軟禁状態。自分の人生の中でそんなものを経験することになるとは思いもよらなかった。厳密に言えば今の俺は死んでいるから、人生の中では経験していないのだが――。
とにかく、応接室の奥の扉を開いたところにある部屋で過ごすように言われたのが昨日のことだ。
俺は敷きっ放しの布団にうつ伏せに埋もれながら、この部屋のことについて考えていた。今俺がいる部屋はどういう仕掛けになっているのかは分からないが、俺の自宅と全く同じになっている。
それを思うと、改めてここが普通の世界でないことを意識させられる。
不意に、扉をノックする音が聞こえた。
「ハルだけど」
俺はのっそりと起き上がって、扉を開けに向かった。
「少しお邪魔しますねー」
俺が彼女を迎えると、遠慮する様子もないのにそんなことを言って、中へと入ってきた。
「……何か用か?」
「暇だと思って、話し相手になりに来たんだ」
屈託なく彼女の表情に裏はない。
「そいつはありがたいね。暇すぎて死ぬところだった」
皮肉を込めて、「死ぬ」の部分を強調して言ってやる。
「それはわざと言ってるのかな?」
ハルは楽しそうに笑った。
それからの一週間、俺は部屋に缶詰め状態にされ、飯を食うか、風呂に入るか、寝ているか――そんな生活が続いた。
懲役を免れて禁固刑に処された囚人が、自ら労働を志願する理由が理解できた気がした。
そんな空虚な一週間だったが、一日一度、ハルが訪れてくれたときだけは楽しかった。最初に一度だけ外に出してくれるよう頼んでみたが、真剣な面持ちで断られた。しかし、それを除けばハルはどんな話も聞いてくれたし、してくれた。
この部屋で過ごし始めて四日目、すっかりハルに心を許していた俺は、気になっていたことをいくつか尋ねてみた。
「なあ、ハルってもしかして、ここでは偉かったりするのか?」
ハルは少し驚いたようだったが、微笑みつつ答えた。
「一応、ここのリーダー」
「マジか」
人は見かけによらないとはよく言ったものだが、まさか神まで見かけによらないものだとは知らなかった。
「まあ、ここって言ってもこの課のことだから、上司はいるんだけどね」
「へえ……上司って、どんなヤツなんだ?」
単純に、この神だらけの世界でその上に立つ者の人物――いや、神物像が気になった。
「ん……」
何故か一瞬だけ表情を曇らせるハルは、真剣な表情で言う。
「……ここだけの話」
「ああ」
その表情に飲まれ、俺は次の言葉をじっと待った。
「私は、あいつが、大嫌い!」
あまりに突然の暴露に俺が呆然としていると、ハルは「内緒だからね」、と口に人差し指を当てた。
「あーんな、『人間どもがどうなろうが俺は知ったこっちゃない』みたいな態度じゃあ、頭にも来るってば」
「……やっぱ、そういうヤツもいるんだな」
あまりに人間臭い世界。その世界観が、俺をぐっと引き寄せる。
「なんか、拍子抜けだぜ? 俺たちの世界にはさ、一日に何度も聖地の方向へ向かって祈りを捧げるイスラム教徒とか、日曜日は必ず教会のミサに出向くクリスチャンなんかがいるのに――」
「実際はこんなもの、ってね」
そう言って自分を指差すハルは、やっぱりどこまで行っても人間だった。
またある時、ハルは言った。
「私の持論はさ、もし、人間が誰も神を信じなくなったら私たちは消えてしまうってことなんだけど」
「へえ……」
それはつまり、人間が存在し続ける限り神はいなくならないことを意味するのではないかと思った。
「だって、おかしいでしょう? こんなシステム」
「こんな? ……ああ、役所みたいにしてるってことか」
ハルが頷く。
「どう考えても、人間に影響されてる」
「確かに、な」
相槌を打ちながらも、人間界に戻ってしまえばそんなことは俺に関係ないだろう、とぼんやり考えていた。
またその翌日、今度はハルが頭を下げた。
「ごめん、他の仕事も持ってるからって、助の担当から外されちゃった」
「……そうか」
せっかく仲良くなったのに、監視役が代わってしまうのは寂しかったが、仕方ないことでもあった。
「ごめんね」
「いや、そっちの都合のことはよく分からないけど、仕方ないんだろ?」
神様がどんな仕事をしているのか、具体的にはよく分からなかったが、俺が介入できる次元の出来事ではないことは承知していた。
そもそも、担当者がずっと俺につきっきりでいるわけではない。そういう話も聞いていたので、さして残念には思わなかった。
「助が下界に戻るまでは、こうして話し相手になれるからさ」
「ああ」
悲しそうな笑顔を残し、ハルは部屋から去った。
俺が人間界のことをハルに語り、ハルが俺にこの世界のことについて教える。そんな一週間はあっという間に過ぎた。
一週間目の今日、俺はハルに部屋の外へと連れ出された。
「一週間ぶりだぜ、外に出るのは」
俺は大きく伸びをして深呼吸をした。ここで大きく息を吸ったところで、オフィス内の空気なので大しておいしくはない。しかし、壁一枚隔てた空間の空気は、久々に吸うと新鮮なものに感じられた。
「閉じ込めっ放しで悪かったね」
「これで生き返れるなら大したことない」
奥へ奥へと歩いていくハルについていきながら俺は言った。
「さ、この扉だよ」
ハルは仰々しい重そうな扉の前で止まった。そして懐から大きな鍵を取り出して、鍵穴に差し込む。
「担当じゃなくても、たまに様子を見に行ってあげるから安心して」
「そりゃどうも」
俺はドアノブを掴むと、重い扉を一気に開けた。
「あと、下界の天気予報によれば夜から雪が降るらしいよ。最高気温もひと桁で」
「一月前は、そんなに寒かったんだな……」
俺はハルに背を向けつつ、扉の向こうを見つめていた。何もない、白い空間が広がっている。
一歩踏み出すと、浮遊感が俺を包んだ。不安になって振り返る。
「行って」
子供を躾ける母親のようにハルが言った。
促され、先へ、先へと進む。
そして――。
天気予報によれば、今日は夜から雪で、予想最高気温はもちろんひと桁だ。
手袋なしではすぐに手がかじかみ、鼻からの呼気でさえ白くなる。
――春はまだ遠い。
最近、まったくもって運がよろしくない。
先月は、暴走トラックとの交通事故なんていう一大事に遭遇してしまった。
ツイているのかいないのか……。
今こうしていられるのだって、それ自体が奇跡に近い。
今や体に傷一つないなんて、おかしな話だ。
――そして再び、二月がやってきた。
このあと俺は弥生と出会う。
そして俺が再びハルと出会うのは、それからほんの数十分後のことだった。