クーライナーカ
『五』
今季の冬は例年以上に厳しいようだ。
どの局でもやっている天気予報では毎日のように、
どの局でも日々の最高温度が下がっていくのをキャスターが
嬉々として折れ線グラフに記録していた。
誰もがコートを取り出す時期をいつもよりも早めて、
それでも足りないから手袋とマフラーを使っている。
そして少しでも暖かい場所へと向かうために歩調を速めている。
ここにいる人のほとんどが同じような動作をしているのが微妙に笑いを誘ってしまう。
休日の駅前はさほど平日と変わらない風景をしていた。
昼時だからかもしれないが人であふれかえっている。
道行く人も、改札から出てくる人も、改札へ入っていく人もそして立ち止まっている人も冬向けの服装に身を包んでいる。
唯一違っている点はその色と、マフラーを巻いているかどうかぐらいだった。
あさひはその駅前に立っていた。
背後には大きな時計があるのにもかかわらず腕時計で時間を確かめた。
約束の時間よりまだ余裕はある。自分が吐き出した白い息を見つめながら、
あさひは自分が早すぎたことを自覚した。
吐いた息を使い寒さでかじかんでいる手を温める。
古典的な方法だとは思うが手袋をしていないあさひの手には最適だった。
コートのポケットに手を突っ込み、肩を上下させながら周りの様子を見回していた。
これほどにまで人が大勢いるのにあさひの待ち人が現れる予感はまだしない。
その理由として、あさひはまだその待ち人に会う
心の準備をしていないというのも入っていた。
ポケットから手を出したり、入れたりしながら落ち着きがないように足をせわしく動かす。右に左にも人で一杯なので上か下、
たまに正面の三方向しか視界に移さないようにしている。
あさひはどうしてここに来てしまったのかいまだに分からないでいた。
この前の彼女の頼みに首を上下に振ったのは自分の意志に違いはない。
それに彼女と出会えたのはあさひにとってプラスであるとあさひは確信している。
それなのに今日こうして会うことを考えると気が重たくなり
気だるさが体に広がっていく。
ただ突っ立ているだけの自分とそのそばを歩いている名前も知らない他人の間には
しっかりと線が引かれているようにあさひはかんじてしまう。
あさひが憂鬱な気持ちになっているのは
おそらくどう彼女に接していいか分からないからなのだろう。
そしてもう一つの理由としてあの大雨の日以来、
あさひは人から遠ざかっているというのもあげられる。
もともと人と会話することにそれほど面白さを感じない性格をしているのでこの変化は
あさひにはどうということはない。
それでもこの待っている間に何もすることがなくて退屈だった。
イヤホンを通じて耳から流れる音楽もこの喧騒の中では
何が流れているのかさっぱり分からない。
それでもイヤホンをつけているのははずすのが面倒なだけだった。
しかし無駄な行動をしているのはやはりむなしい。
「ふぅ。」
けだるさが体の中を駆け巡る中、もう一度時計を見る。
そろそろ約束の時間になろうとしていた。
時間きっかりに来るとは思えないがそろそろ来てもいいころだろうと
あさひは期待にも似た予想を立てていた。
定期的に列車が駅を通り抜けてそのたびに地響きと間違うくらいの振動が伝わってくる。改札口から吐き出されるように出てくるのは人、人、人ばかり。
あさひはその流れも何回も見て、いささか飽きてきた。
指先で頬をかきながら背伸びしながら遠くを探る。
黒山の人だかりとなっている駅前の上には透き通ったガラス天井が見下ろしている。
その向こう側にある空が一段と青く見えていた。
最近晴れが続いていることに今更気づいて今度はいつ雨が降るのだろう。
その暇つぶし程度の思考を張り巡らせていると、あさひの予想が的中した。
たまに途切れる人ごみの切れ目の合間にちらちらとみえる人影を
あさひは見ることができた。
あさひが待っていた人はあさひが気づく前にあさひを見つけていたのか、
人ごみに邪魔されながらもまっすぐにあさひの元までたどり着く。
