Neetel Inside 文芸新都
表紙

クーライナーカ
『七』

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屋上で寝転んであさひはいつに無く真剣に悩んでいた。
いつもならどんどん片付いていく昼飯にも指一本手がつかない。
自分の中にある悩み事が食欲を押しつぶしているのだ。

その悩み事をどう対処するか具体的な策が思いつかない。
もしかするとここまで悩んでいるのも生まれて初めてなのかもしれない。
使い古された雑巾のような色をしている雲がびっしり敷き詰められている空を
眠たそうな瞳で観察する。
やがて大きく欠伸をつくとあさひはそれからも目をそらす。

屋上から見える風景はもうあさひには見慣れたものだった。
自分が横になっている学校の屋上から始まり登下校に通る並木道の一部が見える。
大通りには騒音の原因になっている車が何台も通り過ぎていて
その先には駅と商店街、その向こうには閑静な住宅が何百も並んでいた。
そしてさらに遠くには名前も知らないし、
あるかどうかも分からない山が連なっている。

目を閉じていてもそれがありありと浮かび上がってきて、
あさひは自分がどれほどここにいるかよく自覚した。
ときたまに冬らしい冷たい風が吹いてあさひの肌に鳥肌を作る。
前髪が揺れとんでもない方向に揺れ動く。
それらにはあさひは何も感じなかった。

起き上がることをせず、ポケットに手を入れて足をおおげさに組むと
また動かなくなった。
まるで絵画や写真の背景のように巧みにその存在感を薄めている。
あさひがいる場所から校庭は見えないが叫び声や人が集まって出来上がる熱気が
伝わってこない。
目を閉じて耳を済ませても聞こえてくるのは自分の息遣いだけである。

誰も校舎の外に飛び出す元気な生徒はいない。
それは外が寒いからだろうか。きっとそうだろう。
昔に眼にしたはずの鳥も今日はどこかに飛び立ってしまった後のようだ。
くすんだ空にはいくら目を凝らしても何も飛んでいない。
いくらたってもこの静寂さがひっくりかえることはなさそうだ。

このように何も起こらないときはここにいるときに何回はあった。
しかしあさひは今まで以上にその静けさに退屈を感じて心を乱されている。
あさひはごろりと寝返りを打つと昼飯のパンが入った袋を掴もうと手を伸ばすが、
半分ほど伸ばしたところでその手は動かなくなった。

やはり悩み事を何とかしなければ食べたいものも食べる気にならない。
ところがいくら考えても自身が納得するほどの結論を見出せないでいる。
考えれば考えるほど頭のなかがこんがらがって見事なスパゲッティにでもなりそうだ。

そうこうしているうちにあさひの体温は寒気によって
冷蔵庫の中にいたかのように下がっていた。
今頃灰色の雲の向こうにある大空の頂点で太陽が
これでもかというほどに輝いているはずなのだが
その温かさは微塵にも感じられない。
しかし嫌がらせをしているのは太陽だけではないようだ。

上からの冬の寒気と下からのコンクリートの寒さとの二つの冷気に挟まれ、
ほんの少し動かすだけでその冷たさがどんどんと強くなる。
あまりにも体温を奪われてあさひは我慢しようとも
歯を打ち鳴らすことをやめられなっていた。

それくらい体が冷えるなら起き上がればいいのだが、
あさひの頭にその発想はあっても実行する気は微塵もない。
片腕を枕代わりに使いながら片腕で眼を隠す。
中途半端にできた暗闇の中であさひは今の悩みになっているその元を
浮かび上がらせていた。

偶然のことといえば偶然だがそのようなことを気にしている場合ではない。
寧ろその幸運に感謝してもいい。
偶然というのはあさひが以前屋上で聞いてしまった会話のことだ。
普通の人が聞いたら意味不明の訳が分からない言葉に聞こえるかもしれない。

だがそれを見過ごすほどあさひはばかではない。
てがかりはそこから増えるかもしれない。
昼休みの時間は残り二十分をきっている。もう時間はあまりない。
放課後でもいいかもしれないが放課後は別のことをしなければいけない。

それなら悩んでいるだけ時間の無駄という結論があさひのなかで出来上がった。
けだるさを押しかくしながら起き上がると
買ったままの状態である昼飯を掴み屋内へと入っていく。
屋内は外に比べたらかなり温かい。

