Neetel Inside 文芸新都
表紙

ヤカタの眼
二日目。

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「舞、水着よ。水着」
 英美は興奮した感じで駆け寄ってくる。
「そんなの持ってきてないよう」
「何いってんの。これから取りに戻るのよ」
「おいおい、泳ぐつもりか?」
「当たり前でしょ。沖縄だってこの季節は泳げるのに」
「そうじゃなくてだな」
 玲奈が見かねたように、
「毒性を持った魚介類が海辺に来ていたら大変なことになる」
 そうそうと東条が頷く。
「もう既に入ってる生徒も見えるし、問題ないわよ。それに何? 玲奈は怖いわけ? 水着姿になるのが」
 その目線は紛うことなく、バストへ。玲奈は白い頬に紅潮した色を浮かばせる。
 終わった。

 二日目――午後一時三十分。
 結局もどるとお昼時も近いということで海へ行くのは午後からということになり、時間は一時半、今俺達は水着姿で浜辺にいる。
「なんてこったい……」
 東条はもう生徒達に広まってしまった浜辺の惨状を見て呆然とした。
「当たり前でしょ。泳ぐつもりもあってみんな旅行したがってたんだから」
 俺達の青緑学園は海から遠いわけではない。しかし、泳げる海というのは近くにない。ましてや綺麗な海はほとんどない。
 そんな中、沖縄の海は日本でも数少ない泳げる海なのだ。
「で、どうなのこいつ」
 英美はお椀ほどの水玉ビキニの胸下で腕組みをし、すらりと伸びた瑞々しい脚を攻撃的に開きながら顔面に怪訝な色を浮かべていた。
 玲奈はシェイプビキニのフリル付き水着で上手い具合に大きさが隠れている。愛嬌があるといえばそれまでだが、ボトムはスカート型で白と黒の四段フリルは気合いの入れどころが明後日の方向だ。
しかし、それらは玲奈の白さを際だたせるばかりか、統一感の取れた優雅な雰囲気さえ感じさせてくる。
「どうって……なあ?」東条は感情が先立っているのか、明らかに破顔していた。
「俺に振らないでもらえるかね」俺はノーコメントを貫くことにした。
「みんな――」

     

 後方から聞こえる声に振り向くと、舞があられもない姿で海とは反対の方向から走ってくるのが見える。
「遅れてごめん。すぐ追いつくつもりだったんだけど」
 息を切らしながら弁明する舞の水着は純白の白だった。ビキニではあるのだが、所々に刺繍されたレースが何か凄く色っぽい。バストは英美ほどではないが、スタイルと端正な着こなしは舞独特のオーラを纏っていた。
 玲奈の表情がわずかに歪んだように見えた。
「舞、あんたやったわね!」
 へ? と素っ頓狂な顔をしながら英美に賞賛のエールを送られる舞。
「俺達、水着で格好良くなれん?」
「無理だ」
 トランクスでブラックな俺達は励まし合うのも空しく、ただ燦々と輝く陽光に身を焦がすばかりであった。

 二日目――午後二時五十六分。
 良いだけ泳ぎまくって、木陰で休んでいたその頃。
 とある女子の集団から謎の誘いがあったのは、つい今し方だった。
 花柄のワンピース水着の女の子と、セパレーツ水着の一番背の高い子。それからいずみと良い勝負になりそうなスタイルのビキニ姿の女の子だった。
一番バストの大きい子が『しょー勝負しましょう。ぅ? あれ、加奈ちゃん。ここ「ぜ」だっけw?』等と言って三人を連れ去った。まぁ、正確には事情を聞いてくるだけだと言っていたが……。
東条は例の女子達に連れられて、今頃海水浴を満悦中のこととお悔やみを申し上げる。

 で、その後すぐに現れたのが目の前のコイツ。
 さっきの子達とは比較にならないほど派手。ハイビスカスが入ったオレンジ色のパレオを腰に巻いており、ホルタービキニにはフリルやリボンが艶やかに飾られていながら気疎くなく、品位のあるしぐさと相まって、一つの華のようだった。
「お初にお目に掛かります。西本様」
どこかのご令嬢に違いないと思わせるオーラのようなものがひしひしと伝わってきた。
「――何のご用件で?」
 俺が恐る恐る尋ねると、彼女はまあと愛嬌あるしぐさを見せた後、紡ぎ出す。

