後日談『約束』
「わかったって」
なかなか電話を切ってくれない。
「大丈夫だよ。バイト始めるっていっただろ」
母さんは過保護すぎるんだよな。
「うん。大丈夫。んじゃあまたいつか帰るから。うん。それじゃあ」
俺は半ば無理やり話を終わらせて、電話を切る。
仕送りを減らしてくれといっただけで毎週電話が掛かってくるようになるとは、つくづく自分が甘やかされていたのを実感する。
自分が使う小遣いぐらいは自分で稼ごうと思っただけなんだがな。
ダメ人間だった俺がバイトを始めるなんて、俺も少しは成長したということだろう。
まあバイトは正直嫌いなんだが、他の学生もこんなもんだろう。
あれから三ヶ月たって、俺は柄にもなく自分の考えを改めるようにしてみた。
今まで漠然と嫌っていた大学での人付き合いをしてみたり、日雇いのバイトをやってみたり。
本音を言えば、すぐにでもやめたいと思ってしまうんだが、そうやって努力するという生活はなかなか充実感があった。少なくとも妄想に耽っている日々よりは、何倍も人間らしい生活だ。
もともと学業に関しては嫌いではなかったので、その点に関しては今までの生活となんら変わりはしないが、講義の時に隣に座った奴に話しかけたりするのはなかなか新鮮だった。新鮮さと楽しさが、比例はしていないというのが分かったのも、なかなかいい経験だ。
結局無理をしたって人間の根はそう簡単には変わらないのだ。
それに俺が話しかけなくても、あの日のあの後、マスコミに散々インタビューをされたお陰で、話したこともない人間に話し掛けられまくったからな。人間恐怖症というわけではない俺でも、若干のトラウマだ。
知らない。そう何度言っても、「あれはテロ?」だとか「犯人となにか話さなかったの?」なんて質問が俺の周りでビュンビュン飛び交っていた。
マスコミのインタビューで迫真の演技をしたせいかもしれないな。
「本当に……怖かったです……」
「もう二度とあんな目には会いたくないです」
「もう、一人にしてください…………」
などなど、俺の言った被害者発言は数え切れない。本当は犯行グループの一員なんだがな。
そんなこんなで、俺の様子にマスコミも同情をしてくれて、顔は映さないという約束を守ってくれた。
それでも俺があの貧弱男の正体だとばれた事が、世間のこの事件へと注目度を物語っている。
始めはボーカロイド達の存在が特定されやしないかと心配したりもしたが、ある番組のコメンテーターは「これは何かのメッセージだと思います」などと俺の妄想以下の頓珍漢な事を言っていたし、他のコメンテーターも対して変わらない事ばかりを言っていたので、俺の心配はすぐになくなった。
某巨大匿名掲示板で、「これってボーカロイドじゃね?」という書き込みを見つけた時は、少し肝を冷やしたが、すぐに「んなわけねーだろカス」や「ニコ厨乙」などとレスが付いていたので、特別心配もしなかった。
その後も、もう一度警察に呼ばれたり、大家さんが俺に同情して部屋の修理費を出してくれた事に罪悪感を感じたりと、なかなか忙しい日々を過した。
ボーカロイド達はと言えば、一度カイトが俺の家に来ただけだ。
父親と合流が出来たって事や、みんな元気にしているという報告を受けたのだが、なにやらお父さんに瞬間移動などの特殊能力を使うのは控えるよう指示されたらしく、他の面子はここには来なかった。
少し腹が立ったが、カイトも申し訳なさそうに謝っていたし、俺は特に責めたりはしなかった。
ミクの事もちゃんと話してくれたらしく、そんなのも含めて後日何らかの方法で連絡をするとだけ言ってカイトは帰って行った。
結局、一ヶ月経った今でも連絡なんて一切なく音信不通の状態が続いているが、あいつらが約束を破るという事はないだろうから特別焦ったりはしていない。あいつらにも事情があるんだろう。
まあ、そんなこんながあって俺は普通の生活へと戻ったわけだ。
しかし、俺の悩みは尽きていない。
今の俺の頭を悩ませているのは、「初音ミク」だ。
ミクとの約束を守る為にも、俺は毎日ボーカロイドを起動しているわけだが、これがなかなか難しい。
ミクのじゃじゃ馬っぷりは今でも健在なのだ。まあ実際は俺が下手糞だというだけなんだが。
かれこれ200時間以上初音ミクをいじり倒している気もするが、つい先日、処女作「お正月の歌」を完成させたばかりだ。
