6.
外骨格部隊は『亀』にとってのアキレス腱であった。
強力な火器を持つ相手では、いかに痛みを感じぬ無人兵器と言えどもすぐに沈黙させられてしまう。
それでは戦力的に人の身と変わらない。
一号機も、自走対空兵器が場所を選ばず歩いているような彼らの前では役には立たない。
四号機であれば彼ら以上の火力がある為、相手より有利な場所に陣取れば勝てる勝算があったが、再生産が検討される事すら無かった。
通常兵器での争いでなら勝算が無い訳ではなかった。しかし、地形による兵站を考えると『南』陣営は無理も出来ず攻めあぐねていた。
海路が無かった訳ではないが、制海権は『北』にあり、少数であればまだしも大軍勢は送り込めない。
まさにジリ貧。
再び冷戦状態に突入するかと思われた。
また民も兵も、敵国でさえもそれを望んでいた。
自然とハルカ達の部隊『第二機甲部隊』にも命令が来なくなり、仮初めの平穏に包まれた。
事態を打開する為、ハルカは『亀』に新たな機能を取り付ける事を決定した。
無差別に敵を撃ち殺す機能である。
表向きの理由は、パイロットが未熟である為だった。
だが、それは自分達の部隊に再び命令がくだされるように成果をあげる為のものだった。
いくら射撃の精度が下がるとは言え、それは人が操作しても同じ事。所詮は遠隔操作である。
それならば、より早く射撃が出来るように自動化した方が良い、そうハルカは考えた。
一部の操作を自動化する事で同時に操縦できる機体数が増える。ランチェスターの法則をあげるまでも無く、それが戦術的に有効なのは明らかだった。
「だからって無差別に人を殺すようなのを搭載して良いのかよ?」
ハルカ達は自分達の基地へ戻ってきていた。
どれだけの間かは不明だったが、束の間の休息が与えられた。
だがハルカは与えられた時間を休息にではなく、兵器の改造にあてる為、格納庫に入り浸っている。
今も格納庫に居て、飛騨と向き合っていた。
「これまで散々、民間人を装った敵兵に歩兵が殺されてる。うちは無人機だから平気だけど……あの装甲兵が来たら面倒だしね。数的有利も確保したいし」
それは、あえて、だった。あえて、話をそらしていた。
飛騨への答えは最初の一言で済まされている。
あえて話をそらしたのは、それが無用な口論を生むと分かっていたからだ。
「敵がそう来るから、こっちもそれを全部潰すって言うのか?」
「しつこい。上の許可は下りてる」
「許可とかじゃねーよ! 民間人まで殺す気かって聞いてるんだよ!」
「うるさい!」
後ろ手にあった亀の随伴機を平手で思いっきり叩いた。
が、音はあまりあがらず、迫力も無い。
叩きどころが悪かった。
「……痛い」
傷口に沿って血が滲み出している。
手の平の怪我は、神経が密集している部分である事もあって、見た目以上に痛い。ハルカはその痛みに我に返っていた。
その傷を見て飛騨が救急箱へと駆けた。
「大丈夫か? 馬鹿だなぁ。物に当たるからだぞ」
「うるさい、馬鹿に馬鹿って言われたくない」
格好悪いところを見られてしまったと意気消沈するハルカの手に、手際良く手当てが施されていく。
「なぁ、今日の夜、お前の部屋行くな?」
救急箱を片付けながら、なんとはなしに飛騨が言った。
「話は聞かない」
「絶対行くから」
「無駄」
「それでも行く」
「……勝手にすれば。部屋にはいれないし、話も聞かない。どうせ今したようなのと同じ話でしょ」
軽くガッツポーズを取り、飛騨は救急箱置き場のすぐ近くにある格納庫の出入り口へと歩いていく。
それを眺めるハルカ。
「んじゃ、僕は用事あるからこれで!」
そう言って出て行った。
「なんなのよ……全く」
戦闘が減り、ハルカの気分は大分落ち着いていた。
自分達の部隊の活躍の場が減り、出番が減っている事には焦れていたが、戦闘での極限状態のストレスとは比べ物にならない。
飛騨はそんな今の彼女に、説得を試みようと考えていた。
今ならば、聞き入れてくれるかも知れない、そう思ったからだ。