     

「西本様。どうか私に対してそのように謙遜なさらないでください。いつも通りで構いません」
 隣をよろしいかと聞かれ、戸惑う俺は首を縦に振るしかなかった。
 少女は腰を下ろすと両足を折り曲げて抱え込む。なんとも少女らしからぬ姿勢だが、彼女曰く「砂の感触が不快なのです」ということらしい。
「ご用件と言うほどのものでもありません、今の現状についてです」
 ビーチに来ていることではありませんと東条が口を出す前に釘を刺した。
「申し遅れましたが、私は橘 千空(たちばな ちあ)と申します」
 知らなかったわけではないが、橘と言えばタチバナ電子企業で今や日本財閥の一旦企業である。恐らくはその親戚か何かだろう。
「今の現状?」
「はい、実はここに来てからあなた方の行動は遠巻きから拝見させて頂いていました」
 全く気がつかなかった……。いや、それよりも……。
「あなたの人間関係は友情や友誼のそれとは違う。そうですね」
「!」
 千空は性悪な笑みを浮かべて、
「何もおっしゃらなくて結構ですよ。この学園ではまともな人間関係の部類です」
 友誼とは違う。それは俺達が育ってきた環境の中に友情や情愛に先立つ一つの思考が植え付けられているからだ。
「君はその、つまりは手を組みたいと?」
「お話が早くて助かります」
 千空は破顔して、けれどもすぐにその顔を矯正して続けた。
「私はこれからあなたの人間関係に入り込みたいのです。理由は……今は言えません。それと私のことは呼び捨ててもらって構いません、これは損得勘定です。私は人を使って今起きていることの真相を探ります。あなたはこれから起きるであろう混乱を……そうですね、薪先芽依に一鎌かけて頂ければ結構です」
 なんとも稚拙なギブアンドテイクでしょうと両手の人差し指を膝の上に伸ばして番い、目を細める。
 確かに一界の財閥、橘の名で使える人間の多さは半端じゃない。しかし、ここで人を使うには不都合が多すぎる。
「どうやって人を使うつもりだ?」
 俺はなるたけ考えを悟られないように言った。
「それはあなたが危惧することではないでしょう」
 あっさり躱される。まぁ、当然か。
 だいたい予想はつくが、断ったらどうなるかを思うと、拒否は賢い選択に思えない。
 真相……。その響きが俺の頭に何かの引っかかりを残して消えた。

     

二日目――午後三時三十五分。
「くっ、何だよこの可愛い子は」
 東条は苦虫を噛みつぶしたような面持ちで歎息混じりに言った。
 千空が一歩前に出る。
「私、橘千空と申します。以後、お見知りおきを」
 優雅に一礼する千空の隣の俺に、うわあと愁いた視線を向ける一同。
「お、おい。橘ってもしかして、あのタチバナ電子企業で今や一界の財閥っていう……」
 えっと駭然する一同。
「よ、よろしく、佐藤英美です」
 笑顔を引きつらせて英美が先陣を切った。
「よろしくお願いします。佐藤様」
「え、英美でいいからっ!」
 そうですかと告げると舞と玲奈の方にも一瞥し、改めて挨拶をした。
「そういえば、あなた方は川口や村泉、ほのかと勝負事をしていましたよね」
 すると、三人はいかにも「しまった」といった表情で見つめ合った。
「どうかしたのか?」
 東条はそんな三人を見て験を察することなく問い掛けた。
「いや、言いにくいんだけどさ……その、橘さんはあの子達とお知り合いなんですか?」
「はい、友人です」
端的な返事だった。どうかいつも通りでと付け加えて。
「やられたわ。ごめん、西本君。それと、東条」英美の青息。
「えッ! 俺おまけみたいじゃん」東条が仰け反る。
 手を合わせて三拝九拝せんばかりの剣幕に狼狽える東条と俺。見れば、舞が顔を俯かせて、一番申し訳なさそうにしている。
「ごめんって、どういうこと?」
 英美までが頭を俯かせて、
「勝負に負けたら何でも条件呑むって話しになっちゃって……、玲奈と私が負けるなんて思わなかったし……」
「私は負けてない」
 それまで寡黙だった玲奈が少し怒気を孕んだ口調で言った。
「はは、それで何を賭けて勝負したんだ?」
「仲間に……してくれって」
「は――?」

