Neetel Inside 文芸新都
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ストレンジャーズ
三時間前(終章)

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1.三時間前(終章)

 空は、さっきまでの天気が嘘のように、綺麗に晴れわたっていた。
 川が無ければ、雨が降っていたことすら忘れてしまいそうだ。
 足元の流れは茶色く濁り、雨上がりの日光を吸い込むように、暗く静かに流れている。
 大きな川だった。ここから自転車で三十分ほど下流に行けば、河口に出たはずだ。
 こういう川は、音こそ静かだけれど、実は流れが相当速いことを僕は知っていた。

 川原には、僕の他には誰もいないようだった。
 雑草は取り除かれ、代わりに芝が植えてある。おかげで風通しがいい。
 急に遠くから歓声が聞こえた。見回すと、対岸のグラウンドで少年達が白球を追っているのが見えた。
 通り雨が過ぎ、主導権を取り戻した太陽が、はりきってあたりを照らしている。頬に吹き付ける心地いい風とは裏腹に、辺りは急速に初夏の暑さを取り戻しつつあった。
 穏やかな昼下がりの情景から目をそらして、僕は濁った川面に目を落とす。
 はるか上流から流されてきた土砂が、絶え間なく下流へと流されていく。今の僕の気持ちを例えるとすれば、まさにこの川がぴったりであるように思えた。
 全くもって最悪、ということだ。
 時計を見る。針は午後三時を指していた。
 あと三時間。
 それだけ待てば、全てが終わる。あいつの言うとおりなら、多分。
 けれど、問題はその次だ。
「やあ、しけた顔してるな」
 突然、背後から声がする。僕は驚かなかった。振り向きもせずに、声を返す。
「うるさいな」
「なんだよ、せっかくもうすぐ助かるって言うのに」
 声が、無神経に耳にねじ込まれる。
「……考えてたんだよ、これからのこと」
 しばしの沈黙。やがて、背後からぽつりと言葉が降ってくる。
「遅かれ早かれ、気付いてた事じゃないか」
 精一杯、気遣っているような口ぶりが、逆に僕の神経を逆立てた。
「お前は良いよな、これからの生活なんて、無いんだから」
「……お前、命の恩人に向かって……」
「こうなること、知ってたんだろ。なんで、先に説明してくれなかったんだよ」
 刺すつもりで、言う。
 それは、と言ったきり、背後の声は聞こえなくなった。
 吐いた言葉は行き場を失い、やがて濁流に運ばれていった。
「……ごめん、言い過ぎた」
 知っているということは、こいつも、僕と同じ思いを味わったのだろう。そう思うと、激しい怒りが急にしぼんでいくのがわかった。
 結局、一緒なのだ。僕も、こいつも。
 また長い沈黙。
 水面を見つめる。揺らめく茶色のスクリーンに、ゆがんだ僕の顔が映っている。
 いや、正確には僕たちの、だ。眉根を寄せて不機嫌そうな僕の顔と……その背後に立つ、青白い顔。二人の顔立ちは、鏡に映したようにそっくりだった。違いといったら、背後に立っている方がやや青白い顔をしているくらいだ。
「……で、次は何をすればいいの?」
 青白いほうの僕に向かって、僕は尋ねる。
「何もしなくていいよ。もう、やるべき事は全てやった」
 水の中で、彼が答える。
「もう大丈夫だってこと?」
「そうだよ。このままいけば……君は助かるはずだ」
「そっか」
 命が助かるというのに、自分でも驚くほど何の感慨もない。
 ……手放しで喜ぶには、僕は色々と知りすぎたし、色々と失い過ぎた。
 遠くでもう一度、大きな歓声があがる。誰かが、ホームランでも打ったのだろうか。
 子供たちの明るい声は、僕らから遠い次元の出来事のように感じられた。
 なんとなく、この三日間を振り返る。本当に、色々なことが変わったな、というのが感想だ。
 いや、その言い方は適当じゃないな。少し考えて、僕は訂正する。
 現実は、何一つ変わっていない。
 変わったのは、僕だ。目をそらし続けた現実に、僕が向き合っただけのことだ。
 その結果、僕の環境は大きく変わった。
 でも、遅かれ早かれ……そうなることは必然だったのかもしれない。
 どこかで魚が跳ね、水面に波紋を作る。僕と、もう一人の僕の顔が、波紋に揺られて、形を変える。
 水の中の空は青かった。濁流に映る色を見てさえ、僕はそれを綺麗だと思った。
 不意に、僕はある疑問を思い出した。
 前から、ずっと気になっていたけれど、それを聞くのはなんだか気が引けて、心の奥に留めているだけにしておいたのだ。
 せっかくだから。
 僕は少し深呼吸をして、口を開く。
 全てが終わる前に、聞いてみることにしよう。
「なあ」
「ん?」
「一つ、聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「あのさ…」
 どこかで魚が跳ね、水面の青い顔が、大きく揺らいだ。

       

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