Neetel Inside 文芸新都
表紙

ノリの使い魔
第八章 『SFの予感』

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 重力制御装置と時間制御装置。

 今から34年後の日本において、サカキ・マサヤという天才科学者が発明する事になる、先端科学の結晶だ。無尽蔵のエネルギーを自在に操り、空中浮遊どころか時間遡航すら――SF小説にあるごとく――可能とする。

 だがあまりに革新的な技術は、社会倫理との板挟みに陥る。時間遡航が可能であれば、過去の出来事を自由に改変できるからだ。都合の悪い事実は「起きなかった」事にすれば良いし、都合の悪い人間は「消して」しまえば良い。それゆえ時の権力者にとって、この先端技術は垂涎の品であると同時に、第一級の危険兵器でもある。

 案の定、開発者のサカキ・マサヤ博士は危険人物と見なされ、牢獄に幽閉された。そして「危険兵器」の設計図は押収され、国家機密となった。

 だが博士の娘であるサカキ・マナミは、残された設計図をもとに、時間制御装置と重力制御装置を独力で完成させた。次に彼女がとった行動は、34年前の日本――すなわち現代へ時間遡航する事だった。彼女の目的はたった一つである。幽閉された父親を救うため、歴史改竄をやってのける積もりなのだ。

 未来社会において権力者となるべき人物を「消して」しまい、日本の歴史を書き換え、父親に降りかかる不幸を回避する――それが彼女の目論みだ。たとえ倫理的に許されない事だとしても。

 そのサカキ・マナミは今、風邪をこじらせて隣室で眠っている。彼女の所持品である重力制御装置と時間制御装置は、彼女の枕元に置かれているだろう。

 とすれば、僕が先ほど脱衣所で見た物は、何だったのか?

 単なる下着類に見えなくもなかったが、例の装置類にも酷似していた。たまたまデザインが似通っていただけだろうか?

 夢中で考えていると、思考はどんどん迷路にはまり込んでいく。しかし幸か不幸か、今は暢気に沈思黙考している状況でも無かった。

「全く、油断も隙もないわね」

 部屋の中央で缶ビールをグイっとあおって、増田翔子が呟いた。風呂上がりの甘酸っぱい香りが僕の鼻腔を刺激する。

 増田翔子とジュリアが風呂から上がって、そろそろ一時間が経つ。その間、増田翔子は同じ台詞を十回以上繰り返している。今の発言で十三回目ぐらいだろうか。非常にご機嫌斜めなのは間違いない。

 ジュリアも増田翔子の隣で缶ビールをあおっているが、こちらは至って上機嫌である。アルコールのお陰というより、もともと陽気な質なのだろう。出逢った時から終始、彼女の開放的な雰囲気に変わりはない。

 二人の飲酒を見守る僕は、壁際で神妙に正座していた。一時間以上もこの体勢のままだ。親戚の葬式でも十分が限界だというのに、この長丁場は正直こたえた。だが人間というのは、切羽詰まればどんな壁だって乗り越えていける。ポジティブな言い方をするとそんな感じだ。

 「下着泥棒」の汚名を着せられた僕は、釈明の余地も与えられず、やむなく反省の態度を取らされている。動けない僕をいい事に、二人は勝手にビールを呑み始め、自然な流れで酒宴が始まったのだ。今更ながら泊めなければ良かった、と後悔ひとしおである。

「本当、油断も隙もないったら・・」
「まあまあ、翔子ちゃん。もしかしたら誤解かも知れないじゃない?」
「誤解?」
「何か捜し物をしてただけかもよ。ね?」

 ジュリアは僕に向かってウィンクした。僕は大きく頷く。こういう場面でさりげなくフォローするのがジュリアの優しさである。初めから疑ってかかる増田翔子とは雲泥の差だ。仮にこの二人が名古屋市長選挙の候補者だったら、僕は迷わずジュリアに一票を投じるだろう。増田翔子に投票するぐらいだったら、恥を忍んで河村たかしに投票した方がマシだ。

