Neetel Inside 文芸新都
表紙

シヴァリー
壱『ヴァルハラ』

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 ヴァルハラのシステムは単純明快だ。ローマの奴隷剣闘士と、ほぼ変わらずそのままだと思っ
ていい。
 違いといえば、人が死ぬことがない、と言う事。そして勝った者は、ヴァルハラにつれてこ
られた際に奪われた己の記憶の欠片を手に入れ、敗北した時、それが再びリセットされてしま
うと言う事。
 百勝もすれば、人間としての記憶全てを手に入れられるだろうし、場合によっては、いや、
観客の気分によっては、自由になる事ができた。この辺りも、奴隷剣闘士と変わらない。
 屈強な兵士を育てるが為のヴァルハラなのだから、強いものを解放するなど思いきり矛盾し
ているのだが、その実、この戦いは、神の軍団を作るというお題目よりも娯楽性の高さを重視
する、単なる見世物に成り下がっていた。栄華を誇り、一向に訪れぬ黄昏を忘れた神々の慢心故だ。

 そして、これがそうなるように仕向けているのが、他ならぬラグナロクを起こす神の一員に
して、ぬけぬけと、このヴァルハラでの一戦ごとに行われている、剣闘士のギャンブルで大儲
けをしているトリックスターのあの御方なのだが――まあ、そんな話、今はどうでもいいだろう。

 兎も角も、そうして肥大化している娯楽的要素に応じて、ヴァルキリーが持ってくる人種も、
最近は幅広くなってきていた。それこそ、神話も時代も超越し始めている。
 有名どころを挙げれば、蛇女を殺した親殺しだとか、牛男を殺した女たらしだとか、女の所
為で義父を裏切ったバカ大将だとか――聞く人が聞けば垂涎モノの、そうそうたるメンバーが
揃っていた。
 その中でも特に、最近になって入ってきたものは変わった奴が多く、飽いていたものにも新
鮮味を与えた。

 どんなものが打つ弓より速く、しかして当たれば一撃で人を殺す筒を持つ物やら、一度投げ
た武器が、過たずその手に戻ってくるものやら、裸一貫に粗末な槍のみで戦う、野獣のような
黒い肌の男やら。

 シヴァリーも、そうしたある種色物と識別される時代から来たものだった。
 身長は五尺四寸と小柄。鎧もなく、盾も持たず、肌に身につけた服は、胸元が大きく割れて
いる。その服も特異で、素肌の上に長めの、膝より下ぐらいまで丈があるコートを着て、その
まま腰の辺りで縛ったような形だった。
 足元も靴は履いておらず、素足に、親指と人差し指ではさむ形の不思議な形状のものを身に
つけているだけ。
 そうであるから、彼が始めて闘技場に姿を現した時、観客は呆れ返ったものだった――。


 苦笑と憫笑が混じった空気の中、闘技場の中心で戦う二人。
じりじりと間合いを計りながら右回りに回る相手に対し、シヴァリーは、構えを取ったきり微
動だにしなかった。
 この光景に、観客席からはブーイングが起こった。神々と言えど、人間と大して変わらない。
 会場全体が揺れるように反響する。風の強い日の竹林に居るかのように、ざわざわと煩く耳
を劈いた。
 しかし、シヴァリーはそれにもどこ吹く風、まるで動かなかった。それこそ、足から根が生
えてしまったがごとく。
 もちろん、だからといって手加減してくれるような相手ではないし、ここは、そのような輩
が居る場所ではない。
 相手は、まるで動かないシヴァリーを訝しく思いながらも、自分の間合いになったと判断す
るや、その手に持っていた槍を、生前の力と技で思いきり投げた。
 投げるフォームに入った時には、ブーイングはやんで、寧ろ熱狂がたわむにたわんで、ばね
のように飛び出す瞬間を待つような、そんな異質な雰囲気が流れていた。あの剛槍を食らった
人間がどうなるのか。どのように凄惨な光景が出来上がるのか。そうした、一種の期待感だ。
 しかし、いざ彼の槍が彼の手を離れるどうかのとき、誰もが予想だにしなかった――いや、
それでもきちんと、その大穴を当てた者はいたが――光景が広がっていた。
 一瞬、ギャラリーは、彼が槍を間違った方向に投げたのだと思った。
 シヴァリーとは正反対に、飛んでいく物体があったからだ。
 そしてそれにブーイングをしようとして、しかし、彼らは口をあけたまま、何事も発するこ
とができずに止まってしまった。
 ……槍は、彼の手から離れていなかった。であるから、先程『生前の力と技で思い切り投げた』
と言ったのは語弊がある。彼は、『投げようとした』だけだったのだ。
 ならば飛んでいったものは何であったか。
 ――言うまでもあるまい、シヴァリーと相対していた相手の首、そのものだった。

 相変わらず、シヴァリーはぴくりとも動かない。ただ彼のその蓬髪のみが、風を受けて揺ら
めいていた。
 歓声が、忘我の後にやってきた。コロッセオ全てを揺らすそれは、彼の初陣を見事に飾る賛
美歌のようであった。

――そうしてシヴァリーは、シヴァリーと言う名を貰う。
世界全ての知識を持つ、神々の中でも一番貴き方がつけた名前であった。
 ちなみに、相手はヴァルハラで六十勝を数える、ギリシアの英雄にして、投槍の名人だった。
 それがどれだけ素晴らしい豪傑だったのかは、生前の経歴も含めて、最早、語る必要もない
ことだろう。

       

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