Neetel Inside 文芸新都
表紙

夏の夜の夢の如し秋の風の夢
プロローグ

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ぬるり。

生暖かい。

そんな感触。


本は開いたままで少女のそばに落ちていた。

ただただ寄り添うように。

智哉の叫びはむなしく、天上へぶつかったまま

落ちてくることはなかった。


 

夏の夜の夢の如し秋の風の夢









     

-まどか-
「あぁ。ここにいたのか。」
円は先天性の病で視力が低下しかかっていた。
もう太陽の光もうっすらとしか見えない。
何かが光を遮ると暗闇を漂う。
そんな状況の中にいた。
智哉はそのことを知っていた。
わずかばかりの光に頼って生きている彼女の目の上に
智哉は手をかざし、その瞬間、彼女は驚いた。
「うわっ。暗っ。智哉?」
いきなりの暗闇へのいざないで円は身を縮ませた。
しかし、智哉がこのいたずらが好きだと知っていた。
「まだ見えるんか?」
「光があればちょっとは。」
円はおもしろくなさげに答えた。

彼女の母は幸い何もなかった。
しかし、祖母が彼女と同じ病にかかっていた。
きっとそのためだろうと円の主治医は言う。
言うなれば、隔世遺伝だ。
円が異変に気づいたのは4年前。
円は17歳だから、中学生の時だった。
それまでにも何度か、いきなり視界が暗くなることはあった。
たとえば、太陽の光を見続け、薄暗い部屋に入ると余計に暗く感じるような。
そんな感覚があった。
疲れているだけだろうと円は気にも留めていなかった。
しかし、その時は様子が違った。
痛み。
目にナイフを刺されるようなそんな痛みがあった。
だいじょうぶ?
心配する声はたくさん聞こえていた。
しかし、答える間もなく、
どさり。
円は倒れた。
目が覚めると何もない白い天井が眼に入った。
なにもない?
いや、あった。
天井には無数のシミがあった。
しかし、円には何もないように見えた。
自分の腕を見ると腕に白い模様が書いてある。
正しくは点滴のチューブだったのだが。
目を開けているのが辛かった。
しかし、そばには彼女がいたから目を閉じようにも閉じる事は阻まれた。
「まどか!目が覚めた?」
彼女は目に涙を溜め、円が目を覚ますのを待っていた。
そして円が起きるが早いか、彼女は声を上げた。
「ここどこ?」
「病院。円ったら急に目を押さえて倒れたんだよ。」
目、、、、
考えると、急に刺すような痛みが走った。
円は体をのけぞらせ、えびのように丸まった。
目、、、痛い、、、右目、、、?いや、、両目、、、、痛い、、、
「まどかっ!」
彼女は半狂乱になりながらナースコールした。
すると、すぐに何人かの看護師が駆けつけ
円は彼女の目の前で荷物のように運ばれて行った。

