そして俺はカレーを望んだ
第三話『相羽光史』
長々とした獄吏道元の話は終わり、各々がバラバラに帰っていく中、真と伝子もその動きに続く形で集会場を後にした。
外に出た二人は、同時に空を見上げた。時刻は既に夕方を回っており、空は夕焼けが過ぎ去った後の紫色で埋め尽くされている。
そんな中、真は獄吏道元の話を頭の中で噛み砕いていた。要するに今まで依頼されてきた仕事は全て、相羽光史なる人物の為だったと。何故、メテオ・チルドレンを殺すことが相羽光史の確保に繋がるのか。殆どの発言が意図不明である獄吏道元、やはりその答えを見つけるのは難しい。しかし、面真が動く目的、その内容は結局変わらないであろうと、そう結論に至った。
伝子は、隣の面真から漏れる思考を読み取りながらも、今日の晩御飯が何かを考えていた。思うに今日の朝は手抜き過ぎたし、昼は強制的に無しとなった。つまりは、晩御飯で奮発せずにどこで奮発するのか、という話。期待で溢れる唾を飲み込みながら、今日も伝子の脳内は幸せであった。
「帰るか」
「うん」
一言。真は伝子に語りかけ、伝子がそれに応えた。それで静かな帰途に着くはずであったが、しかし、そうはならなかった。
先程まで居た建物がちょうど見えなくなる位置に二人が差し掛かった時、不意に傍の廃墟が“爆散”した。文字通り、強烈な爆発音が二人の耳に衝撃を伝え、それが収まる前に、概ね四角形を象っていた傍の廃墟ビルは形を崩し、個から群となった瓦礫と粉塵が二人を襲う。
「ちいっ!」
真は反射的に伝子を片手で抱きかかえると、瓦礫の射程となる線から外れるよう前に走り、そのまま地面を蹴って転がる。
一体何故、どうして。仮にもアンチメテオの本拠地とも呼べる場所から近いというのに、獄吏の奴は察知していなかったのか。
真は自身の疑問を一時停止させ、立ち上がる前に口を開く。
「伝子、すぐにここから離れろ。正体は不明だが、敵に間違いはない」
だが、真の腕の中でうずくまる伝子は応えず、体を震わせるのみであった。……おかしい、真は思う。いくら伝子が百歩譲ってか弱い女子だとしても、この程度の“場”など何度も経験してきたはずだ。それが今になって、何を震える必要があるのか。
対して伝子は、押し潰されそうな程の感情を持て余していた。憎しみ、それが伝子の頭の中を蹂躙する。もはや外の音など聞こえるはずもなく、只々、メテオ・チルドレンに対する憎しみだけが伝子の思考を覆っていた。
「――おいおい、この程度でくたばってもらっちゃあ困るぜ、面真さんよ。それと、そこの女か」
「誰だ!」
土埃により視界が定まらない中、どこからか声が真の名前を呼ぶ。誰だ、とは言ったものの、真はその声に聞き覚えがあった。つい先程まで居た建物、そこに入って真っ先に出会った人物。……山田、そう、山田だ。真は思考がその答えに辿り着いた瞬間、何処へ言うわけでもなく、声を張り上げる。
「どういうつもりだ、山田! お前、いくらメテオ・チルドレンが憎かろうが、同じ組織の人間に対してやることか、これが!」
「人間? おい、どの口だ、そんな言葉を吐いたのは。……この口かッ!」
ばすん、と。真のすぐ傍で何かが爆ぜた。地面。銃声。瞬時に状況を判断し、真は震える伝子を再度抱きかかえながら立ち上がる。声でこの位置は把握されているだろう、ならば、兎にも角にも伝子を被害の及ばない場所へ移動させなければ。
真は背後にそびえる廃墟ビルに目をつけると、急ぎそこへ向かう。
「人間ってえのはな、自力で空を飛んだりしちゃあいけねえんだよ! その辺り、お前等はわきまえてねえ、ああ、同じ組織だろうが関係ない、お前はここで死ね!」
ビルへ向かう真のすぐ後ろで、またも銃声。固い物が飛び散る音。銃声の反響が鳴り終わるか終らないかの間に、真はビルに辿り着いた。そのまま流れるように壁を背にする形で伝子を置き、自身が来ていた黒いコートを伝子に被せる。
そこまでして、真はビルから出た。ビルが破壊されたことによる土埃は既に鳴りを潜め、見れば何事もなかったような静寂感。
真は意識を集中する。相手が見えていない以上、対象はここら一帯、とにかく冷やす。しかし、真の能力が“起こる”前に、またも銃弾が真の体を掠めた。やはり向こうからは見えているのだ。
ビルの入り口で棒立ちしていることは危険だと判断し、真は崩れたビルの隙間に身を潜める。
