Neetel Inside 文芸新都
表紙

弓仙
旅征

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 翌朝、ロゥランはキースに呼び出された。まずは昨晩の約束を破ってしまったことを詫びらえた。その上でお願いがあるとキースは切り出した。
「実は、当家は北方のとある邑の武具職人と取引があるのですが、以前に注文した品が出来上がったので、それを受け取るには彼らに代金を支払わなければならないのです」
「それが、私にどのような関係が?」
「実は、場所は先生の故郷の近くにあるのです。、少々回り道になりますが。それで、先生にこのようなことをお願いするのはいささか心苦しいのですが、当家の使者として代金を納めてきてははくれないでしょうか」
 キースは割り符と皮袋を差し出した。確認するまでもなく、代金の宝石が入っているのだと容易に想像がついた。
「それは構いませんが、なぜ私なのですか?」
「先生以外にお願いする人物が見当たらないのですよ。本当は出入りの商人を通じて取引を行っているのですが、折り悪く全て出払っている。さすがにこのような取引を食客に頼むことはできません。そのうえ、当家の主だった者はこれから太子の狩猟に付き添わなくてはなりません。先生なら信頼がおける」
 説明を受ければ、なるほど筋は一応通っているが、釈然としない感のほうが強かった。
 だが、あえて追及しないことにした。むしろロゥランは引きとめられることのほうを警戒していたのだ。こうして送り出してくれているのだから、多少妙なところがあろうとも引き受けることのほうが得策なのかもしれない。
「わかりました。ですが、買い取った品物はどうすれば良いのですか?」
「先方に頼んで余分に金を渡せば、むこうにいる商人が王都まで送り届けてくれます。その点はご心配いりません」
「なるほど」
 ロゥランはすでに旅の準備を整えていた。ロゥランはイルヒムフにも別れの挨拶を済ますと、長らく滞在したローテ家の門を外へと潜りぬけた。
 見送りにはハティカも現れた。
 王都で経験した出来事は、彼にとって、最後の暖かな思い出となった。
 数日後、事態は一変することとなる。


 言い訳がましいことはしたくないとキースは望んでいたが、それでも本当は、ロゥランを騙すようなことはしたくなかった。しかし、彼はローテ家の一員であり、それはすなわち、王家の臣下であることを意味していた。
 命じられれば、否とは言えない立場であったのだ。
 だが、そんなことはどうでも良かったのかもしれない。
 彼にとっては、戦うことこそが生き甲斐であったのだから。
「戦場で、お会いしよう」
 キースは、ロゥランの後ろ姿に小さく呟いた。


