7.
「今日もいつもの訓練だよ。二回くらい敵影が見えると思うけど、それだけに集中しちゃダメだからね」
「は、はい!」
ハルカと、薫が妙な空気を発していた。
かたやにこやかに話し掛け、かたや明らかに緊張している。
ぴたっと止まっている薫に、訓練室へと向かうよう促すハルカ。
「じゃ、頑張ってね」
「すみませんでした!」
そう言って薫が訓練室へと走っていった。
完全に会話が噛み合っていないのは誰から見ても明らかだ。
「ま、いままでのツケか」
ハルカの気持ちを代弁したのは、すぐ近くでその様子を見ていた飛騨だった。
「うーん……そんなに私、怖かったかな?」
「あいつは新人だし、そういうお前しか見てこなかったし、な」
溜め息混じりに唸りつつ、彼女は首を捻った。
「僕が説明しておくよ。ハルカは改宗して菩薩天使ハルカちゃんを名乗るって」
「なにそれ? 胡散臭い新興宗教に捕まったみたいな言い方しないでよ……」
「そんなんでも、心の拠り所になってるのなら良いのかもなぁ。僕は入らないけど」
そう言って飛騨が笑い、それに吊られるようにハルカも笑みを浮かべた。
「直接、言うよ。やっぱりこういうのは、ちゃんと本人が言わないと」
「ん、分かった」
訓練室へと視線を移した二人の距離は、肩と腕が触れ合うほどに近かった。
「昨日は、怒鳴ったりして、ごめんね」
ハルカが昨晩の事を謝ると、癒月は瞬く間に涙を流した。
膝をついて泣く癒月。
背伸びをして彼女を胸に抱くハルカ。
そうしながら、二人は囁きあった。
これからは一緒にご飯を食べよう。
これからは一緒にお風呂に入ろう。
いつも通りに戻ろう。
そんな一言一言を癒月は喜び、涙は枯れる事を忘れてしまったかのようだった。
暫くそうして抱き合った後、不意に近くでその光景を見ていたニキータの方へとハルカが振り向く。
「ニキータも……心配かけてごめんね」
「い、いや、俺は」
こちらを見て微笑みながら癒月を抱くハルカの姿に、天使のようだと、場違いながらニキータは思った。
だからか、ニキータは言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くした。
不思議そうにハルカが少しだけ首を傾げた。
「私、あの人の事を忘れるのが怖かったんだよ。皆の事を考えると、あの人の事を忘れてしまいそうで」
顔を上げて、距離を取る癒月を再び抱き締めるハルカ。
今度は胸と胸が触れ合って、顔と顔が交差した。
「でも、ずっと分かってた。あの人はこんな事望んでないって。だって、あの人は最後に、部隊の事を頼むって言ったんだもん……」
ニキータには、今の彼女に掛けられる言葉が無かった。
癒月は言葉の代わりに、頬をそっと合わせた。
「ずっと、分からない振りしてたよ。戦う事で部隊を存続させれば、それが部隊の為だって。あの人の復讐をして、ずっと忘れない事があの人の為だって。でも、きっと、あの人は自分の事で、私達が縛られるのさえ」
上擦った声でそこまで言って、彼女はそれ以上言わなかった。
言えなかった。
悲しさがただただ溢れ出して、言葉はその中に消えてしまう。
彼らの心情とは裏腹に静謐な冬の空気の下、時折しゃくりあげるような声だけが響いて消えた。
澄み切ったこの空は、彼らの想いを届けるだろうか?