学生がいつも着るような少し濃い目の青い色をしている
ダッフルコートが周りと比べて浮いている。
コートの下の口からわずかにスカートの端が見え隠れしていて、
防寒のためかそこからすらりと伸びる二つの足には黒いタイツが穿かれていた。
首には白と黒の縞模様のマフラーが巻きついていて、
彼女の体の前にぺろんと垂れていた。
服のサイズと身体のパーツの大きさがあさひよりも幾分小さい。
その辺の同学年の高校生と比較しても彼女の全てが一回り小さかった。
中学生といっても差し支えないかもしれない。
もはや言うまでもないが身長はあさひよりも頭一つへこんでいる。
その姿は気を抜くと見落としてしまいそうな、
路肩の亀裂に咲いている小さな花をあさひに連想させていた。
それに重なるようにちらついた影をあさひはわずかに垣間見た。
震えていたのを止めてこちらも気づいていることを示すために軽く手を振る。
しかし近寄ってくるその姿に断続的にある影が重なってしまうのを
どうしてもとめることはできなかった。
そしてあさひは自分の意志とは裏腹に見えてしまうと気づく。
どうがんばっても、どうしてもあさひは目の前にいる彼女とあおばを重ねてしまう。
共通点などそれほどない。それなのにあいつの姿を浮かべてしまうのは、
あさひがまだあおばを忘れていないということなのかもしれない。
喜んでいいのか、悲しんでいいのか、あさひはどっちかに決めることはできなかった。
目の前にいる彼女はあおばではない。
彼女はこの前に知り合ったこまちという後輩にしかすぎない。
そのこまちはあさひの前で乱れた服装を直していた。
あさひが動揺していることなど微塵にも察していない。
「待ちましたか?」
走ってきたのかこまちはすこし途切れ途切れの息遣いをしながら顔を上げる。
あさひはただ首を横に振った。もう動揺は収まっていた。
自然と上目使いになるこまちの顔を見るのをやめてあさひは歩き出す。
あさひはこまちの姿を見たくない。あさひはあおばを思い出したくない。
思い出してももう二度と会えないことは分かっている。
昼時となるとどこの喫茶店も込んでいるが、
運良くそれほど待たずに近場の喫茶店に入ることができた。
運がいいと思っているのはこまちのほうだけで、
あさひはこの喫茶店が地理的理由で客足が遠いことは前から知っていた。
駅前の地下街の、しかもこんな死角に位置していたら、
気づかない人を攻めることなど誰もできないだろう。
その分人数が少ないだけあってここはいつも静かだ。
じっくり話をするには最適の場所に違いない。
何も個々を選んだ理由はそれだけではない。
駅前にある喫茶店には到底望めない静的な雰囲気がここにいつも満ちている。
その中で飲むこの店のコーヒーはあさひの数少ないお気に入りだった。
店長も店の雰囲気を壊したくないのか照明もほどほどにして
全体的に暗めだがすごしやすい空間になっている。
いつかあおばと一緒に行ってやってもいいと思っていたが
それは結局かなわぬ夢となった。
まぁこうして一緒に誰かと来るという目的は
果たしているがあさひはやっぱり物足りなかった。
ノスタルジックな音楽が聞こえる中あさひとこまちは
ウェイトレスに導かれるままに奥の席に向かい合って座る。
こまちはここに来るまでにあさひと一言も口を交わさなかった。
ただあさひの後ろに金魚のフンのようについて行き、
たまにあさひが後ろを向いても、下を向いていたから目が合うことはなかった。
あさひは世間話程度の与太話でもすればよかったと思いながらも
こまちからあふれる空気にそれを言うのをためらっていた。
緊張しているようにも見えたし、
自分の思考の中に上の空になっているというようにも見えていた。
まぁどちらにしろもうここまで来たのならじっくりと話を聞ける。
今からこまちがあさひに何を聞いて、何を提案するのかを知りたかった。
二人を含めて目で数えるほどにしかいないこの喫茶店の中で
こう男女が訪れることは珍しいことではない。