 ロゥランは帰路についた。通常なら、ギンガ朝の支配下で最西端の白邑までは半月ほどかかる。キースの健脚をもってすれば、それを半分で踏破することも可能だが、そこまで急ぐ旅路でもない。王都にいる頃も、故郷との連絡は絶やした事が無い。
 さらにキースに頼まれた使いをするためには、やや遠回りをしなければならない。王都を出てから七日目に、ロゥランは武具職人の住む邑に行き着いた。
 邑は妙に閑散としていた。
 ロゥランはようやく見つけた村の老人に道に尋ねて、その武具職人の屋敷を見つけた。
 その家にも老人と女子供しかいなかった。ロゥランがキースの割り符と代金代わりの皮袋を差し出すと、老いた職人は品物を取りに奥へと消えていった。その間にロゥランは応対した男に尋ねた。
「妙に寂しげだが、一体何が起きているんだ?」
「太子の旅征に対して、諸族に召集がかけられているのじゃよ。この邑でも戦える者どもはみんな出かけていった」
 歯並びの悪い老人で、ひどく聞き取りにくい声だったが、なんとか内容は伝わった。
「旅征? 王都ではそんな噂は耳にしたことがない」
「それが妙でな。最初は大規模な狩猟だと言っておったのじゃよ。ところが、いざ太子が王都を出ると、本当の目的は白侯を討つことにあると明かされて、もうてんやわんやの大騒ぎじゃった」
「なんだって」
 その瞬間、ロゥランは目眩を覚えた。
 キースがなぜこんな迂遠な使いを自分にさせたか、その一端は理解できた。キースはロゥランにこの旅征を知ってほしくなかったのだ。だが、その奥にあるキースの感情までは計りかねる。自分に親しみを覚えて、あえて戦闘から遠ざけたのか、それともシヴァ族に旅征があることを知らせることを遅らせようとしたのか。
――だが、どれも彼らしくはない。
 老人はロゥランがシヴァ族であることに気付いて、さらに色々と教えてくれた。太子は参集する諸族を拾い集めながら徐々に軍を拡大しているらしい。旅程では遅くとも三日後には戦闘が行われるはずだ。今からロゥランが早馬を駆けたとしても、間に合うかどうかは微妙な距離であった。
「太古の民を討つのは罰当たりじゃからの。みんな渋ってはいたんじゃよ。だが逆らうと今度は自分らが危なくなるもんでな」
 言外に恨まないで欲しいと言っているのは理解できた。
 ロゥランは気を立て直した。ここでくじけている暇はない。
「しかし、どんな理由で太子は白邑を討つというのですか?」 
「さて。なんでもシヴァ族は不老不死の秘宝を持っているのに、王にそれを献上しなかったというのがその理由じゃとか。なんとも強引な理屈のように聞こえるの」
 老人はいぶかしんでいたが、ロゥランは即座に事態を把握した。
 ロゥランの家には確かに、そう表現されるに足る宝具がある。だが、それを差し出す事を父は拒む事も理解できた。それは、一族が長い年月通して守り抜いてきた、太古の遺産であるからだ。
――それに。あれに特別な意味を持つのはシヴァ族だけだ。
 奥から品物を抱えた職人がやってきた。
「はいよ。注文どおり、弓が三挺と矢が三百本だ。確認してくれ」
「これが、注文されていた品なのか?」
 ロゥランは思わず口走った。
「そうだ。なんだ、あんた自分が何の使いで来たのかも教えてもらわなかったのかい」
 職人は笑ったが、ロゥランはその武器を恐ろしい目つきで睨みつけていた。
 キースの意図が、読めた。
――あの男は、これで戦えというのだ。
 すさまじい執念だ。
 そこまでして戦いたいのだろうか、と思う。
 きっと、そうなのだろう。
 あの男の頭の中には、本質的に戦うことだけしか存在しない。
 そのためなら、なんだってする男なのだ。
 どちらがより強いか、殺し合いをして決着をつけよう。
 そういう無邪気な声が聞こえてくるような気がした。
――ああ、私の中のけものが鳴いている。
 怒れと言っている。猛り狂えと命じている。
 何もかも忘れて、己を解き放てと叫んでいる。
 おのれの故郷を守らずにして、いったい何のための武技であろう。
 一瞬、師の顔がよぎった。
――先生、すみません。
――私は、奥義を極められそうにない。


