Neetel Inside 文芸新都
表紙

ツェんジ!!
1章 平ちゃんの日常

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「マジで…?」
 始め、それを見た時、平助の頭は何が起こったのかを理解できなかった。
 昼下がりの放課後。校舎から離れた、校庭を挟んだ向かいに位置する部活棟で、彼は一人ボストンバッグをぶら下げて立ち尽くしていた。
 彼の目の前にある部室の扉には紙が一枚貼り付けられていた。
 平助が部室棟に来たのはつい先ほど、帰りのホームルームを済ませ一目散にここにやってきた。
 そして彼が所属しているハンドボール部の部室の前に来たとき、そこに貼ってあった紙に気づいた。
 そこに貼り付けられた紙にはこう記されていた。
 
 <ハンドボール部の活動停止の通告>

 隣の野球部の部室から何人かのユニフォーム姿の部員が出てきて平助の後ろを怪訝な顔で通り過ぎて行った。
 平助は貼られていた紙を引っぺがすと、もう一度羅列された文字を凝視した。
 はっきりいって衝撃だった。三日ぶりに学校に来てみればこの通知が部室に貼られていたのだ。
 いつもなら自分より早く部員が来て、グラウンドの整地をしていてもおかしくはないはずなのに、それが今日来てみたら誰もいなかった。それが少なからず平助には不思議だった。
 だが、これで得心がいった。部活自体がないのでは部員が来るはずがない。
「ふざけんなよ……どうなってんだ」
 そこまで考えると、平助はかけてあったボストンバッグを下におろし、ポケットから携帯を取り出した。
 無造作に指でボタンを弄くり、目当ての人間を電話帳から探し当てると、迷わずプッシュした。
 耳に当て、待つこと10秒。
『もしもし?』
 電話にでた男は少しめんどくさそうだった。
「もしもし、ヒロヤ?俺だけど。お前に聞きたいんだけどさ、なんか部室の前に紙が貼ってあってよ。その紙にハンド部の活動停止って書いてあんだけど、どゆこと?」
『あーあー、はいはいはい、そうかあれね。そっかお前三日間休んでたから知らなかったんだよ』
 携帯から彼の声以外にも他の声や雑音が混じって聞こえるせいでやけにヒロヤの声が聞き取りづらかった。
「は?何? ってか活動停止って大問題だろ!?なんで俺に連絡しないんだよ!?」
 実はハンドボール部は練習が中止になることが何度かあった。だがその際はあらかじめ決められた連絡網で部員全員に伝わっていたので誰かが知らないなんてことはまず無かったのである。
『そんな怒んなよぉ』
「だってお前、連絡なかったせいで俺は今部室の前で待ちぼうけだぞ。で?これはどういうことなんだよ」
『いや、だからそのままの意味なんだよ』
「また笹岡がキレたのかよ」
『どっちかっつうと今回は先生というより…なんかあれだよ』
 どうにも歯切れの悪い返事だった。
 今回は何かおかしかった。顧問である笹岡の横暴で中止になることはあっても、二、三日たてばすぐに練習が始まる。
 しかもこの様な紙でわざわざ活動停止なんて大仰にしない。すべては部内での事なのだから。
『つうかわるい、平助。今友達と遊んでるんだわ。詳しい話は明日とかじゃダメか?』
 確かに電話越しにさっきから「誰と電話してんの?」と友達らしき人の声が聞こえてくる。
「今日の夜じゃダメ?」
 少しヒロヤが黙り込む。
『…うーん、わかった。いいよ。いつものファミレスでいい?』
「オッケー。じゃあ夜に」
 電話を切ると携帯をポケットにしまいこんだ。
 ヒロヤには悪かったが、今すぐにでも知りたかった。自分の預かり知れないところで部活が活動停止になっていたなんて、さすがに自分にとって衝撃だったからだ。
 平助は紙を握りしめると、もと来た道を引き返し、校舎へと向かった。
  

 

 平助の通っている安置高校には職員室というものが無く、教師たちはそれぞれ自分たちの教える教科に割り振られた部屋に机を持っている。古典や現代文なら国語科の教室、化学なら化学室といったように。
 平助の所属するハンドボール部の顧問を務めているのが、笹岡という数学の教師だった。
 故に平助は今、校舎の三階の一番奥にある数学科の教室の前にいた。
 息せき切って三階まで駆けあがってきたせいか、息が上がっている。
 平助は一度ボストンバッグを床に下ろすと深呼吸をした。
「失礼します」
 ゆっくりと扉を開け、平助は室内に足を踏み入れた。
 数学科の教師たちは割と綺麗好きが多いのか、並んだ机はどれもきれいにしてあり、書類や教科書などが机の上で散乱しているような光景は皆無だった。
 室内にはまばらに教師たちが座っていて、入ってきた平助を注視していた。
「笹岡先生」
 言って、平助は一番奥にある笹岡の机に近づいた。
 笹岡は一度チラリと、こちらを見ると、机の上に置いてあったプリントに目線を戻した。
「おお、原島。久しぶりだな。風邪で休んでたんだろ?」
「はい、寝まくってたら、回復しました。んで今日から出社ですよ」
「それは良かったじゃないか」
 機械的に笹岡は答えた。
 手にじっとりと汗が浮かんでくるのがわかった。
 平助はこの笹岡がかなり苦手だった。
 このあまり感情を持たないような言い方や自分の型どおりにならないと怒り出す性格。
 数学を教える点なら高い評価を受けているが、点数で人間を評価するような性格面が他の生徒たちから敬遠されていた。
 例にもれず平助もまた、そんな笹岡とは関わることをあまり好んではいなかった。
「それで、先生。聞きたいことがあるんすけど。これってどうしたんですか?」
 平助が手に持っていた紙を机の上に落とした。
 笹岡が視線を移した。そして平助の顔を見る。
「ああ、これか。見ての通りだよ」
「いや、見ての通りって、意味が分かんないんすけど」
「だからハンドボール部は活動停止。というよりほぼ解散に近いな」
「えっ!?」
 思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。周りの教師がこちらを見ている。
「えっ…ちょ、ちょと待てくださいよ。解散って、え?」
 予想外の言葉に、うまく思考がまわらない。
「無期限に活動停止にしたんだから、事実上そうだろう?原島何も知らなかったのか?」
 知らないも何もさっきこの紙を発見したんだから、何も言えない。
「ど、どうしてっすか?」
 笹岡が露骨に不機嫌な表情を浮かべた。
「あんな腑抜けな生徒たちにハンドボールをやらせても意味ないだろう?だから無期限に活動を停止にしたんだ」
 呆然としている平助を余所に笹岡は続けた。
「もうちょっと物分かりがいい奴らだと思ったんだがな。ちなみにこれはちゃんとあいつらと合意の上だ。俺が無理矢理に停止にしたわけじゃないからな」
 「フン」と息を吐くと、笹岡は視線を元に戻した。
「だからお前は不服かもしれないが、ハンドボール部は事実上の解散だ」
「それっていつ、決まったんですか?」
「二日前だが」
 二日前、自分が高熱を出して寝込んでいた時だ。平助は何かやるせない気持ちになった。
「みんなで、話し合ったんですか?」
「ああ、会議室でな。何人か来なかった奴もいたが、2年はほとんど来てたぞ」
 平助は動揺を隠せなかった。いくら風邪で学校を休んでいたとはいえ、こんな大事な話をなぜ誰も連絡してくれなかったのだろう。風邪だったからだろうか?自分が出る幕じゃなかったのだろうか。とにかくそんな大事な話し合いにすら参加できてない自分が歯がゆかった。
「俺はてっきりお前もあいつらと同じだと思ってたんだがな」
 こちらを見ないで笹岡は続けた。
「そんなにショックだったか?俺は別にお前にやる気があるなら、またハンド部を再開してもいいんだぞ?人数がどれだけ集まるかは知らんがな」
 人を嘲るような表情で笹岡はこちらに顔を向けた。
「ハハ…まぁとりあえずわかりました。ありがとうございます」
 曖昧な言葉で誤魔化すと、平助は机の上に置いていた紙をひったくるように拾い上げ、足早に部屋から出て行った。
 何が「ショックだったか?」だ。心にもないような事言いやがって。平助は心中で毒づいた。
 平助の頭はまだ混乱していた。
 自分の予想とは随分と違うことになっている。当初、平助はいつものように、笹岡が部員の態度や成績が気に入らないからという理由で、活動を停止させているものだと思っていた。
 だが実際、笹岡は部員と話し合った上で、停止させたと言った。それどころか解散とまで。
 先ほどかけた電話でヒロヤが言い淀んでたのはこれだったのか。
 平助は一階に下りて、げた箱で靴を履き替えると校舎からゆっくりと出た。
 校庭の横を通ると、グラウンドで野球部とサッカー部が練習をしているのが見えた。
 皆、楽しそうに笑いながら練習に励んでいる。それがやけに平助を苛立たせた。