     

 それまで軽笑していた東条の顔が呆気に取られた。橘千空の目がわずかに俺を捉えた。
「おーい」
 そこにこの場の誰でもない第三者からの声が掛かる。
 英美達を誘いにきた例の三人組の姿だ。
「えとえと、私たちこれから一緒に行動させて頂く者です。どぞ、よろしくう」
 千空とは正反対と思えるほどの気さくさだった。
「ほのかあ、西本君達引いてるよう」
「……」
 後ろにいた花柄の子に背の高い子が無言の同意を示す。
「え! あれ、ど、どうしましょう? ぅ?」

 二日目――午後五時二分。
 結局、勝負は事実で……お互いにそれなりのものも賭けていたらしい。
勝負内容は競泳。玲奈と村泉 京(むらいずみ きょう)、英美と川口 加奈(かわぐち かな)、舞と立花 ほのか(たちばな ほのか)、で競ったらしい。
 英美も玲奈も計算上では、二人で一勝して、二勝一敗で勝利するはずだった。
 しかし、大番狂わせは英美の時だった。
 加奈という子は体格に似合わず、英美に大きな差をつけて勝ってしまう。
 舞よりも華奢な加奈は、どうやらダークホースだったらしく、その時点で勝敗は決してしまっていた。
 舞とほのかの勝負は勝負らしい勝負ではあったが、舞はゴール手前で立ってしまった。
 そうして、負けるはずがないと鷹をくくった三人、もとい二人は俺達を華麗に巻き込みやがったのだった。
「いや、ほんとごめん」
 英美はもう何度目か分からない謝罪を述べる。
「いや、もうほんとにいいから」
 俺と東条ももう何度目か数えるのも馬鹿らしい許容の言葉を述べる。
 館の扉も重苦しい息を立てて俺達を迎え入れた。
「それじゃ、私たちは着替えてくるから」
 英美のその言葉を口火に、千空たちとも別れ、俺と東条以外は階段上の廊下へと消えていった。
「俺達も着替えないと、な!」
 東条が腕を肩に回してくる。砂のついた腕が肌にざらざらとまとわりつく。
「この砂だらけの体で服なんか着られるわけないだろ」
「それもそうだ」
 俺達はいつも通りだった。

     

 部屋にあるシャワールームで済ませた俺達は、事件の全容をノートにまとめていた。
 船で起きた田口の失踪。
 館で起きた前島の失踪。
 南子の精神異常。
「あれ」
 東条が何かに気づいたらしい。
「どうした?」
「いや、俺ら船降りてから宮下に会ってないなって思ってな」
 そういえばそうだ。
 あれだけの大食い、食事の時間に目立たないというのはおかしい。館に来てからまだ一日。修学旅行としては二日目だが、今日の昼はずっと食堂にいた。
 まぁ、食事を抜いたとも考えられるが。
「厨房の中で食べたりしたこともあったし、偶然かもしれない」
「南子がおかしくなった時間帯に宮下と会ったのが最後って考えると何か、考えちまってな」
「一つの考えに固執するのは危険だぞ」
「解ってはいるが、この手がかりなしの現状のままよりはこんな些細なことでも動いた方が……」
 確かに東条の意見も尤もだった。
 その時、装飾に凝った両内扉の向こうで声がした。
「――薪先です」
 東条が喜々として出迎えると、芽依は少し落ち込んだ様子で部屋へ入った。
東条のような男を前にして男の部屋に入るのは関心しないが、東条が怒りそうなので黙っておいた。
芽依が東条の進められるままに装飾椅子に腰掛けると、しばらくの沈黙が流れた。
「お茶とかないから」
 頼んでも出てこないと思うぞ東条。
「何か話しがあって来たんじゃないの?」
 不躾ながら尋ねてみることにした。こちらとしてもあまり時間を無為にしたくはない。
 東条は怪訝な顔をしながらも大人しかった。
「実はその、前島先生がまだ見つからなくて……報告だけでもしておこうかと」
 これはつまり、もう館内は疎か、周辺にもいないということなのだろうか。
 東条も同じ考えに至ったのか、追及する。
「冗談抜きで、消えたということです」
 その口調からは怒りや哀しみからくる強い感情が滲み出ていた。

