そして俺はカレーを望んだ
第十話『現実! 未来! 過去がそろって牙をむく!』
どうすっか。
いやね、いくら考えてもこの超能力暴走特急的な状況を打破する答えが見つからないっていうか、ぶっちゃけ手詰まりみたいな? 感じ? みたいなー?
周りを見れば、既に状況は暴走していた。さっきまで帰るだの帰らないだのと悩んでいたのに、今度はお客様と来たよ。この足立さんと紗綾ちゃんの慌てっぷりからしてなんだか良さ気でない、いわゆる招かねざる客みたいな奴っぽいし。まだ帰る方法も見つけてないってのに、これ以上問題を増やさないで欲しいですわよね! まったく! ぷんすこ!
「ぷんすこ!」
「……あのね、相羽君、今はぷんすこしてる場合じゃないんだ。わかるかい? 結構危険な状況なんだよ?」
「あ、すんません」
割と真面目に説き伏せられた。なんでネタにマジレスみたいなこと言われてんの俺。なんか無性に自分が哀れな存在に思えてきたわ。
なんて、そろそろ俺もメンタルヘルスな考えで頭の中がいっぱいになってきた時、紗綾ちゃんが思い出したように口を開いた。
「相羽さん。相羽さんの能力で、何かわかってる事、無いですか?」
「あるわけねえだろ。さっきまで帰さねえとかなんとか言ってたくせにいきなり救援要請かよ。調子が良すぎて目からカレーが吹き出るかと思ったわ」
「もういいです」
いかんね、俺も中々に自暴自棄っちゃってるね。あからさまな怒りを隠そうともせず、紗綾ちゃんはそっぽを向いてしまった。こりゃあ完全に嫌われたね。でもしょうがないよね、これがありのままの自分(笑)だからね。どこかにカレーを作るのが超絶上手くて幼馴染で貧乳で通学路で一緒に手をつなげるような女の子はいないのかね。
部屋にサイレンが鳴り始めてからしばらく。紗綾ちゃんと足立さんは部屋の扉の前で未だ見ぬ来訪者を待ち構えていた。足立さんはいつの間にやら手に雄々しく黒光りするマグナムを持っている。男なら誰しもが憧れるだろうけど、残念ながら俺のマグナムは黒くもないし光ってもないしそもそもマグナムかどうかも怪しいよね。使ったこと無いもんね。銃かよ。
どいつもコイツも銃ばっかだわ。というか、ここら一帯の常識なの? 銃ってばもしかして現代のトレンド的なアレで一大ムーブメントみたいな? 俺乗り遅れちゃってる?
で、乗り遅れついでにナンだけど、なにやら頭の中に覚えの無い映像が自動で再生され始めた模様。いかん、走馬灯かよ。俺の走馬灯って言ったら……。
『来たわね、開道寺。あなたとも決着をつけなきゃならないわね』
『黙れッ! 妹は、紗綾は虫も殺せないような優しい子なんだ! それを、貴様は、なぜそうも簡単に人を殺す!』
『はたして、どうかしらね。虫も殺せないよう、ってのは。……みんな気付いていないのよ。メテオチルドレンは、どこか狂っている。人間としての常識が、理性が、どこかが壊れている。あなただってそうでしょ? 連続放火魔さん』
『それ以上喋るな! 俺の怒り《ボルケーノ》が貴様を燃やし尽くす!』
「なんでお前らが出て来るんだよ! 怒り《ボルケーノ》ってなんだよ! ルビ付きかよ! さすがの俺もつっこまざるを得ないわ!」
「相羽君、気をしっかり持つんだ。まだこの状況が危険かどうかもわからないんだ、落ち着いてくれ」
あー、はいはい、わかりましたよ。これが足立のオッサンが言う“全知全能の神”っぽい能力ってわけね。
あだっちの若干天然成分が入り混じった言葉を適当に無視しつつ、今起こっていることをちょっとだけ整理する。
……あらやだ、俺ってば本格的に能力に目覚めちゃったみたいね。なんか処女喪失した気分。あたし男だけど。
なにやら映像と同時に、その場の細かい状況がこれまた細かく文字情報として頭にどんどん入り込んでくる。理解する暇は無いけど、なんとなく把握してしまう。なるほどね、俺死んじゃうじゃん、このままじゃ。……え、やばくね? 死ぬとか超絶まっぴらごめんなさいなんですけど!