生徒たちの体温が天然の暖房の役割をしてくれているのだろう。
あさひはその温かさに満足げにため息をついた。
階段をリズムよくおりていく。

節電のため蛍光灯がついてないせいか廊下は薄暗い。
教室の電気がついているおかげでその暗さが対照的に強く映し出されていた。
屋上では決断に悩んでいたあさひだが
自分の教室に戻るころにはさすがに結論がついていた。

どう話していいか分からないが話してみるしかなさそうだ。
あさひは会話したい人物へと何気ない顔をしながらまっすぐ進んでいった。

「のぞみ。ちょっといいか。」

自分の机で一人ごそごそしていたのぞみに声をかける。
あさひが話しかけた人物、のぞみはその声に一拍遅れてごそごそしていた手を止めた。
頭を数回振ってすこし乱れている髪の毛を直すと
あさひへと体を向ける。
そのひとつひとつの動作がやけに機械じみていて自然な動作ではないことに
あさひは屋上で感じていた寒気とは違った寒気に襲われた。

あさひはのぞみの方へ体を向けてはいたが目線だけはすこし右を向いている。
それがのぞみの気持ちの何を表しているのかはどんなに鈍い人間でも分かるだろう。
あさひにとってものぞみと会話することはあさひには疲れることだった。
それが一年前までは普通にある程度の頻度で会話する中であったが
今年になって一言も交わさなかったから、
そのためらいの大きさはなおさらである。

「なに?」

まるで昨日にも話をしていたかのようにのぞみはあさひに返事を返した。
びっくりするほどに自然な声だ。
そして逆再生のように自分の作業にまたもどった。
そのような反応をするあたりにあさひの価値をかなり下に置いていそうだ。
少しもゆれていないのぞみのポニーテールが不気味に感じられる。

あさひはその分かりやすい無機質で冷めた反応に足を後ろに半歩ずらしたが
すぐに元の位置に戻した。
そしてあごをかきながら前から考えていたセリフを思い出し、
すばやくそれを口にした。

「えっと。お前さ。んー。ちょっと前に屋上で……あーなんだ。
 そうだ。屋上で誰かと話してなかったか?」

のぞみの動きが止まる。また一拍ほどの時間を置いて机を覗き込んでいた顔を上げて
あさひを見た。
のぞみは前と違って目をそらしはしなかった。

少し目を細めてあさひを下から食い入るように見上げてきた。
そのまなざしは昔に何度か見たことがある。
小さいときにあさひがのぞみとの遊ぶ約束を破ったときや
お気に入りの人形を汚してしまったときに
のぞみがあさひに見せたまなざしとなんら変わらなかった。
あさひはなんとなく少し目をそらしたくなった。

「何のことを言っているのよ。」

のぞみが目じりをさらに吊り上げてあさひに刺すような視線を飛ばしてくる。
要点をなかなか言わないあさひに苛立っているのかと
あさひは思ったが
本当はあさひが今からしゃべることを聞きたくないのではないのだろうか。

そういえる根拠はないが鋭い視線を飛ばしてくるが
それだけで文句の一つも言ってこない。
それに疑問を感じるとそうとしか思えなくなる。
のぞみの視線に耐えながらあさひは用件をさっさと言うことにした。
会話をするのに苦痛を感じているのはあさひだって同じである。

「だから数日前に屋上で誰かと話していただろ。その……あれのことについて。
 なんて言ったかなぁ。クーライ」

「今ここでそれを言うの?」

前よりも大きな声を出してあさひの発言を強引にさえぎった。
あさひは困ったような顔をする。
しかし胸の中はある確信に満ちていた。
やはりそうだ。のぞみはあさひが今から言うことを聞きたくないのだ。

「だめか?」

あさひの問いにのぞみは口を手に当て目線をそらしてぶつぶつと独り言を言い始める。

「放課後に……できれば明日。」

「じゃあ放課後。」

それだけ言うとあさひはのぞみから離れた。
のぞみがどのような表情をしているかは見ない。
のぞみとのわずかな会話に神経を異常にすり減らして、
そのようなことなどをする余裕などなかった。
放課後にまた会う約束をしてしまったことに少しは後悔はある。
何より放課後はあれをしなければいけない。
だがこのことについてはもう後伸ばしにしたくなかった。
ちょうどいいからのぞみにも手伝わせてもいいだろう。
そこまで計画すると、あさひはだらしなく自分の席に座る。
深呼吸をしながら肩の力を抜く。
そして今頃になって食欲が蘇ってきた。

