小さな茶の間のような部屋。人間達が楽屋と呼んでいる、私達ボーカロイドのメンタルメンテナンスルームだ。
今頃は、メイコお姉ちゃんが舞台で歌っている頃だなぁと、そんなことを思いながら、私は差し入れのネギを頬張った。ファンの人に感謝感謝。
どうやら私の趣味は、あまり周囲に理解されないらしい。今も弟分が、私より明るいエメラルドの目を半分ばかり細めて、こっちを見ている。
「ミク、よく生の長ネギなんて食べれるよな」
「おいしいよ?レンも食べる?」
苦笑いして首を横に振るのは、鏡音レン。私の二年後に作られたボーカロイドだ。一応双子ということで知られているのだが、実は結構面倒な理由があったりする。話すと長いので、今は話題を戻しておこう。
周囲はネギを生でかじる私を奇異の目で見るけれど、私からすれば、みんなのほうがおかしいと思う。
こんなにいい香りで、他の野菜と比べ物にならないほど癖のある味、首に巻けば人間の病気も治るらしい。魔法の野菜なのになぁ。
「ミクたんは変わり者だかんねー。それとも、その美声の秘密は長ネギにあるのかな?」
レンの横で金髪のショートヘアを揺らしながら、女の子が笑う。レンの双子の姉・・・なのか妹なのか。とにかく双子の片割れ、鏡音リンちゃん。私の数少ない可愛い妹分だ。
私のそばにおかれた長ネギを一本とって、くるくると回してみせる。たまにライブで私がやるパフォーマンスの真似なのだろうけど、なってないな。まったくなっていないぞ、リン。
「みっくみっくにしてあげるぅ~♪」
鼻で笑おうとして、やめた。彼女の声は私よりパワーがあるくせに、舌たらずで可愛らしい。滑舌の悪さが、逆にリンの長所になっているのだろう。
今ここで「リンのネギ振りはまだまだ甘い」と言っても、なんか負け惜しみを言ったような気分になるだけだろう。リンがどうこうじゃない、私の気分の問題だ。
ここで何か反撃を仕掛けなければ、私の敗北は確実なものとなるだろう。もっとも、この小生意気なリンに勝てたことは一度も無いから、半ば諦めているのだけど。
レンもレンだ。私の方へ助けに入ったところで、後で子供じみたいたずらがまっていることを知っているからか、決して助け舟を出そうとしない。ま、それも慣れっこ。それに、結構楽しい。
これが私たちの日常だ。毎日のライブが終わったら、楽屋で休んで、みんなが揃ったら、外に遊びに行くかどうか迷って。
私たちは有名な存在だけど、不思議と街中で騒がれることはない。そりゃ、声をかけてくる人もいるけど、せいぜい有名な町娘程度だ。メイコお姉ちゃんの話だと、私たちは歌が評価されているだけで、私達自身がアイドルというわけではないとのこと。
アイドル風の歌を持ち歌にしてる私にとって、それはちょっと残念な気もするけど・・・。おかげでみんな揃って遊べるんだし、よしとするべきだろう。
「リン~、ネギ返してよ~」
「みっくみっくにしてやんよ~♪」
頬を膨らませると、リンはさらに得意げな表情になった。調子がいいのは昔からだ。
と、滑ったのか、その手からネギがすっぽぬける。飛んでいく先は、この小部屋の入り口だ。
「あ」
私を含めた三人の声が、重なる。同時に、ドアが開いた。まるで漫画みたいだが、実際に起こってしまってはどうしようもない。
どうしようもなく飛んでいくネギは、やはりどうしようもなく、ドアを開けた男の鼻先に当たった。
勢いをなくしたネギが、ぽとりと床に落ちる。そそくさとネギを回収する私を尻目に、彼はリンに歩み寄り、頭のリボンを掴んだ。
「リン・・・」
「あわわ」
群青色の髪の彼は、私の兄のような人、カイトさん。メイコお姉ちゃんの前に仕事を終えたのだろう、シャワー後のようだ。
掴まれたリンは、目を白黒させたり、最初は真っ青になっていた顔を、カイトさんに引っ張られた直後に真っ赤にしてみたりと、なにやら忙しい。
彼女は隠しているつもりらしいが、私たちは知っている。彼女はカイトさんに恋心を抱いていた。
外見から考えて、ちょっと無理がある気もするけど、恋するボーカロイドは、今のところ彼女のみ。がんばってほしいものだ。
ともかく、ようやく見つけた反撃のチャンスを、見逃す手はない。
「カイトさ~ん、リンがいじめる~」