「ごめんなさいなんですけど!」
「いえ、別に気にしてません。それよりも、侵入者が部屋の前の廊下まで来ました。どうやら鎮圧課は全滅したようです」
「それはまずいことになってるね。……侵入者はやはり、彼女なのか」
なんか紗綾ちゃんに謝ったことにされてしまった。納得がいかない。……いや、納得がいかない場合じゃないんだよ!
「そんな場合じゃないんだよ! 今すぐ君たち! そこから! は! な! れ! て!」
「急になんだい?」
「どうしてです?」
俺はきょとんとした表情を浮かべる二人を無視して、全力で床を蹴り上げた。そのまま勢いに任せ両腕で二人を掴むと、扉から放すよう、ジャンピングヘッドスライディング的な動きで突っ込んだ。
直後、背後から熱風が襲いかかってきた。遅れて、爆音。何か、爆弾っぽいものが爆発したんだな、と。爆発したんなら爆弾しかありえないっしょ、なんて自分に突っ込みを入れながら、俺は扉から一番遠い壁まで吹っ飛ばされた。壁にぶつかった瞬間、背骨がぎしぎしと悲鳴を上げ、今さっき食べたばかりのスープカレーが俺の胃の中でタイフーンと化す。
「げほお、うへえ」
ジャンピングヘッドスライディングプラス爆風イコールとてつもない衝撃が俺の体を襲う! これは純粋な足し算ですよ。なんで俺飛び込んだりしたんだろう。さすがのカレー好きな俺でもカレータイフーンリバースを放つところだったわ。
未だに痛む体を頑張って動かし、周りを見る。アスファルトが削れまくったのか、粉塵が部屋を覆っている。すぐそばに紗綾ちゃんと足立さんを確認して、ほっと一息。
俺がさっき“見た”あれだと、紗綾ちゃんは死んだことになっていた。今見る限り、しっかりと呼吸をしている。つまりは回避出来たってことなんだよね。やるじゃん俺。意外と死ぬ未来ってのも対したことねえのな。
「よし、なんだかわからんがこの調子で俺は新世界の神を目指してもいいかもしれないな!」
「……少し見ない間に、馬鹿に拍車がかかったわね」
「そ、そのカレーを転がすような声は……!」
「それを言うなら鈴! 何よカレーってどんな声よ! 一瞬世界が停止しちゃったじゃない!」
やっぱりさっきの爆弾っぽい爆風はコイツの仕業か。俺の行くとこ行くとこに現れやがってこの野郎。さすがの俺もそろそろストーカー被害として110番しててもおかしくないレベルだわ。
舞い上がっていた粉塵が次第に床へ降り積もると、扉のあった場所に滑らかな銀色をなびかせる女が一人。手にはもちろん銃。あれだよね、銀髪女の銃ってさ、某国民的RPGで言うひのきのぼうみたいな。もう初期装備レベルで常識なんだろうね。見慣れてきた自分が可哀想になってきた。
「カレーの声も聞こえないとは、愚かな奴だ」
「なんでそこで私が馬鹿にされるような空気を作られなきゃいけないのよ。殺すわよ」
「最初から殺すつもりなくせに!」
「話が早くて助かるわ。死んで頂戴」
なんというノンストップアクション。全米も感動せざるを得ない。
さっきの映像じゃ開道寺が助けに来てくれたけど、はてさて、速攻で殺られちゃったからな、アイツ。正直来ても来なくても一緒みたいな。
女が銃を構える。俺はソレを見ながら、妙に落ち着いて考えまくっていた。それというのもだね、さっき見たアレと今とで何が違うか、なんだよね。ぶっちゃけ紗綾ちゃんとあだっさんを助けても、結果は変わらない気がする。でも、そうするしか出来なかったし。つまり、他にも変わっていることがある。そう、例えば。