     

 俺達のその後の行動はあまり実のあるものではなかった。
 前島が完全失踪という仮定において、宮下を探したが船を降りてからの行方については謎のままだった。
 今は食事時を張れば邂逅できるのではと、食堂で時間を潰している次第だ。
「しかし、何でこいつらまでいるんだ」
 芽依はともかく、隣の円卓テーブルには舞、英美、千空、加奈、ほのか、京とがいる。
多すぎる……。
「ここは一つ、隠密行動と行こうじゃないか」
「無理だよ!」
 東条のボケに素で突っ込んでしまったことを悔恨し、足りない一人を思った。
「そういや、玲奈は?」
 円卓テーブルでカードを配り始めた英美に近づき話しかける。
「ん、何か用事があるとか言って自室に戻ってたわよ」
 淀みのない流麗な手さばきでカードを配り終えた英美は唸った。何をしているのかと聞けば、大富豪らしい。
「こりゃ、だめだわ。私ドロールーレット希望」
 ※ドロールーレットは青緑学園でのみ一時期流行った大富豪のオリジナルルールである。
 ※ドロールーレットを希望した者が全体の四割を占めた場合、全員は自身のカードを裏向きにシャッフルして、手前へ置く、山札の一番上のカードを右の人へ譲渡し、左の人から一枚受け取るというルール。
 ※希望者が四割いる限りは三度まで繰り返せる。
 ※ドロールーレットを希望した人間は決して一番でアガることは許されず、その場合は強制的に大貧民となる。
「私もドロールーレット希望です……」
 舞が希望すると四割(四捨切捨)で成立する。万が一この二人が一番にアガると二人ともに大貧民として、このゲームで光を見ることは永遠になくなるだろう。
 他にもロック、8切り、都落ち、貧民一閃、見せしめ、等のルールがあるが、青緑学園のルールは一貫性がない上にこの上なくややこしい。

     

「おい、西本!」
 東条が帰ってこない俺に見かねてか声を上げた。
「悪い」
 芽依は俺達を意に介さず食堂の入り口を見張っている。
「あいつなら絶対に来ないってことはないと思うんだけどな……」
 ――ガシャン。
 突如後方からけたたましい音が響き、振り返る。
「ちょーっと、あんたら! 何、食堂で遊戯三昧してるわけ? まだ食べてない人の邪魔になるんだから部屋で遊んでよ」
 随分はっきりモノを言う女の子だ。茶髪のショートに小綺麗なTシャツ、ジーパン。端正とまではいかないが、小綺麗に纏まった顔立ちをした明るいイメージが伺えた。
 舞は目を白黒させていた。
「これは失礼致しました。雪城美優様」
 そこに優雅に割ってはいる千空。今度は美優という女の子の方が狼狽えている。
「た、たちばな……!」
「ここにいるのは私の同士です。どうか彼女に辛くあたらないで」
「べ、別に辛くあたってなんかないけどさ……」
 雪城 美優(ゆきしろ みゆ)。ここの料理の分担を取り決めた一人で謂わば、料理長のような存在だ。
 その美優が橘の名前に引いているのは、橘という権力は誰もが畏怖していることを意味している。
「邪魔にならない範囲でやってよ」
 安い捨て台詞を吐いて顔を伏せがちに踵を返す美優を見送った後、何者かの影が美優の横を通った。あわやぶつかりそうになりながら美優の敏捷な反応で避けられる影。
「宮下だ」
 顔面を蒼白にさせた虚ろな目でふらりふらりとテーブルの間を縫っていく宮下の姿がそこにあった。
「俺、ちょっと様子見てくる」
 東条が腰を上げると同時に、俺は制止の声を上げることもままならないほどの頭痛に襲われていた。
 膝をついては気づかれてしまう。
仕様がないので、この熱湯のような脳漿を抱えたまま席につく。
「――ッ」
 舞の時とは一線を駕する激痛だった。むしろ、舞の時が異常だった。
まさか、あいつとはな――。