 


「わりぃわりぃ、平助!遅れた!」
 ヒロヤが頭をペコペコさせながら、こちらに歩いてきた。
「遅せぇよ。もう15分過ぎてんぞ」
 平助がファミレスの壁にかけられた時計を指さした。時刻は午後8時15分をさしていた。
「いやぁさ。なかなか友達とのカラオケが抜けらんなくてさぁ」
 ヒロヤが平助の向かいの席に腰かけながら、マイクを持って歌うようなジェスチャーをした。
 このファミレスには、平助たちがハンド部の練習や試合後に必ずと言っていいほど通っていた。
 それぞれの部員たちが家に帰宅するために駅へと向かうので、ちょうど駅の下に位置するこのファミレスは学生たちの調度いい晩飯調達スポットとして活用されていた。
 手ごろな値段に、騒いでもあまり怒られないでいられるという魅力的なポイントが彼らをさらにここへと足を運ばせるのだろうと平助は毎回思う。
 加えて、なぜかこの夜の時間帯になると、空席が増えるらしく、彼らの部活終了時間と重なっていて、帰り際に寄っても必ず人数分座れていた。
 そういった要因のおかげで、2年間も飽きもせず、自分たちはこのファミレスに通ったのだろうと平助は思った。
「俺、今カトゥーンの『リアルフェイス』練習しててさぁ。もう喉カラッカラ!」
 喉をいじる仕草をすると、ヒロヤは注文を取りにきたウェイトレスに「ドリンクバーで」と告げた。
「今度聞かせてやるから、平助もカラオケ来いよ?」
「あ~、はいはい。行くから行くから」
 気のない生返事を返すと、平助はもう4杯目になるオレンジジュースをストローでジュルジュルと飲み干した。
「でさ、本題なんだけど」
 平助がコップをテーブルに置いて、ヒロヤを見つめた。
 ヒロヤが少し眉をひそめた。
「ハンド部の活動停止だろ?あれもうさ、俺的には終わった話なんだよね」
「俺的には全然NOWな話なんですけど」
 ヒロヤが苦笑いを浮かべた。
「ってかヒロヤお前知ってただろ?ハンド部が活動停止どころかほぼ解散みたいなことになってんの」
「あれ?なんで知ってんの?俺ちょっとサプライズにしようとしてたのに」
「笹岡に聞いた」
 平助は無愛想に答えた。
「マジで?だったらもう全部知ってんじゃねぇの?聞く意味なくね?」
 ヒロヤはグラスに氷を大量に入れたコーラを持ってくるとストローをさして飲み始めた。
「話し合ったってのは聞いたけど、経緯はよく知らない。そもそもなんでこうなったんだよ?」
 ヒロヤはグラス半分までコーラを飲み干すと、そこでストローから口をはなした。
「平助が学校休んだ日にさぁ、部活で笹岡がまたキレたわけ。なんか前にあいつの授業で小テストやったじゃん?あれの結果が俺ら悪かったみたいでさ。いきなり部活始まる前に説教しだして結局練習を中止にしたわけよ。んで明日反省したなら言いに来いって」
「それで?いつもみたいに謝りにいったの?」
 ヒロヤが顔の前で手をひらひらと振った。
「それが違ったんだよねぇ。いつもだったらみんなそうしてたけど、ついに我慢の限界がきちゃったんだよ」
 平助は息を呑んだ。
「あいつの横暴には前から平助もイラついてただろ?みんなその日の帰りにここで話し合ったんだよ。いちいちこんなので練習は中止にするわ、それで試合で負けたらさらにキレるわで無茶苦茶じゃん? みんなもうあいつにうんざりだったからさ、抗議したんだよ」
「マジかよ…」
 確かに平助も笹岡の部活体制にはうんざりしていた。文武両道は学生にとってはもっともかもしれなかったが、さすがに点数や授業態度で部活に影響を及ぼすのは筋違いだと思っていた。しかも笹岡は常にハンド部に連帯責任を押し付ける。
2年生だけが失敗をしたとしても、いつも彼は部全体に対して処罰を与えていた。
そういった笹岡の行為には他の部活の生徒からも非難の声が出ていたのは事実だった。
 ヒロヤは残ったコーラをすすりながら続けた。
「あいつもさすがに抗議されるとは思ってなかったようでさ、めっちゃ驚いてんの。みんなで数学科に押し掛けたんだよね。そしたら会議室に行けって言われて、そこで話し合ったわけ。『先生がそのような考えを改めないなら僕たち反省できません』って部長が笹岡に言って、そしたらあいつが『じゃあハンド部は解散だ』って答えたわけよ。まぁ、それで俺たちもわかりましたって感じで話し合いはおしまい」
「みんな同じ意見だったのか?」
「2年はほとんど同意見だったなぁ。あぁ、なんか一年の何人かは続けたいっぽいこと言ってたけど、結局2年の意見に同意したかな」
 それはそうだろう、と平助は思った。自分でもそんな状況になったら先輩の意見に従ってしまう。上級生の総意に反対できるほど気が強い後輩はハンド部にはいやしない。
「なるほど。それであの張り紙か」
「そ。次の日にいきなり張り出されていたんだよ。ちょっとビビったけど、なんかホッとしたんだよね」
「ふーん…」
 言って、平助は目線をヒロヤからグラスへと落とした。
 なぜだろう。先ほどから平助は、自分の胸中が穏やかではないと感じていた。
何か変な気持ちだった。驚きとも悲しみともつかないような。もやもやしたものが心の中にあるような。
 だがだいたい事情は呑み込めた。平助にとっては少々予想外な展開だったが、自分が休んでいる間に起きた事の顛末は理解できた。
「つうかさぁ。お前らなんで俺に連絡しなかったんだよ。おかげで俺おいてけぼりじゃん」
 ヒロヤが少し表情を曇らせた。
「いや、だってお前風邪で休んでたじゃん。結構ひどかったって聞いてたし。それに部員の誰かが電話かメールなりしたけど連絡なかったって言ってたぞ?」
「え?マジ?」
 初耳だった。思わず平助は身を乗り出した。
「誰だっけか…。話し合いの後に連絡したみたいなこと言ってたぜ?」
 話し合いの後。だとするとそれは二日前になる。自分が一番熱で苦しんでいた時だ。
