クーライナーカ
『十二』
あさひは六限目を自主的に休んで屋上へと向かった。そしたらなぜかこまちが座っているのだ。壁に寄りかかり体育すわりをしているこまちの横顔を見たら、あさひは心の底から屋上に来たことを後悔した。目の前に居るこまちは誰が見ても不機嫌である。こんなのが大通りで歩いていると誰もが避けて通りそうだ。そんなこまちの近くにいるのはあさひしかいないのである。あさひが帰りたくなるのも少しは同情できる。あさひはこまちの隣に何も言わないまま座る。頭上に能天気に浮かんでいる太陽が自分の頭を無理やり暖めてゆく。これから話すことに対するためらいからかあさひは太陽が自分を見張っているかのように思えた。
「六限目はどうしたんだ?」
「そういうあさひさんはどうなのですか?」
「六限目はなくなりました。」
「私も同じです。」
「ふーん。」
授業中の学校は目的もなく座っているときの退屈があふれている。あさひは何から話そうと思ったけどなかなか決心がつかなくて口をつぐんでいるしかなかった。こまちはこまちで体育座りを崩して立ち上がると柵の方へと向かってゆく。風がまだ冷たいからあさひは動かないでこまちの様子を観察する。こまちは柵の前まで進むと柵に手をかける。それから何をするわけでもなく柵の前に立ち続けた。無骨な屋上の柵が並ぶその前にこまちのような少女が並ぶと、アンバランスに思えるその二つはなぜか上手くなじんでいた。こまちは何を見ているのだろうか。そしてこまちはそれにどのような感想を持っているのか。それはあさひには関係のないことだけどやはり同じ場所にいる身となれば少し気になる。
「今日昼休みにあさひさんと話していた人。」
柵に手をかけたままこまちがあさひへと向きなおった。こまちが言ったことは風に乗ってあさひのところまで飛んでくる。あさひは欠伸と共に立ち上がる。今の学校の空気では座っている方が落ち着かない。ただこまちのところへは行かずそのまま壁に寄りかかった。あさひの視線の向こうには別棟がわずかに頭をのぞかせている。その先にも何かあるがあさひはその別棟しか見る気になれなかった。こまちもあさひには近づかない。こまちはこまちで再度振り返り、二人して屋上からの風景をたんのうする。二人をつなぎとめているのは言葉だけだろう。
「知っている人ですか?」
「クラスメート。」
こまちは世間話程度のつもりだったのだろう。まぁそれでもこまちはあの女性にいい思いをしていないようなのはあさひに筒ぬけだ。相槌さえも打たずにだんまりしているこまちがそれを物語っている。あさひは特に言いたすこともないからまた別棟の頭に目線を合わせた。別棟は何も変わっていない。せいぜい頭に鳥の止まっている数が変わったぐらいだ。それに何も考えられない。だからあさひは目前の光景のおかげで頭の中を洗い流すことができた。できかけの絵に真っ白なペンキをぶちまけ、白紙に戻ったそれをみているかのように。考えようとしても何も生まれない。さっきの絵画のたとえを続けるなら絵の具がない状況みたいなものだった。それから天から絵の具を授けてもらうとか道端に落ちているとかそのような偶然が起これば、また絵がかけるかもしれない。あさひは何の前触れもなく昼休みにここにいた彼女の顔とその言葉を思い出した。
「俺からも一ついいか? お前に頼まれていた七不思議のことについてだ。」
あさひは以前自分で調べた七不思議についてこまちに伝える。こまちはこちらに背を向けているからどういう顔をしているのか窺えない。だけどいつもと似たような顔をしていることはうすうす感じていた。
「やっぱり私が調べたのと何一つ変わりないですね。やっぱり私の頼み事は無駄だったの かな。」
向こうにいるこまちは遠い目をしていそうだ。あさひも自分が七不思議を調べたことで得られることは零というわけではないが、こまちの期待した結果はえられていないのはあさひが理解していた。しかしあさひが話したいことはここから先のことだ。
「気になることが一つある。その学校の七不思議が噂になっている。俺たちが調べるまで その存在さえ知られていなかったものがだ。しかも俺たちが調べ始めたとたんだ。」
偶然にしてはできすぎている。ここまでタイミングが合うとそれにはなにかしら意味があるのではとあさひはかんぐっていた。こまちに関しても同じだろう。あさひが今告げたことはもうこまちは知っているに違いない。あさひが話した目的はこまちがこれについてなにかしら情報を握っているとにらんだからである。
「私も七不思議が広まっているのは知っています。けど広めたのは当然のごとく私ではあ りません。誰が広めたかは知りませんがそれについて心配することはないと思います。 むしろ後者のことが重大じゃないでしょうか?」
後者とは実際に七不思議を体験した人がいるということか。この学校にいる人間にこのことを話したらほとんどの人間が笑い飛ばす話に違いない。実際あさひは今日の昼に聞いたときにそう思った。しかしこまちは違うことを考えたのだろう。
「なんで?」
「七不思議がほんの話ではなく本当にあると示してくれています。もちろんただの嘘八百 にすぎないかもしれません。しかし私も七不思議のような不可解なことにであっていま す。」
「なるほどね。」
まさかそんなデマを流した奴も本気で信じる奴がいるとは夢にも思っていないだろう。
こまちだって半信半疑であるのに違いない。だけど手がかりやそれに近いものはしらみつぶしに探ってみたいのだろう。あさひもこまちと同じように科学では説明できないことに出会っている。
あおばは七不思議のことを知っていたのだろうか? 足下にけはいを感じてあさひはうつむくが誰もいなかった。あおばに直接聞いたことはないし、もう確かめることもできないがあおばなら知っていたかもしれない。