「ちょっと待って! 今から俺すげえこと話しちゃうから! だから殺すのタンマ!」
「えー……」
あからさまに嫌そうな顔をされた。なにそれ。すごいこと聞けるって言われたら普通は大喜びで小躍りでしょ。それをなにそれ、なんなのそれ。
「いや、お前も知りたいだろう、この俺の能力を。それを知ってから殺しても、別に遅くは無いと思うんだけど、どうかな! ね!」
「ね、って言われてもね。別に知らなくてもいいし……」
「なんでそんなにテンション低いの! このふぁっきんびっち! ケツからカレー突っ込んで喉ヒリヒリさせるぞコラ」
やべえ、ちょっと言い過ぎた。なんて、思ったのも束の間、かちゃりと、女は銃の安全装置を外す。……いやね、これは作戦なんだよ。そう、作戦。他に変わっているとしたら、この部屋の外の状況。もしかしたら俺と銀髪女が話している隙に事態が好転しないかなあ、的なものっそい他人任せな作戦。どうしよう、既に失敗間近だわ。
「わざわざ楠木ビルに乗り込んでまでビッチ呼ばわりされるとは、到底思わなかったわ。悪いけど、アンタに付き合っていられるほどの時間は無いのよ。死ね」
「ひゃあああああああああやめてええええええええええええええ」
絶体絶命なんです。けど、誰も来ないし何も変わらない。意を決して目をつぶる。そこで、俺の頭の中にまたも映像が流れ出した。けど、さっきと違って見慣れた光景。もう過ぎ去った過去の映像。やべえ、これマジモンの走馬灯だわ。
第十話『現実! 未来! 過去がそろって牙をむく!』
北海道旭川隕石の一件からしばらくして、俺と涼子さんは親戚の家で過ごす事となった。今思うとわかりやすいくらいに親父達の遺産目当てな思惑がぐーるぐるだったわけなんだけど、まあ、当時の俺達はぎこちないながらも表面は優しくしてくれるおっさんおばさんと暮らしていたわけなんですよね。
ぶっちゃけ最初の一年、二年はほとんど記憶に無い。だって二歳とか三歳ですよ。覚えてたら今頃天童とか言ってもてはやされてるわ。で、俺が小学生になって涼子さんが高校を卒業した辺りの頃。ここら辺から記憶がはっきりしてくるんだけど、なんか俺たちの処遇が悪いのね。というか、割りと悲惨な感じ。
俺はこの時から既にカレーしか受け付けない体になっていた。一度カレーの味がしないものを食べた時、突然嘔吐した挙句、一週間以上もの間、40℃の熱が続いたらしい。死に掛けたのよね。そんなわけだから、まあ、おっさんとおばさんの見る目が変わっちゃったんだろうね。その時くらいからだろうな、なにかにつけて面倒な子をもらってしまっただのと、そんな感じのことを言われるようになった。……言われるだけならまだよかったんだよね。
――小学校低学年までの走馬灯が早足で再生され、ふと、早さが緩まった。
小学校中学年くらい。当時の俺は、思い出すだけでもおぞましい、なんと実のおばさんから性的虐待を受けていたのでした。最初はわけがわからなかった。女の子向けの服を無理矢理着せられたと思ったら、既に俺の可愛らしいスポイトレベルのそれは悪夢のブラックホールへと誘われていたという。それが何日も、何ヶ月も続いて。……やめて下さい。割と真面目にこれは思い出したくないんです。でも見せられてる! サディストな走馬灯! くやしい! ビクンビクン!