そしてそこで平助ははたと気づいた。ポケットから携帯を取り出すと、着信履歴の画面を表示させた。確かにそこには二日前の夕方に着信があったことが表示されていた。
「ほんとだ…」
「だろ?まぁ、みんなも風邪だし、しかたないだろって思ってその後連絡しなかったんだけどね」
 平助はパタンと携帯を閉じるとポケットにしまいこんだ。
 熱で朦朧としていたせいで、その時は着信に気づいたが、すぐに寝たから忘れてしまっていた。完全に自分の落ち度だった。
「でも次の日にもう一回連絡くれても良かっただろうが」
「それはみんな忘れてたんだな、きっと」
 ヒロヤが笑顔で返してきた。
「まぁいいや。で、ハンド部はどうすんの?」
 平助は当然の事のように聞いた。現状が活動停止扱いならば、どちらかが歩み寄らない限りは部活動は再開しないだろう。恐らくこの停止期間もそう長くはない。今までのように、また自分たちが顧問に謝りに行けばすむことだ。
「は?どうするって?」
 ヒロヤが意外そうな顔を浮かべた。
 なにか違和感を、平助は感じた。
「いや、だから今は笹岡に抗議してんだから活動停止になってるけど、近々謝りにいくんだろ?」
「何言ってんの、お前? 普通にもう解散だろうがよ」
「えっ?」
 思わず間抜けな声が出てしまった。
「じゃあ……本当にもうハンド部は解散になったのかよ?」
 グラスを弄りながら、ヒロヤがめんどくさそうに答えた。
「そうだよ? っていうかやってらんねぇべ、あんな部活。やってた時はやってた時で楽しかったけどさ、なんか今のほうが心が楽っつうか? みんなも清々したって言ってたぜ」
 平助はそのまま黙りこんだ。予想外だった。今回の部員の行為はハンド部の活動を円滑にするための抗議だと思っていた。時がたち、笹岡の考えを改めさせる、そんな目的があっての顧問への反発だと。
 だがヒロヤの態度や口ぶりからして、本当に嫌気がさして、笹岡から離反したのだ。
 平助の黙っている態度を見て、ヒロヤがこっちを不安げに見てきた。
「ひょっとして、お前まさかハンド部続けるつもりだった?」
 一瞬、平助は考えた後、答える。
「少しだけ、考えてた」
「おいおい勘弁してくれよ。だったら笹岡に反抗なんかしねぇって。それに、みんなもうなんかやる気なくして帰宅部ライフを満喫するつもりだぜ? バイト始めようとしてる奴もいるくらいだしなぁ」
 ヒロヤは手をひらひらと動かしながら、先ほど入れてきたオレンジジュースに口をつける。
 平助はニヤニヤと笑っているヒロヤを見据えた。
ああ、なるほど、と思った。平助はようやくさっきから胸の中で渦巻いていた感情の正体に気づいた。
ヒロヤ、そして部員に対する失望感。それが平助の胸中を占めていたものだった。
自分と他の部員との温度差。まさか、みんながこんなにも部活からあっさりと手を引けるとは。
「あぁ~、だからかぁ…」
 不意に、ヒロヤが小さく呟くのが聞こえた。
「何が?」
 思わず聞き返してしまった。
 平助に見つめ返され、ヒロヤは視線を泳がせた。
「平助、怒んなよ? 『言うな』って言われてるから」
「だからなんだよ」
「あのさ、お前に連絡しなかったのって風邪ひいてたからとか忘れてたとか色々言ったじゃん? あれ実は、抗議する前日にここで部員全員で話し合った時にさ、部長が平助には教えなくていいって言ったんだよね」
「は?」
 何かに頭を殴られたような気分だった。
「平助さ、結構部活では俺らとふざけたり馬鹿やったりしてたけど、なんだかんだで部活に対してすごい真面目じゃん? だから今回みんなはもう部活を解散させるような考えでまとまってたけど、平助は断固それに反対しそうだったから、ややこしくなりそうだし、教えるのは頃合いを見て…っていうことになってたんだよね」
 確かにそうだった。部活では笹岡の横暴にうんざりしていたり、練習でもふざけたりしていたが平助にとってはそれが部活の生活だったのだ。顧問に怒られ練習が中止になったり、試合で理不尽に説教を受けたりと、顧問に対して不平や不満もあったが、それもハンド部という部活の一部だと捉えていた。
だからこそ、今回の話し合いに自分が参加できないことをとても悔しく思っていた。
自分がそこにいたなら、もっとうまく解決させられたんじゃないか、ハンド部をまた続けられるようにできたんじゃないか、そう思っていた。
「黙ってて、ごめん!裏切ったわけじゃないんだけどさ」
 ヒロヤが頭を机につける勢いで下げた。
「いいよいいよ!そんな謝んなよ!もう過ぎた話なんだから!気にしてねぇよ」
 事実、そこまで裏切られたような気分ではなかった。
少し、失望感が大きくなっただけの話だ。もう、ハンド部を続ける意思がないと、聞かされた時点で裏切られたようなものだったのだ。
自分に連絡がこなかったのも、なんだか納得がいった。うすうすそのような感じはしていたのだ。
改めて、自分とみんなとの部活に対する趣きが、違っていたことに気づいた。
 ヒロヤが顔を上げた。
「だから、たぶんもしお前がまたハンド部を続けようとしても今までの奴らは集まらないっぽいんだよね。みんなやる気なくしてるから、一年が少しついてくるぐらいだと思う」
 平助は首を振って、苦笑した。
「続けねぇって。みんな来ないんだったらつまんねぇし、俺だけやる意味ねぇじゃん。とりあえず、俺も帰宅部ライフを、満喫しようかな」
 ヒロヤが破顔した。
「だろ?もっと自由な放課後を楽しもうぜ!遊びまくろうぜ!」
 手を上に突き上げ、ヒロヤが立ち上がった。
 自分もそれにならって笑顔で立ち上がる。
「そうするわ。今日は聞かせてくれてありがとな。おかげで混乱したまま学校生活送らずにすんだw」
「いや、俺も言うの遅かったし」
 二人はそのまま会計へと向かい、それぞれのお金を支払った。
「じゃぁ、帰宅部ライフ、楽しめよぉ」
そう言って手を振りながら足早に、ヒロヤはフェミレスから出て行った。