昔こまちと一緒に喫茶店にいったときもこのことを考えていたのをあさひは思い出した。仮に今あおばがここにいたらあさひは七不思議のことを聞いていただろう。けどあおばは答えてくれただろうか? あおばの思い出話を聞いたことはない。それはあおばが話そうとしなかったからだ。あさひはあおばの詳しいことを何一つ知らない。彼女が昔何をしていたとか、彼女がどうしてそうなっているとか何一つ知らないのだ。
別に知らなくても一緒に入られたが一緒にいられなくなった今あおばのことを全然知らないことが少し寂しかった。
学校はもうずっと前から眠っているように静かだ。空高く待っている鳥たちが鳴いている。それがはっきりと聞こえる。
気高く叫んでいる鳥もいれば厳かにうなっている鳥もいるし、静かにしている鳥もいる。ただどの鳥も翼を広げて気持ちよさそうに大空を待っていた。
そのさえずりを聞いていたらあおばが歌っていたあの曲にどこか似ていると思った。自分でも疑問に思う。なぜ今日はあおばのことが頭から離れないのだろう。
ふと我に返るとこまちがあさひの隣で座っている。
晴れているとはいえ冬の外はやはりセーラー服だけではさむかったようだ。こまちの肌にはびっしりと鳥肌ができている。こまちは身震いをしながら自分の息で手のひらを温めていた。定期的にため息のような音があさひの足下から聞こえてくる。
あさひはこまちの動作を見ていたが見ていてはいけない気分になり、ポケットに手を入れて口笛を吹くまねをしてその場を紛らわせていた。こまちが次に言う言葉をあさひは予想できた。こまちもあさひが何を思っているかを知っているだろう。足下の制服を引っ張られてあさひは下を向く。
「お願いします。私と七不思議の検証をしてください。」
まんまるのこまちの瞳がやや上目使いであさひをまっすぐ見つめる。夜の学校にどうやって忍び込むとかはこまちなりに考えがありそうだからその点を心配しなくていいだろう。それよりもこまちの丸い眼は本気であさひに懇願している。おもしろ半分でこまちが提案しているのではないことは誰よりもあさひが知っていた。
だけど何か引っかかることがあってこまちに答えを返すことができなかった。こまちが信用ならないというわけではない。わざわざ夜の学校にまでいって得られることがあるのだろうか? それが理由だった。
「少し考えさせてくれないか。明日までには結論を出す。」
こまちにあさひはそう言って、答えを出すのを先延ばしにした。
こまちは大きく息をつき目を閉じる。筆を横に薙いだような細いこまちの唇がゆっくりと笑顔を作るときの形になる。
「分かりました。」
立ち上がりこまちは何もない屋上を歩き出した。からっかぜに逆らってこまちは歩き続ける。今度は風に従ってあさひのところへと戻ってくる。気分に任せて歩いているこまちの様子は何か意味があるようで何も意味がない。
「ふっ。あはは。」
意味のないその行動はあさひを笑わせた。
「どうして笑っているのですか? 私が何か可笑しいことしました? 」
まるで子供のように頬をふくらませてこまちは笑っている目をしながら怒る。そのようなしぐさをこまちがすると体型のせいもあって本当に子供のように見えてきた。
やることがなくてぶらぶらしている。ただそれだけで、あさひはこまちがなぜぶらぶらしているのかは分かっているもののやっぱり笑いがこみ上げてくる。あさひはまだ教室に戻る気はない。というよりも戻れない。こまちも同じ理由でここに留まっているのだろう。
「なぁこまち。こまちが知っている生徒会長って具体的にどんなやつだったんだ?」
こまちはうなりながら自分の記憶を掘り起こす。すぐに一つ思いついたのかにやつきながら両手を合わせた。
「バナナがおやつにはいるかどうかを真剣に議論していました。」
「分かった。もういい。ちょうど空いていた小腹にぴったりおさまったよ。いやすこし胃 がもたれている。」
「そうですか? 両手足の指を使っても語りきれないくらいの伝説がですね。」
「もういい。まじで。」
「そうですか? じゃあ……そうだ。あさひさんの今はいない友達ってどんな人だったの です。教えてくださいよ。その人からあの言葉を聞いたのでしょう?」
「ん? まぁいいか。そいつはいつもぼんやりとしていて、それで屋上でずっと歌を歌っ ていた。俺はそいつをからかって遊んでいたな。」
記憶の肩紐をゆっくりとほどくようにあさひは自分の手のひらを眺める。なぜか自分の手のひらにあのときのイヤリングがのっているようなきがして、あさひはすぐに手を握り締めた。
「そいつがやっぱり少し変なやつなんだ。それが変と言われると閉口してしまうのだがや っぱり面と向かってそいつを見るとやっぱり変なんだよ。そうだな。今思いつくのは片 耳にしかイヤリングをつけていないということぐらいだな。」
「イヤリングって…… 男の人もイヤリングつけるのですね。」
「いや。そいつは女だけど。でも女でも片耳だけにイヤリングをつける奴はいないだろ?」
そう聞いてあさひはこまちの顔を見た。こまちはにやつきながらこちらをみている。あさひはこまちがこのような表情をするのを初めてみた。でもクラスメートの女子が何人か固まっているときに、このような顔をしているのを見たことがある。
「やっぱり。それって本当に友達だったのですかぁ?」
やや右上上がりなのと語尾をのばす口調がいやらしくあさひを挑発する。学校を包むかのように六限目が終わるチャイムの音が始まった。
「どういうことだよ?」
あさひは唇を尖らせた。こまちはもしかしてあおばがあさひのことを友達でも何でも思っていなくただの嫌がらせする嫌な奴と思っていたとでも言いたかったのだろうか?