と、俺の割と真面目な願いが通じたのか、走馬灯の時間がさらに進む。見れば、俺は血まみれになっているおっさんとおばさんの死体を眺めていた。……あー、この日は、あれだ。ああ、はい。もうやめてください。死にたくなってきた。というかなんで走馬灯ってばこんなに長いの! はやく殺してよ! もう死んだほうがマシ! 銀髪女はなにやってんだ!
「なにやってんだ!」
カッ、と。俺は走馬灯から逃れるように目を開いた。
「うわあ……見覚えのある極彩色……」
俺の目の前には、なにやら思い出したくない色が渦巻く異次元的な空間が広がっていた。アレだ、アレ。あの妙にジェントルぶったオッサンだよ、名前忘れたわ。アイツにどっか飛ばされた時と同じ場所だ、ここ。
「なんでやねん!」
なんでやねんなんでやねんなんでやねん。
異次元に俺のツッコミが木霊する。……おかしい、この前来た時はこんなエコー機能なんて付いていなかったぞ。まさかオッサンが一人でカラオケの練習をするために新機能を追加したとか。すげえ悲しいな、それ。
というかそんな事はすごくどうでもいいんだわ。それよりも、なんで俺はまたこんなとこに来てしまったか、だよね。いつの間に俺は連れてこられたんだ。全然気付かなかったぞ。……けど、これで俺が死ぬことも回避出来たことになるわけだ。
俺は嬉しさ半分、嫌な物を見せられた怒り半分で、オッサンを想う。もしかしたらさっきのリアルな走馬灯もこの異次元空間のせいなのかもしれぬ。またもこの異次元ったら俺に牙をむきやがったのね。ただでさえ現実も未来も牙をむいて来てる真っ最中だというのに。現実! 未来! 過去がそろって牙をむく!
「四面楚歌かよ! 逃げ道ねえじゃん!」
ねえじゃんねえじゃんねえじゃん。
俺の声がむなしくエコーする。……さて、遊ぶのはこれくらいにして、そろそろここからどうやって出るか考えようか。嫌な物見せられたしね、またオッサンにはごめんなさいさせなきゃいけないよね。どうせ殴ろうとしても受け止められるんだろうけど。というか殴っても鉄の腹筋とか言ってノーダメージくせえのが腹立つわ。
俺は何回か頭を左右に振ると、覚束ない足取りで歩き始めた。歩いても景色は一緒だけど、とりあえず動いとかないと落ち着かない。
「おーい! オッサン! はやくこっから出せ!」
とまあ、何度か叫んでるわけなんだけど、ぜんぜん返事が無い。参ったね。どうしよう。
なんて考えていた時、俺の視界が急速に収束し始めた。いや、俺の目がトリップしちゃったわけじゃないな。異次元空間がまるでトイレに流されるように渦を巻きながら、一転に向かって収束していた。……アレか。これは「ここから出れるよ!」的なオッサンにとってのメッセージなのだろうか。ウンコか俺は。
だがしかし延々とうねり狂う異次元に身を任せ続けるのも癪なわけで、俺は渦に向かって走り始めた。あー、ここから出たらオッサンの肛門からこんにちは的な状況になっていやしないだろうか。ただそれだけが心配だね。あと強いて言うなら、俺の意思とは関係無しに渦に吸い込まれているのを何とかして欲しい。
「あわわわわわ」
割と速い。割りとどころじゃない。結構速い。いつの間にか俺の体は浮いていて、ものっそい速さで渦に近付いていた。見れば渦の奥からは刺すような白い光が見え隠れしている。
よし。俺は一つ心に決めた。これからウンコを流す時はウンコの気持ちも理解してやろう、と。
▼
「っづあああああ! やっぱ速すぎ、る、あ、出てこれた?」
尻餅を付く形で異次元から無事出れた俺は、ふらつく頭を左右に振る。そのままチカチカする目を必死に瞬きさせて、周りの状況を即座に確認した。どうやらさっきと同じ部屋らしく、そこら中に瓦礫が落ちている。紗綾ちゃんと足立さんの姿はない。どうやら上手く逃げたようだ。だがしかし、なんだろうか、この、俺のケツの下に広がるぬめった液体は。まさか俺ってばこの歳にもなってウンコを漏らしたわけか。ははは、まさか。またまたご冗談を。
俺は下を見ずに手を床に持っていく。ぬるりった感触が指にまとわり付く。まさか……下痢……? いや、待って、確認しよう。うん、そうしよう。人間恐れているだけじゃ前に進めないって涼子さんが前に言ってたしね!
