Neetel Inside 文芸新都
表紙

そして俺はカレーを望んだ
第四話『邂逅・敵・戦闘』

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「ある限定された地域のみでの神、と言った方がいいかもしれないな。なんにせよ、今の相羽光史は、この街における神と言える」
 真の前に立つ男は、何れの感情も起伏させること無く言い切った。
「そいつはどうも、ご丁寧に。だがね、大企業の飼い犬が喋るにしては、随分と素っ頓狂なことを言うもんだな」
 キンキンと、鉄琴を叩いたような音が辺りに響く。しかし、それは既に過ぎ去った証でもあり、見れば開道寺改の周囲には氷の槍と表現するに相応しい計三十六本ものそれが浮かんでいた。
 言うまでも無くそれを成したのは真であり、ならばこそ、それだけに終わるわけがなかった。
「貫け……!」
 真がそう言った直後、正に目にも止まらぬ速さで全ての氷槍が開道寺に飛来し、そのまま体中に突き刺さり絶命する――ここまでが、真が想像した願いであり、結果になるはずであった。だが、目の前の現実は確かに氷槍が飛来する過程までは沿っていたのだが、その後の展開は違っていた。
 氷槍が開道寺に突き刺さるまで残り十五センチといったところで、突如、その場に水蒸気が発生した。それはあまり心地良くない温風となって真の頬を打ち付け、絶望させた。
(やはり、相性が悪すぎる)
 蒸発。爆発こそしなかったものの、幾本もの氷槍を瞬時に蒸発させた結果は凄まじい水蒸気となって周りへと広がった。
「それが、答えか」
 真は悪くなった視界を回復させるべく瞬時に後方に飛び――一命を取り留めた。それは偶然の行動であったが、しかし、今まで自分が立っていた場所に出現した炎の壁を見て、真は確実に自身の寿命が縮まったことを感じていた。
「数々のメテオ・チルドレンを殺してきたと聞いたが、まさかその程度とは言うまいな、面真。あまり俺を落胆させるな」
 そう言いながら、開道寺はゆっくりと炎の壁の向こう側から姿を現す。水蒸気はとうに消え去っていた。さらに言えば、日が傾き始めていた事もあり、炎の壁によって周囲が見やすくなっている。……だが、それがどうした、と。真は歯軋りをしながら目の前の状況を受け止めていた。
「殺したくない。が、俺は弱い奴をいたぶる趣味も無い。実力差が理解出来たのならば、大人しくすることが利口だと思うが」
「よくもまあ、そこまで上から物が言えるもんだな、お前。言っておくが、俺も勝てる相手に背中を向ける程愚かじゃあないんでね、生憎だがお前の提案は無かったことにしてもらおうか」
「ならば死ぬか、面真。ファーストである貴様が、調整を受けておらず只の現象を垂れ流すことしか出来ない貴様が、俺に傷一つでも与えられるとでも?」
(ファースト?)
 聞きなれない言葉。言葉としての意味は分かる。が、おそらくは名詞であろうその意味は理解出来ない。真はそれに意識を向けることを止め、言葉の応酬を続ける。
「言っている意味は正直よく分からないが、詰まる所、お前に傷一つでも付ければ俺にも勝機はあるということなんだな」
「阿呆が、氷の悪魔と恐れられている貴様が不利な状況を見極められない程の実力でもなかろうに」
「初耳だぞ。なんだその、その」
 なんだその安直なネーミングセンスは。伝子でもそれよりはもう少しまともな名前を付ける。不意に緩んだ思考で真は率直な感想を連ねると、遅れて頭にノイズが混じる。
<今すごくバカにされた気がした!>
(勘違いするな。バカにしたんだ)
<ううううう!>
 ……別に悲観することじゃあない。今まで幾度となく殺してきて、今さら何に対して恐れるのか。
 真は目の前で炎を揺らす男、開道寺を見る。真自身、開道寺という名前は知らない。だが、楠木には炎を駆る“最強”のメテオ・チルドレンが存在している、という話くらいは聞いたことがあった。それは二年前、この街に二つ目の隕石が落ちる前から確認されていたことも。
(“原因”なんだよ、コイツ等は)