あさひが一人で来るときにそのような客の組み合わせがない時はなかった。
ウェイトレスがメニュー表を机の上に置くと滑らかな動作でお辞儀をすると
邪魔にならない程度に下がる。
レディーファーストのつもりであさひはメニュー表に手をつけなかったが、
いつまでたってもこまちが手を動かさない。
ここで楽しむためにきたことではないことをあさひは十分承知しているが、
こまちが動かないのに文句の一つでも言ってやりたかった。
結局あさひが先にメニュー表を開く。
適当に何を頼むか決めるとあさひはコートの脱いでその辺に丸める。
こまちもそれに習ってダッフルコートを脱ぐ。
あさひと違う点はちゃんと丁寧にたたんであることぐらいだ。
洋服店で並んでいるかのようにたたまれた後に使われていない隣の空き席に
ちょこんと乗せる。
あさひは今までメニュー表を見ていたから分からなかったが
こまちは背もたれがあるのにそれには頼らず自分の力で真っ直ぐに背中を正している。
教科書にでも載っているような、完璧でけちのつけようがない。
その姿勢の正しさは一朝一夕にできるものではなさそうだ。
自分で会得したと言うよりも他人に仕込まれているかのように
型にはまっているものだった。
「どうもすみません。」
こまちは座るなりいきなりあさひに頭を下げた。あさひは素直に戸惑ってしまった。
待ち合わせに後から来たことに対して謝られているのか、
それともあさひがこまちの頼みごとを聞いてくれることに謝っているのか、
あさひはいろいろ考えたがなぜ謝られているのかは分からなかった。
「なぁ。改めて聞くけど俺に何を聞きたいんだ。」
床板を打つ軽やかな足音を響かせながらウェイトレスがその場を通り過ぎる。
ここまで来てもこまちは喋らない。
あさひは場を紛らわすためにメニュー表を手に取り広げる。
ときおりこまちに目を向けるがこまちは動かなかった。
両手をひざにつけたまま口をつぐんでいた。
姿勢はさっきからお手本のものそのものだが肩に力を入れているのが
手に取るように分かる。
一体ここまできて何をためらっているのだろうか。
その態度に神経を逆撫でさせられたあさひは
ろくにメニューをみないで放り投げた。
メニューが机の上に放り出されると同時に
こまちが誰にも聞こえないくらいの音で深呼吸をする。あさひは耳を澄ます。
「クーライナーカ。」
店内に流れる音楽が一旦鳴り止む。
すぐに次の曲が流れ始めたがあさひにはこの間が永遠と見間違うかと思った。
変わることのない周りのおだやかさ、
そして喫茶店の窓ガラスの向こう側で外を歩く、見知らぬ人間の慌しさぐらいである。
あさひはこまちの言葉を聴いたとたんにその静けさが重苦しくのしかかった。
「下橋さんはどこでこの言葉を知ったのですか。」
「今はいない友達から聞いた。」
こまちは口を開いたがすぐに閉じた。
その友達の事を聞きたかったがあさひの顔を見て聞くのをやめた。
それくらいあさひの顔には苦悶の表情が刻まれていた。
「そう、ですか。」
これだけを言うのが精一杯だった。
あさひは認めてくれなさそうだがその友達は友達ではないということがよく分かった。
「豊本はその言葉をいつ知ったんだ。」
あさひは自分がどんな表情をしていたのかはあまり自覚にはない。
普通にポーカーフェイスを保っていられたと考えていた。
店内の曲が暗く、はげしい独特のリズムをあさひの耳まで届けている。
どこかで聞いたことのあるなつかしい旋律だったけどあさひは思い出せなかった。
「下橋さんはクーライナーカについてどれほど知っているのです?」
あさひの問いに考えるそぶりを見せる前にこまちは問い返した。
こまちの行動はいちいちあさひの気をいらだたせる。
クーライナーカのことがない限り出会うことはなかっただろう。
そう思いながらあさひは背もたれにゆったりと寄りかかり、
開いた両手を顔の横まで上げる。
「期待されているのかもしれないが俺は全然知らない。
それについて調べてはいるが手がかりの一つさえ見つけていない。」