それからの彼らは、全てを忘れたかのようだった。
楽しそうに笑い。
楽しそうに過ごし。
楽しそうに戯れた。
昔と同じような日々。
けれどそこに、あの時居た人は居ない。
「忘れるんじゃないよ。ただ、あの人の悲しむ事は、もうしない」
ハルカは辛そうに笑って、そう言った。
中尉が亡くなって出来た悲しみを、飛騨が埋めていく。
その幸せすら罪と感じるハルカだったが、それでもそれを受け入れた。
嬉しいと感じるのは本当だった。
寂しさが紛れるのは本当だった。
それを受け入れる事は、中尉へ向けた悲しさが薄れるという事だった。
それでもそれを受け入れた。
それを拒否するという事を、あの人が喜ぶ訳が無い、と思ったから。
そうして、昔と同じような日々の中に、少しだけ違う光景が出来上がっていった。
「どうした? またなんかあったか?」
飛騨に話し掛けられて、ハルカはぱっと笑みを浮かべた。
「う、ううん」
「嘘付け。なんか悩んでたろ」
僅かな間を空けて、ハルカが小さく溜め息をついた。
「また、戦闘になりそうだから。予想される相手の最終防衛ライン、らしいんだけど、相当抵抗があるみたい」
「また僕達の出番か。とはいっても、総合的な火力じゃ一般の部隊には劣るのになぁ」
「砦攻略だからね。死を恐れない兵士が欲しいんだよ」
そう呟いて、彼女は俯いた。
「うりうり、元気無いな」
彼女の頬を突っつきながら肩を抱き抱えて逃げられないように拘束した。
「や、やめてよ」
肩の拘束を解いて、頭の上へと手を乗せる。
が、逃げる気配は全く無かった。
「もう、終わらせよう。この戦争は、もう終わらせるしかない。和平なんて、どっちも考えちゃいないんだから」
「うん」
「ごめんな。また辛い想いさせるな」
頭を撫でながら言う飛騨に、ただただ恥ずかしそうに俯いたままハルカが答える。
「ひだっちが悪いんじゃないじゃん……」
「そっか?」
「そうだよ。終わらせるしかないって事くらい、私にだって分かってる。ひだっちに言われるからそうするんじゃないから」
「そっか」
納得したところで、飛騨は唐突にハルカを抱き締めた。
「な、なに?」
押しとめようとした腕ごと抱き締められて、足以外の自由を失ったハルカが、動揺しながら問う。
その様子を見て、おかしそうに飛騨は少し笑った。
「この部隊は、僕が引き継ぐよ。兵器の開発は出来ないけど、運用は出来るから」
「え、でも……」
「ハルカは、もう軍人なんてやめちゃえばいい。僕が面倒見るからさ」
その時、がちゃっという音が響いた。
控え室の扉を開ける音だ。
ハルカは大暴れして一瞬にして飛騨の手の内から逃れた。
「せ、責任とか感じてるのかも知れないけど! 私は別に、一回……寝たくらいじゃ、平気だから!」
寝たの部分だけを小さく言って、オーバーアクションに彼女が言った。
「おっと、お邪魔だったみたいだね」
控え室兼通信室にやってきたのは木場だった。
「な、何がですか!」
ハルカが全身で怒りと動揺を表現しながら、大声を上げた。
皆まで言うなとばかりに、木場は両手をハルカに向ける。
飛騨と木場は、苦笑いをお互いに向け合った。
木場がここへやってきたのは、正式な指令を受ける為だった。
即ち、敵の最後の砦を打ち破る命令だ。
そこを打ち破ってしまえば、要所にある空港や港を利用出来、散発的に敵が襲ってこようといずれは完全に鎮圧出来る。
逆に言えば、そこで手をこまねいていると、伸びきった兵站を事ある毎に叩かれて次第に戦況が悪化していく可能性があった。
二度、戦力の大部分を結集した突撃を敢行したが、それでも破る事が出来なかった。
外骨格部隊相手には歯が立たない『亀』や『鴉』だったが、もはや無人機の突破力を信じるしか道は無い、そういう状況であった。
「この戦争が終わるまでは、私はずっと戦い続けるよ。中尉の事だけじゃなくて、これは私自身の戦いでもあるから。乗りかかった船っていう奴だよ」
「ハルカ……」
そして三度目の突撃が行われようとしていた。