「あ、癒月さん」
食堂。
癒月のいつも居る場所だ。
「は~い」
「ちょっと、良いですか?」
作戦はこうだ。
ハルカに飯を食わせる。
そして改造をやめさせる。
シンプルイズベストを素で行こうとしている飛騨。
その提案を良い物だと感じているのか、癒月はコクコクと首を縦に振り続けている。
「おい。ハルカ様がどれだけの決意でああしてるのか、分かってないのか?」
横から怪訝そうに見ていたニキータが、ついに口を挟んだ。
そこには新隊員の薫も居て、ニキータほどでは無いが説得の意味を訝しがっているようだった。
こいつら暇そうにしてるな、と飛騨は一瞬思ったが、昔はこんな感じだったか、と思い直す。
戦争が再び過熱し始める前は自由な時間が多く、食事が出来上がって無くても食堂に集まったりしたものだった。
「分かってるよ。分かってるから、だから、なんとかしてやりたいんだ」
二人がじっと睨み合う。
片方は認めてもらう為に。
片方は相手を試す為に。
「一番苦しんでるのは、あいつだからさ」
それを聞いて、ニキータは瞳を閉じた。
ゆっくりと呼吸をしているのが、飛騨からも分かった。
「それだけ……それだけ分かってるなら」
ニキータはそう言って、口を噤んだ。
なんと言って良いか、分からなかったからだ。
その心を、飛騨がすくいあげた。
「あいつを変えるよ。元に戻す」
ニキータの胸の内には沢山の疑問が湧き上がっていた。
飛騨が信用しきれるのか。そんな事が可能なのか。今より酷い状態にはならないだろうか。
そのどれもが、言葉になる前に浮かんでは消えて行く。
混乱、していたのかも知れない。
「大丈夫。あいつは強いから」
どこか噛み合わない言葉に、けれど強い意思を感じて、ニキータは小さく頷いた。
ポーン、という音が響いた。
その音に、パソコンに向かって座っていたハルカが、肩を揺らす。
「誰も居ませーん!」
大声で叫ぶ。
些細な雑音の類がストレスになるハルカ専用に作られた防音の部屋。かなりの大声で無ければ相手に届かないからだ。
外からの返事は無い、が、ハルカは席を立って耳をそばだてる。
微かに声。だがそれは癒月だった。
「どうしたの?」
扉を開くと、普段は使っていない、料理を運ぶ台車と共に立っている癒月の姿があった。
「料理を、作ってきました」
どこか恐る恐る言う。
癒月がハルカの言い付けを破る事は滅多に無い。
それはハルカが怖いからではなく、ハルカが好きだからだ。
その期待を裏切りたく無い為に、言い付けをずっと守ってきた。
それでも、その期待を裏切ってでも、今回の飛騨の思い付きにかけてみようと癒月は思っていた。
「……いらない。いらないって言ったでしょ?」
「でも……」
「これ作れって言った人、どこに居るの?」
きょろきょろと辺りを見回すが、飛騨の姿はどこにも無かった。
「ゆ、癒月が作りたいって、思ったんですう」
部屋の奥にはおにぎりが三つ並んだトレーが置いてあった。
それを癒月はちらっと見て、目を伏せる。
「おにぎりだけじゃ、体に悪いです」
「良いの、どうでも、そんなの」
軽く溜め息をついて、ハルカが頭に手を添えた。
「どうせ飛騨に言われて作ったんでしょ? 私は要らないから、全部飛騨に食べさせて。いらないって言っても、無理矢理。分かった?」
「でも……ハルカちゃんに食べて欲しくて……」
それはなんともない一言だった。
ただ、それがむしょうに彼女をイライラさせる。
思いやりが、ただただ煩わしい。
――何も、分からない癖に。
「いらないって言ってるの! 飛騨! 居るんでしょ! 出てきなさいよ!」
廊下の曲がり角へと向かって、ハルカが叫ぶ。
目の前で座り込んで泣き始めた癒月を無視して、部屋の外へと出た。
それと同時に飛騨も曲がり角から姿を現した。
「こんな事して、何考えてんのよ!」
ハルカは複雑な表情を浮かべて叫んだ。
癒月を泣かせたかった訳じゃない。
ただ、自分の心が制御出来なくなっていた。