ウェイトレスが注文していた飲み物を運んできた。
ブラックのコーヒーに砂糖もミルクも入れずあさひは口にする。
熱さとにがみのせいで少ししか飲めなかった。
しかし集中力が高まっているのか、頭がすっきりする。
黒いコーヒーを手から離さずにこまちの顔色を伺ってみる。
こまちはメニュー表を開いてみていた。
ウェイトレスが後ろで立って待っている。
見た目あさひとは変わらないのに気の利く店員にあさひはちょっと感心していた。
ぱらぱらとメニューを捲って眼を右に左に揺らしていた後にこまちはパタンとメニューを閉じた。あさひが思ったとおりその顔に動揺はない。
「そうですか。」
こまちは飲み物を運んできたウェイトレスに自分の飲み物を注文する。
ウェイトレスはその鉄面皮を崩すことなくこまちの注文を記憶して行った。
なびくそのエプロン姿をあさひは頬杖をつきながら目の端にとらえていた。
昼時が終わったのか外を流れる人間の数はピークを過ぎている。
あさひは時間の経過の速さに驚きながらもう一度コーヒーを口にする。
熱さはピークを過ぎていたがにがみのせいでやはり少ししか飲めなかった。
「でも話はそれだけではないだろ?」
腕を組みなおしあさひは語尾を強めて発言する。
正直あさひはこまちにクーライナーカのことを話すことよりも
気になっていたことがあった。
もしもあさひがこまちの立場ならその程度の話題なら
あの放課後の後にその辺で立ち話をするだけでもいいだろう。
しかしこまちはそれをしなかった。
なぜかは知らないが他にあさひに聞きたいことがあるのかもしれない。
例えば学校では聞きにくい何かとか。あさひが知りたいのはそのことだった。
こまちは両手を顔の前で合わせてちらりと窓の外を見る。
気分転換のために外を見回したのではなく、こまちの瞳は何かを探す光を放っていた。
あさひは知り合いに見られることを気にしているのかと考えた。
よほど気にしているようだがあさひにとってそれは杞憂でしかない。
こまちは一通り辺りを見回した後に目を閉じて大きく深呼吸をする。
「私の話を聞いてもらえませんか。それはちょっと学校では話しにくいことなのです。」
あさひの予想は外れていなかった。
そのことに笑うのは心の中だけにして黙ってうなずく。
こまちが話すことにあさひに関係することがあるのかどうかは分からないが
こまちはあさひに聞いてもらいたいと思っている。
あさひの言葉ではない返答にこまちもうなずいた。
こまちは舌を使い、唇を湿らしてゆっくりと語り始めた。
「生徒会長を知っているでしょうか?」
あさひは額に手を当てて自分の記憶を遡る。
生徒会長などいった存在とあさひとの間に縁があるとは思っていないが
あさひは生徒会長を覚えていた。
「直接見たことはないが眼鏡をかけた男の人だったはずだが。」
あさひは何回か生徒会長を見たことがある。
それは偶然ということでもなくこの学校にいる人は必ず目にしていた。
生徒会長は校長の気まぐれでたまに朝に行う朝礼で司会を努めている。
マイクがなくても体育館全体に伝わるほどのはっきりした声ぐらいしか印象にない。
後何もかもに自信を持っていそうな円満の微笑を絶やしていないのも覚えている。
遠くから見てもまぶしすぎるほどの笑顔。
あさひは彼を見るたびに自分とは真逆の人間だということをひしひしと感じていた。
だからあさひはあのような人間は嫌いだ。
あの人間に悪気はないとしてもあさひはあの生徒会長を見ると
自分のみじめさと向かい合ってしまう。
こまちが頼んだ飲み物をウェイトレスが持ってくる。
こまちはそれには手をつけなかった。
アイスティーの中を漂う氷を細めた目でじっと見つめていた。
「そうですよね。みなさんはそう思っていらっしゃる。」
その敬語口調に敬う気持ち以外のものを込めているのがありありと感じ取れた。
こまちはあさひの返答に不満ではないが失望していた。
ストローに口をつけすこしづつ飲む。こまちの乾いたのどにはその冷たさは痛かった。