開いた円の吸い込まれるような眼に
智哉は奇妙な感覚を覚えた。
見えにくいからこそ、まじまじと見つめるその眼は
智哉にとっては懐かしい、びーどろのように感じられた。
「せっかくおばちゃんとおじちゃんいないんだから二人でさ・・」
「やめて!バカ!」
智哉の照れ隠しに言った言葉が逆にアダとなり、円はそっぽを向いた。
智哉は円に好意を持っていた。
円も少なからずはあっただろう。
ちょん。
智哉が円の肩に手を置いた。
その瞬間、弩にでもはじかれたかのように
円は智哉から距離を置いた。
「そんなに嫌がらなくてもよくないか?」
円は智哉の言葉を無視し、ベランダから部屋へ戻った。
見えなかったのか、窓のサッシにすこしつまづいたが、無反応に努めた。
智哉も部屋へ入り、窓をゆっくりと閉めた。
「もうあったかくなったな。」
「うん。」
智哉は机を挟んだ形で円の対角線上に座り、小さく言った。
五月晴れ。
今日はこの言葉がいちばん適する気候だ。
「智哉・・学校は?」
「サボった。」
三人は同じ高校に在籍している。
茜野崎高等学校。
もう三年生だ。
「なぁ。」
智哉はやさしく、語りかけるようにそう言うと、
「外・・出ねぇ?」
円を家の外へ連れ出した。
特に行くべき場所も(あるとしたら学校だが)無かった。
三人は目的もなく、歩いていた。
「そろそろ学校来いよ。」
円はその言葉にはっとした。
しかし、視線はそのままで、
「もういいの。」
と諦めきったように答えた。
「なんでだよ。みんな心配してる。」
「心配?そんな人いるわけない。いるとしたら智哉だけよ。」
智哉は嬉しかった反面、残念に感じた。
円は去年の夏ごろから学校を休みがちになっていた。
おそらく、この極端な視力低下のせいだろう。
「友達のカオすら分からない。覚えられない。覚えるための要素が声だけなの。好きだった写真ももう撮れない。そんな苦しみが智哉にわかる?」
円はまっすぐ前を見て言った。
「分からない。」
「ほら。結局私は一人なの。」
さびしそうな顔。
それにも増してさびしそうな目。
智哉は悲しくなり、少し泣きそうになった。
「分からないけど、守ることは出来る。」
智哉なりの精いっぱいの言葉だった。
歩く。
つまづく。
智哉が声をかける。
それを何度もループさせ、三人は足を止めた。
そこは三人が中学生の頃、よく遊んだ空き地だった。
缶けり、かくれんぼ、塀の落書き。
すこし大きな木があり、緑の葉っぱを揺らしていた。
三人の立っている場所はその木の影の下になる。
「智哉・・・ここどこ?暗いから見えない。」
智哉はその言葉を聞くと、急いで光のある場所へ円を導いた。
「ほら。びーどろ。」
「あぁ。」
この空き地で、三人はガラスのおもちゃを見つけた。
鼠のような形をし、澄みきった体に太陽の光を反射させ、それはことんと落ちていた。
とてもとてもきれいで、三人はそれを "びーどろ" と名付けた。
ただただ無邪気に。
ただただ無垢に。
今からちょうど五年前の出来事だった。
それ以来、三人はびーどろを可愛がった。
まるで生き物を扱うように。
この空き地は三人にとってびーどろの家だった。
「よく遊んだよなー。」
「うん。」
「あいつどうしてるんかなー。」
「あいつ?」
三人は昔を懐かしむように、置いてあったブロックに腰を下ろした。
ただ楽しかった。
ずっとこの時が続けばいい。
三人はそう思っていた。
「びーどろ・・どこいったのかな。」
円が言った。
その顔はさびしそうで、まるで捨て猫。
「俺が持っていったじゃん。」
「うん・・。」
智哉はおもむろに歩きだした。
円は視線だけを智哉に移し、じっと座っていた。
やがて智哉は近くの自動販売機の前に立ち、かがんだ。
円はうつむき、指先を見つめていた。
「どっちがいい?」
智哉は、いつの間にか円のそばに座り、両手の缶ジュースを見せた。
「こっち。」
円は智哉の右手を指差し、ジュースを受け取った。
「知ってる。これ好きだよなー。昔っから。」
「たぶん。」
プルタブをなかなか開けられず、困っている円を横目に、智哉は缶コーヒーを一口喉に流した。
こくり。
円も遅れて喉を鳴らし、二人に沈黙が流れた。
およそ二分、智哉が立ち上がり、
「帰ろうか。円ん家。」
円の手を引き、言った。
円は何も言わず立ち上がり、智哉に手を引かれ、歩きだした。
風が前髪を揺らし、緑の深くなり始める、春先だった。

     

-ともや-
「ただいま。」
智哉は靴を脱ぎながら小さく口に出した。
下駄箱を見ると、どうやら美恵子は帰ってきているようだった。
「おかえり。」
挨拶とは言えないほどの無機質な言葉が返ってきた。
智哉は何も言わず、階段を上がり、自室へ入った。

この家は智哉の両親は暮らしていない。
智哉の両親は、智哉が物心つく前に離婚しており、母に引き取られた。
性格の不一致らしく、喧嘩ばかりだったと祖母に聞いた。
そして母は再婚、その後、再度離婚する。
その時、智哉は義父に引き取られたのだ。
実母と義父は智哉を厄介者扱いしており、どちらも智哉を引き取ることを拒んだ。
しかし話し合った末、義父が引き取るという事で話は落ち着いたらしい。
数ヶ月後、義父は再婚し美恵子が智哉の新しい母になった。
美恵子には智哉より二つ上の連れ子がおり、現在、共に生活している。
これが今の智哉の状況だ。
智哉がこの状況に陥り、三年が過ぎている。
血のつながった人間が一人もいない家族。
当然、お互いに情も湧かなければ、興味もない。
ただ、一緒に生活しているというだけだ。
この家の中で唯一智哉が心を開いているのが美恵子の連れ子、義姉の優だった。
年齢が近い事もあってか、友達感覚で話が出来る、智哉の心のよりどころだった。