「おいおい、隠れるのか。多くの同胞を殺してきた面真が、ただの人間である俺から隠れるっていうのかよ。期待外れにも程があるぜ、なあ!」
同胞。その言葉に反応しそうになった真だが、ぐっと堪え、再度意識を集中させる。
……ただの人間、真は自身の周囲が冷えていく過程を感じながら、山田が言っていた言葉を頭の中で復唱する。確かに聞いたことはあった。アンチメテオに属す排除要員において、ただ一人、“人間”としてメテオ・チルドレンを殺し続けてきた男がいると。それが山田であったとは分からなかったが、さて、厄介だ、と。真は真正面からぶつけられたメテオ・チルドレンへの憎しみを思い出した。
メテオ・チルドレンに対して、確かに真も憎しみに近い感情を抱いているだろう。だが、真にとってメテオ・チルドレンとはメテオが引き起こした結果の中の一つでしかなく、それ等を含めて許せないのだ。対して山田は、純粋にメテオ・チルドレンが許せないようで、なるほど、組織という壁があるか無いかの差はそこにあるのだと、真は凍えるような冷気の中、そんな結論に至った。
――しかし、俺が死ぬ理由にはならない。なんて心が冷たくなるのだろう。
「山田、聞こえているだろう。よく聞け、今ならば俺はお前を殺さない。何故なら、お前はメテオ・チルドレンじゃあない。俺にとって殺す理由が無いからだ。だが、これ以上俺……それに伝子に対して危害を加える気ならば、俺は容赦無くお前を殺す」
口から白い息を吐き散らしながら、真は至極冷静に山田へ告げた。これで引いてくれる者ならば、そもそも“こんなこと”はしていないだろう。真は期待せずに山田の返答を待ち、それは来た。
「ははは! 馬鹿かお前! なんで俺がお前等を見逃してやらなきゃいけねえんだ、死ね。いいから黙って死ねばいいんだよ」
「期待した俺が馬鹿だった」
元から期待などしていないが……と、真はさらに意識を集中させる。先程、真の体を掠めた銃弾。その時に、大体の場所は把握していた。頭の中で概ねの場所を“想像”し、そこを冷気の焦点にするよう願う。真にとって、結果は既に見えたも同然であった。しかし。
「さて、お前は中々顔を出さないし、そんな状況じゃ銃が当たるわけがない。俺は待つのが嫌いだ。待たせるのは得意だが、それは置いとき。さて、面真さんよ、俺はひとまずお前を狙うのをやめよう。この言葉の意味が分かるよな、見えていないとでも思ったかよ」
……言葉の、意味。真は何秒か考えてしまった。人が走る微かな音を聞いて、思考の答えが出る前に、その場に立った。――まずい、真は伝子を避難させたビルに向かう人影を見つける。
考える暇はなかった。体は勝手に足を前に出し、出せる力全てを地面を蹴りつける力として出す。間に合え。
人影――山田がビルの中へ消えてから数瞬、続いて真が中に入り、直後、カチャリという音が聞こえた。
「動くな。何か“起こして”みろ、お前を殺してからこの女を殺す」
「伝、子」
山田は壁を背にして震える伝子、そして真に対し、両手に持つ銃を向けていた。目についたのは、山田が背負う長い筒。あれはロケットランチャーと呼ばれるものではないのか。真はゆっくりと手を挙げながら、周りの光景に目を配らす。
「素直でよろしいことで。……すぐに殺してもいいんだがな、そこは俺の気持ちが収まらない。残念ながらお前等には苦しみながら死んでもらう」
「俺はどうなってもいいが、伝子は止せ。伝子に傷一つ付けてみろ、俺が死んででもお前を殺す」
「おお、恐いな。こんな状況じゃなかったら漏らしてたかもな、ははは!」
笑いながらも、山田の手に収まっている銃がぶれることはなかった。……隙が、無い。予想以上に場慣れしている山田に驚きつつも、真はどうにか出来ないものかと思考を巡らす。そこに、その思考を遮るようにノイズが混ざった。
<めん、君。まだ死んでない?>
(伝子か、俺よりもお前だ。大丈夫なのか)
<大丈夫じゃないよ、もう。この人の頭の中、ホント僕達を殺すことしか無いみたい。大きすぎて、僕、このままじゃ死んじゃうかもしれない>
(……馬鹿かお前は。人の気持ちなんて気にしてるからそんなことになるんだ。だからお前は胸が小さいんだ)
<もう死ぬ>
(待て! 早まるな! 俺が何とかするから、もう少し耐えろ!)