あさひはコーヒーも飲むこともせずにこまちの言葉を頭の中で繰り返していた。
だけどすぐにそれを打ちとめてコーヒーを口にする。
何か食べようかとメニュー表まで手を伸ばそうとしたけどそれもやめた。
小腹はすいているが今は食べる気分ではなかった。
ここまでこまちの話を聞いている中であさひは
こまちとの会話に何か得られるものを見つけられそうにはとうてい思えなかった。
生徒会長を確かに知ってはいるが知り合いというほどでもない。
その人物のことを話されたってあさひにどう関係してくるのだろうか。
そのようなあさひの心中をこまちは察知していた。
こまちだって自分から誘っておいて今こうして向かい合っていると
何を話したらいいのか頭に思い浮かばず、考えがうまくまとまらない。
もともと自分でさえ理解していない出来事だ。
それでもこまちはあさひに話してみたかった。
唯一つばめとの接点を持っていそうな人を初めて見つけたのだから
ここでは粘る必要がある。
こまちは口にたまったつばを飲み込み深く椅子に座りなおした。
からんと無機質な音をたてアイスティーの氷が浮き沈みする。
「今から言うことを信じてくれます?信じると誓ってくれるなら私は話します。」
あさひはまた黙ってうなずくことにした。
こまちの話を聞くまでは信じていいのかどうかは分からない。
だけどまだ聞くだけの価値はある。
信じられないことはあさひの身にも起こっている。
あさひの返事にこまちは表情を柔らかくし、椅子に座りなおした。
あさひはこまちが初めて表情を変えたことに気づいて自分も少し笑うことにした。
こまちはアイスティーを掴むと一気に飲み干す。
冷たさが頭を強く叩いていたのをじっと我慢し、こまちは話し始めた。
コップの底で小さな氷が薄暗い光をはなっている。
「私が知っている生徒会長は女性でした。
生徒会はその人と書記の二人で構成されていました。
あなたが知っている生徒会長はまじめな人です。
私が知っている生徒会長は破天荒な人です。
あなたが知っている生徒会長はおそらく思いやりのあるやさしい人です。
私が知っている生徒会長はわがままで自分勝手な性格をしています。
あなたが知っている生徒会長は計画的で堅実な人です。
私が知っている生徒会長は突拍子な事を思いついたら、
たとえどんな犠牲を払ってもそれを必ず実行しようとします。」
もうほぼ残っていないコーヒーの水面にはあさひが口を小さく開き、
目を点にしている姿がうつっていた。
音楽も耳に入っているはずなのに何を聞いているのか分からなくなっていた。
淡々とこまちがしゃべることはあさひには身の覚えもないことばかりだった。
そのような人物が生徒会長を任されていたということなど覚えているどころか
考えたこともない。
あさひが知っている生徒会長のほうがまだ生徒会長として確固たる容姿を持っている。
こまちが言うような人物が生徒会長をしているなんてばかばかしいことにもほどがあった。
「そして私が生徒会の書記でした。」
おまけにこれだ。こいつが書記など身に覚えもない。疑うということはしたくはない。
けれど思い浮かんだ言葉を言い出せずに入られなかった。
「俺が知っている生徒会長が偽者とでも言いたそうだな。
学校で消えた人間がいるというこことか?」
消えた人間。そこまで言ってあおばと同じ状況であることが
あさひは気になったがすぐにそれを打ち消した。
第一にこまちの妄想ということもある。そうであったらどんなにおめでたいことか。
普通の人間ならこまちの話にもう聞く耳を持たず黙って離れていくだろう。
「はいそうです。ついでに加えると私たち学生は
その生徒会長がずっと前からいたと思い込まされている。」
こんなにはっきり言われると少し苦笑してしまう。
こまちは自分の言葉に嘘を込めていないようだ。
または自分が正しいことを疑っていないということか。
あさひは何も言わなかった。返答を迷っているのではない。もうどういうかは決めている。
「やはり信じてはくれないでしょうか?」