バッ、と。何かに触れていた手を目の前に持ってくる。そこには真っ赤な液体が満遍なく指に塗りたくられていた。
「おいおい……下痢は無いと思ってたけど……血便かよ……」
俺は深い絶望に包まれた。参ったね、もしかしたら痔の前兆もありうる。俺の快適な便ライフが、今ここに脆くも崩れ去ろうとしているのだ。……はあ。もういいわ。
「ちゃかしたところでナンも変わんない、か」
俺はゆっくりと腰を上げ、湿った制服のズボンの感触を無視しつつ、この液体が流れ出ている大元へ目を向けた。
「オッサン、おい、死んでねえよな」
そこには、腹からこれでもかと血便もとい血を垂れ流しているオッサンの姿があった。力なく床に倒れているその姿を見て、どうにも、実感が沸かない。あの変態的で割と自分は強いですよオーラを出していたオッサンが、こうもあっけなく血を噴き出すのかと。
俺は恐る恐るオッサンに近付く。どうやら“こうした原因”はもういないようで、安心しつつも、オッサンの顔色を見る。どうやらまだ息はあるようだ。……なんだよそりゃ、勝手に異次元へ飛ばすだけならまだしも、戻ってきたら死にかけてますって、何がしたいんだコイツは。
「というかテメエは俺にごめんなさいしないといけないわけですよ。こんなところでおっちんでる場合じゃないでしょ」
「うむ、違いないですな。どうやら一命は取り留めたようです。ゲボボボボボ」
「ぎゃー」
ちょっとしんみりとした空気が漂い始めた時、オッサンの目が唐突に開き、上体が起き上がる。で、俺のほうを向いてもう大丈夫的なことを言いながら血反吐をSPLASHHHHH! どうしよう、これ。さすがの俺も手に負えない。
「まあ助かってるんならいいや。じゃあ俺はこれで失礼します」
「待ってください、命の恩人であるワタシを見捨てるおつもりですかな? 見て下さい、ここ、ワタシのお腹、めっちゃ穴空いとるでしょう」
「うわわわわわ! 見たくもないしアンタとも関わりたくないんだよ! なんも聞かないでやるからその手を離して下さいふぁっきん死に損ない! ケツからカレー出すぞこのジェントル野郎!」
さっさとこのめんどくさそうな状況から逃げようとしたのも束の間、オッサンはどこにそんな力があるのか、血塗れとなってしまった俺のズボンを掴んで離さない。でもさすがに怪我人を蹴り上げて逃げるわけにもいかないし。くそおおおおどうしたらいいんだああああああああ。
「ふっ、貴方はワタシに借りがあるはずですよ。そう、このワタシの割と速い足をもって何とか貴方が凶弾の餌食となる前に“投獄”した、というね。さあ! ワタシを助けるのです! さあ! ゲボボボボボ」
「あわわわわわ割とやばいくせに喋りすぎなんだよ! 応急処置くらいはしてやるから大人しくしてろ!」
俺は血反吐を撒き散らすスプラッタジェントルメンを無理矢理寝かせると、羽織っていたブレザーを脱いで、それをオッサンの腹に巻きつける。圧迫止血と言えるかは微妙なラインだけど、まあ、気休め程度にはなるはずだ。
締め付けると、オッサンが「おふう」とか「ひぎい」とかいちいちうるさいのはこの際無視してやることにしよう。オリンピック級の肉体を持っていても、銃は等しく傷を与えるのだと、とてもいい勉強になりました。
「げぼー、はあ、ふう。ワタシの能力が投獄で助かりました。腹の中に残っていた銃弾を無理矢理投獄出来たのは幸いです」
「……あれ、オッサンのその能力ってさ、触らないといけないんじゃなかったっけ」
「はい。ですので、こう、ぐっちょろぶでゅばと手を突っ込んでですね」
「聞きたくないってば!」
オッサンがわざとらしく手をわきわきと動かす。今はもう赤く染まってしまっている白い手袋が、オッサンの言葉が真実なのだと物語っているようで、気分がとても悪うなりました。ホント血とか苦手なんだよ。今も正直こっから逃げ出したいんですけどね。オッサンがまだ手を離してくれないんだよね。いっそ起こさないで無視してればよかった。そう、赤い液体は俺の血便ということで丸く収まっていたのだから。……でもやっぱ血便はいかんわ。
「ぐふう。いやはやしかし、ガーラックの奴め、無茶な物を持ち出して来たものですね」
「そういやオッサン、アンタ、銀髪女には負けない的なこと言ってたけどさ、めっちゃやられてんじゃん」
「それと言うのもあの小娘、サブマシンガンを持ってきているとは思いもしなかったのですよ。あくまでワタシは、頭しか狙ってこないハンドガンの弾だからこそ、受け止めることが出来ていたのです。人の意識とは関係無しに撒き散らされるだけの弾は、どうにも出来ませんよ。悔しいですがね」
「なるほど、要するに実際は大したことねえのな、オッサン」
ビキ。
いかん。オッサンの額にぶっとい血管が浮き出おったわ。これ以上血が流れたら失血死もありうるよね。ここは俺が大人になるべきだよね。
「おっとすみません、間違えて本音が漏れました。あの凶悪な銀髪女とやりあって助かるなんて凄いですねー」
ビキビキ。
こいつは参った、フォローしたつもりが逆に煽ってしまったようだ。てへっ。俺ってば天性の怒らせ上手ちゃん。
「しかし、銀髪女ってばいつになく重武装だな。最初に爆弾、お次はサブマシンガンと来た。次に持ち出してくるのはロケットランチャー辺りだろうかね」
「……相羽光史君。貴方はここから離れた方がいい」
「あ? いや、言われなくても俺は帰るよ。というか今も帰りたいけどアンタが手を掴んで離さないんでしょうに」
「今日は代表取締役がこのビルに来ている日なんですよ。ガーラックはそれを狙って来たに違いありません。そして、彼女の目的は、アレの破壊……」
気付いた。なにやらオッサンの声から力が抜けていっている。いつものようなジェントルオーラが無い。
「おいオッサン、もう喋らなくていいからここで大人しく助けを待ってろよ。しょうがないから帰るついでにオッサンの助けも呼んでやる」
「聞いてください、貴方も無関係ではないのですよ? 楠木はアレと貴方を使うことで、世界を変えようとしている」
おいおい……いきなり世界かよ……。
「というかアレってなんだアレって。とにかく俺は帰るからな。関係ないからな。そろそろ行くぞ、俺は」
「ああ……そう、アレは……北海道の……そこに……相羽主任が……」
「あ?」
ぐったりと、オッサンから力が抜ける。器用にも、オッサンは目を開けたまま眠っていた。器用すぎてかける言葉も無い。
「寝るときはちゃんと目を閉じろって教わらなかったのかよ……」
俺はオッサンの目をそっと閉じてやる。
くそ。なんだよそれ、わけわかんねえことを勝手に喋って、そんで勝手に眠るのかよ。さっきまであんなにハッスルしてたくせに。ホントに勝手過ぎる。
俺はズボンからオッサンの手を外して、ゆっくりと床に置いてやる。見れば、オッサンの顔には安らかな表情が浮かんでいた。そのまま俺はオッサンに背を向けて、扉の無くなった出入り口に向けて歩き出す。