「飽きたな」
と、真は瞬時に現実へ引き戻された。山田が左手で持つ銃の撃鉄を起こしたのだ。見る限り大き目なリボルバー、その威力はそこらのオートマチックの比ではないだろう。
だが、問題はそこではない。山田が左手を動かした、つまり、左手の先には伝子がいるのだ。
「今まで何度もこういった場面を見てきたが、お前等はその中でも特につまらん。命乞いの一つでもすれば、少なくとも一発で殺そうなんて思わないんだがな、こうも黙っていられちゃあ、時間の無駄だ。死ね」
待て。そう言おうと思った瞬間、何か、呟くような声が聞こえた。ほんの一瞬、伝子から発せられたそのぼそぼそという呟きは、真の立つ位置までは届かなかったが、山田は聞こえていたらしい。ただ、それだけの事のはず。しかし、真にとってはそうでも、山田にとってその呟きは、“それだけ”ではなかった。
「何故だ……何故お前が未央の名前を知ってるんだ! おい! 答えろ、お前、未央に会ったことがあるのかよッ!」
「目の前で……死んだ……未央……長谷川未央……」
「ぐ、く、クソッタレが!」
何故山田が激昂しているのか真は理解出来ていなかったが、今しかない。と、出せる力全てで山田に対し体当たりをする真。遅れて、山田の左手にある銃から弾が放たれた。真はすぐさま立ち上がって伝子の傍に駆け寄り、怪我が無いことを確認して安心する。
真が山田の方へ振り返ると、邪魔になったのだろう、背負っていたランチャーを外しつつ起き上がるところだった。
「邪魔するんじゃねえ! お前にはもう用はねえんだよ、ソイツと話をさせろ!」
「断る。残念ながら、伝子はお前が苦手らしいからな」
「揃いも揃って馬鹿にしやがって……クソッタレ! じゃあお前等まとめて死ね!」
山田はそう叫ぶと、両手に持った銃の引き金を引いた。つもりだった。
「なっ、おい、う、動け! なんで動かねえんだよ!」
「……腐らせなかっただけでもありがたいと思うんだな。お前の手を冷やしただけだ、しばらく経てば動くようになる」
真は意識していたのだ。山田の両手に対し、動くな、と。望んだ結果は冷やす過程を以って完成し、起こった。ただそれだけの事。
殺したくはなかったし、なるべく危害も加えたくはなかった。見れば伝子に怪我はないようだし、これ以上、山田に対して攻撃する理由が無い。それは真にとって、“人間”に対する至極全うな気持ちであった。
だが、山田は納得しない。
「なんでだよ、殺すなら殺せ! それくらいの覚悟は俺にだってある!」
「喚くな、俺は人間を殺す趣味はない」
「メテオ・チルドレン様ともあろう者が一丁前に常識面しやがって。――常識は死んだんだよ! 二年前に、未央も死んだんだ、今さら俺が生きていて何になるんだよ!」
山田はそのまま膝をつく。そのまま低温により掌に張り付いた拳銃を気にすることなく、頭を抱えた。
「お前に何があったのかは知らない。だが、二年前っていうのは、つまり、そういう時だったんだ。常識どころじゃない。世界が死んだんだ。人が死んだって不思議じゃあない。同情はするが、この先、また俺達を攻撃するようなことがあったら、その時は間違いなく俺はお前を殺す」
真は伝子の様子を見ながら、冷たく言い放つ。そのまま山田の返事は無いかと思われたが、先程までの勢いが削がれたかのように、一言、問いが返ってくる。
「なんで、その女は未央の事を知ってたんだ」
「伝子は他人の気持ちを読み取る力を持っている。それだけだ」
「中々、やらしい能力だな、そりゃあ」
真は動く気配の無い伝子を軽々と抱きかかえると、最後に、と付け加えて口を開く。
「勘違いしているようだから、言っておく。伝子はメテオ・チルドレンなんかじゃない」
「……あ?」
「――先天性のESPなんだよ、伝子は。テレパスとでも言うのか。……“人殺し”にならなくてよかったな、お前」
そう言って、真はビルを後にする。その姿が見えなくなるまで山田は出入り口を見つめ続け、言葉が漏れた。