「捜し物ですって・・?」

 増田翔子はあくまでも疑いの目を僕に向ける。僕は咄嗟に視線を逸らした。後ろめたい気持ちは無いのだが、目が合うと悪い事が起きそうで、いたたまれない。もはや条件反射だった。

 部屋の後方からノンビリとした欠伸が洩れたのは、その時だった。

「ふあぁ・・あれ?宴会でもやってるのかい?」

 ケビンがようやく目を覚ましたのだ。血色の回復した顔に笑顔を浮かべ、ジュリアの側へ近寄っていく。ジュリアは恋人らしくケビンの腕を抱き寄せて、すぐ傍らへ座らせた。

「ジュリア、僕にも一杯呑ませてよ」
「体の調子はもう大丈夫なの?」
「うん、睡眠不足は解消した。せっかくの宴会なのに、一人だけ仲間はずれにしないで欲しいな」
「はいはい」

 鷹揚に頷いて、ジュリアは未開封の缶ビールをケビンに差し出した。ケビンは受け取った缶ビールを一口飲み、息をついた後で、不思議そうに僕を見た。

「あれ?彼はなんで正座してるの?」
「ケビンさん、彼ったらね、さっき脱衣場で・・」
「ねえ、せっかくだから皆で呑みましょうよ?ね、翔子ちゃん?」

 増田翔子の台詞を遮って、ジュリアがそそくさと提案した。事情が飲み込めないながら、ケビンも笑顔を浮かべて、僕と増田翔子を交互に見つめた。

 ジュリアとケビンの穏和な態度は、刺々しくいきり立つ増田翔子に、少なからぬ影響を与えたようだった。しばし黙り込んだものの、増田翔子はそれ以上、脱衣場の一件には触れなかった。

「・・そう、ね」

 一言そっけなく呟いて、肩の力を抜いたのが分かった。

 場の空気が変化した事を感じ取り、ようやく僕は人心地ついた。正座を崩して痺れる足を引きずり、三人の待つ車座へそろそろと近寄っていく。残念ながら立ち上がれないため、芋虫のような匍匐前進である。正座のダメージは尋常ではなかった。
 
 もしジュリアが気を回さなかったら、あと何時間、針のムシロが続いたか知れない。まさにジュリア様様である。けれども、僕の頭にひっかかっているのは相変わらず、脱衣場で目撃したあの衣類なのだ。あれがもし本物の重力制御装置だとしたら、重大な疑問が生じる。――なぜジュリアがそれを持っているのか?という事だ。

 不吉な予感を覚えながら、僕は秒速五ミリメートルのスピードで地面を這い続けるのだった。

     

 刻々と夜が更け行く中、一缶また一缶と飲み干されていく缶ビール。その残骸が電灯に照らされ、鈍い色を放っていた。

 一つ屋根の下で男女四人が酒をたしなめば、何も起きない筈がない。そんな風説が巷間を賑わせている。都会派メンズマガジン『ウォーB組』に書かれている通り、「素人娘はスキモノ」なのである。とすれば僕の目の前にいる「素人娘」は、実は玄人なのだろうか?一向に何かが起きる気配がなかった。無理に何かを起こそうとしたら、「スキモノ女をGET」どころか「スマキにされて長良川にDIVE」する羽目になるだろう。

 そういう訳で大人しくビールに口をつけていると、ホロ酔いの増田翔子がジュリアに向かって訊ねた。

「ところでジュリアさんとケビンさんは、明日どうする予定?」

 その問いかけにジュリアが考え込む。さりげない質問だったが、当の本人たちには耳の痛い話だろう。何しろ彼らは現在、一文無しなのである。このまま夜が明けても事態が好転する訳ではない。

「うーん・・正直に言って、考えてないんだけど・・何とかなるんじゃないかな・・」
「今日の昼間、派出所に寄ったでしょう?あのとき、財布を落とした事は警察に届けたの?」
「いいえ。ノー。届けてないわ」
「え?どうして?」