     

 


何回目かも覚えていないがこの鐘の音は
一日の終わりを告げることだけは知っている。

重たい体を引きずりのぞみはその旋律を聞き流しながら帰り支度をしていた。
普段どおりの一日に代わりが無いと思うのに
ここまで倦怠感が抜けない理由をのぞみは十分理解している。

久しぶり、久しぶりにあさひと会話したかと思うと
急にあのことを口にしだしたからだ。
窓の外にある灰色の雲から圧迫感を全身に感じ、
もう家に帰ったら寝ることを考えていた。

でもその前にあさひと会わなければいけない。
できれば明日といったのに放課後を指定してくるなんて図々しいにもほどがある。
荷物を全て入れた鞄を一度机にドンと叩きつけると、
地に足を叩きつけるかのように歩いて教室から出て行った。
そして廊下ではあさひが窓に寄りかかって口笛を吹いている。
のぞみはあさひの顔面をぶん殴りたくなった。勿論グーで。

あさひはのぞみが近寄ってきたのに気づくと
そのままのぞみに気づいていないかのように廊下を進んでいった。
後ろからついて来いということだろう。
のぞみにしか分からないあさひの態度だった。

そういうのぞみ自身に対する自分勝手な態度は昔から分かっていない。
振り向きもしないでどんどん歩くあさひの背中を、
のぞみは拳を固めながらいつ鉄拳をくらわせてやろうか考えていた。
大体あさひがのぞみとこだまの会話を聞いていたことが誤算だった。
あの日は昼になるとすぐに駆け出して屋上に向かって
誰か来ないかずっと見張っていたのに
いつあさひは屋上に忍び込んだのだろうか。

その辺は問い詰めなければいけないだろう。
昔から陰湿な場所を好む性質だったがまさか屋上にまでわざわざ足を伸ばしているとは
思わなかった。
のぞみから見たあさひはもうちょっと社交性のある人間だったはずだ。

あさひとのぞみの関係は遡ると小学生の頃にまでなる。
二人はサイコロの目を操っているかのように
小学生から今の高校生までほとんど同じクラスに属していた。
その確立は通算で八割を超えている。
ここまでくると脅威以上のなにものでもない。

こうして偶然が重なったおかげで
昔からただのクラスメートよりかは少し大きい付き合いがあった。
しかしあさひは進級してこのクラスになったとたんに
誰からの人付き合いをきっぱりとめていた。
誰ともしゃべることはなく、
ずっと自分の机に座ってどこか遠くのほうを見つめていた気がする。

のぞみとだってしゃべることは一言二言もなくなっていた。
そして今日になってのぞみに声をかけた。
一体のぞみに何を聞きたいのだろうか。
あれに関することであることには間違いないのだけど
あさひが何を話すかは予想できない。

のろのろとした動作だけど大きな歩幅でどんどん進んでいく
あさひの背中を見つめながらあさひがなんだか別のものになってしまったようで
のぞみは説明できない不安を抱えていた。



 あさひが図書室に入っていく。それにのぞみはついていった。
入るなり埃くさい空気が鼻をつき思わず手で覆ってしまったが
すぐにそんなことは気にならなくなる。
雨が降っている今、時間を持て余している部活員たちや
傘がなくて困っている帰宅員たちが時間をつぶしているかと予想していたが、
図書室の人口密度は何時もと変わることがなかった。のぞみはなんとなく拍子抜けしたが聞かれたくない会話をするには最適だろう。

この学校の図書室は人気がない。
理由はいろいろあるがのぞみが考える最大の一つは
図書室の司書が放つじめじめとした雰囲気を感じながら此処で本を読むというのに
ほとんどの生徒が我慢できないからだろう。
今いる場所からはいるかどうかは分からないけど
空気から伝わる雰囲気から察するに司書は確かにここにいる。


