Neetel Inside 文芸新都
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第六話「片目と片眉の無い男」


 眉というものは人間の眼球を保護する役割を持っている。よってそれを剃ってしまうことは眼球の保護機能を低下させてしまうことになる。それを補うために脳は涙腺を刺激し涙を余分に出させることでその機能を回復させようとする。しかし常に涙を流しているのでは他の機能に支障が出るため、脳はできるだけその刺激を増やす方向へ働きかける。人間は肉体的な刺激と精神的な刺激を持つ特殊な生物である。何かによって感動した人間が涙を流すのはそのためである。しかし脳はその刺激を区別しないため、眉を剃った人間はその両方の刺激を日常的に求めるように働くようになるのである。女性や若年の男性が安易な感動を求めやすいのはそのためである。また、調査によるとこれらの人々のコンタクトレンズを付ける割合や目薬を使用する割合はその他の人々よりも多いことがわかる。このように人間は無意識下に不足した機能を補うための行動をしがちである。ここでとある男性のその極端な例を紹介しよう。


 その男は子供の頃の事故により眉に五針の傷跡を持つようになったため、片眉のほとんどが存在しなかった。よってその男は一方で感動による刺激を求め、そしてもう一方でそれを拒否するようになる。

 その男性の証言によると若い頃は些細なことでも声を上げて笑うことが多かったようだ。私はサンプルとしてその男性の若い頃の写真を見たことがある。眉の無い片方は満面の笑みをしていたが、同時にもう一方の顔をひきつらせて写っていた。その後笑いによる刺激があまり得られなくなったのか、それとも笑っているときに片方の顔が引きつっているのを知ったのかは定かではないが段々とその男性は笑わなくなったという。

 その男の母親の証言によると、ある日男がある本を買ってくれとせがんだのでその本を買って与えた。するとその男はその本を読んだ後にその全てのページを引き破いてしまった。何故そのようなことをしたのかと母親が咎めるとその男はその本があまりにも美しすぎたからだと答えた。

 その後その母親は病気で亡くなる事になる。父親によると彼は死後すぐの頃は彼はできるだけ母親との楽しかった想い出をよく思い出しながら片眼から涙を流していたらしい。しかし何年か時が経った頃になると彼は父親に向かって何故あなたは母が亡くなってしまったのに平気な顔をしていられるのですかとまるでさも母が昨日亡くなったばかりのように語ったそうだ。彼の父親はその頃の彼と以前の母親を語る彼が全く反対の目で涙を流していたのを印象的に記憶していた。

 その後成長して彼は一人の女性と知り合った。彼は最初は普通の恋愛をしていたようだが、そのうち相手の女性を攻撃するようになった。彼はそれにより一方で快楽を得るとともに、もう一方で愛する女性を傷つけたことによって泣いた。そのような関係が続き、彼はある日別れ話を持ち込まれることになった。それを聞き激情した彼はナイフを持って彼女を傷つけようとしたが、彼女は無事その男性の元から逃げ出したのであった。彼がこの時のことを振り返って言った言葉によると彼女との関係において自分が悪いということを半ば認めていたという。彼女に逃げられた後彼は大声を上げて泣いた。そして彼は片手に持ったナイフを眉のある方の目に突き刺した。これにより彼は片方の眼球を摘出することになる。


 彼はその後は普通のように、いや以前には得られなかった刺激を取り戻すように何を見ても笑い、そして泣くようになった。私はその頃の彼に一度会った事があるが、第一印象は不具者から受けるそれであった。しかし私は私の経験上不具者はその不具を認めた上で見ればその印象は意識的に取り去ることのできることを知っていた。しかし彼の場合その笑い方などのあらゆる表情が何度見ても違和感を感じさせるのだった。その違和感の元を注視してみると彼は幾多の表情によって深く刻まれた皺が片側にある、しかしその皺を微動だにさせずもう一方の赤子のような柔肌に笑窪を浮かべている。その頃の彼は楽しいものを見ては泣き、悲しいものを見てはよく笑うようになっていた。私は彼のその感動の逆転作用には気づいていたものの、その後の変化は全く予想だにしなかった。かれは初老も間近になる年になったころ私に向けて手紙を書いた。その中の一部を引用する。


 「喜劇は悲劇よりも悲しいとよく言いますよね。その感じは昔はよくわかったものですが今ではさっぱりわからなくなってしまいました。大きな波だろうが小さな波だろうが結局は波だろうと思うのです。いや、喜劇が小さな波だというのではないのですがね。私は今や無感動ほど素晴らしい物は無いと思うのです。というのが私はコップの中の水が全く、一時間だろうが十時間だろうが変化しないのを見続けていると、反対に私の心の中の静まりかえった水面が沸き立つように感じるのです。いや、沸き立つと言っても感動というのではないのですがね。私は感動ということを忘れてからもう大分時が経ったと思います。今や何を見ても何を聞いても何も感じなくなりました。物事に何かの意味があるとは到底思えません。」


 その後彼はとある湖で入水自殺をした。今となっては彼が何故自殺したのかその理由を知る由は無い。その湖面を見てそれと同一化してみたいと思ったのかもしれない。それとも彼の持っていた唯一の目がその永遠の乾きを満たすためだったのかもしれない。

       

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