 全てを奪い去り、尚もまだ何かを欲しているのか。真は開道寺に対し、メテオに関する全てを怒りをぶつけようと、心に決めた。
「お前等が何をしようとしているのか、思想、望み、全て関係ない。ここに有る限り、俺はお前等をこの世から消し去ると決めているんだ。今日は端から勧誘などとふざけた真似をしてくれたが、それ等の行動が全てお門違いだったってことを、今お前に思い知らす」
 真が口を閉じると、続けて再度、鉄琴を鳴らすような音が辺りに響く。しかし、今度は“鳴らす”程度では済まず、まるで狂った演奏家が鉄琴を壊しているかのように、高音域が乱れ鳴る。狂っているのは音だけではなく、周囲の光景も“そう”だった。先程は三十六本の氷槍が現れたが、ならば、この高音が掻き鳴らされている状況下で、一体どれ程の氷槍が出現するというのか。
「……ほう、それで?」
 開道寺は自身の四周を見回し、真に向き直ると一言漏らした。
 常人ならば、泣いて謝るだろう。それが偶然にも先端恐怖症だったとしたら、気が触れてしまうかもしれない。
 真は“視界に入っていない”開道寺に向け、言葉を放つ。
「随分と余裕だが、この数を至近距離で“蒸発”させたら、アンタも只じゃ済まないんじゃないか?」
 数。果たしてこの数を数えきる頃に、空にはまだ日が昇っているのかどうか。見れば開道寺の周囲にはドーム状を象る氷の壁が出現していた。だが、それは一見の事。よくよく見れば棘となっている部分全てが氷槍であり、一つ一つが人一人を殺し足り得ることを主張している。
「生憎だが、俺は自身の能力では傷つかない」
 真は開道寺の言葉を聞きながら、不意に背を向けた。
「ああ、そうだろう。メテオ・チルドレンってのはそうやって、自分の都合が良いように世界を好き勝手に変えている。それが結果として何をもたらすのかを考えずにな。……さて、突然だが話を変えるぞ」
「なに?」
「俺は勝てる奴に背を向けることは無いと言った。覚えているか?」
「ああ」
「あれは言葉通りの意味だ。アンタは強いよ、間違いなく俺にとって最悪と言ってもいい。……正直に言えば、俺は自分を殺したくなるくらいメテオ・チルドレンが嫌いだ。さらに言えば、メテオに関係するもの全てが。優先順位なんだよ。分かるか、俺はここで死ぬ予定じゃあない。出来ればその確率が低い方から済ましたい。つまり、ああ、喋りすぎたな」
「……」
 真は息を切らしながら、思う。
<つまり、俺は戦う気なんて無いってことなんだよな、うん>
 開道寺の頭に鳴り続けていた真の声が真実を告げた。
「――ッ、迂闊。紗綾、位置は掌握しているか?」
<今は補足出来ているけど、もうすぐ範囲外に――あ、その、はい。……兄さん! 古典的な仕掛けに引っかかって!>
「見失ったんだな」
<そういうことです>
 開道寺は舌打ちを漏らしながら、周囲に目を配ると、続いて溜め息を漏らす。その仕草が起因となったのか、開道寺の周辺が不意に“揺らいだ”。
 それが熱によるものなのだと常人が理解する前に、尋常ではない量の水蒸気が開道寺を中心に拡散する。
「紗綾、面真の傍に居る女、アレは何だ?」
<アレって言い方はひどいと思います。とは言うものの、私も分からないです、アレ>
「ふむ」
 徐々に晴れてきた視界。開道寺は面真が逃げたであろう方向を見て、再度口を開く。
「何にせよ、楠木ビルに奴らは向かったと、そう考えてもいいわけだな」
<そうですね>
 開道寺は言い終わると、それ以上会話を続けることなく歩き始めた。焦る必要は無いと。ただ、自宅に帰るような速さで。


第四話『邂逅・敵・戦闘』


「しかし反則だなアレは。相性が悪いなんてもんじゃない」
 真は悪態を吐きながら、膝に手をついて呼吸を整える。
 非常に不本意ではあった。真は能力を手にしてから今日まで、一度たりとも敵であるメテオ・チルドレンを前にして背を向けたことなど無かったこともあり。
「めんくーん」
 と、肩の上下が収まって来た所で、背後から聞き慣れた声が真の耳を刺激する。