それに合わせるように、背後からまるで地震のようないびきが聞こえてきた。
いや、ぶっちゃけ一瞬死んだと思ったんだけどね。オッサンってば変人だしね。そりゃあ目を開けたまま寝ることくらい造作も無いわけだわ。
心の中で悪態を付きながら、俺はビルの出口を求めて歩き始めた。
▼
ビルの中は、随分と悲惨なことになっていた。あちこちの壁には銃弾の痕が刻まれていて、床には血と思わしき赤い物がこれまたあちこちにへばりついている。人の死体が無造作に転がってたりしない分、なんとか目を背けるレベルじゃあない。だがしかし、悲惨なことに変わりは無いわけなんだけどね。
「しかしまあ、大暴れだな。この分じゃビル自体を壊し始めるのも時間の問題というか」
銃だけじゃない、爆弾もまだまだ持っているんだろう、「そこは出入り口じゃないのおおおおらめええええええビクンビクンッ」みたいな壁の悲鳴が聞こえそうなくらいの大穴を見て、溜め息を一つ。ここはホントに日本なのかね。世の中が信じられなくなっちゃいそうだわ。
とてとてと歩きながらビルの被害を観察するように、まずは下に降りる階段を探していた俺は、ふと、廊下の先に巨大な壁がせり出しているのを確認した。ゆっくりと近付いてみれば、それは壁じゃなく、何か防火扉っぽいもので閉じられているのだと気付く。
まいった。行き止まりだよ。またあのブラッディな場所に戻らなきゃならんのか。気が滅入るわ。
なんて気分が落ち込んでいた時、元来た廊下の向こうから大勢の足音が聞こえてきた。それは段々と近付いてきていて、あれ、もしかしてこのままじゃ鉢合わせってやつじゃね。
「やべえ!」
「動くなッ!」
「はい」
この場から逃げる前に、俺は小銃を構えた屈強な男たちに囲まれていた。さすがの俺もこれは動けない。反射的に手を上げちゃうくらいに俺はこの「動くな」って台詞を言われてきたのかと思うと、目からカレーが出そうになる。
さて。この人たちは何者なんだろうか。むさくるしい男共を観察してみると、全員が同じような装備をしていることがわかる。胴体には分厚い防弾チョッキっぽいもの。皆が皆、黒いサングラスをかけている。……もしかして紗綾ちゃんが言ってた鎮圧課ってやつか。ああ、たぶん、いや、絶対それっぽいね。なんかみんな鎮圧したそうな顔してるもん。みんな同じような顔だけど。
「おい、貴様は何だ。何故こんな場所でうろうろしている」
と、俺がこいつらの中で誰が一番イケメンかを決めようとしていた時、一番強面のガッチリムチムチな男が話しかけてきた。すごいこわい。
「いやその、俺だって帰りたいんですけどね、帰り道がわからなくてですね」
「所属は何だ、名前は」
「所属ってなんだよおっかねえ……名前は相羽光史だよ。で、なんで俺は動いちゃいけないのよ」
「相羽……なるほど。貴様は上から保護するようにと指示が出ている。申し訳ないが、我々と同行してもらうぞ」
「えー……」
嫌そうな顔をすると、男は恐い顔を俺に向けてきた。
「ついていきますとも」
「よし」
ああ、やっぱりさ、人間も動物なわけなんですよ。動物は自分よりも強そうな同じ種を見たらキンタマ縮み上がっちゃうように出来てるんですよ。そう、これは決して恐いから態度を変えたんじゃない。人間としての本能が暴れたもんで仕方なく従ったのさ。思ってて泣けてきた。
「おい、他にこの階に人が残っていないかを確認しろ。……どうにもおかしい、人が少なすぎる」