いつもならなんともないような些細な事で、簡単に心が悲鳴をあげる。
そして癒月に当たってしまった。
それはハルカにとって本意ではない。
自分を責める気持ちが、飛騨への怒りへと転嫁されていく。
「話を、聞いてもらいたかったんだ」
「その為にこの子をけしかけて?」
「食事でも取りながらなら、話を聞いてもらえると思って……」
「話は聞かないって言った。無駄だって言った。なのに、なんで……」
あなたが余計な事をしなければ、この子が泣くような事は無かったのに。
その一言が、出なかった。
正しくもある、でも間違いでもあった。
泣かせたのはハルカ自身であったから。
「悪い……」
心底申し訳無さそうに俯く飛騨。
飛騨にはハルカのその表情の訳が分かっていた。
飛騨への怒りと、自分への不甲斐無さ、泣かせてしまった事の悲しさ、そういったモノがごちゃ混ぜになったその心が理解出来ていた。
だから、ただ、申し訳無かった。
そしてハルカも、飛騨がそこまで察している事に気付いた。
だから、言葉が出せなかった。
ここでその思いを無碍に打ち砕いてしまう事は容易い。
だが、それをしてはいけないような気がしていた。
「話を、聞いて欲しい」
「お願いします」
いつの間にか泣き止んでいた癒月が、目元へ当てていた手を重ねて祈るようにしてハルカを見ていた。
ハルカは癒月と目を合わせられず、伏せる。
そして軽く溜め息をついた。
ハルカ
ハルカ〜ハルカ〜
6.2
料理を運び終わった後、癒月は去って行った。
そして二人が部屋に残る。
「冷える前に、食べた方が良いぞ。折角作ってくれたんだから」
「……うるさい、分かってる」
ハルカは力無く答えた。
癒月にお願いされた時、飛騨が癒月を利用しているというだけではない事に気付いてしまった。
話がしたい――何かを伝えたいというのが、飛騨だけじゃなく、癒月の思いでもある事を知ってしまった。
だから飛騨を追い返す事が出来なかった。
「あの人はお前の事、沢山知ってるから。だから、お前がイライラするのも分かってくれてるよ」
僅かな沈黙があった。
ハルカにはその言葉の意味が分からなかった。
分かったから、なんだというのだ、そういう気持ちだ。
「お前が悪いんじゃないって、分かってくれてるよ」
また、沈黙。
今度は分からなかった訳じゃない。
ただ、どう答えれば良いのか分からなかった。
そんな訳無いとも、そうかも知れないとも、答えられなかった。
何故なら、彼女は今までそんな風に癒月に当たった事が無かったからだ。
こんな時、癒月がどう思っているのか、彼女には分からなかった。
「お料理食べて欲しいってずっと言ってたから、今日は大喜びだな」
「……そうかな?」
「そうだよ。癒月さんはお前が大好きなんだから」
料理を置いていった時に浮かべた笑顔。
いっぱい食べてくださいと言って、微笑んでいた。
その笑顔。
まだ、私の事を好きでいてくれてるんだ、そう、ハルカに感じさせた。
長い沈黙の末、ハルカは小さな声で。
「うん」
と頷いた。
「見られてると落ち着かないし、あなたも食べてよ」
「え、ああ、ごめん。でも、僕は良いよ。全部食べてあげて」
じっと並べられた料理を見るハルカ。
目の前にはパスタにスープにご飯にステーキにデザートにと至れり尽せりの料理が並んでいた。
「こんなに食べれない」
「へ? いつもこれくらいぺろっと食べてたじゃんか」
ハルカが目を伏せる。
「最近、あんまり食べてなかったから……」
「ああ……そうだな。じゃあ折角だからこの赤いパスタを選ぶよ」
見た目は唐辛子、赤唐辛子。
「……赤いって、それ赤ピーマンでしょ? 好きなの?」
「いや、別に」
一瞬だけハルカがかくっと首を捻った。その後何事も無かったかのように再びステーキにナイフを伸ばした。
「そういえば、箸とフォーク、両方とも使ってるのか。どっちか使っても良いか?」
「やだよ。気持ち悪い」
ずーんと肩を落とす飛騨。
部屋の隅を見つめている。
「そういう意味じゃないから……」