「それじゃあ、危うく俺は“アイツ”のように、只々気持ちの昂ぶりで人を殺すところだったってか。……はっ、笑えねえや」
山田はそう呟いて、そのまま埃をかぶったコンクリートに背中から倒れた。
▼
山田との一件から、三日が経過しようとしていた。
季節は相も変わらず冬真っ盛り。特に今日という日は豪雪もいいところ、窓に叩き付けられる大粒の雪がいつしか窓全体を覆う。そんな光景を見ながら、真と伝子はリビングにあるソファに座り、ゆっくりとした時間を過ごしていた。
「雪すごいね」
「ああ」
伝子は真の部屋から持ってきた毛布に包まりながら、寝ぼけ眼でそんなことを言う。対する真も伝子の眠気に中てられてか、ぼんやりとした口調で返す。そんなやりとりが今朝からすでに何十回か。時刻は既に昼を回っている。
「お腹すいたよー」
「さっき食べただろ」
「うそ、もうお昼だよ」
「……飯を作るために動くのが面倒臭い」
「めん君がダメ人間になってしまった!」
「おい、昼間っから毛布に包まってるやつに言われたかないぞ。というかそれ俺のだろ、おい」
「細かいことは気にしない方がいいよ。禿げるよ」
「そうだな。お前の胸に比べたら些細な問題だな」
「大問題だよ!」
ぼふん、と。毛布が真の顔にまとわりつく。何も見えなくなった真だが、さらに追い打ちと言わんばかりに、伝子が毛布の上から真の頭を叩き始めた。
「禿げろ禿げろ禿げろ」
「おいやめろ、本気でやめろ」
「めん君も体のどこかが足りないという気持ちを味わうべき」
ぼこすか。割と痛いことに気付いた真は、割と頭にきたので、部屋を冷やすことにした。
じわじわと冷えてくる部屋。それにやっと気付いたのか、伝子の手が止まる。
「さ、さむ! なに、さむ!」
「俺は暖かいぞ。ああ、やはり自分の毛布は落ち着く暖かさがあるな」
「返してー、寒いー!」
「返すも何も、これは俺の毛布だ。自分のを持ってこい」
「動くの面倒だもん!」
俺を叩く力を使えば、毛布を持ってくるくらいどうってことはなかっただろう。真は内心思いながらも、冷やしすぎて風邪をひかれても困るで、意識を解く。
「さーむーいー!」
誤算だったのは、冷やすことを辞めたと言っても今は冬、外は雪。そんな中で部屋がそうすぐに暖まるわけがなく。
「すまん、やりすぎた」
「謝るくらいなら僕にも毛布!」
「それはダメだ。俺の熱が逃げる」
「じゃあ僕も一緒に入る」
「うるせえ、そういうのは胸が大きくなってから言うんだな。お前のぺたんこに触れてでもみろ、それだけで寒くなる。主に心が」
「ぐううう!」
真の心無い言葉に、伝子は拳を震わせながら顔を真っ赤にして唸る。しかし、そうこうしている間にも腹は減り、伝子の怒りはそっくりそのまま空腹感へと変わってゆく。
「ぐう……」
「確かに昼飯時だしな、まあお前の言いたいことはわかる。しかし、俺の言いたいこともわかってくれ」
真は毛布に包まりながら、真顔でそんなことを言う。伝子は確かに伝わった真の気持ちを考える。一瞬で答えが出た。
「だめだめ! お昼寝なんてお昼ご飯を食べてからだよ! だめ! 絶対だめ!」
「ぐう」
「ねるなあー!」
ガッシ、ボカッ。
さて。俺はあと何回、このやり取りをしなければならないんだろうか。真がそろそろ飽きてきた頃、ふと、伝子の手が止まった。
今度は一体なんだ、と。真は伝子の顔を見て、同時に、伝子は口を開いた。
「なんか、きた」
――ピンポン。捻れに捻れた道が集結し、始まる。
第三話『相羽光史』
こんな寒い日、とても雪が降っている日。だというのに、そんな最中で呼び鈴が鳴った。
真と伝子、二人は顔を見合す。空気が変わっていた。先程までの緩やかな時間は過ぎ去り、呼び鈴を切っ掛けに世界そのものが変わってしまったような、そんな感覚。
困惑している伝子を余所に、真は壁に掛けてあったハンガーから、一張羅である黒いロングコートを取ると、それを着る。袖を通しながら、真は様々な可能性を想定していた。