「いや。信じるよ。今日に聞いたことは全て信じることにするとたった今決めた。」
あまり考えずに決めて言ったことだが後悔はしていない。
あさひの返答にまるで花が開いたかの明るい笑顔を見せた。この表情のほうが彼女らしい。
「そうですか!!あっありがとうございます。
それでですね、下橋さんに頼みたいことがあるのです。」
平静を装おうとして失敗しているのか声の安定が取れていなかった。
どもっているような微妙なイントネーションのおかしさがあさひの笑いを誘う。
同時に無愛想な態度が目立っていたこまちも興奮してきたのか中腰になる。
あさひの言葉がよほど意外だったようだ。
両手を机に叩きつけてあさひにせまる。こまちが座っていた椅子が静かに揺れている。
倒れなかったのが不思議だった。
店内にある大きなぜんまい時計が鳴り響く。その音はあさひの頭の中で反響する。
近づいて大きく見えるこまちの顔が急にあさひを慌てさせた。
周りの客も見ているのがあさひの動揺の色を濃くする。
「おっ落ち着けよ。その前にその豊本が知っている生徒会長がいつ、
どのように消えたのかを知りたい。」
頬を少し火照らせながらこまちはやや肩を強張らせながら椅子に座りなおす。
時計の音も鳴り止んで静かな空間がまた広がり始めた。
「一週間ぐらい前のことです。
事の発端はその生徒会長が七不思議を作りたいと言い出しました。
その生徒会長の思いつきと鶴の一声で私が七不思議をそろえてくることになったのです。 まぁもともと私と彼女の二人しかいませんでしたけどね。
それでまず私が調べてきた七不思議が
生徒会長の好みではなかったようで早急に作り直しを私に命令しました。
私はぶつくさ言いながら七不思議を作り直しました。
そしてそれを完成させて生徒会長に提出しに行こうとしたところ。」
「生徒会長が知っている人ではなかったということか。」
大きくこまちがうなずいた。あさひは残った最後のコーヒーを勢いよく飲み干した。
ただにがみに慣れただけのことかもしれないが
最後の一口はほんのりと甘い気がした。だが本当にすごい生徒会長だ。
勿論いい意味は少しもない。
けれど今の生徒会長よりかは好感を持てる気がする。
アウトローな生徒会長にあさひは魅力を感じていた。
「会長が消える一日前に私は会長からメールを一通もらっています。」
机の上で広げられたこまちの手のひらには折りたたみ式の携帯電話が乗っかっていた。
画面に移される一つのメールにあさひの視線が集まる。
立った数行の内容をあさひは何度も読み返した。
そしてあさひはこまちとの奇妙なつながりを実感した。
「本当は下橋さんが私の話を信じなかったときの
証拠のために使おうかと思っていたのですがそれはただの心配であったようですね。」
こまちの言葉に半ば呆れ、にやけた口で吹き出しながらも
このメールを見せてくれたことに感謝していた。
クーライナーカと七不思議の間にある関係を調べるという目的を
このメールがあさひに教えてくれた。
「私は消えた生徒会長を探したい。私自身その生徒会長がいたのかどうか、
もうぼんやりとしか思い出せないのです。
けれど下橋さんに出会えて私の勘違いではないような気がしました。
感じるのです。クーライナーカという一単語に。」
気がつくと自分たちの周りの客は入ってきたときと一新されていた。あ
さひとこまちが今いる中では一番早く入っているようだ。
飲み物一つでここまで居座っているのもなんだか申し訳ないような気がした。
こまちも気にしているようにさっき携帯電話の時間を見たとき
一瞬大きく口を開けてのけぞっていた。
話は終わりに近づいているようだがそろそろ出なくてはいけない。
あさひは最後の話題に迷わず切り込んでいくことにした。
「分かった。それで俺に頼みたいということというのを話してもらいたい。」
こまちは力強くうなずく。
今日あさひと出会ってから今まで見せたこともないようなまっすぐな眼差しに、
あさひはようやくこまちに好感を持てるようになっていた。