あさひは背伸びをしてあたりを見回した後で
ゆったりとした足取りで奥へと進んでいく。
のぞみはその背中をせかせかした足取りで追っていった。

「お前さ。この学校のことどのくらい知ってる?」

いきなり足を止めてあさひが聞いてくる。
のぞみが答える前に
近くの本棚を目と指を使って何か探し始めた。

「全然知らない。」

「七不思議があるとかもか?」

あさひは本棚を追っていた指を止め一つ引っ張り出す。

「初耳ね。それより。」

のぞみはあさひが開いていた本を奪い取る。
いきなりの行動にあさひは少し目を丸くしていた。
のぞみはすぐ奪い返されないように本を体の後ろに隠す。

「私が屋上で話していた会話のこと。どうして知っているの。
 あのとき私は誰よりも早く屋上にいた。
 そしてその後私が学校の中に入るまで人は勿論あさひも来なかった。」

率直に伝える。のぞみの返答をあしらうかのように
あさひは鼻で大きく息を吐くと
ポケットに手を突っ込んで本棚に寄りかかる。
見事に体が30度傾いていた。

「簡単なことだよ。お前が来る前に俺がいただけ。
 四時限目をサボってあそこにずっといた。」

そんな自慢げに答えられても困る。
のぞみはあさひの勝気な態度に戸惑いながらも
自分の疑問が解かれたことにそれなりの満足を感じていた。
それでもあさひのふんぞりかえった立ち振る舞いはむかつく。

「どうしてクーライナーカのことを知っているの?」

「クラスで知り合った友達から聞いた。」

ポケットから手を出し、そのまま腕を組んで再び自慢げに答えた。
のぞみはまた困った。
あさひの態度にではなくその言葉が信じていいものかどうかだったからである。

「何かの冗談よね。」

やや上ずったのぞみの声にぴくりと反応して
あさひは本棚から上体を起こし直立になってのぞみと向き合う。
何も言わないがあさひがその返答に疑問を抱いていることを示しているのを
のぞみはうすうす感づき始めた。

「だってあさひったらクラスのなかで誰とも話さないじゃない。
 いつ見ても自分の席で黙っているだけか、
 授業が終わるとすぐに教室から飛び出していくかのどちらかだったじゃない。
 そんな状態でよく友達なんか作れたわよね。」

あさひは黙ってのぞみの言うことを聞いていた。
そしてさっきのぞみが取り上げた本を奪い返すと
また本棚に寄りかかってそれに軽く目を通していた。
ざっと中身を見渡して、それを脇に挟むとまた本棚を探り始める。

それを数回繰り返すと自分で挟みきれなくなったのかのぞみへと本をパスしてくる。
のぞみはスルーしてもよかったのだが受け取っておくことにした。
全ての本棚を探し終わる頃には両手で持ちきれないほどの量になっていた。

あさひはそれを見て何かやり遂げたように一息つくと
机へと向かっていった。
いまだにのぞみはあさひの意図が分からなかった。
どうやらあさひにはただ単に話し場所に此処を選んだのではなく、
何か調べ物があったらしい。
のぞみが立ち尽くしているのに気づかないのかあさひは机に座ると
積み上げた本を読み始めた。

のぞみはそっと忍び寄り背後からあさひが読んでいる本を盗み見る。
やや黄色みがかかった紙にびっしりと活字が埋め込まれていた。
隙間が分からないほどにびっしりとしき詰まっているその豪快さに
眩暈をおこしそうになりながらも、
幸いに見出しは他の字よりも大きく書かれていたから
それだけを読むことにした。

見出しの多くには歴史、学校の変遷、伝統行事などの単語が
ちらほら目に付く。
どうやら歴史、しかもこの学校にだけしぼったものであることは間違いなさそうだ。
それから先の細かい内容はまだ把握していないけど
あさひが絶対に読まない類のものであることは理解できた。

「それで何をしているのよ。」

あさひが何をしようが勝手だが
のぞみがそばにいる以上少しぐらいの説明はしてほしかった。
のぞみはあさひが何をしているのかは全然わかっていない。
学校の歴史、七不思議、そしてクーライナーカ。これらからは何も連想できなかった。

「何って……七不思議を調べている。お前も協力しろよ。」

「いやよ。そんなことよりもクーライナーカでしょう?」

「じゃあお前何か知っているか。」

「何も。それにもう知りたくもないし。」

あさひが両手を顔の両脇でパーと広げる。
それに合わせて持っていた本が机に落ちてぱたりと小さな音が図書館へ広がる。
考えられることは屋上でのぞみがクーライナーカについて
知りたがっていたのに今はその意欲がないということが意外だったに違いない。

