夏、過ぎ去ってから
第十話『“今”との邂逅、過ぎ去る前へ』

　夢を見ている。なんとなくこれは夢だとわかってる自分がいる、そんな感じ。とても長く感じるようで、短いようで。
　記憶の整理とも言われているはずの夢。なのに、俺が見ているのは真っ黒な空間だけ。自分の体すら見えやしない。……夢とわかった瞬間、同時に凄くつまらないと感じてしまう。
　それからすぐのこと。いや、それとも、とても長い時間が経ったのかもしれない。気が付けば、目の前に見たことのない女の子が居た。自分の体すら見えないのに、その女の子の姿は不思議と視認出来る。あの子だけ、体が光っていたりするのだろうか。
　夢だからなのか、自分が今なにを考えているかもあやふやな感覚に翻弄されていると、不意に目の前の女の子が動いた。短めのポニーテールが揺れたのか、身をすっぽりと覆っているローブがはためいたのか。……動いたように見えるだけかもしれない。実際は遠ざかっているのか、近付いているのか、そもそも自分の場所がわからないので、なんとも表現がしづらい。……女の子の口が動く。
「何言ってるのかサッパリだ」
　つい口に出してしまい、予想以上に響く自分の声に少し驚く。
　よくよく見れば、目の前の女の子は知っている気がした。知っていると言うよりも、誰かに似ていると言ったほうが正しいかもしれない。……口を動かしているのだけれど、やはり何を言っているのかサッパリわからない。声が聞こえないのか、知らない言語なのか、そもそも相手は声を出しているのか。どれも当てはまるような違うような、何もかもがあやふや。
　早く目が覚めないもんかね、なんてメタ視点的なことを考え始めていた頃。気付けば女の子は消えていた。