 真は反射的に振り向くと、溜め息を一つ。そう、そもそも伝子が居なければ、多少の無茶は出来た筈なのだ。少なくとも、肉を切らせれば皮を一枚持って行けたであろう相手。“これから”の事を考えれば、少しでも傷を与えておくことは決して損ではない。
 だが、過ぎた事でもある。
「伝子、怪我は無いか?」
「大丈夫だよ。というか、ボクよりもめん君でしょ。怪我してない?」
 伝子は真に駆け寄ると、心配する眼差しで見つめる。
「ああ、お前の胸くらい何も無い」
「ちょっと! 人が心配してるのになんで胸の話になんのさ! 違うでしょ! 違うでしょ!」
「しかしだな、やはりこれは一種の行事。この会話が無いと安心出来ないんだ、俺は」
「もっと違う所にオアシスを見つけようよ……」
「なるほど、まるで蜃気楼のように有って無いようなものだということか、主に胸が。上手い」
「上手くない! 全然上手くない!」
 ぽかぽか。割と本気で殴られながら、真は思い出すように“これから”を思案する。
 端的に言ってしまえば、思案するまでも無い。楠木ビルに向かうだけなのだ。だが、一つ二つほど引っ掛かりを覚えていることも確か。
「なあ、伝子。お前のような超能力を持ったメテオ・チルドレン、他に居ると思うか?」
「めん君ってばタフだよね、叩かれながら真顔で真面目な話するなんて」
「俺は最初から真面目だ。落ち着け」
「なんで僕だけ変なことしてるような目で見られなきゃいけないの! おかしいでしょ!」
 話が進まない。真は今も尚増え続けているだろう青痣に思いを馳せながら、考える。
 引っ掛かりの一つは、動きが読まれていた点。
 アンチ・メテオはあまり表だった動きはしない。どちらかと言えばテロリストではなく、暗殺集団と言った方が近い。なんせ主にやっていることが殺しなのだから。だからこそ、慎重に練られていただろう今日の襲撃計画、こうも簡単に漏れているのはおかしいのだ。
 真は二通りの理由を頭に思い浮かべていた。一つは伝子以上に知覚範囲が広いテレパス系能力者の存在。先程会った黒ずくめの女もそうだが、人の思考を読めるというのは非戦闘系能力において非常に重要なものだ。大局的に見れば計画の全容を把握できるし、端局的に見れば殺し合う際、相手が何をするか掌握出来てしまう。
 黒ずくめの女が動いていた、と考えるのは短絡的過ぎだが、その類の能力を持った者がアンチ・メテオの構成員と接触していた可能性は捨てきれない。
 残る一つの理由は、もっと単純だった。
 内通者。アンチメテオの根底ないし計画を知る由とする筋に身を置く人物が、楠木の息がかかった者だという線。内通者というのは古来から用いられてきた、所謂古典的な手法。それ故にリスクもあるが得る情報は大きく、確実である。あえて楠木に対しての二重スパイを行う物好きは居ないだろう事も踏まえ、なるほど、あり得る話ではある。
「しかし、だ。そろそろ飽きてくれないか、伝子。俺の腹が限界を訴えている」
「僕のプライドも限界だよ!」
「そうだったのか。俺はてっきり、胸と一緒にプライドも置き忘れて来たのかと思っていたぞ」
「着脱式じゃないよ!」
「だよな。だったらとっくに取り付けているよな。すまん」
「ぐぬうううううう!」
 いかんいかん、と。真は頭を切り替える。
 つまり、楠木のビルに行けば全てが分かる事なのだろう、と。真はそう理解した。
 答えを求めるには材料が少なすぎる。断定するには早すぎる。全ては、あの場所で決着が付くのだろう、そう理解したのだ。
「行くぞ、伝子。お前の胸はともかくとして、楠木ビルは見つけやすい。所謂ランドマークだからな」
「正しい、凄く正しい! だけど凄く悔しい!」
 真は伝子の言葉を無視すると、少々足早に楠木ビルへと歩き始めた。
 


 都会になりきれない田舎町。それが数年前までこの街を表すに丁度いい言葉だった。だが、隕石の飛来によりその街も三分の一以上が塵となり、復興を余儀なくされた。
 元通りにしようと思った者は居なかっただろう。それを体現するように、“あるビル”を中心としてこの街は急速的な発展を見せる。まるでこの街だけが日本とは別に位置しているように経済は好転した。なんせ破壊されつくしたのだ。雇用が増え、全てにおける需要が高まり、右肩下がりだった人口がV字を描くように上がり続けた。