 不思議そうに問い返す増田翔子を、ジュリアはためらいがちに見つめた。

「なんて言うか・・多分、警察に届けても見つからないと思うのよ。実際」
「ダメモトでも、頼んでおけば良かったのに」
「そうねぇ・・」

 曖昧に呟きながら、ジュリアはケビンの方をチラ見した。柿の種をボリボリ食べているケビンは、二人の会話を聞いているのか定かではない。

 増田翔子は心配そうな面持ちで話を続けた。

「確か旅行中だったわよね?」
「うん、そう」
「どこから来たの?まさか外国?」
「えーと・・一応、日本国内でっす・・」

 またしても曖昧な返答だった。しかしそれには頓着せず、増田翔子はテキパキと続ける。

「それなら、知り合いの人にここまで迎えに来てもらったら?そこに置いてある電話、使っても大丈夫よ。連絡を取ってみたらどう?」

 僕の携帯電話を指さして、そう言った。しかしジュリアの反応は芳しくなかった。

「ありがとう・・でも止めておくわ。ちょっと連絡がつきにくい場所なの」
「え?電波が届かない場所?」
「んーまあ、そうとも言えるけど・・」

 再三、曖昧に誤魔化して口を閉ざす。その妙な態度に増田翔子も首を傾げたが、ジュリア本人が明言を避けている以上、問い詰める気もないようだった。

 しばらく考えた末、増田翔子は言った。

「・・じゃあせめて、そこへ帰るための交通費ぐらいは用意するわ。いくら必要なの?遠慮しないで言ってね。彼が全額、調達してくるから」

 そう言ってまた、僕の方を指さす。僕は念のため自分の後ろを振り返ったが、もちろんそこには誰もいない。微かに見えた背後霊も、僕と目が合うや、あわてて姿を消した。スピリチュアルな存在は銭金に疎いのだから仕方ない。例外は江原さんぐらいのものである。

 仮に東京までなら新幹線代が1万円で・・と現実的な胸算用を始めた僕だったが、それを遮るように、ジュリアがポツリと呟いた。

「いいえ、お金は大丈夫なの・・いえ、もちろん、財布を落としたからお金は持ってないんだけど、その・・帰るだけならお金はかからないと言うか・・」

 分かるような分からないような話だった。

 少々深読みすれば、「行きずりの他人に金を借りる訳にはいかない」という遠慮とも受け取れる。実際、ジュリアたちの窮状から考えれば、そう理解するのが自然だった。

 「そんな遠慮なさらずに」「いえ、結構ですから」「まあそんな事言わずに」「いえいえ、本当に結構ですから」「まあまあ、そんな気を遣わずに」という日本的慣習を、ここで実演すべきであろうか。出費がかさむのは痛いが、知らぬフリを決め込む訳にも行かない。第一、増田翔子は身銭を切らないだろうし・・。

「交通費なんてゼロだよ。一瞬で移動完了だからね」

 唐突に発せられた言葉に、増田翔子・ジュリア・僕の三人は振り返った。

 声の主はケビンだった。赤ら顔に陽気な笑顔を浮かべ、こちらを見ている。据わった目の輝きは、完全な泥酔状態だ。ずっと会話に参加しなかった彼だが、話はしっかり耳に入っていたらしい。

「ちょっとケビン!」

 ジュリアが焦ったように声を張り上げた。しかし酔っぱらったケビンは自信満々で、逆にジュリアを説き伏せにかかる。

「だって本当の事だし、別にいいじゃない。僕の話を信じるも信じないも、みんなの自由さ。僕が喋るのも自由。公園で全裸になって叫ぶのも自由。裸になって何が悪い。そういう事。オーケー?」
「オーケーじゃないわよ!えーと・・」

 ジュリアはそそくさと、僕と増田翔子の方へ向き直った。

「ケビンはちょっと酒癖が悪くてね、最近はそうでもなかったんだけど、病み上がりで悪酔いしたみたい。これから変なウワゴトを喋るかも知れないけど、気にしないでね。お酒が入ると有ること無いこと喋っちゃう人なの」