「じゃあ俺から話すことも何もない。」

「じゃああんたも何も知らないということなの?」

「そうだな。それよりも七不思議を調べるのを手伝え。」

「しつこいわね。どうしてあさひは七不思議を調べているのよ。」

あさひが読んでいない別の本をパラパラと開く。
この本も学校の歴史を別の観点から綴った本であるみたいだ。
あさひは読んでいる本から目を離すことはないまま
のぞみの質問に即答した。

「後輩に頼まれた。」

「そう。じゃあ七不思議とクーライナーカがどう関係しているの?」

「知らない。俺はただ頼まれたことをしている。」

「その後輩もクーライナーカについて知らないの?」

「そうだ。」

「あんたはそのクーライナーカについてなにか目星をたてているの?」

遠くで司書が薄汚れた白衣をなびかせながら足を引きずって歩いていた。
その音だけがかすかに二人に届く。
あさひは司書が見えなくなってから口を開いた。

「人……だと思う。少なくとも俺の友達の言葉からはそう読み取れた。」

「そういえばあさひとあさひの友達とはどういう仲なの?」

「一緒に昼飯を食べる程度の仲だった。」

「他にはないの?」

「ない。」

「……」

さっきから会話をしている。
だがなんというかあさひの返答が簡潔すぎて
あさひはのぞみと話すのを楽しんでいないように見えていた。

本人が調べ物をしているからこう返すしかないと
のぞみが妥協してもいいのだが
あさひはいつだってこういう会話しかしない。

多分本人もわかっているはずだ。
この冷めた言葉使いと歯に衣着せぬしゃべり方が
原因で自分の周りに誰もいないことはあさひ自身うすうす認めているだろう。

今だってあさひの周りにはたくさんの本しかない。
のぞみはその一回り外側で座っている。
けどあさひはこういう態度で損をしていることを認めていないように見える。
のぞみは十分あさひが人並みかそれよりも思いやりを持っていることを知っている。

しかしあさひがそれを表に出すことはなく反対の態度を取り続けるのだろう。
だから孤立してしまう。
このあさひと付き合える友達の顔が見てみたいものだ。
ふとのぞみにはさっきまでそばにありながら、
かなり不自然な疑問が浮かび上がった。
なぜあさひは友達から聞いたその言葉をその友達から答えを聞かないのだろう。
教えてくれないからという可能性もありそうだが
あさひならこんな本の山に囲まれるぐらいならしつこく聞いて回るだろう。

「でも私に聞かないでその友達に聞けばいいのじゃないの?」

本から目を離しあさひはのぞみの顔を凝視すると
あることに気づいたかのように口を小さく開けた。
深く椅子に座りなおすと誰もいないのに周りを見渡してわずかな声を発した。

「俺が言っている友達っていうのは実は幽霊だったんだよ。」

ここが図書室でなかったら大声で「はぁっ?」と答えていただろう。
しかしあさひの珍回答にあいた口が閉じなかった。
周りに誰もいないせいで時間が止まっているかのようにまで錯覚する。
あさひはのぞみの変化には気づいていなく本を読み続けていたまま、
またゆっくりと話し始める。

「それでこの前成仏した。
 その際にそいつの遺言みたいな感じでクーライナーカを聞いたんだ。」

無表情で話し始めるあさひにのぞみは冷静さを失いかけそうになった。
だけど失う代わりに言葉にできない冷たいものがのぞみの頭を重たくさせる。
幽霊を信じている人をばかにするつもりはない。
けどまさかここであさひがこのようなことを言い出すとは考えもしなかった。

幽霊が友達だと? ふざけている。
あさひの発言に真面目に考えたこの一瞬を返してほしかった。
あさひの意外な言葉に今までのぞみの中で張り詰めていた何かが音を立てて切れた。
もしかしたらかもしれないが、もしかしたらからかわれているのだろうか。
昼休みから今までのこと全てのぞみは
あさひの陳腐な茶番につき合わされていただけだったのか。

「のぞみもクーライナーカには気をつけろよ。
 どう気をつければいいのかは知らんが。」

それが引き金になって
のぞみの全身から一気に血が抜け、代わりに熱い何かが注ぎ込まれていく。
開いていた本を力任せに閉じた。

「帰る。」

すくっと立ち上がる。返事など聞きたくなかった。

「のぞみ。最後に一つ。生徒会長って男だよな。」

のぞみはここが図書室であることを忘れて大声で叫んだ。

「男に決まっているでしょ!!」

     