「分かってるさ、分かってるけど、気持ち悪いって結構効いたよ」
顔をあげた飛騨の前にスプーンが差し出されていた。
スープを飲む為のスプーンだった。
「まじすか?」
「うん」
そうして悪戦苦闘しながら飛騨はパスタと格闘するのだった。
「僕を『亀』に乗せて欲しい」
それは唐突だった。
だが、飛騨にとってそんな事は無かった。
彼はずっと、この事を切り出すタイミングを窺っていたのだ。
穏やかな表情を浮かべていたハルカが、目を閉じた。
それはどこか辛そうにも感じられる表情だった。
「彼には『龍』に乗ってもらえば良い。あの機体なら楽に動かせるし、それにもう随伴機も二機しか居ないだろ? それに、僕の方が彼よりも適任の筈だ。もう、ミスはしないから……頼む」
飛騨は軽く頭を下げた。
「だから、自動射撃装置はつけないで欲しい?」
ハルカの問いに、飛騨は返事をしなかった。
ただ、頭を下げたまま、彼女が考え直してくれるのを待っている。
「あのね……誰が乗ろうと同じなんだよ。あのシステムを搭載すれば、もっと多くの随伴機を連れて行ける。その分火力が上がって有利になる。分かるでしょ?」
「それなら、もっと多くの機体を操作出来るように、努力する!」
依然として頭は下げたまま、しかし大きく体を動かして、さっきよりも頭を深く下げた。
「努力でどうにかなるものじゃないっていうのは、ひだっ……飛騨少尉が一番分かってる事でしょ?」
「それでも……もう、見てられないんだ」
脈絡の無いその言葉に、ハルカは首を傾げた。
「もう、お前が傷付くのを見てられないんだよ」
そう言って、彼は顔を上げた。
ハルカは、困惑をその顔に貼り付けていた。
「傷付くって……私は求められている機体を作ってるだけ。何も傷付く事無いよ」
「じゃあ、なんでさっさと取り付けないんだよ。迷ってるんだろ? 民間人を撃ち殺すようなのを作る事を迷ってるんだ。それでも最後には、お前は無理してそのシステムを取り付ける。そうして傷付く。ずっと見てきたんだ。分かるんだよ」
彼は、一言一言に反論しようとするハルカにそう捲くし立てた。
そして、黙った。
ハルカも、もう反論をしようとはしない。
否、出来なかった。
それは全てが全て正しく、一つ一つに嘘をついても意味が無い事は明らかだったから。
だから、彼女に反論の言葉は生まれない。
「なぁ。もう、中尉が悲しむような事は、止めにしよう」
ハルカは飛騨から顔を反らした。
悲しみを悟られないように。
だが、それが全く無意味な行動である事は間違いなかった。
どれだけ彼女が怒りを装っていても、彼には彼女が何を思っているのか、きちんと分かっていたのだから。
そして今も、例外ではない。
「……じゃあ、どうすればいいの? 辛いの。あの人が居なくなって、辛いの。それを忘れていく私が怖いの」
ただ、ただ、あいづちを打つ飛騨。
ハルカも、ただ、ただ、語り続ける。
彼女にとって、彼は信用に値した。自分の話を真摯に受け止めてもらえると確信した。だから、語る。
彼になら自分の弱い部分を見せられた。全てを見透かされていたのだから、もう、最初から見られていたようなものだったから。だから、今更それをさらけ出すことに抵抗は無かった。
「敵を憎んでいればあの人の事を忘れないで済むって思って……」
沈黙。
何かを言わなくてはと飛騨が口を開いた。
「怒りに任せて中尉の想いを無視するなんて、その方が……」
飛騨は最後までは言わなかった。
それが彼女の過ちを露わにしすぎていたから。
「うるさい!」
叫びながら、両腕で飛騨の胸を強く叩く。
そのままの体勢でぎゅっと飛騨の服を掴む。
「そんなの、分かってる……」
飛騨は、その小さな肩に腕を回した。
朝。
カーテン越しに降り注ぐ光を受けて真っ白に輝くシーツがもぞもぞと動いた。
そしてそこから顔がひょっこりと現れる。
その顔が、隣に寝ている人物の顔をまじまじと見詰めている。
お互い、服は着ていなかった。
それが、昨夜あった事をハルカに思い出させる。