 笑顔を繕いながら、ジュリアは一息に事情を説明した。増田翔子は苦笑いを浮かべつつ、素直に頷いてみせる。酒の席ではよくあることと理解したのだろう。僕も同様に頷いたが、胸中には不吉な予感が湧き上がっていた。

 三者三様の思惑が交錯する中、場の空気を一切読まずに、ケビンは言い放った。

「僕とジュリアは、未来からやって来たんだ」

     

「僕とジュリアは、未来からやって来たんだ」

 若干ロレツの回らない口調で、ケビンは堂々と宣言した。

 ジュリアは苦虫を噛み潰したような表情だ。「早速ぬかしやがったよコイツ」と言いたげな失望感が漂っている。小さな舌打ちが聞こえた。

「えーと、何ですかそれ?未来からって、どういう意味?」

 増田翔子が興味津々に訊ねる。と言っても、真剣に答えを要求している訳ではないだろう。相手が酔っ払いだと考慮した上で、話を合わせているのだ。ケビンの言葉を真に受けている訳ではない。

 しかし僕は、増田翔子のように受け流す事は出来なかった。

 なぜなら僕は、実際に「未来からやって来た」人物を知っているのだ。その未来人、サカキ・マナミはいま、隣室で風邪をこじらせて眠っている。彼女の存在がある限り、ケビンの発言も単なる与太話とは退けられない。

 実際、ケビンの発言は真実味を帯びていた。先ほど脱衣所で目撃した衣類は、未来人しか所有するはずのない重力制御装置と酷似していたのだ。あれが本物の装置であり、かつジュリアの所持品であるなら、点と点はアッサリつながる。

 それだけに留まらない。ジュリアとケビンが未来人であるなら、サカキ・マナミを含めて三人もの未来人が、狭いアパートの一室に揃い踏みしているのだ。これは偶然だろうか?もし偶然でないとすれば・・。

 ジワリと額に汗が浮かんだのは、ビールを呑み過ぎたせいではない。僕は悪い予感を覚えながら、ケビンの話に耳を傾けた。

「どういう意味かって?そのままの意味だよ。僕とジュリアはね、未来の日本からやって来たんだ。いわゆるタイムトラベラー。時間旅行者。そういうこと」
「へーえ、じゃあ未来の日本はどんな国なんですか?」
「聞きたい?」
「もちろんです」

 余裕の笑みで増田翔子は話に乗る。二人のやりとりに対して、ジュリアは傍観を決め込んでいた。ケビンが何を言おうが本気には受け取られない、という確信があるのか。ただサジを投げただけか。

「未来の日本はね、新しい政治が全てを刷新するんだ。古い制度、古い慣習、中身の無い既得権益の温床は全て消え去るのさ。再建された新しい日本は、今以上に世界の中心的な役割を担う。アメリカや中国よりも活気に満ちあふれた素晴らしい国になるんだよ」
「へーえ。何だか素敵なお話ね。ところで『新しい政治』って何ですか?」
「知りたい?現代人が聞いたらビックリするかもね。・・革命が起きるんだよ」
「革命!?・・フランス革命とかロシア革命とか、そういう意味の革命ですか?」
「そう。あと数年後に・・」
「ケビン!」

 突如としてジュリアが口を挟んだ。真剣に咎め立てる口調だった。単に傍観していたのではなく、言って良い事と悪い事の境界線を監視していたようだ。ジュリアは言葉を選びながらケビンに告げた。

「あまり細かい話は、私たちにとってルール違反よ。オーケー?」
「・・オーケー」

 ケビンも一瞬、真顔に戻って答えた。だが間髪入れず、増田翔子がケビンに訊ねる。

「ルール違反って、どういう事ですか?」
「それはね、帝国憲法の時間航行基本法の第3条に『過去の人間に未来の歴史を知らせてはならない。違反者は懲役5年以上の実刑に処する』って決まりがあるのさ」
「ケビン!!」