我ながら、この外見と年齢で出す声ではないと思う。自分の声音に、ちょっと寒気がした。
「あ゛!」
可愛らしい声を思いっきり濁音に変えて、リンが声にならない声を上げる。もちろん私は止まらない。むしろ、唇の端を吊り上げてみせた。
「またいたずらしたのか?入るなりネギを投げてきたりして、何かと思ったら」
「あ、あの、ネギが飛んだのは事故で」
「ミクからネギを取ったのはリンなんだろ?事故でもなんでも、だめなものはだめだ」
「あ、あぅ、取ったなんて、ちょっと借りただけだもん」
意中の人に正面から見据えられ、怒られる。嬉しさやら怖いのやらで、今にもリンは泣き出しそうだ。
・・・ちょっと短いけど、勘弁してやるかな。レンの視線もちょっと気になるし。
「カイトさん、私はもういいよ?大丈夫」
「ミクがそう言うなら、仕方ない。次はこんなことしちゃだめだぞ?」
「・・・あぃ」
涙を目に溜めて、リンが私を睨んできた。恋する乙女というやつなのだろうか。ふふ、可愛いやつめ。
「んで」
今まで黙っていたレンの声が、私たちを振り向かせた。いつものように気だるげにバナナを頬ぼる姿からは、彼独特のソウルフルな歌声は想像もできない。
「メイコさんが戻ったら、今日はどっか行くの?」
「そうだなぁ。メイコさんのことだし、また新しい服が欲しいって言い出すんじゃないか?」
メイコお姉ちゃんは、ボーカロイドに与えられるお給料を、ほぼ服とお酒に割り当てている。
私たちは本来、お金が無くても生きていける。人間の言う栄養とは別のもの、専用の代謝飲料が、私たち血肉だ。味はそっけないし、飲んでておいしいものでもないけど、飲まなきゃ動けなくなる。
睡眠という休息時間を終え、人間のために歌い、代謝飲料を飲んで、また休息。自我を持つボーカロイドは、この生活に耐えられなかったそうだ。
だから、趣味を満喫させ、さらにより人間に近づけさせることで、ストレスの発散を試みたそうだ。その一環が、今いるこの部屋だったりする。
・・・閑話休題。
一番の年長者なだけあって、結構なお金をもらってるくせに、メイコお姉ちゃんは給料日前になると、私に土下座をする。
趣味に多額なお金をかけるお姉ちゃんに比べて、私は安上がりなものだ。ネギがあればそれでいい。
今では、そのネギですら、ファンの人が送ってくれる。だから、お金を使う機会といえば、みんなで街に繰り出したときくらいなものだ。
そんな私の金銭感覚を知って、メイコお姉ちゃんは頭を下げてくる。普段の強気なお姉ちゃんに勝てる、唯一の瞬間だ。だから、実はちょっと楽しみな一時でもある。
「またショッピングモールぅ?俺買いたい物ないんだけど」
バナナの皮をゴミ箱に放り、レン。確かに、最近はショッピングモールに行く機会が多い気がする。色とりどりの衣服に着替えるお姉ちゃんとリンを見るの、私は好きだけどな。男性人はそうでもないらしい。
「うーん、じゃあレン、どこか行きたい場所はある?」
「ない」
これだ。カイトさんが眉間を押さえるのも分かる。レンはどうも、歌っている時以外はやる気が感じられない。いい子なんだけど、人間からは避けられる傾向にあるみたいだ。
私をちらりと見た後に、カイトさんは苦笑した。ミクも希望は無しだろ?と、目で言っている。私も、頬を掻いてそれに答えた。
そうなると、残りは一人。未だに半泣きのリンの頭に手を置き、彼は優しく言った。
「リンは、どこか行きたい場所はある?」
「あ、え、リン?リンはね、えっとぉ、んっとぉ」
人差し指をつつき合わせながら、もじもじ。なんだ、このリンは。見たこともないぞ。レンも、半眼で片割れを見ている。
「えっとね、リンね、セントラルタワーに行きたいな!」
「ふむ、いいね。たまには綺麗な景色でも見て、気分を変えるのも悪くない。どうかな?二人とも」
レンと私は、目を見合わせた。
目をキラキラさせてカイトさんの手を握るリンの意図など、考えなくてもわかる。なんとか二人きりになって、後はまぁ、押して押してだめなら引いて。
「いいよ、そこで」
ため息をついて、レンは右手をひらひら。片割れの考えていることを知った上でだろう。私も断る理由はなくて、首を縦に振ることにした。