 平助は一人、駅前のベンチに腰掛け、溜息をついた。
携帯のサブディスプレイを見ると、すでに午後10時をまわっていた。
ヒロヤと別れてからすでに1時間以上ここで座っていたことになる。
何の気なしに、平助はぼんやりと視線を前方に移した。
もう夜遅くだというのに、夏が近いせいか学生らしき若者たちが、駅前にはたくさんいた。
誰もかれもが、今の時間を生きているようで、平助には目に映るすべての人が楽しそうに見えた。
 先ほどのヒロヤとのやり取りを思い出す。
さっきは続けないと言ったが、本心では続けたかった。
それほどまでに平助にとって、学校生活のなかで部活は大きなものだった。
解散と聞いた時の、自分のショックの大きさに、驚きを隠せなかった。
「くっそ…」
 小さく、誰にともなく呟くと、平助は自動販売機で買ったコーヒーを一気に飲み干した。
 笹岡は言っていた。また再開しても良いと。
そうだ。そうなのだ。部活がそんなに大事なら、自分で人数を集めて続ければいい。
だが、自分の中では、どうしてもその一歩が踏み出せない。
もう自分でも、気がついていた。
同じ学年のメンバーが、集まらないと分かった時点で、自分の中では諦めがついていたのを。
本当にハンド部が好きなら、やりたがっていた一年を集めてまたやれるはずなのに、平助は今までのメンバーがいないというだけで、続けるのをやめてしまった。
「なんだよ…俺もあいつらと大して変わんないじゃん…」
 飲み干したコーヒーの缶を路上に投げ捨てると、顔を空に向けて、また溜息をついた。






――こうして、もう夏休みの訪れを感じさせる一学期の後半に、原島平助の日常は一つの変化を迎えた。


 




 
 

     




 今日も、学校の購買で買ったチョコクリームパンは美味しい。
 片桐あいりは、同じく購買で買ったコーヒーをストローで飲むと、思った。
 安置高校では、昼食は弁当制であり、学生個人それぞれが自主的に昼食をとるもので、それ以外では2階に設置された購買で買うしか方法がなかった。
 しかし、この生徒たちからの要望によって随分昔に作られた購買は、非常に品揃えが悪く、申し訳程度にパンが3種類ほど並べられているだけで、挙句にその商品数も十分もすれば棚がすべて空になってしまう程であった。
だから、4限の授業が終わると、弁当を持参しない生徒たちによる昼食争奪戦が、購買で毎日のように行われていた。
 パンを買えた者は、意気揚揚と食事にありつけるのだが、負けてしまった者は、学校外にあるコンビニに走るしかない。
 中には最初から購買のパンなどには目もくれず、コンビニで昼食を調達する生徒も多数いるが、あいりはそうはしなかった。
 コンビニで買うなんて誰でもできる。
 彼女は毎日繰り広げられている争奪戦の中において、常に成果を上げてきた。
自分のお気に入りのチョコクリームパン。彼女はこのパンを、初めて購買を利用したその日から、一度も買い逃したことがない。
しかも、必ず2個。
 別に、購買で売られているメーカーのパンが特別美味しいわけじゃない。
恐らくはコンビニで買った方がより美味しいものを食べられるだろう。
 だがあいりは、あえてコンビニを選ばずに、危険な購買を選ぶ。
それはひとえに、手に入れるまでの競争感、そして、手に入れた時の達成感、さらには優越感が得られるからだ。
彼女にとって、他者を出し抜いて手に入れたパンを食すことは、とてつもなく愉快なことだった。
それが、片桐あいりの学校生活における、一つの矜持なのかもしれない。
 そして今日も、彼女はチョコクリームパンを手にいれ、パックのコーヒー片手に、パンを頬張るという至福の時を過ごしている――わけではなかった。
 