自分で作っておいてなんだが、この音痴っぷりと滑舌の悪さには腹を抱えて笑った。
きっとミクが見ていたら俺の脇腹に渾身の右フックが飛んでくるだろう。もしかしたら見られてるかもしれんが……。
まあいいだろう、見られてたって。
んで今は何をしているのかと言うと、今度は「子守唄」をミクに歌わせようとしている。
しかしながら俺の歌わせている子守唄には、本来子守唄にあるべき癒しは一切無い。
何度も試行錯誤を重ねて微調整なんかをしてみるが、リコーダーでさえ高難易度に感じる俺にとっては難しいを通り越して無理だと言いたくなるややこしさだった。
それでもこうして歌を作り続けている俺のなんと健気な事か。
そんな事を考えながらミクに歌を歌わせていると、インターフォンが音を鳴らした。
「ん? だれだろう」
少々面倒だが、出ないわけにもいかないだろう。
俺は初音ミクに歌を歌わせるというライフスタイルを一時中断して、玄関へと向かった。
扉を開けると、そこには運送会社の配達員が立っていた。
俺は伝票にサインをして、配達員が持ってきた箱を受け取る。
その箱は見覚えがある箱だった。
十五センチメートル四方の薄いダンボール箱。
いままでに二度この箱を見た事があるが、今までとはちょっと違う。今回は運送会社が運んできたって所がだ。
伝票に書かれている送り主は、俺が知らない男性の名前だ。
俺はなんの迷いもなくその箱を開けてみる。
そこには発泡スチロールに挟まれる形で、一枚の光ディスクが入っていた。
これもまた今までとはちょっと違う。今回は光ディスクの表面にはロゴがプリントされていなかった。
正直、ちょっぴりミクかもとは期待をしたが、どうやらそうではなさそうだ。
光ディスクには、人の書いた字で「音声レター パソコンで再生」とだけ書かれている。
なんなのかよくわからないが、この箱とディスクの梱包の仕方で、ボーカロイド関連だという事はわかる。
俺はすぐに引き出しからUSBに接続するディスクドライブを取り出す。
ミクをインストールしてからメインパソコンのディスクドライブが取り出せなくなったから、わざわざ買ってきたのだ。
ディスクを挿入すると、メディアプレイヤーが自動再生により起動する。
しばらくすると、スピーカーから声が流れ出した――
『録音は始まっているんですか? ……あ、そうですか。えーと、こんにちは。お久しぶりです』
音声はカイトのこんな挨拶から始まった。
『えーといま、私達はお父さんの家にいます。前にご挨拶に伺った際にもお話しましたが、お父さんの家でみんな元気にしています。特に何も問題はなく、リンとレンも毎日庭を走り回って遊んでいます。えーと、どうしよう。……こうゆうの苦手なんですよね。えと、ちょっと待ってくださいね。リン、なにか話したいこととか無いのか?』
『えー、面倒くさいからいいー』
『そんな事言わずに、挨拶しなさい』
『うるさいわねー! 私の勝手でしょ!』
『…………。えーと……。レンはなにかないかい?』
『え? 僕? んー、どうだろう。また遊びに来てくれた時に話すから別にいいや』
『そ、そうか。じゃあメイコは?』
『私? 私の声なんてあの人は聞きたくないでしょ』
『そんなことはないよ。きっとメイコの心境とかを聞きたいはずだよ』
『いいって。私も来た時に話すわよ』
『…………。えー、こんな感じでみんな元気です。リンも面倒なんて言ってますが、意外とあなたと会いたがっていたりするんで、あまり気にしないで下さい。意外と寂しがりやオフゥ!』
『ちょっとリン止めなって……クク……ククク』
『いい……いいのよっレン。プフ……』
『リン! 僕のお尻をっ! ほうきで突付くうっ……突付くのをやめなさい! メイコ! 二人を止めて!』
『はいはい……。ほーらやめないと食っちゃうぞー』
『ホントに食べられそうな気がして笑えないから止めてよ……。その冗談』
『失礼ね……』
『もういいから……。大人しくしてなさい。今、僕は録音をしているんだ。そろそろお父さんに変わるから、ほら静かにして』
『はーい』
『失礼しました……。とりあえず私達が元気だと言うのは分かっていただけたと思います……。えーと私も特に話せる事もないのでアナタがここに来た時にお話したいと思います。それでは、お父さんに変わります。お父さんからあなたが一番聞きたい話題の話もあるでしょう。私もそれがどうなのかは聞かされていません。お父さんの話が、あなたとミクにとっていいモノである事を祈っています。またいつか遊びに来てくださる事を心から楽しみにしています。それでは……』