 今やこの街は日本が提示する新たな近未来都市として、堂々とその姿を世界に誇示していた。
 ……その中心である楠木コーポレーション。今日まで救世主として誇張ではなく崇められていた企業に対し、襲撃を仕掛けている集団があった。
「――クソッ、なんだってこんなに対応が早いんだッ!」
 アンチメテオ。事の真相を知る者達。彼等は、今日を以って楠木を壊滅させるべく、本拠地である楠木ビルにテロ行為を働いていた。
「稲留! 後退しろ、このままじゃ無駄に戦力を消耗するだけだ!」
「了解です!」
 男は稲留と呼んだ男に後退を指示すると、自らも正面入り口から外に出る。
 周りは戦場と化していた。銃声がこれでもかと耳を刺激し、銃弾は所構わず突き刺さり、何よりも、不可思議がこの場を蹂躙していた。
 普段は最も治安のいい区画として言われているこの場所だが、一転して戦場。しかし、その事に疑問を思う者は一人も居らず。
「浅井先輩、離れてください! この場は僕が抑えますので、一先ず体制を整えて!」
 稲留と呼ばれた男がそう言うと、言われた男――浅井は遅れて頷いた。
「すまん、任せた。……各人に通達、後方三十の位置まで応戦しつつ後退、稲留が隙を作る。俺が合図をしたら再度前進だ」
 浅井は周りで応戦し続ける者に無線系で伝達をすると、再度稲留に向き直る。
「死ぬなよ、今更言うのもなんだが、お前はメテオ・チルドレンにしちゃあ気のいい奴だ」
「言われなくとも」
 稲留は浅井が今言った言葉を最後に背を向けたのを見送ると、体の芯に力を入れる。
 メテオ・チルドレンとは、そもそもが願望を叶える力を持った者を指す。稲留が望んだのは、この場の膠着。ならばこそ、稲留の力は“それ”に適していると言えた。
「く、っづあああ!」
 稲留の力とは即ち、自身の表面温度を際限無く高める能力。銃弾など触れる前に液状化させるほどの高温を発するその能力は、男の望む“隙”を作るに適していると言えるだろう。
 事実、稲留はその場を膠着させることに成功した。受付カウンターを盾にサブマシンガンを乱射していた楠木のガードマン達は、その効果が無いことを知って銃撃を止めている。
「僕の能力が人の役に立つ。獄吏さんが言った今日だから、今、僕が止めなきゃ始まりは無いんだ!」
 それは切実な願い。メテオ粒子を根源とした能力は、その願望を真に受け止め、この場を止める。
「浅井先輩! 前に出ます、この間にエントランスの掌握を!」
「任せろ!」
 浅井はこの時を待っていたと言わんばかりに声を張り上げ、すぐさま胸にぶら下がる無線機を手に叫ぶ。
「各人、前進。稲留が止めているとは言っても、俺達は標的だ。自身が戦力だという事を忘れず、確実に一人を殺せ」
<了>
 押され気味だったテロリスト側に、襲撃当初の士気が戻る。忌むべきメテオ・チルドレンも、味方となれば心強い。
 浅井の周囲で壁を背にしていた男達が稲留が前に進んだことを確認すると、飛び出すように前に出て、さらに前の柱の陰に隠れる。遅々とした歩みであっても、この襲撃において初めての前進であった。
 稲留は周囲を警戒しながら、とうとうその足をエントランスへと投じた。稲留の赤熱した体は銃弾を溶かし液体として周囲に飛び散らしているが、床が融解することはない。本人が望んでいないのだ。ここから進めなくなるのは、稲留にとって最も回避すべき事柄であり、ならば、メテオ・チルドレンの能力はそれを叶えるのだ。事実、金属を溶かすほどの熱を放出しながらも、周囲への影響と言えば攻撃に対してのみであり、それこそ、気温は一℃たりとも上がっていない。
 反則だ。
 それはこの場の誰が思った言葉だろうか。
(おかしい、襲撃を受けたにしては人数が少なすぎる。かと言って増援も無い。……なんでだ)
 稲留はエントランスの中央で立ち止まると、周囲を警戒しながら思う。
