お気に召すままに。
春、君がいて
――緑萌える季節、君と出会った。
***
「こんにちわ」
河原でまどろんでいる最中に声をかけられた。
眠い。
薄く眼を開き、視線だけを動かす。
すると、
「こんにちわ」
再び少女が挨拶を繰り返す。
そう、少女。
年は十四五だろうか、鮮やかな山吹色の着物を身に着けた少女がそこにいた。
帯の色合いといい、かすかに香る白梅香といい、
一目でいいところのお嬢さんだとわかる。
―――。
人違いではないのか?
しがない三流モノ書きのボクに、
こんなお嬢様が声をかけてくる理由が見当たらない。
「こ ん に ち わ !!」
三度目。
語気が荒くなっていた。
……どうやら間違いではないらしい。
とりあえず、これ以上無視もしていられないだろう。
「……あぁ、こんにちわ」
半身を起こして挨拶。
「お隣、ご一緒してもよろしいですか?」
「どうだろ、そこはボクの管轄じゃないからな」
「アラ、それではどなたの管轄ですの?」
微笑んで彼女がボクを見つめる。
眼の細め方、唇の曲げ具合、どれをとっても嗚呼、お嬢様だな―――そう思わされる。
「……そこに座りたいヒトの管轄だよ」
気恥ずかしくなって眼をそらして応えた。
それがボクと彼女が出会い、出会った季節だった。
やはり、彼女は良いところのお嬢様だったらしい。
本人の自覚は大分に薄いようだったが。
***
それから、
ボクと彼女は幾度も河原で出会い、幾度も言葉を交わした。
それは、とても大切で忘れられない思いで。
―――春も終わり、ヒグラシの声が聞こえてきた頃、彼女が呟いた。
「……私、結婚するんです」
いつもならボクの眼を見てコロコロと表情を変える彼女は、
ボクの顔を見ていない。
ずっと川のせせらぎを見つめていた。
何も言わない。
何も言えない。
一体、何を言えるというのか。
ボクにはわからない。
結局、それからボクたちは口を開かなかった。
日が暮れる頃、彼女は静かに立ち上がり、去っていった。
一度も振り返らずに。
***
「駄目だぁ、書けねぇ」
蝉の声に急かされても、
筆の進みは遅々として進まないことを実感する。
彼女が河原から姿を消したあの日から筆が止まった。
駄文ですら今の自分には紡ぐことは難しいだろう。
……あれから彼女とは出会うことなく、
河原に行くこともなくなった。
あそこに行くのは、今の自分には辛すぎる。
***
人間、何をしなくても腹は減る。
馴染みのソバ屋で早めの晩飯をかき込んでから、
大通りに出たのはほんの気紛れだった。
いや、ブラブラと人の流れにのっていけば楽だったのかもしれない。
不意に道端に落ちて、クシャクシャになった新聞が目にとまる。
「――――」
伯爵家の結婚がどうだとか、ボクにとってはどうでもいい内容。
だと言うのに、ボクの視線は動かない。
写りの悪い写真の中、彼女は少しだけ微笑んでいるように見えた。
―――よかった。
物語はメデタシメデタシで終わるのが常だ。
本当によかった。
でも、それだけ。
もうボクには関係のない話。
ボクは家に帰らなければいけない。
人混みをかき分けるように駆け出す。
夕暮れ刻、景色はどうしようもなく歪んでいた。
緑萌える季節、君と出会った。
緑萌える季節、君と語り合った。
緑萌える季節、君と笑い合った。
緑萌える季節、―――
ありがとう、さようなら。
ボクにはやるコトがある。
君を失ってボクは文章が書けなくなった。
でも、それはなんて勘違い。
ボクにはこんなにも書きたい想いがある。
それに気付かせてくれて、ありがとう。
機会がありましたら、
緑萌える季節、今度は友人として逢いましょう。