「あぁ……私、最低だ……愛している人が居たのに、こんな冴えない男と……」
手串で乱れた髪を整えながら、呟く。
「起きたのか」
「お、起きてたの!?」
「ん……少し前に」
「そう……」
少しばつが悪そうにハルカが呟く。
本心であったとは言え、聞かれたくない事もある。
冴えないから、好きではない、という事は無いのだ。
だから、聞かれたくはなかった。
だが、飛騨はそんな事さえも、分かっているかのように微笑んだ。
「実は、僕も最低なんだ」
「え?」
「この状況、どう見ても犯罪じゃ、がふっ……!」
すべてを言い終わる前にハルカが彼のみぞおちへと拳を叩き込んだ。
「ホント、さいてー!」
料理を運び終わった後、癒月は去って行った。
そして二人が部屋に残る。
「冷える前に、食べた方が良いぞ。折角作ってくれたんだから」
「……うるさい、分かってる」
ハルカは力無く答えた。
癒月にお願いされた時、飛騨が癒月を利用しているというだけではない事に気付いてしまった。
話がしたい――何かを伝えたいというのが、飛騨だけじゃなく、癒月の思いでもある事を知ってしまった。
だから飛騨を追い返す事が出来なかった。
「あの人はお前の事、沢山知ってるから。だから、お前がイライラするのも分かってくれてるよ」
僅かな沈黙があった。
ハルカにはその言葉の意味が分からなかった。
分かったから、なんだというのだ、そういう気持ちだ。
「お前が悪いんじゃないって、分かってくれてるよ」
また、沈黙。
今度は分からなかった訳じゃない。
ただ、どう答えれば良いのか分からなかった。
そんな訳無いとも、そうかも知れないとも、答えられなかった。
何故なら、彼女は今までそんな風に癒月に当たった事が無かったからだ。
こんな時、癒月がどう思っているのか、彼女には分からなかった。
「お料理食べて欲しいってずっと言ってたから、今日は大喜びだな」
「……そうかな?」
「そうだよ。癒月さんはお前が大好きなんだから」
料理を置いていった時に浮かべた笑顔。
いっぱい食べてくださいと言って、微笑んでいた。
その笑顔。
まだ、私の事を好きでいてくれてるんだ、そう、ハルカに感じさせた。
長い沈黙の末、ハルカは小さな声で。
「うん」
と頷いた。
「見られてると落ち着かないし、あなたも食べてよ」
「え、ああ、ごめん。でも、僕は良いよ。全部食べてあげて」
じっと並べられた料理を見るハルカ。
目の前にはパスタにスープにご飯にステーキにデザートにと至れり尽せりの料理が並んでいた。
「こんなに食べれない」
「へ? いつもこれくらいぺろっと食べてたじゃんか」
ハルカが目を伏せる。
「最近、あんまり食べてなかったから……」
「ああ……そうだな。じゃあ折角だからこの赤いパスタを選ぶよ」
見た目は唐辛子、赤唐辛子。
「……赤いって、それ赤ピーマンでしょ? 好きなの?」
「いや、別に」
一瞬だけハルカがかくっと首を捻った。その後何事も無かったかのように再びステーキにナイフを伸ばした。
「そういえば、箸とフォーク、両方とも使ってるのか。どっちか使っても良いか?」
「やだよ。気持ち悪い」
ずーんと肩を落とす飛騨。
部屋の隅を見つめている。
「そういう意味じゃないから……」
「分かってるさ、分かってるけど、気持ち悪いって結構効いたよ」
顔をあげた飛騨の前にスプーンが差し出されていた。
スープを飲む為のスプーンだった。
「まじすか?」
「うん」
そうして悪戦苦闘しながら飛騨はパスタと格闘するのだった。
「僕を『亀』に乗せて欲しい」
それは唐突だった。
だが、飛騨にとってそんな事は無かった。
彼はずっと、この事を切り出すタイミングを窺っていたのだ。
穏やかな表情を浮かべていたハルカが、目を閉じた。
それはどこか辛そうにも感じられる表情だった。
「彼には『龍』に乗ってもらえば良い。あの機体なら楽に動かせるし、それにもう随伴機も二機しか居ないだろ? それに、僕の方が彼よりも適任の筈だ。もう、ミスはしないから……頼む」