彼女の前で、弁当をかきこみながら嘆いている男がいるせいで。



「ふーん。それは災難だったねぇ」
 チョコクリームパンを、小動物のように頬張ると、あいりはどうでもよさそうに呟いた。
「だろ? マジでひどくないか?」
 パンを頬張るあいりと机を一つにして、平助は向かい合いながら溜息をついた。
「うーん。ひどいと思うよぉ」
 平助は、弁当から口へとおかずを運ぶ箸の動きをピタリと止め、あいりを睨んだ。
「…お前さ。他人事だと思って適当に聞き流してない?」
「うーん。ひどいと思うよぉ」
「やっぱお前適当だろ!!」
 平助は勢いよく手を机に叩きつけた。
 あいりは何の反応も見せず、もくもくとパンを咀嚼している。
「うるせぇなぁ」
 と、平助の横から声が投げられた。
 平助が視線をそちらに向けると、男、冬木浩二が台に仰向けになってベンチプレスのトレーニングをしながらこちらを見ていた。
「人の部室で飯食いながら騒いでんじゃねぇよ」
「いやだってこいつまったく話聞く気ないからさぁ。つうか、お前も昼休みまで筋トレする必要ないだろうがよ、早く飯食えや」
 平助は、机の隅に置いてある弁当箱を指差した。
「ちょっと待て。あと6回」
 そう言って冬木は、スピードを上げながらベンチプレスを6回上下させると、台の上に重りを引っ掛け、上体を起こした。
 冬木はそのまま立ち上がると、机に置いてあった自分の弁当を掴み、台に戻ると腰かけた。
「で、何だっけ? 平ちゃんの部活の話だっけ?」
 冬木が弁当の蓋をあけながら、聞いた。
「そう、その話だよ。あいりが話を聞いてくんないんだよ」
 あいりがムッとして平助を睨んだ。
「あのさぁ、あたしちゃんと話聞いてんですけど?」
「だったらなんかリアクションしろや」
 平助はあいりに箸を向けたが、あいりはそっぽをむいてパンにかぶりついた。
「だって全然あたしには関係ない話じゃん。そんなつまんない話なんかされてみてよ? せっかくの昼食タイムが台無しなんですよねぇ」
「マジ最悪だこいつ」
 平助は溜め息をつくと、弁当のおかずを口に運ぶ作業を再開した。
「でもまぁ、ご愁傷様としか言えねぇわな」
 冬木が苦笑しながら呟いた。
「平ちゃんには悪いけど、他所の部活の事にまで俺らが気にかける必要はないしな」
「ひでぇなお前ら。俺、今結構落ち込んでるんだけど。慰めるとかないの?」
 平助の嘆きに、あいりが「ないよ」と即答し、平助を指差した。
「だいたい、祭りに乗り遅れた平助が悪いんじゃん」
「祭りってお前…」
「ハンド部が揉めたっていう一大事に運悪く風邪で休んでいるという間の悪さ。しかも話に聞くと、平助に内緒にするつもりだったけど、一応義理で、一回は連絡してきたんでしょ? それになんの反応もしなかった平助が悪いんじゃん」
「いや、でも俺そん時寝込んでたし…」
「うっかり寝て忘れてたくせに。運動部なんだから体調管理くらいちゃんとしときなよねぇ。そこにいるマッスル君を見習ってさ」
「俺かよ」
 冬木が顔をあげた。
「確かにタイミングが悪かったってのはあるよな。3日ぶりに学校きて部活が解散してたら俺でもビビるよ」
「だろう?」
 平助が箸を冬木に向けた。
「私はどっちかって言うと、平助が部活にそこまで執着してることに驚きなんだけどね」
「うるせぇよ」
 それは平助自身でも驚きだった。
昨日、3日ぶりに登校し、張り紙を見た時や笹岡とヒロヤに聞いた時、自分は随分と動揺したのを覚えている。
実際に、自分の日常の一部が消えてしまうことに、ここまで狼狽するなんて予想外だった。
 ヒロヤと別れて、帰宅した後も、もやもやしたような気持ちがずっと胸から離れなかった。
 だから、二人に部活の愚痴なんてものをこぼしてしまったのかもしれない。
「帰宅部のお前にはわからないかもしれないけど、部活だってそれなりに愛着がわくんだぜ」
「ふーん。そんなもんなのかな」
 あいりは全く興味が無いかのように、軽く首を傾げた。
「っていうか、そんな過去の話なんかおいといてさ、これから平助どうするの?」
 平助はそこで押し黙ってしまった。
そう、自分はもうハンド部員ではなく、帰宅部なのだ。
放課後には常にやるべきことがあったのが、今では白紙だ。
「わっかんねぇ」
 平助は苦々しげにつぶやいた。
そして、頭を抱えて立ち上がった。
「俺、本当に暇人になっちまったよ!やることが無いんだよなぁ…」
「だろうな。いきなり部活が無くなりゃあ、戸惑うよな。つうかそんなにやる事無くて暇なら、平ちゃん、ウチの部活来るか? 平ちゃんなら大歓迎だぜ」
 冬木が屈託のない笑顔で平助を見た。
この冬木という男は良く笑う。なんの意図も意味もなく、自然と笑顔を浮かべるのだ。その爽やかな笑顔や大柄な体と、面倒見のよい性格が相まって、学年の生徒たちの彼への評価は高い。
 彼の在籍しているこの陸上部は少し変わった体制をとっている。
長距離、短距離のような走る部門と、幅跳びや高跳びといったジャンプ部門、槍投げ、砲丸投げのような投擲(とうてき)部門の3つに分かれ、それぞれが独立している。
 陸上部という大きな囲いの中で三つのグループが独立しているので、どれか一つが消えてしまっても陸上部には差支えがないのである。
 実際、平助たちの学年が入学した時、平助や冬木たちが仮入部に行ったら他の二つの部門が人気だったのにも関わらず、投擲部門には誰一人、一年生はおらず、それどころか三年生が一人で、二年生に至っては誰もいない状況だった。
 今年に一年生が投擲部門に入らなければ、消滅すると聞かされた冬木はほっとけなくなったらしく、すぐさま入部を決意した。
 うるさい先輩が一人しかいない、という点も魅力的だったかもしれないが、それ以上に、彼は投擲を消させたくなかったという思いがあった。
 その後、彼は投擲の実力をめきめきと上達させ、大会でも活躍し、何人かの部員を招きいれ、今では投擲部門を他の部門と張り合えるほどに成長させた。
 そんな投擲部門の責任者からのお誘いは平助にとっては意外だった。
「マジで? どういう風の吹きまわしだよ?」
 平助が訝しむように冬木を見た。
 冬木はご飯を口に運びながら、答える。
「お前がそこまで困ってるようだったら是非、と思っただけだよ。平ちゃん運動神経いいからうちの戦力増強にもなるしな。なにより部の雰囲気が面白くなる」
 平助は頭を掻いて、数瞬考えると、答えた。
「そこまで評価してくれんのは嬉しいけど。遠慮しとくよ。今はムキムキになる予定はないんでね。それに、他の部の人たちにも迷惑がかかるだろ?」
「そうか? うちはそんなこと気にするような奴はいないぞ?」
 食事が終わったのか、弁当の蓋を冬木は閉じた。
「俺が気にするんだよ」
 平助は溜息をついた。
「それは残念。わかった。まぁ、暇だったらいつでもうちに来なさい」
 冬木がニッと口の端をつりあげた。
「っていうか私たち毎日投擲の筋トレルームでご飯食べてるのに、いまさら気にするとかあるんだ?」
「だまらっしゃい」
 横から割って入ってきたあいりに、にべもなく平助は返した。
「ところで、真司(しんじ)と滝田は?」
 平助は弁当を片づけながら、辺りを見渡した。現在部屋には、三人しかいない。
いつも平助たちは五人でこの冬木が所属している陸上部の投擲部門が管理するトレーニングルームで昼食をとっている。
 平助は学校生活の昼食の時間は必ず、クラスの違う彼らと過ごしている。
 別にクラスの人間と馬が合わないわけでもつまらないわけでもない。
 クラスで何かあればそちらに参加するし、クラス内でも自分の所属するグループはある。
 ただ、それ以外の時は、自然と冬木やあいりなどと一緒にいる。
 彼らとは一年の時に同じクラスだった。
 入学したときに、平助は彼らと出会い、そして気づけば一緒に行動するグループになった。
 その後、二年生のクラス替えで、平助たちは見事にバラバラとなった。
 だが一年生の時に、一緒に昼食を食べていた習慣のせいか、彼らはクラス替えをした今でもトレーニングルームに集まって一緒に食べている。
 ベンチプレスの重りを片づけながら冬木が呟いた。
「なんか真司は用事があるって言ってたけど、滝田は知らん」
「どうせ二人ともどっかで遊んでるんだろ。まぁ、もう昼休みも終わるだろうし。部屋出ちゃってもいいんじゃん?」
 平助は弁当箱を脇に抱えると、立ち上がった。
「じゃあ、そうしよっか」
 あいりもそれにならって、空になったパックをゴミ箱に放り込むと、席を立った。
 二人が席を立ったのと、冬木が重りを片づけるのが終わったのと同時に、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。