 メテオ・チルドレンの恐ろしさは、誰よりも楠木が分かっているはずだ。だというのに、何故こうも“あっけない”のか。詰まる所、只の人間が十人居ようと百人居ようと、今の稲留を止められるわけがないのだ。稲留自身がそう思うのだから、この力を目の当たりにした“向こう”も分かっているはず。
 見ればエントランスには既に楠木の人間は死体しか残されていなかった。先程までの煩さが嘘だったかのように。
 数分遅れて、稲留の背後から次々と仲間達がエントランスに足を踏み入れてきた。先頭は浅井だ。その浅井も、稲留と同じように怪訝な表情を顔に滲ませている。
 浅井は稲留がそうしたように、ぐるりと周囲を見渡す。このビル自体が円柱を象っていることもあり、その中も綺麗な円形を見せている。そこまでは常識の範疇だろう。浅井は視線を上に向けて、息を呑んだ。恐らく屋上まで続いているのだろう、もはや最奥が認識出来ないほど続く吹き抜けとなっていた。
 なるほど、非常に面積の無駄遣いだ。と、浅井は無理やり非難する。
 事前の情報によればエレベーターと、外周に延々と続く螺旋階段がこのビルを上る手段らしい。見れば右側方に階段の入り口らしき場所が確認できた。
「稲留、危険は無さそうか?」
「ええ、今のところは。でもおかしいですよ、こんな“簡単”に入れちゃうなんて」
 浅井の言葉に、稲留は自身の赤熱化を解きながら応える。
「油断するなよ。入れたという事は、向こう側にはそれなりの策があるという事だ。最悪の想定としては、人員を割かなくても俺達を排除出来る策、という事もあり得る」
「そうなんですかねえ。ま、いつまでもここに居るわけにもいきませんし、そろそろ上へ――」
――――――――――――――――――――√
 そう言いながら稲留は上を見て、それ以上喋ることは無かった。
「馬鹿な……」
 浅井は目の前の光景に対し、自身の思考が追い付かないことに気付いていた。そもそもメテオ・チルドレンなんて存在は、そう、存在自体が論理的ではない。過程など彼等には必要ないのだから。人間は過程を以ってして結果を得る。逆に言えば、過程こそが全てなのだ。過程無き行程に結果が生まれることなど有り得ない。
 浅井は目の前で“首を失くしながら”倒れる稲留の姿を見て、思う。今自分は結果から生まれた過程を認識するために思考が追い付いていないのだと。それはそうだろう、有り得ないのだから。
 その時初めて、浅井は稲留の頭を消し飛ばした正体を、床に見つけた。なんてことはない、飛び散った土、割れた陶器、剥き出しになった植物。それらの要素を内包する物を、浅井は一つしか知らない。
(植木鉢。……そんな物で、こんな)
 浅井は堪らず上を見て、悟った。ああ、死ぬ、と。
「――どうする? 今死ぬか、後で死ぬか。選ばせてあげるよ。僕はこれでも気の長い方だからね、君たちが今すぐここから逃げると言うのなら、見逃してあげる。でも、これ以上その醜悪面を揃えて僕に向けているようなら、殺しちゃうよ」
 見上げた先には、不可思議な光景が広がっていた。浅井に限らず、この場に居る誰もが思った事だろう。反則だ、と。
 稲留を殺した植木鉢。それと似通ったものが、宙に浮いていた。ご丁寧にも、残っている人数分用意された植木鉢の中心に、一人の男が浮いている。片目を隠すように伸ばされた長髪を振り撒きながら、男は楽しそうに言ってのけたのだ。
 “尻尾を巻いて逃げろ”、と。
 普段の彼等ならば、果敢にも突撃する気概を見せた事だろう。曲がりなりにもテロリストだと自覚している彼等には、それなりの信念がある。それを通す為ならば、自らの犠牲も選択肢の内に入る。
 しかし、今は状況が違った。そもそも自らを犠牲にした所で、得るものは何もないのだ。なんせ、相手は結果を突き付けてくる。過程を以ってして結果を得ることしか出来ない彼らは、無論その過程すら与えられずに死んでゆくのだろう。それを、稲留の死によって突き付けられた。
 ……一人、何も言わずに逃げ出した。それを咎める者はいないだろう。何故ならば、それが合図だったかのように、他の者も次々とエントランスから姿を消そうと走り始めたからであり。
