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「ごちそうさまー! ちょうおいしかったー!!!」
小さな少女は、元気良く声を上げた。
今日、特別な日の朝食は、その実際の効能以上に彼女を元気付けたようだ。
「ふふっ、お粗末様でした。夜もこんな感じだから、寄り道しないで、はやく帰ってくるのよ? 未亜」
「はーいっ!!」
未亜と呼ばれた少女は、期待に胸いっぱいの返事をした。
そして、朝の食卓を終えた人間に待っているのは、それぞれに課せられた義務。
即ち、未亜は学校、母親は仕事、である。
今日は未亜の誕生日。
朝食はそのためか、いつもより少し、時間をかけているようだった。
特別な日、特別な事、普段とは違う楽しい朝だった。
だから、彼らは時間をいつもより過ごしていたことに、遅ればせながら、気付く。
「あら、大変! もうこんな時間じゃない! ママ準備しなくちゃ!」
「未亜もだー!!がっこうおくれるーー!!!」
どたばたと、普段の日常の準備を始める二人。
かなり時間がおしているが、ギリギリ定刻には間に合いそう、そんな時間だ。
母親が先に準備を終えたようで、玄関で未亜を待っている。
(うううう、早く、早く未亜ぁ~!! 電車行っちゃう……!!)
軽く地団太を踏み始めたその姿からは、まるでそんな心の声が聞こえてきそうだ。
「ママ、おっけー!!」
来た、未亜だ。
「ダッシュよ未亜! 鍵閉めるから、早く!!」
「うん、でもなんか……」
「どしたの?」
「なんか、のどがイガイガするぅ……」
きっと、余りに美味しいものを食べ過ぎて喉に引っかかっていたのか、それとも風邪か……。
時間は、一刻の猶予もない。
早く靴を履かせて、外に出たい。
でも。
「早く、うがいしてきなさい! 外寒いんだから。 急いでね!」
「ええ、間に合わないよお!」
「いいから、すぐしてくるっ! 風邪引いちゃうのよ」
「風邪くらいべつにいいのにぃ~」
そう言いながら、未亜は急いで台所へいった。
ガラガラガラ、ペッ。
大量の水が未亜から排出される。、
その際に未亜の喉につまっていた、小さな痰もいっしょに、体外へと出て行った。
―――――――――――はぁはぁはぁ、はぁ、はぁ。
暗闇は、その姿に似つかわしい静寂を取り戻していた。
薄壁の向こうから小さく聞こえる、トクン、トクンという心臓の鼓動。
今、未亜ちゃんの胃の中に響いている音はそれのみ。
規則正しい鼓動が、心地よかった。
――――はぁはぁはぁ、はぁ、はぁ。
ぐちゃぐちゃに溶けた胴、腕、拳。
今、俺がこの、幽門にとどまっているのは、本当に最後の粘性、それのみだ。
勝ったのか?
何か奇跡のような、事が起こった――――――
”チュウゴクセイ”に向かって、砕けた腕のまま振りあげた、俺の最後のアッパー。
それは、残念ながら、全くの、力不足だった。
中途半端な所まで、奴を突き上げたはいいが、そこで限界だった。
奴の勝ち誇った、笑み。
そして、そのまま再び落下してくる”チュウゴクセイ”、……その体を大量の水が捕らえた。
水はぐんぐん登っていった。
未亜ちゃんの入り口……光のその先へと。
”チュウゴクセイ”の姿を見たのはそれが最後だった。
……はぁはぁはぁ、はぁ、はぁ。
限界に、限界を重ねた、アルティメットだった俺の体は今や見る影もない。納豆やネギ、かつお節など、俺の仲間達は先に消化し尽くされ、幽門の向こうへと逝ってしまった。
だけど……ギリギリだったけど、俺たちは……
「勝った」
醤油の声が聞こえた。
「……勝った……勝ったぞ!! 勝ったぁあ!! やったぁ!! 未亜っちは、もう大丈夫だ!! オメェが、オメェが救ったんだ!!」
やった……やった! やった!! やったああああぁぁぁぁ!!!
そうか、俺が……本当に……!!!!
「は、はは……」
終わった……!!