しかしこまちの言い方はそのようなことを考えさせるものではない。あさひに疑問を与えている口ぶりだった。あおばはあさひにとって友達なのだろうか?
あさひの考えは変わらない。そんなの友達に決まっている。
それ以外の存在があるのだろうか?
自問自答を繰り返すあさひを見てこまちはくすりと子供らしいしぐさで微笑んだ。
「だってあさひさん。その友達のことになると少し口が軽くなるもの。」
愉快な声と共にこまちは立ち上がった。スカートが少しだけ広がり、そしてまた元に戻る。あさひは姿勢を変えない。こまちと共に帰る気はおきなかった。
「また明日。」
あさひもすぐに帰りたかったけどこまちが最後に放った言葉の真意をずっと考えていた。こまちはあさひがあおばのことを友達と説明したのを信じていない。それもあおばが女だと知ってからわざわざあさひにあのようなことを口にした。空を見上げるあさひの頭の中にこまちの声が何度も反芻する。やっぱり分からない。何度考えてもあおばは友達以外の何者でもない。あさひにとって代わりを見つけることができない大切な友達である。
しかしあおばはどうだったのだろう? あおばはあさひのことをどう見ていたのだろう?あおばがそばに居ればそのことを聞いていただろう。
そしたらあおばはどう答えるだろうか?
そのことを少し想像して、苦いさみしさをあさひは味わった。あおばがいつも歌っているあの歌をまた思い出してしまった。
「帰ろう。」
そう思いあさひは立ち上がる。ここにいるからあおばのことを思い出してしまう。
あさひが教室に戻ってくると同時に誰かがあさひの教室から出て行った。別にどうでもいいことだと思ったがそれがのぞみだったからあさひは目を止めてしまった。のぞみとはあの後から何も話していない。けどのぞみは最近おとなしい気がしていた。昔からのぞみは目に入ってものは何でも飲み込み興味あるものは何でもさわっていた。よく飲食店の店頭に展示されているサンプルを触りそれが本物で大変な目にあったことが何度もあった。まぁそれも小学生の頃の話だが今でもよくこの面影を残している出来事を何度か目にしている。しかし最近はまるで借りてきた猫状態だ。どういうことだろう。
嵐が来る前兆だろうか?
それともノストラダムスの予言だろうか?
まぁいずれにせよあさひが考えていることとは全然関係ない理由だ。しかしのぞみの隣にいる彼女は見過ごせない。見間違うことはない。あれはあおばのイヤリングだ。そっくりとかいうのではない。同じものだ。彼女のイヤリングがあさひの視界に高速で飛び込んでくる。あさひはその衝撃に心臓の鼓動が一際大きくなる。なぜとかどうしてとか考えるよりも先に追おうとするあさひの肩を誰かが掴んだ。振り返る先にはあさひが世界で一番見たくない笑顔があった。あさひと掴む谷川の力が強くなる。制止しているというより動くと痛みつけうると脅迫しているようだった。それでもあさひは谷川を睨む。教師に対する苦手意識ではなくあさひの中には谷川に対する純粋な敵対心しかなかった。
「イヤリングは両方つけているから意味がある。」
あさひを諭すように低く重たい言い方を谷川はするが、あさひは自分の表情を変えない。谷川はあさひの行く手を阻む単なる敵だ。
「何が言いたい?」
周りの生徒がちらちらとこちらを様子見しながら横切る。谷川はさっきから笑顔のままだが目にこもる強さは半端なかった。
「もう片方のイヤリングは本当になくしていたのかな? 」
あさひから手を離し谷川はさわやかに去っていった。振り返るとのぞみたちはもういない。自分とは無関係な生徒達がひしめき合っているいつもの廊下がそこにある。もどかしさだけがあさひのそばに残った。こまちといい、谷川といい、このまえ屋上にいたクラスメートといい、何かを知っているのにその核心を教えない。ふと自分の知らないところでもう何か始まっているのではないかと焦燥感があさひの胸をくすぐった。