先日のこともあり、確率で言えば山田ないしアンチメテオに関するモノが来たと考えることが普通だろう。ここに住み始めてからというもの、“真っ当”な客人は来た試しがない。……しかし、本当にそうだろうか。伝子の反応が、たまたま過剰になっただけで、実は初めての真っ当な客人なのかもしれない。そう、“真っ当ではない彼等”ならば、いつかの山田のように、扉を壊してでも何らかのアプローチを寄越すのではないのか。
違和感なのだ。伝子の反応にしてもそう、曖昧な“何か”という表現。そして、この静かすぎる状況。何もかもに違和感を覚え、なにより不自然。……ならば、と。真は玄関へ向かう。
「め、めん君、ちょっと待って。まだ誰が来たのかわからないから――」
「いや、いい。お前の反応を見るだけで、今までとは“違う”というのは理解出来た。……あえて普通に対応してやろうじゃないか」
「えー」
最近にしては珍しく、何も無い日のはずだったというのに。真は自身の休日をぶち壊しにした張本人はどのような面をしているのかと、若干楽しみにしつつ、鍵を開ける。……向こうからの反応は無い。もしや本当に真っ当な客なのだろうか。
真は少しばかり残念に思いながら扉を開け、閉めた。
「ふむ」
「ふむ……じゃないでしょ! なんで閉めたの! お客さんならちゃんと対応しなきゃダメでしょ!」
「いや、ああ、じゃあお前が出てみろ。害は無さそうだ」
「えー」
面倒な口ぶりでも、伝子は言われた通りに扉を開ける。閉めた。
「ふむ」
「ふむ……じゃあないだろ、おい。閉めるな、きちんと対応しろ」
「いや、でも、うん、どうしよう」
「どうするか」
二人は悩む。そう、とても反応に困っていた。それというのも、別に敵には見えないし、かと言って世に言うセールスの類でもなさそうだ。二人に友人と呼べるような者はいないし、間違ってここに来たというわけでもないだろう。二人は肝心なところでの常識が欠如していた。
と、ここで真がその当たり前なことに気付いたのだろう、掌をぽんと叩き、似合わない爽やかな顔で言う。
「とりあえず上がってもらうか」
「めん君ってば紙一重でアタマいいと思う」
▼
「それで、ご用件はなんでしょう」
真は慣れない手つきで湯呑をテーブルに出しながら、余所行きの声でそんなことを聞く。真が出したのは熱い緑茶だが、はて、嫌いなのだろうか。特に何の反応もないばかりか、客人は黙ったまま動こうとしない。
伝子はそんな様子を見ながら、困惑していた。どうやっても、珍しく能動的に読み取ろうとしても、無理なのだ。客人は何も垂れ流さず、ただただ、静か。静かなのは大いに結構で、伝子にとっても全員がそうであればそれに越したことはない。だが、この客人だけが見えず、そしてそれは初めての事だった。
(伝子、何か分かったか)
<だめー。この人、どんな頭してんだろ>
(人類において数少ないであろうどんな頭してるのか分からない伝子に言われるんだから、相当なんだろうな)
<なにそれ絶対褒めてないよね>
(褒めるとかいう言葉が出てきてる時点で自分で察しろ褒めてないからな)
頭の中で飛び交う伝子の罵詈雑言を無視しながら、真は悩む。何故部屋に入れてしまったのか。今になって、真はまじまじと客人……いや、彼女を観察する。とは言っても、一言で言い表せられる。黒ずくめなのだ、彼女は。まるで何処かの黒い魔術系の集まりに参加し、その帰り道にふらっと寄ってみました、とでも言わんばかりに。
あとは、そう。彼女は真が一目見たときから今まで、一度たりとも“目を開いていない”。盲目なのか、それとも。なんにせよ図りかねる人物に間違いはなかった。
(どうするか)
<どうしようもないよ。帰ってもらおう、そしてお昼寝しよう。そうすれば全部忘れるよ!>
(何も解決していないじゃあないか。お前に聞いた俺が馬鹿だったよ)
