつも通り息子と同じ時間でいいのか、少し遅らせるのか。病気療養期間も終え、仕事を始めた私が家を出る前に朝飯は食べてもらわないといけない。そのための起床時間の相談のつもりだった。
「いつも通りでいいでしょ。でないと学校に遅れるよ」と娘は言った。しばらく話が噛み合わなかった。
「あ、もう卒業したんや!」
 卒業の実感がなかったようだ。

 しかし皆が皆同じ中学に進むわけではない。支援学級で四年間同じだった漫画家志望の子は違う中学へ。文集で一人異彩を放っていた、同じ幼稚園出身で小説家志望の子は引っ越して違う中学へ行く、とこの日初めてママさんから聞かされた。濃いキャラがいなくなってしまうな、と娘に声をかけた。しかし今年同じクラスだった仲の良い子たちは、同じ中学だ。卒業の実感もなかったのだから、悲しみも薄いだろう、と思っていた。

 しかし娘の目からは涙が溢れていた。クラスの寄せ書きを眺めながら「このクラス、終わっちゃったんだな」とため息をついていた。卒業云々よりも、仲が良くて楽しかったクラスが、もうなくなってしまったことに悲しんでいた。

 コロナ禍が始まった頃、学校どころか世界が終わるのではと思っていた。
 不登校になった頃、もう学校に行くことなく、家で勉強していくものと思っていた。
 二度目の不登校の頃、学校なんて不要じゃないかと思ってもいた。
 こうして卒業できることは、決して当たり前のことなんかではない。

 最近元彼によく話しかけられるという。
 先日、その様子を級友に見られて「もしかしていちゃついてんの?」と突っ込まれたとか。
 娘と元彼は同時に「いちゃついてへんわ!」と答えたという。
「またリア充生活に戻るかもしれん」と娘が言う。
「ところでパパはこんな青春送ったことあった?」などと畳みかけてくる。
 私は当然のように、返事の代わりとして「3月9日」を歌った。

 娘よ、小学校卒業、おめでとう。

(了)

       

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