 平助はその日の午後を今まで通り淡々と過ごした。
 五時間目の社会も、六時間目の数学も、ただ教師が黒板に羅列した文字を書き写し、話を聞き流していた。
 気がつけば、もう帰りのホームルームが始まっていた。
 教卓の前では、担任ではなく、選挙管理委員会という役員になったクラスの女子が2学期の生徒会選挙について説明していた。
 夏休みに未だ入ってすらいないのに、この時期に説明する意味があるのだろうか、とぼんやりと平助は思いながら、適当に説明に耳を傾ける。
 そんな遥か先のことよりまず自分の事だ。
 今の平助は夏休みどころか、今日や明日でさえする事が無い。
 長ったらしかった説明は終ったらしく、女生徒が席に戻ると、すぐに担任の教師は、帰宅の挨拶をすませた。
 その挨拶と同時に、一斉に生徒たちが立ち上がる。
 平助が、鞄を肩にかけて立ち上がろうとした時、ヒロヤが近付いてきた。
「よお、平助。お前さ、今日暇?」
「なんで?」
 見ると、ヒロヤの後ろには何人かクラスの男子がいた。
 ホームルームでは静まっていた教室も、今はすっかり放課後の雰囲気らしく、教室も騒がしい。
 そんな喧噪のなか、男たち数名が、今だ椅子に中腰の姿勢でいる平助を囲んでいる。
「なんでって。せっかくの放課後フリーなんだぜ? 学校生活エンジョイしなきゃ損だろ」 
 ヒロヤが大仰に手を広げた。
「ってなわけで、俺らこれからボーリング行くんだけど。平助も来ないか?」
 ヒロヤが右手の親指を立てながら、「楽しいぜぇ~?」とポーズを決めた。
 平助はそのまま立ち上がる。
「わるい、今日は遠慮しとくわ」
「なんか用事でもあんの?」
 と、ヒロヤの後ろで平助を囲んでいた一人の、栗原が声を上げた。
「いや、別に用事とかじゃないんだけどさ、気分が乗らないんだよ」
「なんだよ。まだハンド部の事気にしてんのか?」
 ヒロヤが複雑な表情を浮かべた。
「違うよ。ぶっちゃけると、ただ単に、金がないんだ」
「金なら俺が貸してやんのに」
 平助は両手を前に突き出した。
「いや、貸し借りは俺嫌いだからさ。というわけで、今度誘ってくれ」
 ヒロヤたちは残念そうな顔を浮かべると、平助から少し離れた。
「わかったよ。平助!次に誘うときまでにちゃんと金用意しとけよ!」
 教室の入口にぞろぞろと移動しながら、先頭にいたヒロヤが指さした。
「わかりましたよ」
 平助はパタパタと手を振ると、自分も教室から出た。
 廊下はすでに放課後の様相を呈していて、とても騒がしかった。
 普段ならば、そんなものなんか一切気にせず、部室棟へと向かっていたが、改めてよく見ると、こんなに騒がしかったのか、と平助は圧倒された。
 行くあてもなく、とりあえず下駄箱まで平助が向かおうとした時、ちょうど隣のクラスのドアが開いた。
 ドアから、隣のクラスである、三組の女子たちがわらわらと出てきた。
 とりあえずと、身を一歩ひいた平助に、声が投げられた。
「あれっ平助じゃん? どしたの部活は…ってあれか、ないんだったっけ?」
 あいりがきょとんとした顔で平助を見ていた。
「ああ、これからもう帰るんだよ」
 平助はぶっきらぼうに言い捨てた。
「もう立派な帰宅部だねぇ」
 そう言って、あいりは「じゃあね」と軽く手を振り、女子たちとの談笑に戻って行った。
 平助はそれを見送ると、一人下駄箱へと向かった。
 
 


     

 


 駐輪場で自分の自転車を出し、平助は正門へ向かいながら、乗りもせず、ただ押していた。
 校庭の横を通っていると、野球部の掛け声が聞こえた。
 ちら、とそちらに視線を移すと、野球部やサッカー部、そして陸上部が練習を始めていた。
 奥の方に目を凝らしてみると、冬木が活き活きとして、走っていた。
 不思議とそれを見ても、昨日と比べて平助は苛立ちを感じなかった。
逆に、感じたのは寂しさだった。自分が学校に置いていかれたかのような気持ちだった。
こうして、毎日授業が終われば何もない放課後が待っている。
ヒロヤはフリー、自由だと言ったが、平助にとってはそれこそが苦痛だった。
そんな、何もしない怠惰な、ただ惰性のまま過ぎていく毎日。
それは地獄だ、と彼は本気で思った。