あさひを置いていくとのぞみはさっさと昇降口へと向かった。
一秒でも早く帰ってこの不愉快な気持ちを消したかった。
こっちはそれなりに真面目にあさひの話を聞く気分になっていたのに
あさひはまったく逆の気分でのぞみの前にいたということか。

「まったく手のこんだいたずらじゃない。」

昼休みにあさひから話しかけてきたのときに
自分でも気づかないくらいのほのかな期待感が芽生えた。
それなのにそれは簡単に散ってしまった。
どうせただの悪ふざけだったのだろう。

屋上でたまたま聞いたのぞみとこだまの二人の会話に聞きなれない言葉があって、
後になってそれに面白さを感じたのだろう。
そしてあさひなりに話を作りのぞみの反応を確かめたかったに決まっている。
今頃図書室で必死に笑いをこらえているのではないのだろうか。

自分の靴を地面に勢いよく叩きつけると、
散らばったそれらを並べなおす。
もうあさひとしゃべることは無いだろう。
クーライナーカのことなどのぞみの中ではもう過去のことにいる。

クーライナーカには悪い思い出にしかなかった。
なにせそれを調べ始めた次の日にひかりに不幸が訪れたのだ。
偶然に決まっているのにのぞみには偶然とはいえなかった。
しかもその不幸を引き起こしたのは自分かもしれないという
恐れも含まれている。
ばかげているに決まっているがどうも見過ごせず
一時期はひかりに対してぎくしゃくしたかみ合わない歯車のような
態度でしか接することはできなかった。

でものぞみは昔のようにひかりとこだまの二人と普通に付き合えている。
その関係を手放したくなかった。
だからもうクーライナーカのことは忘れよう。

傘を開く前に空を見て太陽の光が差し込んでなさそうかのぞみは探してみた。
この分厚い雲の層では無理に等しいのは分かっている。
切れ目を見つけられないことを確認してのぞみは大きく一歩を踏み歩いた。
携帯から着メロが流れている。
画面に出ている番号を確認せずになにげなくのぞみは耳にそれを当てた。
降り注ぐ雨の音が耳から離れ始めている。



 あさひは昇降口で呆然としていた。
理由はいたって単純でそれは傘を持っていないからだった。
昼に空を埋め尽くしていた雲は限りなく黒に近い灰色をしていて
そこから絶え間なく一筋の雨が降り注いでいる。
このままどんなに急いで帰っても全身くまなく雨に打たれるのは
簡単に予想できる。
雨で濡れるのは今回が初めてではないものの
ずぶぬれで帰ると母親に迷惑な顔をされるのが我慢できなかった。

雨の勢いからして止むけはいはない。
学校の入り口から流れる寒気があさひの頭を麻痺させていく。
あさひは自分の運の無さに辟易していた。
図書室に寄ったせいで何時もより遅い時間に学校を出ることが、
まさかこのような悲劇を招くとは思いもしなかった。

こまちの頼みごとなど図書館の本を数冊引っ張り出せば簡単に終わると信じていたが
それは甘い考えに過ぎなかったようだ。
機転を利かせてのぞみに無理やり手伝わせようともしたが
あいつが先に帰ってしまったのは予想していたとはいえ早すぎだ。
それにしてもあいつは何を怒っていたんだろう。

あさひは一旦中に避難すると近くの階段を椅子代わりにして
鞄の中から一枚のレポート用紙を取り出した。
放課後を利用して図書館で調べていた七不思議がそこに書いてある。

時間つぶしもかねて途切れることなく降り注ぐ雨音を聞きながら
ひとつひとつ指で追って確認した。
こまちの言うとおり七不思議は確かにあった。
だがこの七不思議にあさひは変な違和感を覚えていた。
どのような違和感かは上手く説明できないが、
このようなものが本当に七不思議でいいのだろうかという疑問に近い。

なんというか……
話に具体性がないというのが適切なのかもしれない。
レポート用紙に書かれている七不思議はどれもこれも同じ文体で韻を踏んでいる。

鏡、階段、廊下。学校に確かにあるものなのだが学校にありすぎる。
なぜもっと場所を特定しなかったのだろう。
素朴ともいえるがあさひの疑問はこの七不思議に対して
何人かは思いそうなものだった。