     

 昔は意識を失うほどの激痛だったが、今は慣れたせいで失うこともないだけにこの頭痛はタチが悪かった。
 痛みは徐々に眼球裏を焼くかのように、鼻腔までに回る。目を堅く瞑っていないと眼球が飛び出してしまうのではないかと錯覚する。
 まるで蛆虫が目の裏から眼球を押し上げているかのようだ。
 全身に冷えた汗が噴き出し始めた頃、嘘のようにスッと痛み引く。
 気がつくと舞が目の前でハンカチを手にして、俺の額に当てるように拭いていた。
「ごめん」
 思わず言葉が漏れる。
 迷惑をかけたからではない。悟してしまったからだ。
「死」が身近にあるという事実を一番教えたくないヤツに知られてしまった。
 舞の後ろでテーブルを囲む皆も、既にゲームという雰囲気ではなくなってしまったらしい。
「どうすればいい」
 英美が歩み寄って放った。
「出来る限りのことはしよう……」
 自然とその言葉が出た。傲りではない。
 俺達は千空たちに別れを告げ、既に姿を消した宮下と東条を追って食堂を後にした。

 エントランスにでるとシャンデリアの光が照らす下に東条と宮下が対峙していた。
「東条!」
 話しに集中している東条に駆け寄っていくと宮下は蒼白な顔で譫言のように何かを呟いていた。
「……バケモノ」
 低い声でわずかに聞き取れるくらいのそれは酷くこの世のものとは思えない声色だった。
「さっきからこれしか言わないんだ」
 眼は宙を見つめたままで、ここ何日かは食事を取っていなさそうだった。
「イカレてるわね」
 英美は宮下の顔の前で手を振ってそう言った。
「なんちゃって――って言わないの?」
「顔色みれ……冗談言うときにこんな具合悪そうな顔するかよ……」
 東条が舞を尻目に宮下に向き直る。
「ご、ごめん……」
 宮下はそんな俺達を意に介さず、ひたすら『バケモノ』を連呼している。

     

「どうすんだ、これ」
 話しの通じない相手など、もはや死んでいるといってもいい。
「ほっとこうぜ」
 東条はそんな冷淡な思考を持ち合わせた人間だった。
 英美と舞は俺の顔色を伺う。

――「放ってはおけない」そのまま次のページへ
――「玲奈の意見を聞く」一度戻って玲奈ルートから
 
「いや、それはできない。宮下の死期が見えた」
 俺ははっきり言うことにした。こうしないと東条は食いついてこない。
「本当か」
「さっき食堂で見たときにな」
 東条は宮下への興味を取り戻したように思考を始めた。
「ロープで縛り上げておくか? 飯とか強制的に食わして……下の世話は英美」
「却下に決まってんでしょ!」
 英美にどつかれながら東条は笑わなかった。
 その時、不意に耳鳴りがし始めた。
 ――キィィィィイイイ。
「何か……凄い耳鳴りがする」
「俺もだ」
 空気が振動しているかのような耳鳴りはすぐに治まった。
「おい」
 東条が注意を促した。
 宮下が正気に戻ったように俺達を眼で捉えていたからだ。
「……ロゥ? ミオヤレシハタケ、キンエタルロ」
 一瞬、聴覚を疑ったが他の三人も呆然と立ちすくし、宮下の次の行動に反応できなかった。
「待て!」
 東条が声を上げたと同時に二人は我に返った。
 既に八メートルは離れた。宮下は扉に向かって走り出したのである。
 俺と東条は走り出すことが出来たが、東条は俺を一瞥してその場に釘をさして走り出した。
「なんだったの? 今の」
 俺は静かに宮下のいなくなった風景を見つめた。

       

表紙

ゆの舞 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha