Neetel Inside 文芸新都
表紙

落下
ラジオ

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『今日も暑いよね。俺も今部屋だけど汗が止まらない。扇風機しかないのが痛い。誰かエアコン部屋につけてくれないかなー』
 誰か屋上にエアコンをつけてくれないだろうか。
 持ち運びできる小型のラジオを聴きながら、扇風機以下の団扇を仰ぎながらそう思った。
 僕は今、誰がもってきたのか分からないビーチチェアで悠々と寝転がっていた。プールサイドにでもあれば優雅に思えるものだが、がらんどうとした中にあるこの椅子は少々浮いて見える。何個か置かれているものの僕以外の利用者はいないようだった。少し離れたところでは何人かの生徒がここからの景色を見ながら談笑をしているようだった。
 上杉直人と植田智子の自殺の翌日。僕の想像以上に早く学校は平静を取り戻そうとしていた。目覚めた僕が目にしたのはまるで昨日と変わらないいつもの朝だった。中にはまだ胸に重くしこりを残している人もいるようだったが、大半は何事もなかったという風な顔をしている。
 僕は陽射しを嫌い目を背けるように椅子の上で横向きに姿勢を変えた。どこで鳴いているのか蝉達も昨日と変わらず騒がしい。
 まるで生きる事を主張するにはそうするしか手段がないというようだ。僕達も。蝉も。
『今パソコンのネットでも同時に放送しているんだけど、接続数百突破しました。ありがとう! ラジオだけの人もよかったらパソコンの方見てみてね、こっちでは書き込みとかも出来るから。URLは――』
 ふとした表紙に目を閉じると、あの放送室の中で視線を交わした植田智子の顔が浮かんでくる。こんな事になるなら放送室に駆け込むべきではなかったなんて思うが、あの時に戻ってもやっぱり自分は走らずにはいられなかっただろう。
 僕の方へと転々とバレーボールが転がってきた。女子生徒がこちらへと駆け寄ってきているのを見て、僕は上半身を起こしそれを拾うと、山なりに彼女に向かってボールを投げた。あまり運動神経がよろしくないのか彼女は充分にゆっくりと投げたそれをキャッチする事が出来ず、元来た道を戻るように駆け出そうとしたが、僕の方へと一度振り返って「ありがとう」と頭を下げていた。軽く手を振って応え、その向こうへと目をやると数人の女子が「いくよー」と手を上げていた。きゃあきゃあとスカートのまま右往左往する彼女たちを見ていると、
「へーああいう大人しそうな子がいいんだ」
 と遥がいつの間にか僕の後ろでそう呟いた。
 僕は唐突の出現に驚いて椅子からずり落ちそうになる。
「そこまで驚く?」
「いきなり声かけられたら誰だって驚くわ」
「そりゃ鼻の下伸ばしてるとこ見られたらねー」
「伸ばしてねぇよ。でなんか用か?」
 昨日の借りを返す事に満足でもしたのか鼻で笑われた。
 そのままがら空きのビーチチェアの一つに彼女も腰を下ろす。
「なんか昼から皆で出かけるんだって。公園に行くって言ってたよ」
「また急な話だな」
「あんたが朝からさっさと出て行っていっちゃうからでしょ。皆どこ行ったって行ってたわよ。私もこうやって探すの手伝わされるし」
 そういう彼女に短く返事をすると僕は、背中を向けて再び寝転がる。昨日遥と一緒に教室に戻ってから、唐突の訪問者である彼女を輪に入れようと、深夜まで皆に話などして付き合わせたのだが、そこには自分が寝られそうにないというのもあった。それは朝目覚めても尚続き、倦怠感から抜け出せず、それを見られたくないのでこうやって屋上に逃げ出してきたのだった。
「こき使われるなんて、打ち解けられて良かったじゃないか」
「ま、ぼちぼちね。アンタが昨日無理やり話させたし」
「無理やりじゃなくて気を遣ってやったんだろ」
 そういう僕の背中に彼女がつま先を押し付けてくる。まったく意地っ張りもここまで来ると賞賛したくなるというものだ。彼女ほど図太ければ僕も少しは悲しい出来事を無理やりにでも捻じ曲げて、マイナスを上手くプラスに変えることも容易い事かもしれない。
「お前昨日なに食った?」
「マック」
「一昨日は?」
「モス」
「……カルシウム取れよ」
「うっさいわね」
 体を引っ張られ無理やり起こされる。いつでも付けているらしい香水の甘ったるいのが更に強く匂う。
 立ち上がった僕を見てさっさと歩き出す、相変わらずきわどいミニスカートを見ながら僕はその後を追った。多分、その細くてすらりとした他人を魅了するための太ももは寝るとき以外、死ぬまで露出を続けるのだろう。
 僕達はドアをくぐり教室へと戻るため、階段を二階へと下りて廊下へと出ようとする。だがそこで彼女が「やば」と言って立ち止まり、壁にこそこそとその身を隠した。
「どうした?」
「やばいなぁ」
 そう言ってこっちを見る事もせず物陰から教室を見る彼女を意味が分からなかったが、同じように僕も首だけ出して教室を見ると、彼女が隠れる理由がすぐに分かった。教室の入り口あたりに陣取っている数人。その中でも一際派手ななにを考えればそんな色にしようと思うのか僕には到底分かりかねる銀髪の男を見て、僕も「やばいな」と彼女に同意をした。
「……どうしよう」
「どう見てもお前に用だろ」
 首を引っ込め、困ったようにそう言ってくるが名案などそんなすぐに出てくる訳もない。集団のせいなのか二階全体が妙な緊張感を持って静けさに包まれているため、僕達も小声で囁きあった。気付かれないように僕だけもう一度顔を出す。六人いるようだが、その中でも銀髪の男、先月他校の生徒に重傷を負わせ、退学になる予定だった仙道悟の姿は一際目立っていた。
 昨日音楽室を飛び出した遥の様子を見に来たのか、もしくは連れ戻しに来たのだろうか。三階にある音楽室はそこにたむろしている連中のおかげか、エアスポットのように人は近づく事をしないでいる。三年生達は扱いに手を焼いているようだが、さすがに不良の集まりといっても全員に立ち回る気はないようで、今までのところは何事も起こってはいなかった。
(まぁ、仙道のお気に入りらしいしな)
 と内心で愚痴るのと同時に、ポケットに入れられていた携帯電話がやかましく鳴り響いた。叫びそうになるのをなんとかこらえ、すばやく取り出す。ディスプレイには晶の名前が表示されていて、僕は再び叫びだしたくなるがもう手遅れだった。音に気がついた一人がこちらへとやってくる足音を壁越しに聞く。僕は遥に階下を無言で指差した。彼女は素早く察知すると振り返る事無く駆け出していた。
 姿が見えなくなるのと同時に、僕も何事もなかった顔をして廊下へと出る。彼らの視線が一様にこちらへと向けられていた。僕は向かってきていた一人とすれ違おうとしたが、予想通り呼び止められる。
「お前一人?」
 全く知らない、と言うわけではない彼に「そうだけど」と言うと、僕は彼らへと歩み寄る。
「あぁ、柳だ」
「お前らなにやってんだ」
 仙道がニヤニヤと笑っている。彼は、笑うかキレているかどちらかしかしない。とは言え、その二つは相反する訳ではなく笑いながらもキレている事もある。
「遥見なかった? 今探してる」
「しらねー」
「嘘ついてると後で困る」
「なにがだよ」
 僕の疑問に仙道は返事をせず、指を刺した。教室の方へと向けられているそれを追いかける。窓の向こう。智史が教室の隅でうずくまっていた。その乱れた服と、介抱しながら泣きそうな顔をしている真尋を見る。智史と目が合うと立ち上がろうとしたが、その腫れた頬を見て手で制した。
「……お前、そこまでするか」
「俺じゃない。他の奴」
 仙道はいつもの不器用な子供のような、巻き舌のような喋り方でそう答えた。
「変わんねーよ、バカ」
「だってあいつ教えてくれないし、余計な事言うし」
 ギシ、っと歯軋りが鳴った。錆びた歯車がようやく回りだしたような不快な音と共に、一度動くとそれは加速を始める。
「余計なのはお前らだろ」
 僕は仙道に寸前まで近寄って対峙した。似たような背丈でそのまま睨みあうが、仙道は変わらずニヤニヤとしている。
「女一人連れ戻すのに五人も連れてきてんじゃねーよ。アホじゃねーの」
「だって楽しそうだし」
「遥はお前らといて楽しくねーから出たんだよ。一々それを連れ戻そうとかガキみてーなことしてんじゃねーよ」
「ふーん。柳も大川と一緒で説教か。さっきもそれ言われた」
 すっとぼけたその返答に、とりまきが笑いを挙げる。教室にいる面々は怯えたように固唾を呑んでいた。
「うーん、まぁいいや。帰る」
 唐突にそう言うと「帰ろう帰ろう」と回りに告げ、
「遥に悟が話したいって伝えておいてね」
 と僕の肩をポンポンと叩き僕の脇を通り過ぎようとした。他の連中も既に仙道の言うがまま階段の方へと歩き出している。
「おい」僕がそう呼び止めると「んん?」と仙道が手を置いたまま首を大きく傾げた。
「誰だよ。智史を殴った奴は」
「あー、大川ね。えっとね、あいつと、あいつ」
 今にも抱きしめられそうなくらい僕にもたれかかりながら、指差す。確認して僕は「お前、もうここ来んなよ」と言いながら体を押しのけた。悟はニヤニヤと「はーいはいはい」と面白そうな顔をしている。これ以上相手をするのは無意味だと、僕は背中を向けた。
 二人の背中に僕はヅカヅカと近寄った。気付いているのか気付いていないのかこちらを見ようともしない。
「おい」
 右側にいる男の肩に左手を置いた。こちらを面倒くさそうに振り向く。僕はそれに言葉ではなく右手を顔面へと打ち込む。不意の事で対応できなかったのか呆気なくふらついたところに、腹へと蹴りを入れた。廊下に転がるそれを尻目に僕はもう一人へと素早く肘打ちを入れる。そのまま襟首の辺りを掴み、もう片方の手で顔を掴むと壁へと勢いをつけ押し倒すように後頭部をぶち当てた。短い悲鳴と共に頭を抑えながらうずくまる。
「あはははー。ダサい。かっこ悪い。そんな簡単にやられて」
 仲間がやられたと言うのになぜか嬉しそうに悟がはしゃいで手を叩いた。残りの連中が僕に飛びかかろうとしていたが、それを見て動きを止める。
 悟は倒れた二人の傍でしゃがみこむと「痛い? 痛い?」と顔を覗き込んでいた。
「柳はー」こちらを見る。「相変わらず無茶するよね」
「お前が言うか」
「俺、お前の事好き」
「俺はお前の事嫌いだ」
「あはははー」
 なぜかそう笑いながら、悟は寝転がっている男の脇腹辺りを殴っていた。あっさりやられた事に不満でも感じた故の行動なのだろうか。その度に本気で痛いらしく言葉にならない、吐息のような嗚咽が鳴る。
「これでお互い様。じゃあね」
 他の生徒に倒れた生徒を抱えさせ、自分はふらふらと風にでも押されているのだろうかと思える怪しい足つきで彼らは廊下から姿を消し、三階へと上がっていった。仙道に殴られ続けていた男は、どちらかと言えばそちらの方が痛みは酷いらしく、肩を借りても歩くだけでも重労働のようだった。
 僕はまだ殴った感触が残っている右手を二、三度握っては開いてを繰り返して、軽く振ると、遥に「もう帰ったぞ」とメールを打ち終えてから、深い溜め息を吐いた。もう一度屋上で寝転がりたくなる欲求に駆られる。ここ最近の立て続けに起こる事象にやられ、肩がやけに重くなった気がした。

     

『今日ダチの家にでも行くから。皆には適当に言っておいて』
『公園どうすんだよ?』
『私いない方がいいっしょ』
 遥のそのはっきりとした拒絶のメールに、僕がどう返信しようか悩んでいる一方で、小川が「あいつら俺がいない間にふざけやがって!」と罵りの声をあげていた。
 クラスメイトのなだめる声を聞きながら僕は智史に「大丈夫か?」と聞く。まだ痛みがあるようだったが気丈にも「大した事ないよ」と苦笑を返してきた。真尋は「……無茶しないでよ」と濡らしてきたハンカチを彼の頬に押し当てている。紅と蒼の二人も心配そうな面持ちを浮かべていた。
「今から音楽室にお礼参りしてくる!」
 と一人舞い上がっている小川を僕は無視してディスプレイを見る。
『今、来ないと余計居辛くなるだろ』
 その内容にしばし返事が途切れる。
 僕は椅子に座ったまま投げ出された足をプラプラと泳がせながら、窓から運動場を見下ろしていた。相変わらず晴れ間が広がっているが今日は誰も使っていないようで静かなものだった。設置されているゴールポストのすぐ傍にサッカーボールが寂しそうに転がっていた。
「柳! お前もこのままやられっぱなしでいいのか!?」
「うるせーなー。これ以上面倒増やしてどうすんだよ」
「どうせこのままほっといたらまた来るだろ!?」
 そう僕に迫ってくる小川の言い分は最もだった。仙道が僕の言う事を素直に聞き入れてくれるなんて到底思えない。とは言え下手に僕達から突っかかればそれは余計に彼らに動機を与えてしまう事にもなる。
「とりあえずしばらく放っとけよ」
「お前、長瀬の事心配じゃないのか?」
「そういうつもりじゃないって!」
 熱くなりすぎている小川との話はいつまでも平行線で終わりそうになかった。見かねた紅と蒼が「もうやめようよー」と間に入り宥めようとする。僕達はさすがに小動物のような彼女らにまで強く言う事を憚れ、うやむやなものの小川は「なんだよ」と毒づきながらも床にドカリと座り込んだ。
「遥ちゃんも急だったからしょうがないよね、ね、康弘」
「もうちょっと時間経ったら落ち着くよね?」
「あぁ、多分な」
「康弘そこは嘘でも大丈夫って言ってよね」
 ぷぅ、と頬を膨らませた紅に「大丈夫大丈夫」と微笑み返すと同時に遥からメールがようやく返ってきた。
『それでいれなくなるならしょうがないっしょ』
 なに言ってんだよ。僕は紅の頭を撫でながら「しょうがねーなー」とその言葉に意味の分かっていない二人が首を傾げる。
 お前の事皆心配してんだぞ。小川もお前の事思ってあんなに熱くなってんだぞ。
 とは言えメールでそれを上手く伝える自信は僕には到底なかった。
『じゃあ今日はいいけど、絶対また顔出せよ』
『はーい』
 携帯を閉じてポケットにしまう。
 小川が大人しくなった事で、教室全体も穏やかさを取り戻したようだ。
「まぁ、ちょっと気が削がれたけど、行こうか」
 智史が率先してそう言う。僕も「よし、いくか」と同意し、椅子から飛び上がる。
「ちょっと、まだ麻奈が帰ってきてないんだけど」
 と真尋がそう慌てて引き止める。
 そう言えばそうだった、と僕が思うのと同時に教室に麻奈が姿を現した。
「康弘くん、見つけられ……あれ? 戻ってたの?」
 そうきょとんとした顔を浮かべる、しかし今まで探していたとは、一体どこまで探しに行ってたんだろうか。
「あの……なにかあった?」
 騒ぎがあった事などなにも分かっていない麻奈のその様子に皆が噴出す。
 困惑している彼女に「そんなに苦労して探すより一回電話すればよかったのに」と僕が言うと「あ、そうだよね」としきりに照れた様子で答えた。
「麻奈ちゃん、康弘の事必死に探してたからしょうがないよねー!」
「ねー!」
 そしてそう叫ぶ無邪気すぎる二人の頭をはたいた。


『天罰だよ。隕石が落ちてくるのは、天罰だ』
 電車でやってきた公園は市街地の中にある。僕の家の傍にある小さな公園とは違い、広大なここは忘れてしまいそうな緑の匂いを思い出させてくれるからか、以前から人の姿が多い場所で、今もそこここに人影が見られた。向こうにある綺麗に整えられた芝生の上でバトミントンやキャッチボールから鬼ごっこなどをしている皆から離れ、僕と智史は休憩を兼ねて座り込んでいたベンチ。その隣に並べて置かれてあるベンチからそのラジオが聞こえてきた。聞いていたのはホームレスに見える老人で、膝の上に置かれ両手で抱えているラジオをじっと聞き入っている。
