第1幕 神様なんていないと思ってた
1
夏休みに入って最初の日曜日、調子に乗んなよってぐらいクソ暑い中、私たちは人のひしめきあっている繁華街へ、買い物に出ていた。
「あぢー・・・・・・、何でこんなに人いるんだよ。家にいりゃあいいのにさぁ」
私は身体にピッタリとフィットしたTシャツの襟元をぐいぐいと引っ張って、Cカップの胸元に風を送り込む。擦れ違いざまにチャラ男の目がちらりとこっちを見たのが分かった。
「アンタさあ、わざとやってんでしょ?小学6年生が色気づいてんじゃないよ」
マリアが刺々しく私に言った。マリアは大人の考えるいかにもな普通の小学生という服を着ている。ゆったりとした変なプリントのTシャツに膝まであるデニムのスカートで足元はコンバース。ピタTとホットパンツにクロックスのサンダルを履いた私とは、何ひとつ共通点がない。
それなのに、マリアは私と同じ顔をしている。双子として同じ家に生まれた筈なのに、どうしてこんなに違うんだろう。
自分らしくいたい私。きちんとしなければ気のすまないマリア。
勉強の苦手な私。勉強しか取り柄のないマリア。
陽気な私。陰険なマリア。
私は牛の乳のようにゆさゆさと揺れている、マリアのEカップのバストをじろじろと見てやった。これで恥ずかしがるなら、まだ可愛げもあるのに、マリアはバカにしたような顔で私を見下ろした。少しだけ、そう、ほんの少しだけマリアの方が私より背が高い。
「ねえ、ジュリアちゃん?自分の胸がささやかだからって、そんなに見ないでくれる?」
「はぁ?あたしのどこがささやかなのよ!アンタなんかデブなだけじゃん!」
「私、ジュリア以外にデブなんて言われたことないんだけど。
大体、ウエストはジュリアの方が太いんじゃないの?」
私は言葉に詰まって、マリアを睨みつけた。マリアはくすくすと笑っている。
数字は残酷だ。バストはマリアの方が大きく、ウエストはマリアの方が細い。それは残念ながら事実。男子たちに人気があるのもマリア。先生に好かれているのもマリア。私が欲しいものは全部マリアがいいところを取っている。
もしも、神様がいるとしたら、その神様は私が嫌いなんだろう。私を嫌いな神様なんて神様じゃない。だから、神様なんていない。
怒りでぷるぷると震えている私とマリアの間で、お兄ちゃんが困ったような笑顔を浮かべていた。お兄ちゃんは高校生なのに、どう見ても中学生女子、下手をすれば小学生の女の子にしか見えない。私とお兄ちゃんが一緒に歩いていれば、みんながお兄ちゃんを妹だと思うはずだ。
大きくて優しい目、小さなおちょぼ口。綺麗なパーツが卵型の小さな顔にバランスよく並べられている。ユニクロのTシャツとジーンズもお兄ちゃんが着ると、JJやnonnoに載っている高い洋服のように見える。
お兄ちゃんは、昔見た絵に描かれていた天使のような笑顔で私に優しく声をかけた。
「ジュリアは世界一可愛いよ。だからそんなに怖い顔しないで」
女の子のような声でお兄ちゃんは言う。私はそれだけで恥ずかしいほど嬉しくなってしまった。マリアはむっとしてお兄ちゃんに文句を言う。
「ジュリアが世界一だったらマリアはどうなるの、お兄ちゃん?」
「マリアは世界で2番目」
「どうして?マリア、ジュリアより綺麗だよ?」
「マリアはジュリアよりも意地悪だから。マリアはジュリアより綺麗になることはないよ」
お兄ちゃんはあいかわらずの笑顔と優しい声で言った。マリアの顔から媚びたような笑顔が消える。ざまあみろ。
お兄ちゃん大好き。世界で誰よりも好き。
「お兄ちゃんの感覚はおかしい・・・・・・みんなマリアの方が可愛いって言うのに・・・・・・」
「おかしいのは、アンタじゃないのぉ?」
ぶつぶつと文句を言い続けるマリアに、私は言ってやった。マリアはギロリと私を睨んでくる。他人には決して見せない醜い顔。さっきまでの私はこんな顔をしてたんだな、反省、反省。
「ジュリアって可哀想。お兄ちゃんは同情で言ってるだけなのに本気にしちゃって」
「あら、顔が引きつってるわよ。マリアちゃん」
勝ち誇った私に、今度はマリアが黙り込んだ。お兄ちゃんはくすくすと笑っている。
今日はいい日だ!クソ暑い太陽も、ゴミのようなその他大勢のウザイ人たちも、みんな許してあげる!だって、私にはお兄ちゃんがいるから。天使様みたいなお兄ちゃんがいるから。
Angel Knights
第1幕 神様なんていないと思ってた
2
ドカッ!