きいぃ。
智哉の背後からドアの開く音がした。
「おっ。おかえり。デートだった?」
優だ。
この明るい声に、智哉は少し安堵感を覚えた。
「そんなんじゃないよ。友達と遊んでた。」
「そんな女の匂いさせてー?やるなぁとも。」
「ばーか。ばかゆう。」
智哉は自然と笑顔になっていた。
「このアルバム、とも聴きたくない?」
そう言って、優は身体の後ろに隠し持っていたCDを智哉に見せた。
「おっ。5th Summer じゃん。これ新しいの?」
智哉は興味津々に優に尋ねた。
「いえす。給料で買っちゃった。」
「聴く聴く。」
智哉はそう言い、CDを受取り、コンポに挿入した。
CDを飲み込んでいくコンポを二人は見つめた。
Track 1 と液晶は表示し、データの読み取りが完了した。
リモコンの PLAY と書かれたボタンを押すと、
ちゃんちゃんちゃんちゃん
じゃかじゃーん
唐突にドラムのカウントが始まり、音楽は流れ出した。
「よいしょ。」
二人はベッドに並んで座り、スピーカーから流れる音の塊に聞き入った。
  Do you remember me?
I called your name.
I wish to your eyes open once more.
流暢な英語を二人は心地よく受け入れ、うっとりとした表情を浮かべた。
「フィフサマ最高だわー。かっちょいい。」
智哉は優に話しかけ、同意を求めた。
優は頬をほころばせ、うなずいた。
シャンプーのにおいか、女性特有のにおいを智哉の鼻腔をくすぐり、智哉は少し恥ずかしそうに笑った。
「あの子まだ元気なの?」
優が智哉に向って尋ねた。
尋ねたというよりも呟いたという方が適当だろう。
「ん。円が良くなった時の為にずっと絵描いてる。」
「そっか。みんな大変だ。」
「まぁ。みんなやりたいことやってるよ。」
音の波に包まれた部屋は、二人にとってなんとも心地よかった。
時計は八時二六分を指していた。
「あ。」
智哉は思い立ったように部屋に乱雑に散らばった音楽雑誌を一冊拾い上げ、ページを開いた。
「たしか・・・ほら。」
あるページを開いて、智哉は優に雑誌を手渡した。
「フィフサマのインタビュー?やるじゃんとも。」
優は一言そう言って、雑誌に目を右往左往させ始めた。
たまに「ふーん」という感嘆の声を漏らし、また時には口元を吊り上げ、ほほ笑んだ。
自分の見せた雑誌を一生懸命読む優を、智哉には可愛いと思えた。
バンドの使用機材のページに進むと、優はより一層目を輝かせ、熟読した。
優の左耳のピアスが揺れ、智哉はなんだかもどかしい気持ちになった。
相変わらず、頭上、天井の角からは荒々しい音の塊が鼓膜を揺する。
智哉は急に立ち上がり、
「コーヒー買ってくるわ。」
と言い、優を横目に見ながらドアに向かい歩いて行った。
すると、
「あたしブラックー。」
と優が言い、智哉は軽く頷いて部屋を出た。
階段を下りると、リビングからは義母と義父の声が聞こえた。
何やらテレビを見ながら談笑しているようだ。
智哉は、なにか、疎外感みたいなものを感じた。
自分の居場所となるべきこの家には、自分の居場所はないのか。
と。
何も言わずにきれいに整頓された玄関から自分の靴を探すため、目をきょろきょろさせた。
結局は下駄箱に入っていたのだが、明らかに他のとは違う印象を受けた。
綺麗なハイヒールに綺麗ななブーツ、綺麗な革靴。
しょっちゅう手入れが施されているらしい。
それに比べて智哉のスニーカーは薄汚い。
積年の泥や土埃の汚れなどが染み込んでいて、履き古された、貫禄のようなものがうかがえる。
「やっぱり、おれだけ違うんだ」
「表面は家族でも、皮をめくれば他人なんだ」
智哉はそう思わざるを得なかった。
ドアを開け、外に出、歩き出す。
「さみぃー・・。」
いくら春先といえども、夜になるとやはり寒い。
夜の空気は智哉にもう一枚羽織るべきだったと思わせるほどに冷えていた。
家から自販機まで徒歩二分。
智哉は見慣れた背中を見た。
そして、背中は振り返り、長い髪から横顔をのぞかせた。
「ひとみっ。」



     

-ひとみ-
時々、自分が現実にいるのかいないのか分からなくなる。
今、この時、この瞬間に、果たして自分は存在しているのか。
自分以外の他人は存在しているのか。
そもそも、この世界は現実なのだろうか。
それとも、夢なのだろうか。
どうか、夢であってほしい。
そう願う現実。
どうか、現実のものになってほしい。
そう願う夢。
きっと似たようなものだ。
この世界には存在し得ない物を願う。
この世界はどうやって証明するのか。
方法はない。
だからこそ、自分の存在は不確定なものになり、不安に陥る。
世界は実に不確かだ。
どう証明しようとしても、仮定の域を抜け出せない。
世界は存在するのだろうか。
自分は此処にいるのだろうか。
この左手を流れている血液も、存在するのか。
他人には、自分が見えているのだろうか。
自分には、なぜ他人が見えているのだろうか。
自分には、なぜ自分が見えないのだろうか。
なぜ現実は
現実に存在するのだろうか。
なぜこうも残酷に、私を引きちぎるのだろうか。

       

表紙

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Neetsha