『今更悔やんでも遅い。僕達は罪を犯しすぎたんだよ。神様ももう呆れてしまったんだろう』
 座る場所を間違えたな、とやや悔いた。
 嫌な事を忘れようとやってきたのに、そんな――彼がどう思ってるかはさておき僕にとっては――小言をラジオ越しに一方的に述べられるのはあまり気分がいいものではない。聞くのをやめようと頭を切り替えようと僕はしたが、一方で智史はそのラジオに耳を傾けているようだった。
「公園って中より外の方が騒がしいんだな。車とか通らなくなると静かだよな、ここ」
 残り三週間程になる。
 皆それぞれ最後の居場所を決めたのか、車の往来は殆どなくなっていた。時折道がすいているのをいい事に法定速度を超過して飛ばしている輩くらいで、それが過ぎ去れば後は静かなものだった。
 植えられている観葉植物の隙間からずんぐり太った猫がノロノロと姿を見せた。僕達のほうをチラリと見るが、いい事も悪い事もなさげだと判断したのかさっさと目を逸らし公園の柵の間を窮屈そうに潜り抜け道路へと飛び出していった。
「……でもあんまり静か過ぎるのも寂しいよな」
 智史がポツリと漏らした。
「まぁ、そうだな」
「なぁ、前にさ、CDの話しただろ。歌詞がどうだって」
「嫌な事忘れて盛り上がろう?」
「そうそう」
 頷きながら智史が煙草を口に咥えた。もう一本取り出し僕にくれると火をつけてもらう。
 二人で同時に煙を吐き出した。
 智史は風情よりも効率を重視する。白煙が消えるのを見守る糸間もなく続ける。
「今ならその気持ち少しは分かるな。悲観的な現実しかないからって、悲観的な事しか言えなくなるのって、凄く悲しい事なんだなって最近思うよ」
『救いなんてないんだ』
 智史の言葉にまるで答えるかのようなラジオ。姿の見えない彼も、姿の見えない誰かと会話をしたいのかもしれない。
「無駄でもなにかやらなきゃって思うんだ。ヤケクソじゃなくて、こういう時だからこそ出来る事とか、しなくちゃいけない事があると思うんだよ。そう思うとあの歌も必要だったのかも」
「カラオケで盛り上がるとかな」
「お前は盛り上がれるんだろうな」
「お気楽ですから」
「ばーか」と笑われ、まだ痛みがあるらしい頬に響いたのか抑えながら、僕の肩を肘でつついた。
「俺もちょっと思ってさ」
 影の位置がずれ、ベンチに日が差すようになると老人が場所を変えようとしたのか立ち上がった。引きずるようなその足取りを僕達は小さくなっていくラジオの音声と共に見送る。
『死んでも死んでも死んでも死んでも罪は許されない。輪廻では償いきれない代償を今払う時が来たんだ』
「ああいう言葉を求めてる人もいるんだよな、って。俺はなにを言ってるんだろうと思うけど」
 死んでも死んでも。死。
 死について尋ねた小笠原の事をふと思い出す。彼女はどう思っているのだろう。死ぬ事で得られるなにかがあると思っているのだろうか。それは彼女にとって甘美なものなのだろうか? 生きるよりも。それとも死の恐怖を知り、生きる事の美徳を再確認したかったのだろうか。
「皆、一人で沈黙してるよりは誰かと話したがってるって?」
「そう。一人で生きる事はなんとか出来ても、一人で死ぬのは辛い」
「で、お前は振られた」
「うるさい!」
「おーい!」
 遠くから晶が叫びながらこちらへと走ってきた。智史の隣に「なにやってんだよ?」と腰掛ける。智史は彼にも煙草を渡すと「だから俺決めたんだ」と意を決したように言った。話の流れが全く分かっていない晶が「なにを?」と首を傾げる。
「俺もラジオやってみようと思うんだ。だから晶お前も手伝ってくれ」
「は?」
 晶の戸惑いを僕達は無視する。
「だから、俺達でラジオしようって事だよ」
「いいんじゃね? お前がやりたいんなら。機材とかもなにがいるのかとか調べたらすぐに分かるだろ」