「はは……俺なんて、たんなる一介の卵に過ぎないさ。結局……最後まで、未亜ちゃんを救ったのは、母親の愛情だった」
最後、微かに聞こえた、外の声。
どんなに急いでいても、未亜ちゃん本人が嫌がったとしても、未亜ちゃんの風邪を、身を案じた母親。
彼女が未亜ちゃんの為に、うがいを薦めていなければ、この戦い、負けていた。
母の愛が、未亜ちゃんを救ったのだ。
「おお、言うねぇ、オメェも成長したな……あ」
言ってからハッとなり、バツの悪そうな声色になる、醤油。
「っと、すまねぇ、成長とか、――――これから逝っちまうのにな」
「いいさ、俺だって、あんなに焦がれて、無理だと思っていた成長ができたとしたら、こんなに嬉しいことはないさ、こんなに……うっ……こん…な…に……うれっ……ウッ……」
ううっ、……成長……っ、……か……。
俺の、あの時の兄弟達には今、どうしてるだろうか、なんて。
そう言えば、俺、まだ、産み落とされて26時間しか経ってないんだもんなぁ……っ。
きっと殻の中で、すくすく育ってるに決まってんだろうなぁ……っ。
ふふっ、そいつらに比べたら、俺なんて……っ、俺なんて……っ、……こんなに、こんなに、成長したんだぜ……! なのに……。
――もう、俺に残るのは、どこがどこともつかない、グズグズの最後のひと欠け。
ここまできて今更、女々しいし、格好悪い事もわかっていた、わかっていたのに、つい、どうしても、口から出てしまったのだ。
「……死にたくねぇなぁ……………死にたくねぇ……」
俄かに燃えていた熱が過ぎ去ってしまえば、あとに残るのは恐怖と無念だけだった。
「めそめそすんなや!! オメェにはオレっちがついてるって! それにオメェはドンっとデカいこと成し遂げたんだ! しょげんじゃねぇ!!」
醤油……!
「未亜っちを救ったのは、間違いなくオメェだ。 オメェが守った未亜っちが、未亜っちの血と肉になったオメェと、これから、人を、何人もの多くの人間を、幸せに、笑顔にできるんだ。信じろ、オレっちが言うんだから間違いねェ!」
「醤油……ありがとう……」
俺が守ったのか……そっか……。
今日、この誕生日の笑顔。未亜ちゃんの”今”を守ることしか、俺にはできないけれど。
今を笑っていられれば、きっと未来も笑っていられる。
今もし悲しくても、人間は、いろんな場所のいろんな人と、笑顔を共有できる。
未亜ちゃんの”未来”はそうして創られていく。
未亜ちゃん自身の手で、きっと。
段々と薄らいでいく、意識。
ここは、冷蔵庫と同じで真っ暗で何も見えないけど、でも全然違っていた。
暖かかった。
俺が知らなかった、一番暖かい場所で、俺は逝ける。
「あ……あ……」
あったかい、本当にあったかくて、何もかも忘れてしまいそうになる。
(母さん……)
それに、気持ちいい……。
本当に母さんの下で、あったまってるみたいだ……。
すうっと、未亜ちゃんの胃の中に、最後の光が差し込む。
そっか、これが、”お迎えの時”、ってやつか?
ああ、遂に俺をつれてってくれるのか、その光の外へ……
「残念だが! っひっひっひ!! オレはそうやさしかァないんだなぁ!!」
これは……”チュウゴクセイ”の声……!?
何故!!
外から……!?
「随分、やってくれたみてぇじゃねぇか、ごはんライダー」
この声、確か……三体のうち、”ジョンユイスーヨー”と呼ばれたチュウゴクセイのはず……。
確か奴の入った瓶は流しに置かれて……!!
それから……あ!
「先の二人、DB肉まんもギョウザも無くなっちまったがなぁ!! オレはまだ、この黒い瓶の中に 半 分 も、のこってるんだぜぇ!! ひひひひっひっひっひっひ!!!!!」
そ、そんな……!
だが、確かに一回で使いきるわけが……なかった!!
まだ残りが……!!
「リターンマッチ、と行きたいトコだが、もうお前くたばっちまうんだろ!? おお、ああ、かわいそうなこのオレの怒りの矛先はドコへっ?! あ、あああ、ああああああああああ!! イイのがいるじゃん!! ちっちゃくて可愛い人・間☆ ぐへへ、ぐへへ!」
霞んでくる音。
しかし、しかと聞き取れた邪悪な意志。
おのれ、こいつ、この期に及んで未亜ちゃんに……。
未亜ちゃん……!!
「というわけで、もうアナタはお休みになってくださいねぇ! あー晩ご飯の、……いや、誕生日の豪華ディナーが、たーのしーみだなぁ!!! げひひひっひっひっひ!!」
晩御飯……。
その時、まず確実に……奴は……。
……でも…………もう…………俺も…………………………終わる。
……させ…ない…………。
未……亜ちゃ……ん。
俺は……もうダメみた……いだけ……ど…………
俺は……産まれて……くることが出来……なかったけど…………
で……も……誓っ……たん……だ……
俺は……俺の生きてた証だ…とか……存在の証明だ……とか……そんなんじゃ……なくて…………
君の……笑……顔の……ために…………
君……の………幸せ……のため……に………
君……は……必ず…………
俺…………が…………守………る…………………………よ……
(うあああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!)
――――26時間前に産み落ちた、ただの、一つの有精卵。
その卵を形成していた組織の全てが、最後の叫びと共に今、完全に消化された。