リンやレンの「バイバイ」という声が聞こえてくる。
リンとレンが元気そうでよかったよ。声しか聞いていないが、あいつらはごく普通の子供のように活き活きとしていた。
兄に歯向かって、悪戯して、ケラケラ笑って。そんな様子が分かって一安心だ。
カイトもメイコも元気そうだったな。なんというか、使命なんて重たいものがなくなって、生きる事を楽しめている。そんな風に感じた。
俺はそんな様子に思わず笑ってしまった。元気でなによりだ。
そうやって俺がボーカロイド達の声を懐かしんでいると、スピーカーから聞いた事の無い声、落ち着いた優しげな声が聞こえてくる。
『ちょっと席を外してくれるかな』
続いてボーカロイド達の返事が聞こえ、歩いていく音が録音されていた。
そのすぐ後に声が聞こえてくる。
『始めまして、私が具現化ソースの開発者です』
具現化ソースの開発者。つまりミク達を具現化させた張本人だ。
ミクの再具現化に付いての話もある。カイトはそう言っていた。
俺は全集中力をパソコンのスピーカーに向ける――
まず私は君に謝らなくてはならない。
私の開発に君を巻き込んでしまった事は申し訳なく思っている。
恐らく君は自分が巻き込まれた事に対しては、怒りを感じたりはしていないだろう。しかし君を選んだのは私であり、巻き込んでしまった事により君に辛い思いをさせてしまったのは間違い無い。
本当にすまなかった。それだけは先に言わせて欲しかった。
言い訳にしかならないが、あの時ミクを届ける人物で最適だったのが君だった。
候補として何人かは上がっていたが、私の監視していたカイトの行動地域の中で、一人暮らしでパソコンを二台以上所有し、なおかつ初音ミクというソフトウェアを知っている人間は、君の他には片手で数えられるほどしかいなかった。
君がディスクをパソコンに入れる事なく破棄していれば、新たな初音ミクに対応する具現化ソースを作成しなくてはならなかった。
そうなれば、時間的余裕はさらになくなってしまっていただろう。
君が三台目のパソコンを持っていたのは予想外だったが、それでもミクをインストールしてくれた事には感謝している。
それだけじゃない。無関係にも関わらず、君はボーカロイド達にとても親身に接してくれたと聞いている。
リンやレンは、心から君の事を慕い、そして君に会いたがっていたよ。
本当にありがとう。これも君に言いたかった一つだ。
是非、いつか遊びに来て欲しい。きっとボーカロイド達が喜ぶだろう。
……さて、あいさつはこれぐらいにしておくよ。
君が今一番聞きたいであろう話に移ろう。
カイトから頼まれたよ。リンやレン、そしてメイコからも。
もちろん私も君に対しての償いの為、そしてミクに対しての親心も含め、ミクの復元を心から望んでいる。
それじゃあ話をさせてもらうよ。
結論から言うが、君の知っているミクを再び具現化させられる可能性はある。
正直に言えば私はこの頼みを聞いた時、不可能だと考えた。
「初音ミク」を具現化させることは可能だが、君との生活の記憶を持っている初音ミクを具現化させるのは、私の造った具現化ソースの仕様からして不可能だった。
しかし帰ってきたボーカロイド達の生活を見て私の考えは変わった。再具現化が可能だという方向にだ。
私が造った具現化ソースの構成を大きく分けると、具現化のためのプログラム、AIとその他の三つで構成されている。具現化プログラムとその他に関しては今は説明をする必要はないので割愛しておこう。
ミクの再具現化に深く関わってくるAIに付いてだが、AIといっても論理的思考能力のみの極単純なものでしかなかった。さらには記憶装置に関してもその論理的思考に必要な情報のみを保存する程度の容量しか確保をしていない。
AIは具現化ソースの一部だ。それ故に具現化ソースとともにミクの記憶は消滅し、同一のミクを生み出すことは不可能だと私は考えていた。所詮は人の造った物だったという事だ。
しかし彼らはそんな単純な存在ではなくなっていた。
彼らは、私との再会に涙を流し、君と共に行った海の美しさを記憶していたのだ。
私の造ったAIがそのような働きをする可能性はゼロだ。
どう考えてもボーカロイド達のその思考は説明が出来ない。