『“今”との邂逅、過ぎ去る前へ』


　目を覚ます。ぼやあっとした頭で周りを見れば、なにやら知らないところ。俺の部屋にしてはなんか白いし、ベッドが柔らかいし、綺麗だし。どこだ、ここ。
　ボキボキ。
「う、ぐ、おお！？」
　状況を確認しようと体を起こそうとして、急に体から破滅的な音が聞こえてくると共に物凄い痛みが全身を襲う。
　いてえええ。なんだこれ、俺の体ってばここまで老年化してたのか。こってるっていうレベルじゃねーぞ。
「――あら。……先生、患者が目を覚ましました！」
「あ？　患者？」
　声がしたほうを見てみれば、なにやら慌てた様子の若い看護師さん。……と、そこで俺はここが病院なのだと納得する。
　納得するのは場所であって、なんで俺がこんな薬品臭い場所で患者扱いされなければいけないのか、ってことが問題だ。……昨日って、俺どうしたんだっけ。
　普通に学校に行って、授業を受けて、昼飯食って、寝過ごしたから早退して、三島に頼まれてたから古雅原先生の家に行って、そんで。
「ううむ」
　そんで、どうしたんだっけ。晩飯のことを考えていたところまでは思い出せるのだが。
「おや、その様子だと体の方は大丈夫みたいですね」
「ん？」
　思い出せそうで思い出せない、もやもやした感覚にイライラをおぼえたところで、急に白衣を着た中年のオッサンが部屋に入ってきた。
　ベッドの隣に備え付けられた椅子に座ると、オッサンはこちらを見ながら話しはじめる。
「多少混乱なされていると思いますが、ここは病院です。貴方は信号無視したトラックに撥ねられたんですよ」
「トラックに？」
「ええ。運良く、体に別状は無かったのですが、意識が戻らないということで頭を抱えていたんです」
「はあ」
　いやあ、よかったよかったと。未だに状況を把握しきれていない俺を他所に、陽気に笑う医師。俺がムッとした表情で医師を睨んでいると、またも出入り口の方で声が聞こえてきた。
　見知った声。
「だから、武田は俺の親友なんだよ！　いいから入れろって！」
「意識が戻ったと言っても、まだ面会謝絶なのは変わっていません。お引取りください」
　あの声は……佐藤か。
　どうやら佐藤と看護師さんが出入り口で揉めているようだ。話の内容は、とにかく佐藤が俺に会わせろと引かないらしいな。
「あの子は……」
「佐藤のこと、知ってるんですか？」
「いや、その辺りは、ふむ、なんでもないですよ。なんであれ、意識が戻ってよかった。あとで軽い触診とCTスキャンをとらせてもらいますが、なあに、この分ならどこにも異常はないでしょう」
　笑いながら、この個室から出て行く医者。……なんとも楽天的な医者だ。
　それにしても、トラックに撥ねられたってのに、この無傷っぷりは自分のことながら凄いな。まるでギャグ漫画だ。医者が笑うのも無理がない気がしてくる。俺は首を回したり体を伸ばしたりと確認するが、動かないところや痛むところはない。……もしや俺にはギャグ漫画主人公の才能があるんじゃないのだろうか。
　久々に自分が主人公になり、ヒロインに星になる高度まで飛ばされているシーンを妄想する。……ま、まあ、下手したら死んでたのかもしれないんだし、縁起が悪い妄想は止めておこう。
　今更恐くなってきた俺は、騒々しかった出入り口のほうが静かになっていることに気付く。ちょっと体を伸ばして覗いてみると、なにやらさっきの医者と佐藤が話していた。そういえば、さっきの医者は佐藤のことを知っているみたいだった。佐藤の病気と関係があるのかもしれない。
　ぽふんと重力に任せるまま、背をベッドに預ける。
　前に言われた通りなら、もう佐藤の寿命は一ヶ月と残っていないはず。なのに、アイツは気にしていないと言った風に毎日を過ごしている。……入院していなくてもいいのだろうか。いや、治らないとわかっているのだし、家族の了承があるのなら、患者の好きに出来る。……そうか、アイツ、死ぬんだよな。
「――よっす、元気そうじゃんか」
「佐藤」
　医者との話も終わり、面会する許可がもらえたのだろう、佐藤が薄らと笑みを浮かべてベッドの傍に立っていた。
「おかげさまでね。どうやら神は俺に死ぬなと言っているらしい」
「なんつーか、お前ってガキだよなあ」
「唐突になんで罵倒されなくちゃならんのだ」
　佐藤はクスクスと笑いながら、さっきまで医者が座っていた椅子に腰掛ける。その様子を見て俺は気に食わない顔をしていると、佐藤が付け加えるように口を開く。
「いやいや、良い意味で。世の中の不満を全部当たって砕けながら壊していると言うか」
「それは褒め言葉なのかわかりにくいな。……まあ、自分がガキだってのはわかってるけど。その所為で高校の一年間、あまり良い印象を与えたとは言えなかったわけだし」
「まあ、俺はそこも良い所だと思うんだけどね」
「男に良い所があるなんて褒められても、サブイボしか出ん」
「それは確かに」
　ははは、と笑う合う俺と佐藤。……確かに思い返せば、佐藤は割かし普通に接してくれていた気がする。ただ、あの頃は疎遠になったままだったから、必要以上に話さなかっただけで。
「三島さんとか、武田のこと心配してたぜ」
「アイツが心配してるのは、裁縫部顧問の結果だけだろうよ」
「そうは思わないけどなあ……」
　意味深な視線を俺に投げかけてくる佐藤。なんだ、何が言いたいんだ。
　言っておくが、俺は別に鈍感というわけではない。佐藤が言わんとしていることも何となくわかる。ただ、三島と俺はそんな風には今後成り得ないと言うか、その。
「ま、まあ。三島はどうでもいいんだ、三島は。それよりも佐藤、さっきの医者となんか話してたみたいだけど、やっぱりお前の病気のことなのか？」
　半ば無理矢理話の方向を変える。佐藤は決していい顔をしなかったが、俺が事情を知っていると踏んでか、渋々と話し始める。
「健常者と同じような生活をしていたら寿命を縮める一方ですよ、なんて言われてたんだよ。そんなことはわかってるし、適当に流しておいたけどね」
「……その、体の調子とか、馬鹿なことを聞くが、大丈夫なのか？　あと一ヶ月も経たずに死ぬってのに、ちょっと元気すぎるというか」
「それは気合、気合さ！」
　ガッと自分の二の腕を掴む佐藤。……よく見れば、スポーツ万能と言われている佐藤の腕は、すっかり細くなっていた。俺はそんな佐藤を見ないようにして、精一杯の笑顔を搾り出す。
「さすがは天下の佐藤だな。その気合で杉林さんにも告白してしまえよ」
「うぐ。それはまあ、それとして」
　夕焼けが病室に差し込む。ちょっとした沈黙が流れたところで佐藤は立ち上がると、今日は帰るわ、なんて言いながら出て行った。
「ふう」
　軽く溜め息をついて、考える。夏休みを控えた今、俺は佐藤に何をしてやれるのだろうか。お涙頂戴の感動物語、そんな話の登場人物になるのはごめんだ。しかし、そんな俺の意地に反して、何か“思い出”を残してやりたい、なんて歯の浮くようなことを考えている自分がいる。
　正直恥ずかしい。まるで一昔前の青春ドラマみたいだ。……確かに恥ずかしいが、まあ、それもいいんじゃないのかと思えるようになったのは、進歩なのかもしれない。
「なんにせよ、だ」
　今はこの夏を無駄にしないためにも、一刻も早く退院するのが先決だな。丁度そんなことを考えていた時、さっきと同じ医者が部屋に入ってくる。
　そういえばCTスキャンやらなにやらをあとでやるとか言っていたっけ。……大丈夫か、なんて言われながら立ち上がった俺は、言われるがままに医者の後について行く。
　……視界の端に知っているような知らないような女の子が映ったが、すぐに消えてしまった。





Next:>>第十一話『始まり：佐藤啓太』