 ぬけぬけと説明するケビンに、ジュリアは再び声を高らげた。一人身悶えながら、ヤケ気味にビールを煽ると、ジュリアは勢いよく席を立った。洗面所に行くのか冷蔵庫を漁りに行くのか定かではないが、この状況を投げ出した事は確かだろう。

 ケビンと増田翔子の二人は、それを気に留める様子もなく会話を続けた。

「帝国憲法?それが未来の日本の憲法なんですか?」
「そうだよ。僕とジュリアは公務員だから、特に憲法規定は遵守しないといけない訳」
「へーえ、公務員ね。どんなお仕事なのかしら?」
「官庁勤めさ。お偉いさん方の指示に従って書類作成したり、会合のセッティングをしたり、民間企業で言えば秘書的な役割が多いかな。あとはもう少し裏方的な仕事もあるね。例えば・・」

 この会話だけ聞けば、どこかの合コン会場の一幕だ。だがケビンが続けて口にした台詞は、そんな悠長な雰囲気から程遠い響きを持っていた。

「・・例えば、不法行為を犯した逃亡者の追跡、かな」

 静かに言い放たれた台詞に、僕はゴクリと唾を飲み込んだ。

 サカキ・マナミは未来社会において、重力制御装置を私的に所持する「犯罪者」である。彼女は秘密警察に追われる身として、現代まで時間遡行してきたのだ。そして彼女を追う秘密警察もまた、現代へと時間遡行してくる可能性がある。サカキ・マナミが危惧していたのはその点だ。

 ケビンの言う「不法行為を犯した逃亡者の追跡」とは、まさにサカキ・マナミが恐れている「秘密警察」そのものではないか?

 もしケビンたちが「秘密警察」なら、彼らが捜し求めている人物は、フスマ一枚隔てた隣室で眠っているのだ。僕はよりによって、追う者と追われる者を同時に部屋へ引き入れてしまったのか?余りの間抜けさ加減に、我ながら眩暈がした。

「あの・・ちょっと質問していい?」

 僕は恐る恐るケビンに訊ねた。

「その逃亡者を見つけたら、どうするの?」
「もちろん逮捕するさ。僕らは普通の公務員と違って逮捕特権が与えられてるからね。逮捕して、連行して、刑務所に入ってもらう」
「その後は?」
「んー・・通常は帝国憲法にのっとった裁判になる。けど、いま僕らが追跡してる逃亡者は特殊なケースなんだ。特別法廷が開かれると思う。そこでは現行法は一切適用されない。お偉方が独自に裁くんだろうな」

 想像するだにゾッとした。未来の日本は完全な法治国家ではないのだ。権力者の気分次第で特別法廷が開かれ、独自に刑罰が決定される世界・・。

「何だか大変なお仕事ねえ。それでケビンさんは、今もその『逃亡者』を追ってたりするんですか?」

 ケビンの話を酒飲みの戯言と思い込んでいる増田翔子は、相変わらず軽い口調で訊ねる。

「うん、まさに、そのために現代へやって来たんだから」
「見つかりそうなの?」
「ぬかりはないさ。準備は整ってる」

 ケビンはそう言って、自分の服の裾に手を突っ込んだ。しばらくゴソゴソと探った後、取り出したのは小型の計測機器だった。

     

 ケビンが取り出したのは、携帯電話ほどのサイズの機器だった。

「何ですかこれ?」
「重力エネルギー測定器さ」
「・・?」

 その機器は片面が全て液晶ディスプレイになっており、うっすらと目盛りが刻まれていた。「測定器」と名が付く以上、測定対象物を検知した時に、目盛り部分が点灯するのだろう。科学技術に疎い僕でも何となく想像はついた。

 機器を見つめる僕と増田翔子を前に、ケビンは説明を続けた。

「いま追跡してる逃亡者は重力エネルギーを操るんだ。もし彼女が――あ、その逃亡者は女性なんだけど、その逃亡者が重力エネルギーを発生させた時に、この装置がすぐに検知するわけ」
「へえ・・」