<ばーかばーか>
(訂正するぞ。馬鹿に聞いた俺が馬鹿だった)
<おい>
と。真は見逃さなかった。黒ずくめの彼女が笑っていた。口の端を上げ、くすりと。見逃していれば気付かない微かなもの。……何故、笑ったんだ。真は瞬時に思考する。伝子とのやり取りを口に出していただなんて、そんなお約束じみたことはしていない。じゃあ、この女が一人で勝手に笑ったと。……馬鹿な、答えは一つしかない。
「お前、何者だ」
脈絡など関係ない。そもそも、聞こえていたのだとしたら、言葉など発することすら無駄だろう。
真は既に臨戦態勢に移行しつつあった。目の前の黒ずくめが少しでも下手な動きをすれば、その全身を凍らせ腐らせる準備があった。しかし、彼女は動かず。……と、ここで初めて彼女は口だけを動かし、喋った。
「面真さんと、御浜伝子さん、ですよね?」
「……どこで名前を知った」
「そんなに怒らないでください、別に私は貴方達に危害を加えに来たわけじゃありません」
そう言って、黒ずくめの彼女は悪意のない笑みを浮かべる。それが逆に空恐ろしく、真は警戒を解く気になれない。それが分かったのか、彼女は残念そうにため息を漏らすと、再度喋り始める。
「私は聞きに来ただけなんですよ。面真さん、それに御浜伝子さん」
「何を――」
聞きに来たというのか。真がそう言い終わる前に、彼女は遮るように口を開く。
「――“私達”の仲間になりませんか?」
真は、その一言で察しがついた。そして、それは最悪の可能性として、あまり考えずにいた結果の一つ。
この女は、楠木の――。
「お、わっ」
と、急にコートの内側が震える。何事かとその発生源を取り出し、携帯だと理解した瞬間、周りに気を配る間もなく電話に出る。
「獄吏道元だな!」
……あら、懐かしい。
彼女が発した言葉には反応せず、真は電話に声を張り上げる。遅れて、電話の向こう側から無駄に溌剌とした渋い声が漏れだす。
「ええ、如何にも私が獄吏道元です。ですがね、面真さん。第一声を張り上げるのはどうかと思いますよ、耳が木端微塵になるかと思いましたとも、ええ、割と真面目に」
「そんなことはどうでもいいんだよ。お前には聞きたいことが」
「ええ、ええ。わかっていますとも。実はですね、この前話した目的ですが、それを実行するのは今日にしようかと思いましてね」
「……」
「おや、急でしたか。ですがね、今日しかないのですよ。これ以上引き延ばすと、その前に我々が狙われてしまうという結果が見えたので。……失敬、私の話はこれで終わりなのですが、はて、面真さんは何をそんなに焦っておられるのですかな」
「ああ、もういい。もういいさ。とりあえず、俺は遅れるぞ」
「……なるほど、いや、確かにそういう展開もあったのですがね、まさか一番確率の低そうな展開が――」
ぶつり。真は乱暴に電話を切ると、そのままポケットに仕舞い直す。
警戒はしていたものの、彼女が襲い掛かってくるようなことはなく。それどころか、真と獄吏道元の会話を聞いて面白おかしそうに笑っている始末。だが、この場の空気が和むことはなく。
それもそうだろう、なんせ目の前の黒ずくめは楠木に身を置くメテオ・チルドレンなのだから。
「その通りです、面真さん。私はメテオ・チルドレン――改道寺紗綾です。ああ、そうですね、黒ずくめと呼ぶのは止めてくださいね、怒りますよ」
「だからと言って、初対面でファーストネームもどうかと思うがね」
「……話に聞けば、もっと凶暴な人だと思っていたんですけど、そこはかとなく紳士なんですね、真さんって」
「おい初対面だろおい」
くすくす。彼女――改道寺紗綾の笑い声が部屋に響く。
<漫才やってる場合じゃないでしょ!>
(あ、ああ。だがしかし、敵意を向けられないことには、俺もあまり攻撃はしたくない)
<だってその女は戦闘向きじゃないからだよ>
〈ええ。私はそこの伝子さんと少し似ているようですね〉
(あ?)