「よっ!」

 不意に、自転車を押していた平助の肩を、何かが掴んだ。
平助は思わずバランスを崩しかけたが、なんとか持ちこたえた。
 何事かと、勢いよく振り向いた先、片桐あいりがにやにやと、笑みを浮かべながら立っていた。
「油断禁物だよ? 平助くん。それじゃあ元ハンド部の名が泣きますよ」
「うっせぇ。ってか元ハンド部って言うなよ」
 平助は頭を掻きながら、苦笑した。
「じゃあ、帰りますか」
 あいりはそう言うと、自分の鞄を平助の自転車のカゴの中に放り込み、さも当然のように歩きだした。
「は? おい、あいり! 帰るってお前、他の女子は?」
 言いながら、慌ててあいりを追いかける。
 ようやくあいりの横に、平助が並んだ時に、あいりが答えた。
「由佳たちはみんなこの後部活。いつもあたし下駄箱まで一緒で、そこから一人で帰ってるんだよ?」
「へぇ、そうなんだ」
 頷きながら、平助は自分の記憶を思い出す。
確か、あいりとは家の方向が同じだったはず。
だからこそ、今一緒に帰っているのだが、どうしたのだろうか、なぜか平助はそわそわしていた。
彼女とは、昼休みや、他の時間でも会ってはいるが、放課後に一緒にいるのはずいぶん久しぶりだった。
高校に入学したばかりのころは、放課後でもあいりたちと遊んでたりしていたが、部活に入ってからは、ほとんど皆、それぞれの時間を費やしていた。
 だから改めて放課後に一緒にいると、何か、慣れないものがある。それはあいり以外の誰でもそうだろう、と平助は思った。
 正門を出て、二人は大通りに面する歩道を、ゆっくりと歩いていた。
「やっぱさ、冬木の言葉に甘えて陸部に入れてもらったほうが良かったんじゃない?」
「いいって。今さらだしな。俺みたいなのが入ったらあいつに迷惑かかるし」
「平助、ハンド部を復活させる気もないんでしょ? やりたいんならやればいいのに」
 平助は首をゆっくりと横にふった。
「もう諦めもついてるよ。みんなどうせ戻ってこないし、俺だけでやんのって恥ずいしな。それだったらやんねえよ」
 あいりが目を細めた。
「でもさっきの平助、部活している連中をめっちゃ羨ましそうな眼で見てたけどなぁ。後ろから見てて、なんか哀愁漂ってたよ」
「ほっとけ」
 あいりがからかう様に口の端を釣り上げる。
「いや、マジマジ」
「それより、後ろから見てたのかよ!ほんと怖えなお前は」
 しばらく、二人は笑いながら押し問答を繰り広げた。
ちょうど、会話が一段落したころ、ふと、平助は気になることが思い浮かんだ。あいりの顔を見る。
「そういやさ、お前っていつも放課後何やってんの?」
 自分は帰宅部になったが故に、これからの自分に悩んでいる。
あいりもまた、自分と同じ帰宅部だった。それに今、平助は気がついた。
 帰宅部の先達が、どう生活を過ごしているのか聞いてみるのも悪くない。
 あいりはややあってから、顔を向けた。
「あたし? 読書」
「は?」
 一瞬、平助は固まった。
「読書って、本を読むんだよな? え? お前本なんか読んでんの?」
 あいりは微笑を浮かべ頷いた。
「そうだよー。家とか図書館で、主に小説とか詩集とか読むんだけど。あれ? 言ってなかったっけ?」
「それってマジ? お前が? 図書館とか? マジ似合わねぇ!!」
 平助は顔をぶんぶんと大きく揺らした。
「ひょっとして、お前。入学した時に言ってた、『趣味は読書です』ってのもネタじゃなくてマジだったのかよ?」
「そうだけど。っていうか平助失礼じゃない? あたし傷つくんですけど」
 あいりが平助の脇腹あたりを小突いた。
「嘘つけよ」
 笑いながら、平助が返した。
「でもまぁ、なんかすることがあるってのは良いよな。俺なんか絶対本とか読めないし。できて漫画だな」
 と、遠くを見るように、平助は顔を上げた。
 しばらく、遠くの景色を見ながら歩いていたが、あいりの言葉が急に途切れたのを平助は感じた。
 怪訝に思ってあいりを見ると、彼女はまっすぐ、前を見ているだけだった。
「平助さ」
 不意に、あいりが自分を見ずに、視線をまっすぐに据えたまま話し出した。
 さっきとは打って変わって、真剣な声音だった。
「そんなに、学校生活に意義を求める必要があるのかな」
「え?」
 思わず、声が出てしまった。
 あいりは、ゆっくりと顔を動かし、その猫のような大きな瞳で、平助をまっすぐに見据えた。
「なんにも考えずに何もしないで、ただ淡々と学校生活を送っている人なんか腐るほどいると思うけどなぁ。何かしなきゃ何かしなきゃって考えてる人なんて多分あんまいないよ? 別にそれがいけないってわけじゃないけどさ。平助、少し肩の力を抜いてみたら?」
 急にあいりが、真剣に話しだしたので平助は少し、面喰った。
 意図せず、目をそらしてしまった。
「力抜けって、俺そんなに真剣に悩んでるように見えんのか?」
「うん、見えるよ。何かしなきゃって焦ってる感じがする」
 あいりはいまだ、まっすぐにこちらを見ている。
 平助は、言われて、改めて自分の心が晴れていないことに気づかされた。
 観念したように溜息をつくと、平助はあいりを見据えた。
「そうですよ。焦ってますよ。だってそりゃ仕方ないだろ? 部活一筋で生きてたのに、いきなり無くなったんだぜ? すぐに帰宅部生活に順応できるほど器用じゃないんだよ俺は」
 あいりは真剣な表情で平助を見ていたが、顔を綻ばせた。
「まぁ、自主的に何かを見つけるいいチャンスなんじゃない?」
「チャンス?」
 平助は首を傾げた。
「そ。さっきは意義を求める必要があるのかって言ったけど、私が言いたいのは、あんまし急がずに、自分のやりたいことを探せばいいんじゃないのってこと。学校の中や部活みたいに、限られた種類の中で探すんじゃなくて、外で自分が興味や関心を持ったのを、見つけてやれればいいと思うけど」
「チャンスかぁ」
 平助は片手で顎に手をあて、「うーん」と考えるポーズをとった。
 あいりはそれを見て、くすりと笑うと平助の小走りで、平助より前に出た。
そして、振り向くと、笑顔を浮かべた。
「ま、あたしが言えんのはここまでですよ。じゃあ、あたしはこっちだから」
 気がつくと、Y字路に差し掛っていて、あいりはその分かれ道に立っていた。
平助とあいりは家の方向は同じだが、このY字路から別れる。あいりが右で、平助が左といったように。
「とりあえず、悩めよ少年」
 そう言って、あいりは小走りで去って行った。
 その走りさるあいりのうしろ姿を眺めながら、平助は呟いた。
「うーん…チャンスねぇ」
 もう一度、片手を顎に当て、首を傾げた。






「ただいま」
 平助は玄関を開けると、慣れた動作で、靴を足だけで脱ぎ、そのまま廊下にあがった。
リビングまで入ると、平助はバッグをその場に下ろし、ソファーにドカリと倒れこむように腰かけた。
時計を見ると、今だ六時もまわっていなかった。いつもだったら帰りはもっと遅いはずで、夜飯すらハンド部のみんなと済ませていたのが常だった。
 平助は溜め息をつくと、何の気なしに、テレビのリモコンを手に取り、電源をつけた。
 液晶に映し出される映像を、ぼんやりと平助は眺めた。
あいりと一緒に帰ったあの日から、三日が経っていた。
この三日間を平助は平凡に過ごした。なんの変化もなく。
普通に、授業を受けて、クラスではヒロヤたちと過ごし、昼休みはあいり達と昼食をとる。
いつも通りの生活だった。しかし、三日が過ぎた今でも、帰宅部生活には慣れなかった。
 ただダラダラとしているだけでも、時間は過ぎていくことを、平助は知った。
しかし、そうやって過ごした時間に、充実はなく、ただ無駄に時が流れる事が苦痛でしかなかった。
もしかしたら、こうやって無為に過ごしているだけで卒業ができるのかもしれないな、と平助は自嘲気味に笑った。
 と、同時に、玄関から物音が聞こえてきた。
「ただいまぁ」
 声が響いた方へ、平助は顔を向ける。
 声の主がパタパタと手で顔を仰ぎながら、リビングに入ってきた。
「あついあつい~。もう夏だよ~」
 そのままリビングの奥にある台所へ直行し、冷蔵庫から麦茶を取り出した。
「おかえり、姉ちゃん」
 姉、香苗は、平助を見やると、眉をひそめた。
「あれ、平助帰ってたんだ?」
 香苗がグラスに麦茶を注ぎながら、椅子に座る。
 平助の姉、香苗は現在、近くの大学に通っている。
 もう大学生活が二年目を迎えたからか、香苗はここ最近忙しく、この時間帯に帰ってくることは珍しかった。
「なんか最近あんた帰ってくるの早くない? 部活はどうしたの?」
「ハンド部、解散したんだよ」
 ぴたり、と香苗の手が止まった。
「え? 解散って、部活が?」
「そうだよ」
 平助が吐き捨てるように呟いた。
 香苗が訝しむようにこちらを見ていたので、仕方なく平助は今までの経緯を、香苗に説明した。
「へぇ~。高校で部活が解散とか珍しいね。あ、だから帰りが早いのか」
 得心がいったように、香苗が手をポンと叩いた。
「じゃああんた今、暇人じゃん。なんかしないの?」
 香苗が頬杖をつきながら、平助に尋ねる。
「なんかしたいけど、することが無いんだよ」
「友達と遊べばいいじゃん」
「それもなんか、楽しいけどその時だけじゃん? 充実するものっつうかさ」
 香苗が椅子に凭れながら、指さした。
「じゃあ、バイトとか?」
「うち、校則で禁止されてるし。まぁ、やってる奴もいるけど、俺はあんましやりたかないな」
 香苗が両手を上げた。
「じゃあ、お手上げだわ。あとは自分で暇をつぶしな」
「うっせぇな。俺だってわかってるよ」
 平助は起き上がると、鞄を持って二階へと上がった。
 そのまま自室に入り、勢いよくドアを閉めた。
 鞄を放り投げ、ベッドに倒れこむ。
「何かやんねぇとな…」
 ベッドに顔を埋めると、誰にともなく呟いた。
 それから夕食になるまで、平助はそうしていた。