「隣のクラスに青柳って言う無線に詳しい奴がいるらしいんだ。そいつにちょっと話してみるかな」
「あいつって単なるミリタリーマニアだった気がするけど、まぁ、俺よりは詳しいか」
「ちょ、ちょっと待て!」
 晶がようやく息を吹き返したかのように口を挟む。
「ラジオってなんだよ、いきなり!?」
「ラジオで智史が、智史の言葉を聞きたい奴らのために喋り倒すんだよ。一人しかいないかもしれないけどな」
「二人くらいいてくれたら嬉しいけどな」
「それは贅沢じゃないか?」
「だからちょっと待て!」
「なんだよ」
 口ごもった。「いや、まぁ、ラジオするのはいいんだけどさ、全然。とりあえず分かるように説明してくれよ」と僕達に懇願するようにそう言った。
 誰だって話を聞いてもらえないのは寂しい。自分に理解出来ない話ばかりなのは切ない。


「要するに、智史がラジオをすると。で内容はまだ決めてないと」
「そういう事」
「歌とかいいんじゃね?」
「CD流すの?」
「いや、お前が歌う」
 晶のその発案に僕達は笑った。智史はなに言ってんだ。と言う風に。
 そして僕は「それいいな、そうしよう」と言った。
「なに言ってんだよ。無理無理」
「いや、いいじゃん。お前歌うの好きじゃん。少し話して最後に歌うとか最高じゃん」
「そうだよ。名前は大川智史と愉快な仲間達でいいじゃん」
「ふーん。じゃあ愉快な仲間達の一人は晶お前だな」
「ええ!?」
 がっしりと肩を組まれて晶は絶叫した。
「いやいや。俺歌とか無理無理」
「楽器やればいい。心配するな。下手でも誰も気にしない」
「無茶言え!」
「あー確かドラムとベース出来る奴いたわ。じゃあ晶ギターやれ。ギター」
「そう言うならじゃあ康弘も何かしろよ!!」
「俺は裏方でいいよ」
 ピシャリと僕は拒否の意思を示す。自分に音楽的なセンスがあまりない事は今更言う事でもない。
 それでも僕に対し「きたねー!!」とヘッドロックされたままのたまっている晶を無視して僕は智史に笑いかけた。
「いや、でも歌うのはいいんじゃない? 喋るだけより聞いてくれる奴いるかもよ」
「……そうか? まぁ、別にいいんだけど……歌う意味あるのか?」
「CDを聞いて癒されるんだから、そう言う事だろ。原稿用紙十枚分の言葉より、なにか伝わるかもよ」
「……そっか。じゃあ、晶ギターな。コーラスもやるか?」
「だから無茶だって!!」
「またまた。前ギターいいなぁって言ってたじゃないか。晶君」
「あれは、その内弾けるようになったらって話で」
「じゃあ、今弾けるようになれ」
 煙草の煙を吐き出す。
 正義感の強い智史。
 ラジオをしても聴いても寂しい人達。
 それに智史がなにを出来るだろう? 果たしてそれは自己満足以上の結果があるだろうか。僕なら自己満足でも一応の納得を得る事が出来る。だけど智史はそれだけでは足りないというかもしれない。
 確認する手段はないだろう。むしろなんの意味もなかったと落胆するかもしれないだろう。
 だけど全ては、なにもしないよりはマシだ。
「とりあえずギターの練習からだな。俺レスポールの方が好きだから晶そうしてくれよ」
「意味分からん!!」
「楽器屋に行けば幾らでもあるだろ。あと教本もあるだろうしなんとかなるって」
「そんなうまくいくかあああ!!」
 静かな公園に晶の絶叫が響き渡った。

     

「アンタら本当バカだよね」
「俺関係ねーよ」
「いつするの?」
「さあ。晶がギター弾けるようになったらかなー。メンバーもまだ決まってないし」
「なんでラジオなのよ? あ、ごめーん」
 手が滑ったのか真尋のラケットに打たれた羽根はへんてこな方向に飛んでいき、僕はやれやれとそれを拾いに小走りになる。
 智史達と別れた僕は、今麻奈と千尋の三人でバトミントンに興じていた。
「智史に、聞け!」