あさひは窓の外から聞こえる雨が奏でる自然の音楽を聴きながら
少しいろいろと仮説を考えてみた。
例えば場所を特定しない代わりに深夜の学校という
舞台の神秘性を色濃くしたかったとしたらどうだろうか。

間違ってはいなさそうだが
この七不思議には逆効果のように思える。
肝心の話の現実感というものを大いに犠牲にしているのだ。
レポート用紙から目を離しあさひは小さな光を生み出している蛍光灯を見上げる。
結局あさひは自分の疑問に対する答えをやっぱり思いつけなかった。
確かに七不思議はただの作り話のはずなのだが
それでも少しは信憑性を高めるためにもっと具体的な情報を含めてもいいだろう。

これを考えたやつにこの意図を聞いてみたい気もするが
それは不可能だろう。
ぴかりと外が光る。壁にあさひの影が大きくできあがる。
しばらくして遠くで雷が落ちる音がしたのと
あさひが最後の行で指をとめたのはほぼ同じだった。

七つ目を知ってはいけない。学校から出られなくなるから。

その記述で七不思議は完結している。
ありがちといえばやはりありがちなことなのだが
こまちが知っている生徒会長はそれでは満足しなかった。
そしてどうやって調べたか分からないがその七つ目を知ったらしい。

それをこまちに教える前に姿を消したということか。
消したというよりも消されたということもあるかもしれない。
あさひはこまちが見せてくれたあのメールを思い出した。
偽者というのは誰を指しているのかは大体想像がつく。

だからそのことは今は考える必要はないだろう。
それに生徒会間のいざこざはこまちが勝手に解決するはずだ。
それよりも前の行だ。

七つ目はクーライナーカが知っている。

七つ目が何を連想するのかは一目瞭然である。
けれどいかんせん短い。
これぐらいしか言う余裕がなかったということか。
しかし七つ目を知っているクーライナーカは一体どういう存在なのだろうか。
いかんせん分からないことが多すぎる。
だが焦っては分からないことも分からなくなる。
あさひは制服のボタンを緩めて気を緩める。

なんにせよそれを追いかけてゆけば分かるだろう。
あさひの目的は今までとかわらない。
クーライナーカの正体を暴く。それだけだ。

時間が時間だけに廊下についていた蛍光灯が消えた。
もう帰らなくてはいけない時間という学校の代弁している。

あさひは見えづらくなったレポート用紙を携帯の光で照らす。
七不思議の疑問点は尽きない。
一番疑問に感じたのが
なぜあの七不思議が図書室で調べられることができたかということだ。
学校の歴史が書いてある本があるのはまだいいとしても、
なぜそれに七不思議の項目があるのだろう。
生徒間の噂話ぐらいで終わるとあさひは思っていたのに
それが本に書いてあったときは我が目を疑ってしまった。

その本によるとその七不思議は生徒間で口頭伝承したものに
面白がった日本史か何かの教師が日記気分で書き記したものらしい。
確かに表紙には学校史とお粗末なタイトルが書かれているだけだった。

その教師が何を思うのかは勝手だが
わざわざ文字に残すなどするなんてよほど暇人だったのだろう。
あさひにはそんな生徒の話に聞く耳を立てる教師など
自分のクラスの担任ぐらいしか思いつかなかった。

そしてその教師の名前は不明。
本の隅から隅まで見渡しても書かれていなかった。

本の破れ具合や、紙の劣化具合から、
この本が作られたのも数十年前と見て取れるから会うことは無理だろう。
おまけにその本を借りようとしても図書室の司書がそれを了解してくれなかった。
なんでも図書室の資料区域にある本は借りてはいけない規則らしい。