俺がオスとしての自信を失っていると、男がてきぱきと周りのエージェント共に指示を与え始めた。うーむ、まあ、俺一人じゃ万が一銀髪女に出会った場合、軽くぶっ殺されちゃうからね。少しの間くらいは同行しても問題は無いよね。保身は大事ですよ。
「荒谷隊長!」
「どうした」
そこに、なんだかとっても慌てまくりなサングラスAが走ってきた。どうやらこの一番強面なサングラスは荒谷と言うらしい。隊長。すげえな、会社に隊長がいるとかすごいたのもしい。
「おかしいですよ、大量の血痕はあるのに、死体がどこにも無いんです。それに、“あの”ガーラックは一般職員を殺さないと聞きました。見る限り、無差別に人が死んでいるとしか思えません」
「……きな臭いな。上に報告して指示を仰ぐ」
ああ、そういえば死体が無かったね。俺としては助かったけど、まあ、確かにおかしいっちゃおかしいわな。あれだけの血が流れてるのに死体が無いなんて。
「こちら鎮圧課7班。8階にて相羽光史を保護した。だが、一般職員やチルドレン共の姿が無い」
俺が悶々と死体の在り処について考えていると、荒谷隊長が胸に取り付けられたごつい無線機に向かって喋り始めた。
《こちら司令部。先程から8階実験室と連絡が取れない。どうなっているんだ》
「聞きたいのはこっちのほうだ。そこら中に血痕だけが残っていて、死体が一つも残っていない」
《……》
「どうした、おい、応答しろ」
《7班、いますぐそこから離れるんだ。011が活動し始めた可能性が高い》
「なっ」
無線機から漏れ出る声を聞いて、周りのサングラス共の落ち着きが無くなる。急に周りを気にし始め、ピリピリとした緊張感がこの場に流れる。
どうなってんの。俺にもわかるように説明してちょうだい。なんて言える空気じゃないよね。どうなってんの!
荒谷隊長は無線機との通信を終えると、深呼吸を一つ。
「撤退だ! この階から、一刻も早く離れるぞ! 011が動いたとなったら、我々の手には負えない」
「なんなのその011って」
慌しく動き始めたサングラス共を傍目に、一人落ち着いた姿勢を崩さない荒谷隊長に向かって、俺は当然とも言える疑問を口にする。
「011は――」
荒谷隊長が応えようとした。その時だった。
ごうん、ごうん、ごうん。
俺の背後にある防火扉的な壁が、轟音と共に激しく揺れた。恐る恐る振り返ると、扉には轟音の回数分、何かが向こうからめり込んだような跡が残されていた。
「――くっ、全員逃げろ! 011だ!」
「だから011ってなんなのさ!」
と、俺が叫んだ瞬間、がおん、と一際大きな音が廊下に響き渡った。
既に俺の目の前に壁は無かった。空き缶に向かってガス銃を撃ったような、めくれるように開けたその先には、なんだかこの世のものとは思えない、おぞましい何かが蠢いていた。
ぐねぐね。まるで超絶でかい心臓のようなそれは、こっちまで聞こえるくらいの大きな鼓動を響かせながら触手のようなものを扉のあった場所に打ち付けていた。……なんだ、あれ。いや、今更もうどんな能力が出てこようと驚かない自信はあるけどさ、さすがの俺もあんなバイオチックなクリーチャーが出てきたら、そりゃあ尻餅ついて腰抜かしますわ。現在進行形ですわ。
「あれが、011……楠木が生み出した最悪の化け物だ」
さっきまで落ち着いた姿勢を貫いていた荒谷隊長の声が震えている。
なるほどね。つまりは超やばいってことね。
次回:第十一話『共同戦線なんて死んでもお断りよ』