 語尾に力を込めながら同時に、羽の落ちた少し離れた場所から力を込めて打つ。風があまりないので高く打ち上げられた羽根は頂点に達するとまっすぐ勢いよく落下した。麻奈がなんとか打とうとしたが、目測を誤り空振りする。拾っている間に元の場所に戻るとラケットをくるくると回し、麻奈の山なりのゆっくりとした羽根を真尋へと打ち返す。今度は誰もミスする事無く何度かラリーが続く。そうしながらも真尋の猫のような目が細くなり、呆れているのが分かる。
 麻奈に比べると運動神経が多少いい真尋の体が落下する羽根にあわせてのけぞる。僕は強めに来そうだと思い構えたが、彼女の遠慮のないスマッシュに打ち返すのが精一杯で再び遠くへと飛んでいってしまった。麻奈が手を上げて取りに走る。茂みの中に入ってしまったようで僕は「悪い!」と背中に声をかける。
「本当バカ」
 彼女の帰りを待つ間に、真尋がまたそう零した。
「そんなに智史に構って欲しいなら言えばいいだろ」
「うっさいな」
 羽根があればきっとさっきより強い勢いで打ってくるんだろうな、と思える剣幕だが、ややあって溜め息を吐いた。
「里美の事でも気にしてんのか?」
「……そりゃ気にするし、分かってるわよ。アイツがまだ好きって事も」
「別に片思いしてる奴に片思いしちゃいけない決まりはない」
「決まってないけど、どれだけ好きでもそれが報われる決まりもないでしょ」
 茂みの中で埋もれてしまっているのか、麻奈は探しているのに苦労しているようだった。
「大体アンタに言われたくないし! アンタあたしよりはっきりしないし」
「……まぁ、そうだな。けどそろそろやめようと思うわ」
「……マジ?」
「マジ」
 彼女の疑いと、驚きが半々の声に僕は肩をすくめながらそのまま反芻した。
 ラケットを足元に置き、茂みのほうに歩き出そうとする僕に
「じゃ、がんばってよ」
 と真尋がニヤニヤと笑った。
「お前もがんばれよ」
 と言い返す。
「麻奈ー。あった?」
「ごめん、まだ見つからないの」
「手伝うよ」
 腰を屈め、足元の草を掻き分ける。思ったよりも遠くに飛んでいたようでなかなか見つからない。
「あのバカ、遠慮しないからなぁ」
「真尋も最近色々考えてるみたいだからストレス発散したかったんだよ」
「智史の事?」
 僕は、彼女に問う。
「うん、悩んでるみたい。あ、あった」
 発見したようで、彼女に振り向く。少し大きめの石と石の隙間に器用に落ちていた。それを取ろうと彼女が手を伸ばす。さほど苦労せず取れたようだが、起き上がろうとした時躓いたのかよろめいた。僕は彼女に手を差し伸べる。「ありがとう」と彼女が手を取り、起こす。
「よかった。戻ろうか」
「うん……あの」
「ん?」
「ううん」
 茂みに遮られて真尋の姿は見えない。戻ろうと僕達は足を滑らさないようにゆっくりと歩いた。
「こけんなよ」
「うん、大丈夫」
 そう言うと、麻奈はちょっとだけ強く、離さずにいた僕の手を握り返した。
「あったー?」
「お前さー、探すこっちの身になれよ」
「ごめんごめん」
 彼女の姿を視界に捉えると僕は麻奈から羽根を受け取り、勢いよく助走をつけて彼女へと投げた。
 真尋はなにも知らないような顔をして、起用にラケットで掬い取る。そのままポンポンとラケットで遊ばせた。
 再び上空を舞う羽根を三人で追いかけながら僕は、二人に言う。
「待つのって辛いよなー」
「それって誰の話?」
「皆かな」
「じゃあ、誰かが迎えに行ってあげないといけないね」
「そうだな」
 羽根を追いかけて僕を見ていない麻奈のその言葉に、僕は頷いた。
 そうしながら日が暮れだし、学校に帰る事になり、僕達は電車に乗る。
 電車を降り、僕は彼女に近づいて、そして、今日の夜は家に帰ると言う彼女にちょっと出かけないかと言う。
 彼女はいいよと言った。

       

表紙

秋冬 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha