Neetel Inside 文芸新都
表紙

自殺後見人
part2 『ログ・2』

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一  『ログ・2』
十六時三十二分。
私は岡静県のとあるアパートの前にいた。
3階の、階段からかぞえて4番目のドア。その左側にある呼び鈴を押す。
私の足元には、中身の少ないボストンバッグが置いてある。

ごうん、と低い音をたてて、重い鉄の扉が開く。
「あ、どうも。どうぞ中に」
そう言ってIさんは私を部屋に招いた。

Iさんに導かれるまま私は居間の長机の前に座り、傍らに置いたボストンバッグを開ける。
「どうぞ」
湯呑みが置かれた。中には緑茶が入っている。
「どうも」
私は事務的に答えた。お茶に手をつけるつもりはない。
湯呑みから離れたところに書類の束をおく。
右手にはカメラを持ち、既に撮影を開始している。

「これに署名――――――――――――――――――――――――――――。」

何度も言った、お決まり文句。当然、無感情で。
Iさんは一枚をじっくりと読み、さらさらと一気に明記していく。
彼の手は湿っていて、持ったところが汗でぬれている。
ボールペンの先端にあるシャチハタで印を付き、五枚の書類を書き上げた。
義務の書類を除いた一枚は、母親に宛てられている。
「そこに並べてください」
長机の空いたところに書類を並べて、私は書類をズームアップして撮影する。

「では」そう言って立ち上がると彼は、
「えっ?もうですか?ちょっと待ってください」
早口でそう言って湯呑みを片付ける。台所で無意味に音をたてて湯呑みを洗い、食器乾燥機に入れた。
「自分の最後くらい、自由にやらせてください」
彼は大きい口を広げてそう言うと、ベランダに出て煙草をふかし始めた。

ハンディカメラの時間表示は、四十五分を回っている。
無駄なことまで、記録していく。

二十分後、彼は赤いマルボロ一箱を吸いきって室内に入った。
そして、ふぅーっと大きくため息ついた。
ぶつぶつと聞き取れない程小さい声で何かを呟いた後、彼は廊下の奥へと歩いていった。
私は映像を残すために後をついていく。
すると彼はこっちを向いて、
「なんだあんた。便所にまでついてくるのか。まったく。何しようと俺の勝手じゃないか。あんたは変態か」
と、皮肉っぽく言ってバタンとトイレのドアを閉めた。
私はその間、ただトイレのドアをうつしていた。撮影を止めることは出来ないからだ。

十分後、彼はトイレから出てきた。強烈な芳香剤の臭いが不快を誘う。
カメラを構えていた私を睨むように見て、洗面所へと行った。当然、私もついて行く。

彼は鏡ごしに私を見て、あからさまにイヤそうな顔をしてはぁーっとため息をついた。
そして毛の少ない頭をブラシで梳(と)かし、ネクタイの位置を直した。
「・・・・・・おし。準備できた」
そう言って私を見る。
「はい」私はただ返事をするのみ。

     

Iさんは風呂場を開け、浴槽のフタを外す。中には水が張ってあった。
出窓には布で包まれた出刃包丁があった。
彼はスーツの腹のあたりで手の汗をふき取り、包丁を手にする。
「はあっ」
小さくため息をついて、布を取る。
きら。
と光を反射したソレは、これからIさんの手首を斬るためだけに使われる。
「ふぅー」ため息が風呂場に響く。
Iさんは洗い場に膝立ちで座って、左手をちゃぷんと水につける。スーツの袖に水がついたが、彼は気付かない。
右手に持った包丁も、水の中につける。蛍光灯の光が反射し、切れ味の良さを伝えてくる。

ちゃぷちゃぷ。
ぴちゃ、ぴちゃん。
時間は刻々と過ぎ、窓の外は暗い。
彼はまだ水をいじっている。
私はなにも言わず、ただカメラを回す。
バッテリーの残量表示のメーターが三分の一を消費した。SDの容量も半分に到達。
さすがに右手だけだと辛く、左手と交互に撮影している。
そして、十九時四十八分三十八秒。

ぴちゃ、ぴちゃ、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・カコン。

それはいきなりだった。

「だめだ。できない」
Iさんはそう言って、水の中に包丁を落とした。
同時に立ち上がり、ぬれたスーツを脱いでワイシャツ姿になる。
「手間かけてすみませんが、俺、・・・・・・・・・自殺できません」
「はい」
「なんか・・・・・・・・・したいんだけど、出来ないんだよ。あんた、この気持ち、わかるよな?」
「・・・・・・・・・」
私はあえて返事をしなかった。
そして、カメラのスイッチを切った。

「電源をお借りします」
そう言って私はコンセントにコードを繋ぎ、机の上にシュレッダーを置いた。
「今ならまだ間に合いますが、本当によろしいですか?」
マニュアルに書いてあった文句を私は口にする。無感情に。
「・・・・・・あぁ、はい。まだ死ぬことなんて、できない。・・・・・・・・・・・・死にたくない」
そう言うIさんの手は震えていて、じっとりと汗をかいている。しきりにズボンで汗を拭っている。
「わかりました」
シュレッダーのスイッチを入れる。
金属のこすれ合う、うるさい音が響く。
「では」
わたしは書類の一枚をシュレッダーに投入――――。宛名は母親だった。
極めて事務的に、次々に投入する。

三〇秒もしないうちに書類は全て細長く切られた。

次にハンディカムを開いてSDを取り出し、それも投入する。
ぱきっと音をたてて、チップは粉砕した。
カメラも操作して、バックアップを消去する。

「これで終りました」
私がそう言った後、彼はまたふぅーっと鼻でため息をついた。


「あなたは憲法第三章「国民の権利」第四十一条に認められた死亡権を行使の途中で放棄しました。よって、あなたの死亡権は自動的に剥奪されます」


彼はため息をついた後、何かに気付いた表情をしてこちらを見た。

「あなたは今後一切、自殺することは許されません」

意味を理解したのか、彼は私を睨んで怒鳴りつけた。

「はぁ?今後一切自殺はできない?おかしいじゃねぇか、そりゃ。自殺の権利は国民全てにあるんじゃないのか。それを剥奪する?人様の人権を勝手に取るなんて、あんたらバカじゃないのか?」

唾を飛ばして私を罵倒する。私は何も言わないでいた。

「自分の人生くらい自分で決めたっていいじゃないか。いつ、どこで、どうやって死のうと、その人の勝手だろ。自分一人で死ぬんだから、他人に迷惑をかけることもないなら、別にいいじゃねえかよ」
「・・・・・・・・・」
「それを今度は政府に通達しないといけないなんて、政府も勝手すぎるんだよ。人のプライバシーに首を突っ込むんじゃねーっての」

そう言って彼は冷蔵庫のビールをプシッと開けて、くいっとあおった。ぷはぁーっとうざったい声が響く。

私はカメラとシュレッダーをバッグにしまい、玄関へと向かった。

「アンタも物好きだよな。こんな仕事じゃなくて、もっとイイ仕事をすればいいじゃないか。そうすりゃラクになるのに」
へへっと笑ってネクタイを外す。笑った顔が気色悪い。

「じゃぁ、さっき死ねばよかったですね」

私はそう言って、ドアを閉めた。

       

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