 
 原島家の夕食はいつも遅い。
平助の母親のパートが終わるのが、八時過ぎなので、大抵は九時頃付近になる。
 中学生まではその時間帯に食べることが平助にとっても当たり前だったが、高校に入って、ハンド部に入ってからは帰りが遅くなるのがほとんどで、家で夕食をとることは滅多になかった。
しかし、今は外で夕食を食べる必要もなくなったため、平助もこの時間帯で食べることにしている。
 平助がリビングに下りてくると、すでにテーブルの上に、夕食が並べられていた。
母親と香苗はすでに席についていて、平助もそれにならって椅子にすわった。
「平助、ハンド部解散したんだって?」
 平助が、ご飯を口に運んでいると、母が聞いてきた。
「香苗からさっき聞いたんだけど、だから最近帰りが早かったのね」
 平助は箸を口に含みながら、向かいに座る香苗を睨んだ。
 香苗は気にした様子もなく、涼しい顔をして笑う。
「別に言ったっていいじゃん。母さんあんたの事心配してたんだよ~?」
「はいはい」
 平助は言って、おかずを口に運ぶ。
 しばらく平助は無言で、ひたすらご飯を口に運ぶのに終始した。
 その間は、母と香苗の会話と、テレビの番組の音声がBGMだった。
ややあって、平助が、下を向きながら、ぽつりと呟いた。
「なぁ、姉ちゃん」
「ん?何?」
 香苗が会話を中断し、こっちを向いた。母もこちらを向く。
「やっぱさ、帰宅部になったんだし、なんかやんないと駄目だよな?」
 香苗はしばらく呆れたような顔をしていたが、目線を上に向けて、お茶を啜った。
「いや、人それぞれじゃん? あんたみたいに何か充実してないと落ち着かないような人や、何もしないでのほほんと生きるのを良しとする人もいるし」
「姉ちゃんはどっちなんだよ?」
 香苗はお茶をもう一度啜ると、口の端をゆがめた。
「あたしは断然、前者だね。なんかしてないといやだし、せっかくの学生生活なんだから、好きなことしないとねぇ。社会でたら嫌でも働かされる。だから今、サークルやゼミやバイトで忙しくやってんのよ」
 誇らしげに胸をはった香苗は、視線をテレビに移すと、急に慌てたように何かを探しだした。
「どうしたんだよ?」
 平助と母が怪訝な顔で香苗を見るが、お構いなしに香苗は手を動かしていた。
「リモコン探してんのよ、リモコン!あっ、あった」
 リモコンを手に取ると、香苗は素早くテレビのチャンネルを変えた。
「今日、キムタクのドラマ始まるからさぁ、見逃せないのよね」
 香苗は体の向きをテレビの方へと変えた。
 平助も視線をテレビに向けた。
「ふーん、ほんとだ。キムタク出てんじゃん。ってかこれ何のドラマ?」
「なんか政治のドラマなんだって」
「へぇ」
 平助は気のない返事をあげると、特にすることもなかったので、しばらく香苗や母と、一緒にドラマを見ることにした。

 
「まぁ、なにかやるってのは良い心がけなんじゃん? うちの大学でも授業終わってすぐ帰宅。俺何やってんだろって悩んでる人いたし」
 見始めて、三十分が経過した頃だったか、香苗が唐突に言い出した。
「っていうか、普通こんなカッコイイ人が政治家になろうとするかねぇ?」
 香苗が薄く笑った。
「ギャップとかなんじゃん? 普段やらなそうな人がやると意外性があって面白いとかさ」
 仕方ないので、平助はフォローを入れた。
最初と比べて、明らかに二人のドラマに対する関心が逆転していた。
香苗はもうすでに飽きかけていて、平助のほうがドラマを楽しんでいる状況だった。
 香苗はお茶をゆっくりと啜ると、ちらりと平助を見据えた。
「あたしさっきからこれ見てて思ったんだけどさ。平助、あんた生徒会やったら?」
「はい?」
 テレビを見ながら、平助は、声を上げた。
「それ、どういうこと?」
「だからぁ、あんたがそんなに学校生活を有意義に、かつ充実感あふれるもんにしたいんだったら、生徒会やれば?って言ったんだよ」
 平助は眼をパチクリさせた。まだ理解が追い付かない。
「で、でも生徒会って選挙じゃないとなれないだろ?」
「だぁかぁらぁ、選挙出ればいいんじゃん」
 さも当然のように、香苗は平助を指差した。
「いや、いやいや、俺の柄じゃないだろ」
 平助は焦ったように首をふった。
「確かに、あんたみたいな奴、生徒会っぽくないけど。ほら、さっき言ってたように、ギャップってやつ?」
 香苗が、からかいめいた表情を浮かべた。
「やるだけやってみればぁ? いい暇つぶしになるかもしれないし。何事も行動だよ、弟よ」
 そして、香苗がテレビを指差した。
 思わず平助もテレビに視線が集中した。
劇中ではちょうど、キムタクが街頭演説で何か良さそうな言葉を熱弁しているところで、まさにクライマックスのシーンだった。
おおよそ、そんなことをしないであろう人が、政治家になる。
自分も、今までだったら決してやらないようなことに、手を出せるんじゃないだろうか。そう、何かを探している今なら。

――自主的に何かを見つけるいいチャンスなんじゃない?

ふと、ある日の放課後に、あいりに言われた言葉が、頭をよぎった。
「これなら…」
 決して、これが一番自分がやりたいもの、というわけではない。
 ドラマを見て、姉に乗せられた、今一時だけの感情かもしれない。すぐに熱が冷めてしまうかもしれない。
「でも」
 自然と口から独り言のように言葉が漏れてきた。
 いま平助の胸中は、久し振りにわくわくしてきて、高揚している。
 何か、とても楽しそうなものを見つけたように。
 自然と口元が緩んできたのがわかる。
「どうしたの?何か気持ち悪いんだけど」
 香苗が怪訝な顔で平助を見ている。
もう、自分には、ハンド部を作る気もなく、他の部活に入る気もない。
かといって、外で何か自分の今の生活を、有意義にいてくれるようなものを探せるほど、平助は器用じゃない。
「選挙か…」
 改めて気付かされた。見落としていた存在。
 あるじゃないか、部活のようなものが。
 生徒会という、おおよそ自分が関わらないであろう、部活が。
「ねぇちゃん、アリガト!」
 平助は香苗にの肩を叩くと、携帯をポケットから取り出した。
 確かに、勢いで今、行動している。この感情が、いつまで持つかもわからない。
でも、この決断が、今の生活を、盛り上げてくれると平助は直感で、思った。
 目当ての、人間を、メモリから探し出し、プッシュする。
 呼び出し音を聞きながら、平助は、テレビに視線を移した。




 ちょうど、キムタクが観衆から拍手喝采を受けていて、満面の笑顔を浮かべていた。

       

表紙

腰ぬけネズミ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha