夏、過ぎ去ってから
第十一話『始まり:佐藤啓太』
何故だかとても久しく感じる朝、通学路にて。俺は一人ゆっくりと歩きながら、学校へ向かう。……ふと目に付いた、自分が撥ねられた場所である商店街の入り口に視線を向け、妙に現実感の沸かない自分がいることに気付く。
撥ねられた日、十二日から三日間、俺は寝たきりだったらしい。十六日に目が覚めて、そして十七日、つまりは昨日、やっとのことで医者を説得して無理矢理退院したわけだ。寝たきり生活というのも短い間なら良いかもと思ったけど、さすがに長引くと色々な調子が狂うというか何というか。学校もあるし、何よりも長引いたら暇になることが安易に想像できる。
……そう、調子が狂うと言えば、体の感覚が妙に重く感じる。とても違和感。たぶん撥ねられた所為だとは思うのだが、なんせ医者が言うに問題ないというのだから、しばらくすれば治ると信じたい。視界の端に女の子が映る。
「――おい、聞いているのか武田智和」
「へ? 本堂?」
いかんいかん、ボーっとしていた。一緒に登校していた本堂が、怪訝な表情を浮かべながら俺を見つめている。俺は赤面しているのを感じながらもわざとらしく咳払いをすると、会話を続ける。
「俺のことはいいんだよ。さっきから聞いている通り、お前十二日休んでたじゃん。その理由を聞かせろって」
「だから、何故話さなければならんのだ。品行方正を地で行く俺も、一日くらい休む時はある」
「……本堂君がぐれてしまった」
「ぐれっ、違う! ただ家にでかい仕事が入ったから、手伝わされただけだ!」
はっ、と古典的なギャグをかましたことに気付いたのだろう、本堂はバツが悪そうに俯いてしまう。そんな本堂を見てニヤニヤしている俺。……ううむ、平和だ。
『始まり:佐藤啓太』
五日ぶりの教室。休日を挟んだと言っても、なんか気まずい。別にずる休みしていたわけじゃないと思っていても、こう、自分だけ違うことをしていたという不安感がある。
「おっおっ! 武田君おはようだお! 元気そうでなによりだお!」
扉を明けようか開けまいか悩んでいた時、背後から聞き覚えのある声が聞こえてくる。振り返れば、まあ、わかっていたけど内藤が居た。
「久しぶり。ちゃんと元気だ」
「それはよかったお。それで、なにしてるんだお?」
「……いや、その」
「早く入るお!」
無理矢理腕をつかまれ、強制的に教室へ連れて行かれる俺。恐る恐る周りを見渡すが、別に凄い反応は無い。普段どおり、俺との付き合いが無い奴は興味が無さそうに目を背けるだけだ。
ちょっと残念、少しほっとする。まあ自意識過剰すぎるんだと思うのだが、やっぱり少しくらいの反応は欲しい微妙なお年頃。
「あ、武田クン生きてたんだ」
「退院したての俺への一言目がそれかよ」
自分の席へ向かう途中、クラスの女子と話していた三島が俺に喧嘩を売ってくる。……軽くスルーしたいところだが、反応がもらえて嬉しかったから反応してやった。
三島は話していた女子に“向こう行くね”なんて言いながら、こちらへ歩いてくる。
「なんか用か。顧問の件なら役目を果たしたはずだぞ」
「うん、昨日無事に作れたよ、裁縫部。ありがとね、武田クン」
教科書を机に入れていると予想外に素直な御礼が返ってきて、動きを一瞬止めてしまう。普通ならばここで素直に俺の好感度がアップするところなのだが、三島の場合は裏があるのかと勘繰ってしまう。
俺が変な表情を浮かべながら見つめると、三島は急に赤面してそっぽを向く。
「な、なによ。御礼を言ったことがそんなに変なことなわけ?」
「そういうわけじゃないんだが」
「おっおっ、三島さんは武田君が事故に遭ったって聞いてから、ずっと心配してたんだお!」
「ばっ、な、内藤君、変なこといわないでよ!」
「ほう」
三島がどもりながら必死に何かを弁明している。
……いやね、これも普通なら可愛い反応だとか思うんだろうけどね、やっぱりあの屋上での一件以来、三島は“やばい”というレッテルが俺の中で貼られてるんだよ。
今更ながら三島は可愛いと言えるに値するだろうし、性格もまあ多少の暴走に目を瞑れば許容範囲内だろう。
「……なに、じっと見てるけど」
「いや、やっぱりお前は無理だなあと思って」
「ぐ、よくわからないけど凄い屈辱感。絶対バカにされてるけど、何をバカにされてるのかわからないわ……!」
「わからない方が個人的にはうれしい」
他愛も無い話題でバカをやっていると、教室の扉が開いた。反射的に見れば、遅れてやってきた本堂の姿。……そうだった、本堂と一緒に登校したはずなのに、なんでアイツはこんなに遅れてるんだ。
三島が“むきー”、なんて漫画でしかお目にかかれない動きをしているが、それを傍目に俺は本堂を呼ぶ。無視すんなという三島の声が聞こえたが、さらにそれを無視する。
「呼んだか?」
「いや、やけに遅かったなあ、と」
ストレートに聞く俺。
しかし、そんな俺の男らしい問いかけとは逆に、本堂の反応はやけに男らしくない。一瞬赤面したかと思えば、ちらちらを周りを気にして、なにやら煮え切らないことをぶつぶつと言っている。
「なんだよ、なんかあったのか」
「それはだな、そのう、なんだ。生理現象との戦いに敗れた結果こうなったと言うべきか……」
「生理現象?」
「……ええい、平たく言えば大便だ。うんこだ。排泄していたんだ!」
ざわ……。
急に教室中に響いたシモな言葉を聞いて、クラスメイトたちの視線がこっちに集まる。が、そんな視線に耐性が付いてしまったのか、あまり気にはならない。少しへこむ成長だな。
「そんな大声出さなくったっていいだろ……」
それでも居心地が悪いことには変わらないので、ちょっと興奮気味の本堂をなだめる。なんでうんこしてきたって言うだけなのに、こうなるんだか。
本堂は少し冷静になったのだろう、またも赤面して自分の席に戻ってしまう。クラスの空気が普通に戻り、ほっと一息。
「武田クン、なにか酷いこと言ったんでしょ」
と、既に忘れ去っていた三島が急に根も葉もないことを言ってきた。
「どこをどうしたらそうなるんだよ。遅かったけどなんかしてたのか、って聞いただけだ」
「ほんと? 同姓同士の恋愛はデリケートなんだから、どうせ武田クンがデリカシーの無いことでも言ったのかと思ったんだけど」
「そこら辺は既に学習済みだ。ちゃんと考えて物を言っているさ」
もう顔を殴られるのは勘弁願いたいからなあ。俺はよしよしと頬を撫でる。
「まあそれならいいけど……そういえば聞いた? 佐藤君が家で寝込んでるって」
「え?」
三島が思い出したように言ったことに対し、俺は知るわけが無いだろうという言葉を飲み込む。
佐藤のことだ、このタイミングでただの風邪ということもないだろう。……俺がここで感情を昂ぶらせても、事情を知らないみんなにはただの悪印象しか与えない。
「いつから寝込んでるんだ?」
なるべく普段通りを装って、それとなく聞く。……が、三島の返事が無い。顔を見てみると、何かを探るような視線を向けていたが、“俺のように”何かを装ったんだろう、何でもないと言いながら話を続ける。
「昨日からだったかな。ちょうど裁縫部のこともあって部長の佐藤君には頼みたいことが山ほどあったんだけどね。古雅原先生が佐藤君は病欠だ、って教えてくれたの」
「そうだったのか。ついこの前、俺のとこに見舞いに来てくれた時は元気そうだったんだが」
「まあ最近急に暑くなってきたしね。季節の変わり目だし、熱出しちゃったんじゃないのかな」
二人で納得し合い、もう話すことも無くなったからだろう、自然と三島は自分の席へ戻っていく。
そんな三島の様子を、俺はじっと見つめる。……やはり全てを納得したわけじゃなさそうだ。三島は何かを考えるように、周りのクラスメイトからの挨拶をことごとく無視している。……新聞部の部長は伊達じゃないというのか。なにかが三島の中で引っかかったんだろうな。