嬉しくて、くるくると回っていた私に性質も頭も悪そうな男がぶつかってきた。短い髪をガチガチに固め、黒ずんだ金色に染めている。ボロくて穴があいたようにしか見えないジーンズには安物のシルバーがジャラジャラと音を立ててぶらさがっていた。
「餓鬼がはしゃいでんなよ、邪魔くせえ」
「ああ?てめえがよけろよ、この童貞野郎」
そのバカ男は小学生の私に言い返されただけで明らかにビビっていた。気分がいいし、その素直さに免じて許してやろうと思い、私はそいつに背を向けてお兄ちゃんたちと歩き始めた。
「おいコラ!てめえからぶつかってきといて何だそりゃ!」
クソ野郎が私の肩をつかむ。おいおい。1度ビビっちゃったらもう負けなんだよ。
「汚ねえ手で触るなよ。おとなしく後ろのお友達とタワレコでも行ってな」
私はそいつの手を払って、ついでに汚れてしまった肩をぱたぱたと払った。そろそろ私、限界なんですけど。
「おい、あんまナメた口きいてると、女でも容赦し・・・グボェ!」
私が鼻にパンチを入れてやると、そいつは膝から崩れ落ちた。顔を抑えた手からは鼻血がボタボタとこぼれ落ちている。汚い。
「あーあ、ジュリアと歩くとこんな事ばっかり」
マリアが心底嫌そうな顔で言った。憎たらしい。私が原始時代に生まれていたら、絶対マリアを撲殺しているのに。法治国家って面倒だ。
「おい!みっちゃん、大丈夫か!」
「コラ!クソガキ!さっさと謝れよ!
みっちゃん、切れると何すっかわかんねーぞ!」
童貞野郎の後ろにいた2人がおたおたして叫ぶ。へなちょこトリオの威嚇が面白かったみたいで、お兄ちゃんがお腹を抱えて笑っていた。楽しそうなお兄ちゃんを見るのは嬉しい。
人の波は私たちをよけて何事もなかったかのように流れている。まるで私たちは川の中央にある中州のようだ。賢い人たちはこうやってトラブルを避けていく。力のない人が余計なことに首をつっこむものじゃない。
「・・・・・・このアマ、ぶっ殺してやる!」
よつんばいになっていたクソ野郎は、鼻血まみれの汚い手をケツポケットに入れて、銀色の折りたたみナイフを取り出した。ぴかぴかと太陽が反射して眩しい。
ナイフに気付いた周りの人たちからキャー!という悲鳴が上がり、蜘蛛の子を散らすように私たちから人が離れていく。サラリーマン風の男が大学生っぽい女の人を突き飛ばした。倒れた女の人のスカートがめくれてピンクのパンツが丸見えになっている。高校生のカップルは男の人が女の人を助けようと肩を抱える。守られた女の人は、前にいた幼女に膝蹴りを食らわせて走り去っていった。幼女を助けようとしているお母さんは人の波に飲まれて、なかなか近づけないでいる。やっと幼女を抱き上げたお母さんは、服のあちこちを汚し、靴を片方落として走り去っていった。
お兄ちゃんは可笑しくてたまらないのかゲラゲラと笑い続けている。マリアは密かに興奮した様子で走り去っていく人たちをにたにたと見ている。アイツ、絶対濡れてるよ。
私はそろそろどこかでクリームソーダを食べたい気分になっていた。だからせめて、さっさと立ち上がってくれないかな、童貞野郎。
「・・・・・・ぶっ殺してやる、ぶっ殺してやるぜぇぇぇ!」
そいつはふらふらと立ち上がりながら、奇声を発した。
これなら、殺しちゃっても正当防衛になるよなあ。でも、いろいろ手続きとかめんどくさいんだろうなあ、なんて考えていると、そいつがようやくこちらに向かって走ってきた。血まみれの顔でオカマ走りになっている。キモい。
私はそいつが突き出してきたナイフをかわし、右手首をつかんで折った。
ゴキリ!と低い音が響く。マリアの眼が興奮で大きく見開かれたのが私の視界に入った。キモい。
おがあああぁぁぁぁ!とか叫んでるそいつの顔にハイキックを入れると、吹っ飛ばされたそいつはコンクリートの地面に頭から落ちて静かになった。後ろにいた2人は魂が抜けたような顔をして私を見ている。思いっきり脚開いちゃったけど、ハミパン見られてたらやだなあ。
「ジュリア、警察来ると面倒だからそろそろ行かない?」
機嫌のよくなったマリアが穏やかに言った。私と同じ顔をしてるんだから、普通にしていればやっぱり可愛い。
「賛成、汗かいちゃったからどっかでお茶飲もうよ。行こ、お兄ちゃん」
「うん。あー楽しかった」
お兄ちゃんは笑いすぎてこぼれた涙を手の甲で拭っていた。ぎらぎらとした太陽の下で、真っ白なお兄ちゃんの頬に流れた涙がキラキラと光る。あんまりその姿が綺麗だったので、私は携帯を出してお兄ちゃんの姿を写真に撮った。
「なに?」
「ううん、あんまりお兄ちゃんが綺麗だったから」
「変な子だね、ジュリアは。それにジュリアはとても強い」
「えへへ」
私は真っ赤になってもじもじしていた。
「そんなジュリアは気持ち悪いよ。とってもね」
お兄ちゃんは天使の微笑みで私に言った。
私は転がっているぴかぴかと光った銀色のナイフで喉を掻き切ってしまいたくなった。
「どうしたのジュリア?マリアが待ってるよ?」
「・・・・・・うん」
「一緒にクリームソーダ食べようね」
「・・・・・・うん」
お兄ちゃんは私の手を取って歩き始めた。私はぽろぽろと涙を流しながら、にこにこと笑っていた。お兄ちゃんはそんな私を見て嬉しそうに笑う。繋いだ手がじんじんと痛んだ。きっと今、私の中の汚いものが綺麗になっているんだ。だってお兄ちゃんは天使様だから。
この世に2人だけ苦手な相手がいる。
1人は妹。陰険だから。
もう1人はお兄ちゃん。世界でいちばん大好きだから。
「・・・・・・メチャクチャだな、あいつら」
この時、私は遥か空の高みから私たちを見下ろしている存在がいるなんて、これっぽっちも考えていなかった。だって私は、神様なんていないと思ってたから。