 激烈な戦闘が行われた。
 太子の軍は約二万。対してシヴァ族は合計して五千にも満たなかった。
 だが、シヴァ族は強かった。
 精鋭とまでは表現し得ないとしても、一人一人がそれなりの武技を修めていて、なおかつ集団で戦うことに慣れていた。
 まるで今日あることを見越していたかのようである。
 それでも太子軍は数の優位を存分に使って勝利を収めた。また勝因はもう一つあった。
 陣中で待機していたキースに、フェルが話し掛けてきた。
「キース様は、あの魔術というものをご覧になりましたか」
 フェルはまだ年少ということもあって、戦闘に参加することはできない。だが戦陣というものを経験するためにキースの付き人としてこの戦いについてきたのだ。
 そのフェルは初めて見た戦場に興奮しきっていた。さらに、異国の秘儀を見て興奮の度合いを増した様子だった。
「見たよ。確かに大した威力だったが、私は好かない」
 今回の旅征には、王宮直属の魔術師たちが参加していた。国内で魔術が戦闘に使われたのはおそらく今回が初めてであろう。
 魔術とはすなわち、魔の国の術である。十年ほど前に起きた魔族との戦いで敵側が使い、甚大な被害をもたらした。戦いは何とかギンガ国が勝利し、魔術を使える者たちが捕虜として捕らえられた。
 それからギンガ国でも魔術が研究されるようになったのだ。
 王宮魔術師たちは三人が輪になってしばらく呪文を唱えていた。彼らが生み出した巨大な火球が敵陣の中心に放たれたとき、勝負は決したといって良い。
 その威力は、曇天下の草原を一瞬にして真夏のごとく照らし出し、次の瞬間には火の海と化していた。恐るべき威力である。
 フェルは陣中で噂を集めてきたようだった。
「聞いた話では東国にはさらに法術なるものもあるとか。もしかしたら、戦争は段々、ああいった術を使った戦いに様変わりしていくのでしょうか」
「ありえんな。あんなもの、私なら呪文を唱え終わる前に片付けている」
 珍しく憤慨した様子の主君を見て、フェルは話題を変えることにした。
「しかし。本当に不老不死の宝具などこの世界に存在するのでしょうか」
 今回の出征に関しては、参加した諸族の間でも不満の声が高かった。その際たるものが、出征の意義そのものを問うものだった。
「ある」
 キースは事も無げに言った。
「えっ、本当ですか?」
「ああ。ただ、おそらくフェルが考えているようなものではない。たとえば、だ。我が家に伝わるこの剣を見なさい」
 キースはそう言って、腰に佩いた剣をフェルに差し出した。
「抜いてみなさい」
 キースに命じられてフェルは鞘から刃を抜こうとしたが、いくら顔を真っ赤にして頑張っても抜けなかった。キースはフェルから剣を取ると、それをいとも容易く抜いてしまった。
「これは私にしか抜けぬ剣だ。この剣は、傲慢にも剣の方が使う人を選ぶ。ただし剣としてはおそろしく傑物だ。鉄をも簡単に両断する切れ味を持ちながら、どんなに使っても刃こぼれ一つしないし、血脂がこびりついても剣が水を発して洗い流してしまう。さらには、使い手の技によって微妙に伸縮までする。紙一重でかわすということができない剣なのだ」
 言いながらキースが振ってみせたが、フェルには別段変わったところが無いように感じられた。フェルは主人の言葉を疑うような少年ではなかったが、それでもこの世のものとは思えない性質を持った剣を疑わしそうに眺めていた。
「この剣は、実はただの物ではないのだそうだ。古代の文字が形を持ったものらしい。すなわち、これは古代の剣という文字ということだ」
「これが、文字ですか……」
 フェルは読み書きを習っている最中だが、自分が書く文字とキースの手にした文字が同一のものだとは信じがたかった。
「そうだ。文字というのは人が作り出した一つの考え方だ。たとえば、水という文字がある。井戸の水、川の水、湖の水。どれも本当は違うが、それを同じく水と表現する。水という文字が我々が水と呼んでいるもの全てを一まとめの概念にくくりつけているのだ」
 話が難解になってきてフェルはついていけない。キースは別の例を出した。
「例えば、人という文字がある。だが、私とフェルは本来別の存在だろう。だが、人という字はそんなことはお構い無しに、私とフェルとその他の大勢の人間を人という概念で包んでしまう。字は人が生み出したものなのに、字が先にあってそれが人という概念を縛り上げている。本末転倒だが、様々な文字があるから人間は世の中の全てを見て触れて感じることができるとも言える」
「それで、その字がなぜ剣になったのでしょう?」
「古代の人々がそうしたからだ。彼らは字を形にする術を持っていた。一説にはそのせいで古代人たちは滅亡したという話もあるが、そのために遺産が世界に散らばっていて、私の剣と同じような宝具が無数に存在するらしい」
「段々私にもわかってきました。つまり、シヴァ族はその宝具のうちの一つを持っているのですね」
「そこで本題になるのだが。人は死ぬが、文字は死なない。たとえば、ローテの当主が代々伝えるこの剣の持ち主、つまりローテ家の剣士は、ある意味では不老不死と呼べるのではないか」
「ああ、なるほど」
 フェルは素直に納得したようだが、実はキースは全てを語っていなかった。
 キースの話した事は全て真実である。だが、太子が探しているのはただ一つ、命という古文字であった。伝承によれば、それを使えば、人は不老不死になれるという。それを使って病弱な父王を救って差し上げるのだとニバール太子はキースに説明したが、彼がその余福に預かろうとしていることは明白だった。
 馬鹿げたことを、とキースは思わないでもなかった。
 第一、シヴァ族がそれを本当に持っていたら、とっくに王家に差し出しているはずではないか。彼らの釈明すら聞かずに征伐を敢行したニバール太子のやりように、彼も若干の疑問を感じずにはいられなかったのである。
 

 事実だけを先に述べておこう。
 すべては後にキースが知ったことである。
 実は、史書の編纂に絶大な権威を持つシヴァ族は、しばしば時の王朝と対立し続けてきたのだ。彼らは王朝にとって好ましくないことまで正直に書き残す。それは、王朝に対してまつろわぬ者たちが革命を起こすための好材料となりやすく、時の為政者にしてみれば、おもしろくなかったに違いない。
 ギンガ朝の王族たちにしてもそれは同じだった。そのため、強引な論理でもなんでも構わずに、シヴァ族を根絶やしにしようとしたのがこの旅征なのだった。


 聞けば、太子はシヴァ族の生き残りが結集する白邑――この場合は領土ではなく街の名前――を焼き払うため、魔術師たちに今、呪文を唱えさせているという。
 キースは天を仰いだ。
――この国は命数を使い果たしかけている。
 どうせ戦うならば、正々堂々と国のために戦いたかった。だが、国を行く末を看取る者にはそういうことは許されないのだろう。
 遠い土地に流された親友にキースは想いを馳せた。
――ランスロット。お前はどれほど強くなった? そして、その力をどう使うのだ?
 彼の胸に急速に虚しさが広がりつつあった。

       

表紙

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Neetsha