 増田翔子はぎこちなく相槌を打ったが、その顔は疑問符で埋め尽くされている。無理もない。「重力エネルギー」などという非日常用語を、ケビンは何の説明も無く使っているのだ。話についていけるのは物理学者かSFマニアぐらいだろう。

 そのどちらにも属さない僕ではあるが、ケビンの説明は腑に落ちた。サカキ・マナミが歴史改竄を企てるなら、徒手空拳で行動を起こす筈がない。どこかで重力制御装置を用いるのは必定である。その瞬間、この測定器が彼女の存在を検知するという寸法だ。

 僕はあえて訊ねてみた。

「よく知らないけど、重力エネルギーって、そんな簡単に検知できるものなの?」
「もちろん。人為的に発生する特殊エネルギーだからね。この装置は地球上の全域をカバーするから、エネルギー発生源の緯度経度だって分かる。逃亡者がどこにいても、一瞬で反応が返ってくるよ」
「例えば、逃亡者がアマゾンの奥地にいても?」
「ああ、見逃すことはない」
「でも、検知できたとしても、そこへケビンさんが辿り着く前に逃げられたりするんじゃない?捕まえるのは結構難しいような・・」
「心配ご無用。瞬間移動するから」

「瞬間移動?映画みたいなお話ね」

 しばらく傍観していた増田翔子が、馴染みのある単語を聞きつけて口を開いた。

「そんな事が出来るの?」
「未来の日本ではそれが可能なんだ。僕とジュリアは時間制御装置・・要するにタイムマシンを使って現代へやって来たんだけど、その時間軸を固定して位置だけズラせば瞬間移動が実現するってわけ」

 簡単に説明したケビンに、増田翔子は黙って頷いた。多分、理解はしていない。大方、酔っ払いには付き合いきれない、とでも思っているのだろう。

 それにしても、ケビンたちがサカキ・マナミの追跡者である事実は、ほぼ疑いの余地がない。何かの拍子に両者が顔を合わせたら、たちまち修羅場が訪れるだろう。冗談では済まない修羅場だ。最悪、人命が失われかねない。

 もしここで鉢合わせしなかったとしても、ケビンたちが現代に留まる限り、サカキ・マナミは行動を起こせない。重力制御装置を作動させた途端、ケビンたちが現れるのだ。それも一瞬で。

 僕としては、サカキ・マナミに無茶な行動を取って欲しくない。まだ二十歳そこそこの女の子に、血まみれの人生など歩んで欲しくない。もしケビンたちの存在を知れば、彼女は計画を断念するだろうか?けれどもそれでは、彼女の父親は救われない。根本的な問題は解決しないのだ。一体どうすればいいのか・・。

「さあさあ、雑談も済んだみたいだし、そろそろ寝た方がいいんじゃない?もう夜も遅いでしょう?」

 いつの間にか戻っていたジュリアが、背後から声をかけた。タイミングを見計らっていたようだ。しかしその表情には、どこか不穏な陰が滲んでいる。

「ケビンだって、もう眠いでしょ?一杯喋ったもんね?」
「ええ?そんな事ないさ。僕はまだ元気だから、先に寝ててくれよ」
「あら?本当に?」

 ジュリアはそっとケビンに近づいた。微笑みを浮かべているが、目が笑っていない。次の瞬間、鈍い音がしてケビンはその場に崩れ落ちた。そのままケビンを抱きかかえて、ジュリアはそそくさと部屋の隅へ引き下がっていった。

 僕が呆気に取られていると、増田翔子がポツリと呟いた。

「みぞおちに一発」
「・・え?」
「さ、私たちも寝ましょうか?」

 穏やかにそう呟いた増田翔子の目も、やはり笑っていなかった。「下着泥棒」の汚名を着せられていた経緯を、ふと思い出した。僕は寒気を覚えて、首振り人形のように何度も頷いた。つくづく、女の前で余計な行動は慎むべきである。

 全ての点と点が結び合った夜は、呆気ない幕切れで、静かに更けていった。

       

表紙

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Neetsha