力がこもりすぎているようだがその目には迷いのない目力がこもっている。
こまちと会ったことは無駄ではないことを知った。
「下橋さんにこの学校の七不思議を調べてほしい。
七不思議とクーライナーカが無関係とは誰も思わないでしょう。
私よりも一年長く学校にいる下橋さんなら
もしかしたら私が気づいていないことに気づくかもしれません。
私と行動パターンも違うと思いますし。」
あさひは過大評価されている気がしていられない。
はっきり言って生徒会長の書記をしていたこまちのほうが知っていることが
多いはずに違いない。
しかしクーライナーカの調査に行き詰っている身でもある。
それなら別の方面から調べなおすというのも悪くはない。
押してだめなら引いてみろということだ。
こまちに気力が充満してきたようにあ
さひの瞳にも久しぶりにやる気の炎が明るいオレンジ色に輝いていた。
「分かった。俺はやることは豊本が作った七不思議ではなくて
学校から古くから伝わる七不思議の詳細を全て調べつくすということだな。」
昔から伝わる七不思議というものがこの学校にあるというのは初耳だった。
というよりもそのようなことに興味がなかったから
そのような話題を自然と遠ざけていたのかもしれない。
こまちが知っている生徒会長は七つ目の七不思議を知ってしまったから
こまちの前から姿を消し、
あさひたちの記憶から抜け落ちた。
こまちから差し出されたメールの文面から七つ目の七不思議はクーライナーカが知っているらしい。
あおばはクーライナーカによってあさひの前から姿を消した。
もしかしたらあおばが七つ目の七不思議を知っていたのかもしれない。
それが理由であおばはあさひの前から消えたということなのか。
一見関係なさそうな二人の消失がクーライナーカによって間接的につながっている。
真相はあおばがいない今明らかになることはない。
もともとあおばは自分から何かを話そうとはしなかったことを
あさひは思い出していた。
引っ込み思案な性格をしているとあさひは考えていたが
本当は別の理由があったのかもしれない。
「はい。私が話したいことはこれで全部です。
今日はありがとうございました。私のためにわざわざ来てくれて。」
「いや。何も、えっと、豊本のためだけに来たのではないから気にしなくていい。」
こまちはあさひのことばに引っかかることがあったのか顔を横に傾けたが、
すぐに何かを納得したかのようにうなずいて立ち上がった。
他の机のそばで歩いていたウェイトレスがこまちの動きに気づいていた。
いそいそと会計の場所へと足早に向かっていく。
本当に気が利くウェイトレスだとあさひはつくづく感心した。
そこら辺で乱立しているファミレスとは大きな違いだ。
あさひも立ち上がる。あさひたちが出る前に他人が入り口から入ってくる。
芯から凍らせるような風が店内を駆け回る。
その風にこまちは小さい体をより小さく丸めて身を震わさせていた。
あさひはそのときにこまちはほんとうに小さいことを悟ってしまった。
体だけではなく心まで小さい。
誰かがそばにいないと簡単に零になってしまいそうな小ささだった。
身を震わせていたこまちはコートを羽織ると突然振り返った。
真っ白い歯を見せてにこやかに微笑んだ。
「言い忘れていました。私のことはこまちで結構です。
名前で呼ばれることに慣れているので。」
「じゃあ俺もあさひでいい。そう呼ばれたことしかないからな。」
あさひはコートを着ると伝票を手にした。
こういうときは男がおごるべきであることを安っぽい恋愛ドラマでしか
見たことないがおそらくこまちが許してくれないだろう。
すでに財布を掴んでいてそれを自然にあさひにさりげなく見せ付けている。
しかしあさひはそれを完璧に無視して伝票をすでに
会計に待ち構えていたウェイトレスに渡した。
背後でこまちが何か叫んでいたがそれも聞こえない不利をした。
ウェイトレスのやけに高い声で迎えられながら二人は喫茶店から出た。