 当然の結果だ。宙に浮く男は、目下で散る男たちを満足そうに見る。
 最初から楠木は、男達を眼中に入れていなかった。唯一見ていたのは、メテオ・チルドレン一人のみ。危険とまではいかないが、仲間に出来ないメテオ・チルドレンなど、邪魔でしかない。宙に浮く男はそのメテオ・チルドレンの殺害を命ぜられ、一瞬で終わらせた。
 男は弱いものを蹂躙することが楽しみな人種だ。逃げればいい、恐れればいい、すぐに殺すなど勿体無いことはしない。自身の行動一つで、相手の感情が左右される様を見ているのが、この上なく面白いのだ。男は着々と数を減らしていく屈強な男達を見ながら、口元を笑みの形に歪める。そのままついつい、転んだ男の上に植木鉢を落としそうになったところで、何かが頬を掠めた。最初、男は何が起こったのか理解出来なかった。だが、丁度真下に男が立ち、その手に持った銃をこちらに向けているのを確認した瞬間、男の中の何かが千切れた。
「僕はね、おい、僕はね、傷を付けられるのが大嫌いなんだよ。もうこりごりだ、弱いくせに、弱いくせに、結局死ぬくせに、何なんだ、逃げろよ、意味がないだろ、考えろよ、僕が優越者なんだ、君じゃない、僕だ、お前等地面に這いつくばるゴミが、今更僕に傷を――許せるわけないじゃないかァッ!」
 宙で叫ぶ男を見ながら、銃を上に向けていた浅井は今度こそ、死を覚悟した。……必死の一発。それは相手に対しての言葉だった。だが、何故か、今に限って弾は外れた。つまり言葉の意味は全く以って逆となったのだ。
 死。こんな宙に浮いて植木鉢を落とすしか能のないガキに殺される。それは許し難い事だ。その怒りが、浅井を攻撃させるまでの燃料となったのだ。しかし、もう駄目だ、と。浅井は銃を手から離す。宙では男が意味の分からないことを喚き続けている。周囲にはもう人影は無く、最後の一人が自分。それらの状況を冷静に受け止めている自分が、非常に可笑しくて。
 不意に笑ってしまった。平和な生活からテロリスト紛いの集団に身を置き換え、挙句の果てにはこれか、と。
「何を、笑ってんだよ! ふざけるな! 死ね! 今すぐ! 死ね!」
 宙に浮く数多の植木鉢、その内の一つが動いた気がした。そう、気がしただけ。浅井が瞬きをする前に、既に植木鉢は消えていた。なるほど、落としているのではなく、飛ばしていたのか。浅井はそれが最後の思考となることを予想しながら目を瞑り、遅れて、耳をつんざくような音が目前で鳴った。
 まるでガラスを大量に叩き割ったような、凄まじい音。……だが、音だけだった。いくら待てども、憎き植木鉢は落ちてくる事無く。
 ゆっくりと目を開けた瞬間、浅井は息を呑む。目の前は、白い物体に覆われていた。宙に浮く男と自分の間に、何やら白い壁のような物が出現していたのだ。まるで、この期に及んで浅井を助けるかのように。
(馬鹿な話だ)
 死を悟った人間に、そのような救いなど。浅井は周囲を見渡して、黒い影を見た時、その考えを改めざるを得なくなった。
 アンチメテオでも指折りの実力を持ちながらも、他の人間と親しげにしている姿どころか、仕事以外で喋る姿すら見たことが無い男。――その男を、面真を見た瞬間、浅井は空気が冷えていくのを感じた。
「どうやら襲撃は失敗に終わったようだな。残念と言うべきなのか、これは」
「めんくん! あそこに死体がある! 残念どころじゃないよ! 可哀そうでしょ!」
「確かにな。だけどな伝子、お前にはもっと残念なものがあるだろう。主に胸とか」
「ちょっと! 知らない人もいるんだからやめてよ! 今、限りなく僕の胸は関係無い話だね!」
「頼むから語尾にエクスクラメーションマークを付けないでくれ。そこぐらいしか自己主張する物が無いのもわかるがな」
「ぐぬううううううう」
 はて、あの男、あそこまでよく喋る男だったのか、と。浅井は一瞬、自身が死にかけたことを忘れ、そんなことを思った。





次回:第五話『ナンバー011』

       

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