飛騨は軽く頭を下げた。
「だから、自動射撃装置はつけないで欲しい?」
ハルカの問いに、飛騨は返事をしなかった。
ただ、頭を下げたまま、彼女が考え直してくれるのを待っている。
「あのね……誰が乗ろうと同じなんだよ。あのシステムを搭載すれば、もっと多くの随伴機を連れて行ける。その分火力が上がって有利になる。分かるでしょ?」
「それなら、もっと多くの機体を操作出来るように、努力する!」
依然として頭は下げたまま、しかし大きく体を動かして、さっきよりも頭を深く下げた。
「努力でどうにかなるものじゃないっていうのは、ひだっ……飛騨少尉が一番分かってる事でしょ?」
「それでも……もう、見てられないんだ」
脈絡の無いその言葉に、ハルカは首を傾げた。
「もう、お前が傷付くのを見てられないんだよ」
そう言って、彼は顔を上げた。
ハルカは、困惑をその顔に貼り付けていた。
「傷付くって……私は求められている機体を作ってるだけ。何も傷付く事無いよ」
「じゃあ、なんでさっさと取り付けないんだよ。迷ってるんだろ? 民間人を撃ち殺すようなのを作る事を迷ってるんだ。それでも最後には、お前は無理してそのシステムを取り付ける。そうして傷付く。ずっと見てきたんだ。分かるんだよ」
彼は、一言一言に反論しようとするハルカにそう捲くし立てた。
そして、黙った。
ハルカも、もう反論をしようとはしない。
否、出来なかった。
それは全てが全て正しく、一つ一つに嘘をついても意味が無い事は明らかだったから。
だから、彼女に反論の言葉は生まれない。
「なぁ。もう、中尉が悲しむような事は、止めにしよう」
ハルカは飛騨から顔を反らした。
悲しみを悟られないように。
だが、それが全く無意味な行動である事は間違いなかった。
どれだけ彼女が怒りを装っていても、彼には彼女が何を思っているのか、きちんと分かっていたのだから。
そして今も、例外ではない。
「……じゃあ、どうすればいいの? 辛いの。あの人が居なくなって、辛いの。それを忘れていく私が怖いの」
ただ、ただ、あいづちを打つ飛騨。
ハルカも、ただ、ただ、語り続ける。
彼女にとって、彼は信用に値した。自分の話を真摯に受け止めてもらえると確信した。だから、語る。
彼になら自分の弱い部分を見せられた。全てを見透かされていたのだから、もう、最初から見られていたようなものだったから。だから、今更それをさらけ出すことに抵抗は無かった。
「敵を憎んでいればあの人の事を忘れないで済むって思って……」
沈黙。
何かを言わなくてはと飛騨が口を開いた。
「怒りに任せて中尉の想いを無視するなんて、その方が……」
飛騨は最後までは言わなかった。
それが彼女の過ちを露わにしすぎていたから。
「うるさい!」
叫びながら、両腕で飛騨の胸を強く叩く。
そのままの体勢でぎゅっと飛騨の服を掴む。
「そんなの、分かってる……」
飛騨は、その小さな肩に腕を回した。
朝。
カーテン越しに降り注ぐ光を受けて真っ白に輝くシーツがもぞもぞと動いた。
そしてそこから顔がひょっこりと現れる。
その顔が、隣に寝ている人物の顔をまじまじと見詰めている。
お互い、服は着ていなかった。
それが、昨夜あった事をハルカに思い出させる。
「あぁ……私、最低だ……愛している人が居たのに、こんな冴えない男と……」
手串で乱れた髪を整えながら、呟く。
「起きたのか」
「お、起きてたの!?」
「ん……少し前に」
「そう……」
少しばつが悪そうにハルカが呟く。
本心であったとは言え、聞かれたくない事もある。
冴えないから、好きではない、という事は無いのだ。
だから、聞かれたくはなかった。
だが、飛騨はそんな事さえも、分かっているかのように微笑んだ。
「実は、僕も最低なんだ」
「え?」
「この状況、どう見ても犯罪じゃ、がふっ……!」
すべてを言い終わる前にハルカが彼のみぞおちへと拳を叩き込んだ。
「ホント、さいてー!」