俺は面倒になり三島について考えることを止める。どうせ佐藤が休んでいる今、病気のことを知っているのは俺しか居ないんだし。つまり、俺が言わなければこの事がばれることもないはずだ。
久しぶりの学校なんだし、もう少し楽なことを考えよう。佐藤のことは確かに心配なんだが、重すぎる。少しくらい休憩させてくれ。
そんな俺の願いが届いたのか、扉を開く音と共に担任の姿が見えた。
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「武田君は今日もコンビニかお?」
「お前に触発されて俺も作ろうと思ったんだけどね、その思い立った直後にはトラックに轢かれて宙を舞ってたってわけさ。はっはっは」
「反応しづらいお……」
少し休んだだけなのにチンプンカンプンな内容だった授業は、とても俺を苦しめた。そんなわけで昼の休憩時間。例の如く今日の弁当はこんなのだと俺に見せてくる内藤。
そうなんだよなあ。作ろうと思った矢先に撥ねられたんだよなあ。……ううむ、もう一度作ろうと思ったら、また轢かれるんじゃないのだろうか。
……まあ、内藤の言う通りコンビニなんだけど。
俺は内藤にまた後で、と言って教室から出ると、何を食おうかと考えながらゆっくりと歩く。
どうすっかなあ。この間もその前もおにぎりだったし、さすがに飽きてきた。パンでもいいんだけど、腹に溜まらないと聞いた覚えがある。かと言ってコンビニ弁当はボリュームがあり過ぎるし、カップ麺は後処理が面倒だ。ううむ。
「あら、誰かと思えば男子生徒A君じゃない」
俺が必死に昼食のメニューを考えていると、背後から聞き覚えのある声がした。
振り返ると、ああ、誰だっけ。
「何処かでお会いしましたっけ」
「喧嘩売ってるのかこのハナタレ」
「冗談ですよ古雅原先生」
冗談じゃなかったけど、ハナタレと言われて思い出した。
俺が撥ねられるちょっと前にこの先生のお宅にお邪魔して、現実を見せ付けられたんだった。思い出したくなかったんだろうな、俺が。
「そんな古雅原先生がしがない男子生徒Aに何の用でしょうか」
「どんなアタシかは知らないけど、これ佐藤に届けてくんない?」
ほい、という掛け声と共に渡されたのは、なにやら社会科のプリントっぽいプリント。そのまんま社会科のテスト範囲が書かれているプリントだ。
なんで俺が渡しに行かなくちゃいけないんだ、と俺の口から言葉が出る前に、先生は人差し指を顔の前で左右に振ると、得意気に話し始める。
「いやね、アタシってこんなでも一応社会の教師をやってるんだけどさ、昨日と今日、佐藤休んでたじゃん?」
「みたいですね」
社会かあ。そういえば古雅原先生が居たような気がしなくもないな。人の顔と名前が一致しないのは俺だけじゃないはずだ。
「んで、お前のクラスの奴に聞いてみたら、最近佐藤とつるんでる奴の中にお前がいたわけなんだよ」
「俺以外にも本堂とか三島とか、大穴で杉林さんとかいるじゃないですか」
「三島と杉林は佐藤の家と反対側に住んでるじゃん。本堂はさっき聞いたら断られた」
なんと。合法的に佐藤の家に行くことが出来るというのに、本堂が断るとは。どんな風の吹き回しなんだろうか。
俺はうーんと悩む。……なんというか、パターン入っちゃってるね。
「わかりました、行きますよ。その代わり、佐藤が元気になって学校に来たらちゃんと顧問として動いてくださいね」
「わかってるって。……はああ、あと3%で発光したんだけどなあ」
先生はわけのわからない――多分ネットゲームだろう――ことを呟きながら、職員室に戻っていった。あの人はどうして先生になれたんだ。
俺は先生から渡されたプリントを鞄にしまうと、さっきまで考えたいた昼食のことで頭を染めて、コンビニに向かった。
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