めったに開かない瞳を押し上げて司書が
猛烈にあさひに食い入ってきたときはさすがに
言い返す言葉を探せず引き下がるしかなかった。

こういうときに我の強いのぞみが無理やり押し通してくれればよかったのだが、
すでにあいつが図書室を出てだいぶたった後だった。
時すでに遅しというわけだ。

それにしてものぞみは何に怒っていたのだろう。
さっぱり見当がつかない。

「あの司書は普段は存在感薄いのに
 図書室関係の話になると人が変わるんだよな。」

半分感心の気持ちと半分悪態の気持ちを込めながら
煙を吐くように言葉を呟いた。
階段から伝わる冷たさのおかげで身震いがしたくなる。

あさしは体を震わせながら立ち上がった。
回想はこれくらいにしてそろそろ目の前のことを考えなければいけない。
こうしている間にもあさひの願いとは反して雨の勢いは強くなっていた。
落ちている水滴が地面に叩きつけられてばらばらに飛び散っていくのがよくわかる。

「こんなにひどくなるなんて天気予報で言っていたかな。」

持っていた上履きを靴に持ち替え外に出る。
雨が生み出した霧のような白い靄があさひの肌に触れ、
いっせいに鳥肌を立たせる。

遠い空まで雲が敷き詰められているのをみると頭が重たくなる。
やっぱり走って帰るしか道は残されてなさそうだ。
あさひはわざとらしい動きで準備体操を始め雨の中へと足を踏み入れる。
頭に冷たいものがあたっている感覚に身震いをして、
いざ進もうともう一つの足を出したときに
ほとんど死角になっていた柱の影に何かを見た。

物ではなく人のようだ。
よく見ると見初めた顔ではなさそうだ。
あさひは声をかけるべきかどうか一瞬迷ったが
人違いだと困るので感付かれない程度の距離まで近づいてその顔を拝見した。

あさひの思ったとおりだ。柱の影に立っているのはこまちだった。
何をしているのかが疑問に感じたが
その手に持っているものを見たときすぐにそれは消えた。

手に持っているのは何の変哲も無い携帯電話だった。
それだけでは特に何の違和感も無いのだがなにか抜けているような
奇妙な感覚をあさひは感じていた。数秒間じっと見つめてやっと気づいた。

なにか変だと思ったらこまちがしゃべっている声が聞こえない。
しゃべっていないということは
ただ相手が話しているのを聞いているということだろうか。

しかしそれにしても相槌ぐらいは打つだろう。
身動き一つせずにこまちはただ聞くことに徹しているようだった。
あさひにはまだ気づいていなく、
こまちの目線は地面に差し向けられている。

周りにはあさひとこまちの二人しかいない。
放課後のもう学校がしまる時間だから誰か来る可能性も無いだろう。
あさひは声をかけようかと思ったがそれをできなかった。

強い風が連続に吹いて雨の降る向きが横殴りになる。
その動きが無ければあさひは何も考えられなかっただろう。
それくらいに自分が緊張している。

こまちの様子に心臓が鷲掴みにされそうだった。
横顔から窺えるこまちは小さな唇を開かせてうっすら笑っている。

ただそれだけなのに近寄ろうとする足が止まる。
あさひはどうしてこまちが笑っているのか分からない。
さっきの電話で面白いジョークでも聞いたのかもしれない。
しかしあさひはその可能性を否定した。

今の笑いを浮かべているこまちには正直近寄りたくなかった。
こまちの笑みには今形容できない迫力を持っている。
あさひは喫茶店のときに話したときには感じる分けなかった
そりたつ壁の前にいるような威圧感を感じていた。

たった一回、それにほんの数時間しゃべっただけで
人間の全てを知るほどの観察力はあさひにはないし、
そんなことできたってうれしくない。
だけどこまちはこのような笑いをするような人間ではないとあさひは思っていた。

それでもこまちの笑みはただの演技ではなく、
作り笑いと言い切ることができないほどの生々しさを持っていた。
こまちによく似た人というのでもない。

あさひは今のこまちをあらわす一番いい一言を思いついてしまった。
言うなればこういった感じだと思う。
こまちの笑みは邪悪だった。
こまちが携帯を折りたたんだ音がしてあさひは我に返った。
こまちはそれをポケットの中にしまう。最後までしゃべることはなかった。
もうあの笑みを浮かべてはいない。
こまちは無表情のまま鞄の中から折りたたみ式の傘を取り出した。
あさひはこまちを呼び止めたほうがいいだろうか一瞬だけ迷った。

しかし今のこまちの前で自分らしく振舞える自信が無かった。
結局遠くで見ているだけだった。
そしてあさひに気づかないでこまちは赤い色の傘を手早く広げると
水で濡れた校庭へと進んでいった。
雨はその勢いを止めることはない。


       

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Neetsha