にこにこ。目の前の黒ずくめは口を開いていない。……なるほど、向こうにもいるのか、このタイプは。
真はどうするか悩み始めていた。それと言うのも、初めてなのだ、このタイプは。なんせ、今まではどんな経緯であれ、真は攻撃されていた。敵意を向けられていた。だからこそ、躊躇なく殺せた。幼い子供でも、非常識を以って攻撃されたならば、殺してきた。……だが、目の前の女はなんだ。丸っきり敵意が感じられない。
困惑する真だが、頭の中に飛び込んできた伝子の声を聴いて、訂正する。
<言っとくけどめん君、この女、敵意が無いわけじゃないよ。ただ、“増援”を待ってるだけ>
(増援?)
<言ったでしょ、戦闘向きじゃないんだよ。なら、僕とめん君のように、他に戦闘向きの誰かが居るはずだよ、って話>
なるほど、そう考えれば確かにそうだ。……だが、待て、ならばこの女は何故最初にあんなことを聞いたのか。
「答えを聞いてませんよ、面真さん。私、答えによっては今から起こることを止めようと思うんです」
「仲間になるか、だったか。残念ながら、アンタも答えを分かってて聞いているんだろう?」
「それでも、ですよ」
目の前の彼女は寂しく笑う。……騙されるな、と。真は自分に言い聞かせる。いくら今までと何かが違うとは言え、目の前にいるのはメテオ・チルドレンなのだ。気を抜けば殺させる。
「無理な話だ。聞いてるなら分かるだろう、俺はメテオに関するモノを許せない。それはアンタも同じだ」
「そうですか、残念です」
改道寺紗綾はそう言うと、その場に立つ。そして、そのまま玄関へ向かう。
「どこへ行くつもりだ」
「……もうすぐ、貴方達は死にます。そんな人達と話していて、いいことがあると思いますか?」
「待て、一つだけ聞かせろ」
扉に手をかけ、今にも出ようとしていた紗綾に向かい、真が一つの問いを投げかける。この前から気になっていた、一つの事。
「相羽光史という名前を知ってるか」
「ええ、知っていますよ。貴方達がその名前を知っているということは……あら、来てしまいましたね。すみません、真さん。もし貴方達が生き残ったら、その答えは分かると思いますよ」
「まっ」
待ってくれ、そういう前に、改道寺紗綾は二人の前から姿を消した。……何もわからずじまいで、さらに、命の危険が増えたと。恰好といい、まるで死神だ。
真は心の内で悪態をつくも、最後に紗綾が言っていた“来た”という不穏な言葉を考え、出かける準備をする。
「伝子、もしかしたらしばらく帰ってくることが出来ないかもしれない、心残りが無いように準備しておけ」
「ガーン、なにその色々なフラグが立ちそうな言葉。猫に挨拶してくる」
「よりによって猫とは……友達居ないもんな」
「めん君もね」
「胸も無いもんな」
「めん君も――って関係ないよね! 関係ないよ!」
▼
真達が住んでいる地域は、三年前の傷跡を残さず払拭し、ニュータウンとして中流家庭以上を対象とした居住区だ。周りは不自然さすら感じる程の真新しい建物が立ち並び、たとえ世の中が狂っていたとしても、ここら一帯だけは泥濘のような平和が包んでいる、そんな場所。
だが、部屋を出た瞬間に伝子を襲った感覚はそのような生易しいものではなかった。まるで自身の価値観が全て変わってしまったかのように、この一見平和な住宅地が、今では部屋にまた戻りたくなる程の殺気で包まれていた。何がこうまで変えたのか、原因は伝子でも分からず。ただ、“それ”が確実に近付いて来ていることは分かった。
自分に対してですら上手く説明できないことを真に言えるわけもなく、流れるままに住居であるマンションを後にする二人。しかし、どこへ行こうというのか。
伝子は目の前を走る真に問いかける。
「ねえめん君、これからどうするの?」
「正直に言えば、何も考えていない」
真が言うその言葉に偽りはなく、こんな殺気に包まれている中で、真から漏れ出る感情は清々しい程に何も感じさせない。伝子としてはそれが真の傍に居て楽な理由でもあるのだが、この異常な状況において簡潔すぎるというのは、逆に伝子を不安にさせた。
「だがな、別に目的が無いわけじゃあない。獄吏道元が言っていた。実行は今日だ、と。ならば、行先は一つしかない」