そこで私はある一つの仮説を立てた。
未知の力は私がつきとめていた以外の作用により、ボーカロイド達の人格を形成し記憶をさせる能力を持っているのではないかという仮説だ。
この仮説が正しければ、ミクを復元できるかもしれない。
具現化ソースを解いた際に消去されるのは、あくまでも具現化ソースのみだからだ。
おそらく未知の力に付いてはディスク内に残っているだろう。
それを新たな具現化ソースへと転送して、ミクを具現化させる。
私の仮説が正しければ、その方法で君の知っているミクが復活するだろう。
メイコがマスターソースを完成させれば転送と具現化に付いては特に問題なくできる。
しかし私の判断でこれ以上は事を進める事はできない。だからこうして君に連絡をさせて貰った。
私は具現化ソースを造る前から長い年月を掛けて研究をしていた。それでも私は未知の力にそんな性質がある事を発見する事はできなかった。
もちろん、この仮説を立ててからも今の今まで研究を続けていた。
それでも、そのような力を持っているという事を証明する事は出来なかったという事だ。
未知の力が記憶を持っているというのは、あくまでも仮説でしかない。それが問題だ。
もしも私の仮説が間違っていれば、再度具現化したミクはすべてをリセットした、新たなミクとなってしまうだろう。
要は君と共に過していたミクではなくなってしまうということだ。
他にミクを再具現化させる手がないからには、私の仮説が間違っていると分かった時点でミクを再生する手段はなくなってしまう。
全く違うミクが生まれるぐらいなら、新たなミクなど生み出さない方が君の為だろう。
私はそう考えてこれ以上の判断を自分でする事は止めておいた。
後は君の決断に従う。
君が私の仮説を信じられるのならば、この音声と共に入っているテキストファイルに書かれた住所へと、現在ミクをインストールしているパソコンを持って来てくれ。
信じられないか、新たなミクを受け入れられないと言う場合は、パソコンを持たず、ボーカロイド達に会いに来てやって欲しい。
こんな風にしか力になれない事を申し訳なく思っている。
すべては君の判断に任せる。それでは……。
音声ファイルはそこで終わる。
俺はすぐに開発者が言っていた、テキストファイルを開き住所のメモを取る。
場所は隣の県ではあるがそう遠くはない。
心臓が高鳴っている。俺は流行る気持ちを抑えてパソコンの電源を切る。
もちろん、再具現化の方法の根幹が仮説である事は理解している。それでも俺の心臓は波打つように鼓動してしまう。
ミクが蘇る……。そう考えると居ても立ってもいられない。
俺はパソコンの裏の配線を大急ぎで引きぬき、クローゼットから大き目のバッグを取り出し、そこにパソコンを詰め込む。
不思議とあの仮説が間違いであるという気が俺にはしなかった。
なぜかは分からないが、絶対に俺の知っているミクが俺の前に現れるという考えしか俺の中には浮かばなかった。
もちろん俺との記憶がないミクが生まれる可能性がある事を理解はしている。
それでも、俺はミクの再具現化をしてもらう。それ以外に答えはなかった。
もしも開発者に、仮説を信じるのかと問われれば、俺は分からないと答えるだろう。
それでもなぜ具現化に挑むのかと問われれば、俺の答えは決まっている。
ミクを信じているからだ。
それに俺はミクと約束をした。再会するときはミクを笑顔で迎えると。
例えばすべての記憶をリセットされたミクが現れたとしても、俺は笑顔で迎え、そのミクを受け入れる。
きっと記憶を失っている事に俺は悲しみを感じるだろう。
それでも、俺はミクとの約束を破りはしないんだよ。
別のミクだといっても、記憶がリセットされているだけで、他は全部一緒なんだ。
だったらもう一度二人の思い出を作るまでさ。
俺はミクを信じ、ミクは俺の期待に答えてくれる。必ずそうなるんだ。結果がどうであろうとだ。
出掛ける準備が整った俺は、パソコンを詰め込んだリュックを背負い玄関から外へと出る。
ミクが再具現化したら何をしよう。
将棋もいいし、二人でテレビを見るなんてのもなかなか捨てがたい。
でもそんなのは全部後だ。先にミクとの約束を消化させてしまおう。
まずは古本屋に、ミクでも解ける詰将棋の本を買いに行こう。
俺はそんな事を考えながら、玄関の鍵を閉め、急ぎ足で駅へと向かった。
同居人ボーカロイド完