Neetel Inside 文芸新都
表紙

本気と書いてマジと読む
楼閣 by 揉む

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目が覚めると、僕は広い荒野に独り立ちすくんでいた。
慌てて辺りを見渡すが、視界には僕の目の前に立ちはだかる一本の大きな塔以外は何も映らなかった。
どくどくと脈打ちながら、その塔は生きていた。

何も遮る物のない地平線から夕日が覗き、塔の中を、塔そのものを、僕を、淡いオレンジ色に染めていた。
オレンジというにはあまりにも淡い色だった。オレンジよりは透明で、琥珀色というよりは親密さのあり、飴色というよりは、温もりのある光だった。
その暖かな色の光は、そっと僕の頭の中に潜り込み、僕の脳裏にとある情景を描き始めた。
淡い光に満ちた、名も無い洞窟を、僕は見た。

その洞窟の中では、老婆達が汗にまみれ熱心にボイラーに石炭をくべていた。
老婆達は悲痛な表情を浮かべることなく、さも嬉しそうに、大きなシャベルで石炭を投げ入れている。
洞窟の天井に下がっているランタンが不吉に揺れ、時折消えかかる。
それでも老婆達はやはり嬉しそうな笑みを浮かべて、暖かな色の光の中懸命に体を動かしている。
光は老婆の顔を照らし、老婆の顔は影を作った、蒸気と熱気と光が混ざり、ムッとする空気が充満している。誰かが喋るわけでもなく、シャベルのザクッザクッという音だけが洞窟に響いている。
彼女達が何の為に石炭をくべているのかは、僕にはわからない。
あるいは彼女達自身にもわからないのかもしれない。それを知る物は、誰もいない。
しかし、それは結果としてどちらでもいい事なのだろう。

塔の一階部分は、円形のロビーになっているが、これといって何か置かれているわけではない。床も壁もすべてがむき出しで、目的があって建てられたようには思えない。
ただ、螺旋階段がひとつ、どこまでも上に伸びている。
僕は階段に張られた「工事中」のプレートをまたぎ、螺旋階段を登り始めた。

塔の壁は、粘液のようなもので膜を張り、まるで血管が通っているかのように動いている。
僕は壁に手を触れる。
それは暖かく、恐ろしく生々しかった。
頭の中で、老婆達が腰を曲げて、熱心にシャベルを動かしている。
彼女等は柔らかく微笑みながら、力強く石炭の山にシャベルを刺す。
僕はそのイメージを頭から追い払おうと努めたが、彼女達の像は僕の頭の中に元から存在していたかのように焼きついていた。

濡れた壁の所々に、白く柔らかい羽が付着していた。
僕はその羽をそっと壁からはがし、階段から地上に落としてみた。

羽はひらひらと淡い色の光を浴びながら、ゆっくりと降下し、やがて見えなくなった
何故彼女等は洞窟の中に居続けるのだろう?

どれだけ上っただろうか。
気がつくと僕は頂上に居た。
いつの間に階段を上りきったのかはわからない。
あるいは頂上などそもそも存在していなかったのかもしれない、と僕は思う。
しかしそれでも僕は登り終えたのだ。それは確かな事だった。逆に言えば、確かなことはそれくらいだった。
子供部屋くらいの広さの頂上はやはり円形で、中央に穴が開いてる。僕が上ってきた螺旋階段に続く穴だった。
穴のすぐそばで、一羽のカラスが鳩を咥えてこちらを見ていた。
鳩は羽をむしられ、時折かすかに体を絶望的に揺らしている。
カラスが鳩の肉を嘴でむしる度に白い羽が穴から下に落ちてゆく。

塔の下は霧で見えない。
周りはうっすらと雲で覆われ、風は無いがひどく寒い。
夕日は既に沈み、暗くなり始めている。先刻までの暖かな光は、とうにどこかへ去っていた。
塔は微かに揺れている。
その揺れに呼応するかのように、鳩の体から白い羽が抜け落ちてゆく。
塔は生きている。

カラスは鳩を床に置き、嘴で肉を食べ始めた。
鳩の血が床にじわりと滲む。

僕は無意識のうちに自分の手の甲をつねったが、痛みは感じないように思えた。
あるいは寒さで手がやや麻痺しているのかもしれない。
違う、手の感覚が全く無いのだ。
夢の中で手をつねって痛みを感じないのとは何かが違う。
ふと、誰かに見られている気がしてて辺りを見渡した。
いくら目を細めても、そこにはただぼんやりとした雲と霧だけが存在していた。その向こうに何があるのか、僕には想像もつかなかった。

しかし、『何か』が僕を見ていた。
それは物質的なものではなく、概念的なものなのかもしれない。

突如、目の前のカラスが鳴き声をあげ、大きな羽音と共に塔から飛び立った。
羽音が闇に解け、再び静寂が姿を現した。
後には鳩の無残な姿が残され、生臭い匂いが漂よっている。

『何か』は僕の事を見つめ、僕は残された鳩を見つめていた。
あるいは、『何か』は僕を通して鳩を見ていたのかもしれない。
僕はすぐ近くに『何か』の感触を感じながら、しかし何も出来ないでいた。
頭のどこかで、シャベルが石炭をすくう音がしている。暖かな光が老婆たちの顔を照らしている。

出来ればカラスのように今すぐここから飛び立ちたいと思う。
しかし僕には翼もなければ、この薄気味悪い霧と雲の中に飛び立つ勇気もなかった。

《それでも君は、飛びたいと思う。
それは決して無理な事ではない。
君自身が今、どこにいるのかを考えるんだ》と『何か』が囁いたような気がした。
あるいは空耳かもしれない。僕自身が作り上げた幻覚かもしれない。
全ての物が非現実の中にあり、自分自身が現実から遠ざかっているような気がした。何故、老婆たちは石炭をくべているのだろう?
目の前に横たわる鳩が、微かに動いた。霧は次第に深くなり、僕の体を包み始めていた。老婆の頬から汗が滴り落ちた。石炭が燃えている。シャベルが石炭を救う。決定的な何かがズレている。

そのとき僕ははじめて、老婆達がその洞窟の中にいるのか、わかったような気がした。


『何か』が指をパチンと鳴らすと、僕の足元から床が消えた。
僕はただ、霧に包まれた虚空の中に立ちすくんでいた。

刹那、僕はそのまま地上に落下していった。
途中、先程降下していった鳩の白い羽が目に見えた。

暖かく親密な光の中で、今も石炭はくべられている。

       

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