「楠木、ビル?」
「ああ。これからについては特に不安を抱く必要はない。ただ、問題はさっきの黒ずくめだ。“向こう”から接触があった辺り、間違いなく俺たちの状況は多かれ少なかれ掌握されているということだ」
計画を今日実行する。それを知らされる前に、あの女は接触してきた。それを偶然と考えられるほど、今の世界が常識的ではないことを真はよく知っていた。
「このまま何も無いまま、楠木ビルまで辿り着ければいいのだが」
真の願いはしかし、叶わないものだということを、誰よりも真自身が理解していた。様子がおかしい伝子と言い、間違いなく、障害が現れるだろう、と。
そう。警戒しておいて正解だったに違いない。真は聞いた、不意に静かな住宅地に干渉してきた“轟”という音を。すかさず足を止め、急に真が止まったことで勢い余った伝子を手で押さえ、その場に止まる。
道にして十字路、死角となる曲がり角から聞こえたその音が確かなものとして鼓膜を揺さぶる前に、視覚を以って“それ”が来たことを知らされた。
「な、んだ」
真っ赤な、燃え盛る炎が目の前を覆った。正確には、十字路を横断するかのように壁のような炎が迸っていた。遅れて、確かな音が耳に届く。
真はそれらを一目見て、これは現実じゃないと理解出来た。そう、非現実。こんな馬鹿げたことをやってのけるのは、メテオ・チルドレンしかいない、と。
「伝子、なるべく遠くへ行け。見る限り、お前を守りながらじゃ戦えそうにない」
「で、でも」
「デモも胸も無いんだよ。いいから早く行け」
「後で吹き飛ばす」
悪態をつきながら背を向ける伝子を傍目に、真は意識を集中する。その間にも、炎は勢いを弱める。そして、炎が弱まるごとに、その炎の中に人影が立っていることに真は気付いた。なるほど、自分には効かないのか。それとも、効く対象を選べるのか。
なんにせよ。真は自分の額を流れる汗が凍っていく過程を感じながら、どう対処するかを今のうちに考える。そもそも、ただ炎を出すだけでもこと戦闘においては反則と言っていい程の能力だ。加えて、その炎を自由に操れるとなれば、さて、どこに負ける要素があるというのか。さらに言えば、真の能力に対して、炎は実に相性の悪い能力だ。
「どうしたものか」
凍った汗が熱により、再度流れ落ちる。それと同時に零れた言葉を拾うかのように、その炎の主であろう人影のほうから声が聞こえた。
「どうもしない。面真、お前はここで死ぬ」
ゆらり、と。影が揺れる。次の瞬間、そこにあったはずの炎は消え、代わりに立つのは一人の男のみとなった。
「俺の名前を知っている辺り、どうにも逃がしてくれそうにはないな、アンタ」
「面真、お前は俺達メテオ・チルドレンには危険すぎる因子だ。放っておけば、妹にまで危険が及ぶやもしれん。同胞……しかもファーストを殺すというのは気が引けるが、死んでもらう」
男は黒いニット帽を目深に被り、真と同じような黒いロングコートを羽織っている。似たような容姿だが、しかし、その持っている能力は似て非なる、真逆のモノ。
本気で殺さなければ、殺される。あらゆる神経を研ぎ澄まして身構える真に対して、男は動かず。再度、口だけを動かした。
「だが、楠木も鬼ではない」
「あ?」
何を言い出すつもりかはわからないが、真は既に話を聞く気はなかった。只々、意識を集中する。願うのは、氷塊。目の前の男の死角に、杭のような氷塊を創り出す。そう何度もチャンスがあるとは思えない。願うは一撃を以っての死。それしかない。
男は着々と進められている自身の死に気付いていないのか、続けて口を開く。
「貴様が相羽光史を諦める、ないし我々の仲間となるのならば、この場は穏便に済ますつもりだ」
「お前までさっきの黒ずくめのようなことを。……“最後に”一つだけ聞く。相羽光史とは、なんだ」
思わず、真は問いかける。相羽光史、数ある疑問の一つとして放置しておくには、名前が出過ぎていた。意識が途切れないように状況を創り出しながらも、それだけは聞いておきたかった。
男は一瞬考えるような素振りを見せたが、別段そのまま黙るわけでもなく、一言漏らした。
「神だ」
「……は?」
次回:第四話『邂逅・敵・戦闘』