「あの喫茶店たまたま見つけられてよかったですね。
昼時なのにしんみりとした雰囲気が落ち着きました。」
「もともと俺のお気に入りだけど。」
「そうなのですか。そうならそうと早く言ってもらってもらいたいものです。」
「だってこまちは後ろからずっとついているだけで、
何か話しかけようにも話しかけづらかった。」
「それはあさひさんがどんどん先に行っちゃうからついていくのに必死だったのですよ。 私からも一言言わせてもらいますけどあさひさんは無愛想すぎです。」
「その言葉リボンをつけてそっくりそのまま返してやるよ。」
たわいない会話を続けているうちにそれをやめられなくなっていく。
あさひもこまちも最初に会ったときの隔たりをいつの間にかに壊していた。
こまちのほうがしゃべることが多くて、
あさひはこまちの話に相槌を打つか一言二言ぽつりとつぶやくぐらいだった。
あさひはそれで満足だった。
あおばがいなくなってからようやくもう一度味わえたこの空気を
あさひは壊したくなかった。
しかしそのまま歩いていきたかったが来るべき時は必ず訪れる。
「あさひさんは右ですか左ですか?」
行き止まりで道が二手に分かれている。道は右と左に伸びていた。
あさひは左に進むとこまちに告げた。
「ではここでお別れですね。今日はどうもありがとうございました。」
こまちは行ってしまう。あさひは言いたことがあった。のどまでそれが出ている。
思わず出てしまった右手を引っ込めることができない。
そしていつものあさひならそこで終わってしまう。
けれども今日だけはそれは許せなかった。大声を出してこまちの名前を叫ぶ。
「俺さ。昼休みにはいつも屋上にいるから。話があるならそこに来てほしい。」
少し小さい声だったから聞こえたかどうか不安に思ったが
こまちは振り返り、大きなお辞儀で返してくれた。
あさひはふぅっとやりきったような満足感を口から吐き出した。
あさひよりも小さいこまちの姿だがかなりの距離まで遠ざかっても
その姿は消えることはなかった。
その後ろ姿を最後まで見ていた後に、あさひは反対側の方へと歩き出した。
こまちと分かれた後は地下街を当てもなくさまよい、
そして気がついたらゲームセンターで千円札を両替していた。
百円玉をわしづかみにしてUFOキャッチャーへと向かう。
ゲームセンターのやかましい不協和音は一秒でも聴きたくないが
UFOキャッチャーは入り口の近くにあるということもあってよく挑戦していた。
いつものように投入口にコインを入れて
ガラスケースの中にある標的を定める。
ボタンを押している間わざとらしい機械仕掛けの音と共にU
FOキャッチャーがじりじりと動いていく。
標的はクマーのぬいぐるみ。
あの記号のような形の口をずっとみているとじわじわと笑いがこみ上げてくる。
影で位置を定めボタンを離す。
ゆっくりとUFOキャッチャーの手が開きクマーのぬいぐるみを持ち上げる。
あさひの中で期待感が加速度的に上昇する。
クマーのぬいぐるみをつかんだままUFOキャッチャーは動いてゆき、
そして簡単に、あっけなくぬいぐるみを落とした。
ぬいぐるみはUFOキャッチャーの手を離れ、
あさひを嘲笑するように顔をこちらへ向けながら動かない。
ただUFOキャッチャーが悲しくゆれていた。
あさひは舌打ちをするもゲームセンターのざわめきにその音はかき消された。
見えているものを得るのにもこのように苦労するのに
あさひが探そうとしているものはどこにいるのかも分からない。
いや分かっている。
あおばはもうどこにもいない。
あおばにはもう会えない。
世界中のどこを探してもあおばはいない。
それでもあさひはあおばを焦がれていた。
「やっぱ矛盾しているよな。」
ゲームセンターを後にして地上に出て空を仰ぐ。
こまちは何かをしようとしている。
だからあさひも次にするべきことをもう決めていた。
クーライナーカだけが道しるべだがそれだけあれば十分だった。
まずはあいつのところへ行かなければいけないだろう。